蒲生氏鄕紀行

天つ正しき二十の年。前關白おほいまうちぎみ入唐したまひ侍らんとものしたまふに。日のもとの武士のこりなく御供しはべるに陸奧よりも立侍りけるに。白河の關をこゆるとて。

 陸奧も宮古もおなし名ところの白河の關いまそこえゆく

とよみて出てゆくほどに。下野の國にいたりぬ。いときよくながるゝ川の上に柳の有けるを。いかにと尋侍るに。これなん遊行の上人に道しるべせし柳よといふを聞て。げにや新古今に。道のへに淸水なかるゝ柳かけと侍りしをおもひいでて。

 今もまた流れはおなし柳陰行まよひなは道しるへせよ

とうちながめて行けるほどに。こゝは那須野の原といふ所なりければ。あまりに人氣もなく物さびしかりつるまゝ。ふと思ひつらねて。

 世中に我は何をか那須の原なすわさもなく年やへぬへき

などいひて打過けるに。佐野の舟橋につきぬ。里人の出侍りしにてたづねとひければ。此はしにて。昔人を戀ける人のむなしく成し有樣かうやうの事とかたるをきゝて。あはれにおもほえぬれば。

 これや此さのの舟橋渡るにそいにしへ人のことあはれなる

とよみてうちわたりつゝゆくに。上野をもすぎて信濃國に入ぬ。淺間のたけにけぶりのたつをみて。我心におもふ人の事をおもひてよみける。

 しなのなる淺間の嶽も何を思ふ我のみ胸をこかすと思へは

とものし侍るに。おなじ國の木曾といふ所を行ほどに。さびしげなる家ひとつふたつ有けるを。いかなる所ととひ侍れば。こゝなんみかへりの里といふ。跡に思ふ人なきにしもあらざりければ。おもしろき里の名なりけるものかなとおもひて。

 限なくとをくもこゝに木そのちや雲ゐの跡をみかヘりの里

猶ゆきてみのの國たる井といふ所にかりねして。

 かりねする宿の軒端のあれはてゝ露もたる井の明かたの空

とよみて。はや夜も明行程にたび立つゝゆきければ。近江の國にいたりぬ。爰は我生國なりければ。故鄕いとなつかしう思ひける。

 おもひきや人の行ゑそ定めなき我ふる鄕をよそにみんとは

とよみつゝのぼりけるほどに。はや程なく京に付て。

 はると思ひし我そけふははや心のまゝの都いりして

右氏鄕紀行加賀美遠淸本挍合畢

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