續・生活の探求 (第一囘)


本文

編集
つねの年に增して寒さもきびしく、風も吹き荒れることの多いその年の暮れであつた。この地方は、北と東に向って開き、海も近く、そこから吹き上げて來る風は、杉野たちの部落の後ろの山で行き止まりだつた。晝も夜も山に鳴る風の音に包まれながら、山裾の地にわづかなくぼみに、杉野の家はひつそりとしてゐた。家のなかは、平和な、物靜かな空氣にあたたまつてゐた。舊歷の節季までにはまだひと月餘りがあつたが、その節季への備へがすでに一應はととのつてゐたからである。
十二月の初めに豫定されてゐた葉煙草の收納は、役所の都合で月の終りに變つた。選別にひとしきり忙しい思ひをした上で、それらを束ね、束ねたものをさらに包みにした。一包み三貫から四貫の間のいくつもの包みである。指定された日は同じ部落の仲間をも語らひ、車に積んで、朝早くから出かけた。收納所のある町までは三里に餘る。途中で背に荷をつけて步いて行く他部落のものにも逢つた。彼等のあるものの荷をも車につけてやつて、駒平たちは風の中を元氣よく進んだ。彼等は聲高に話しながら行つた。すぐ前と後ろに連なつて話してゐても、その話聲を途中で切つて飛ばしてしまふやうな風の强さ冷たさも、今日の彼等には一向苦にもならなかつた。
しかしさうしてやがて着いた收納所では、彼等の一年間の勞働の生產物は、一人あたまほんの數分間で取引きをすまされてしまつた。彼等の荷は、筵を敷いた板敷きの上におかれた。すぐに解かれて、なかの一包みづつの中身はそこにあらはれた。それは調べられるのである。荷主たちは息を吞んだ。そしてあるものはおづおづと、あるものは銳く鑑定人の方を見た。しかし多くは正面からぢつと見るといふのではなくて、わきの方から素早くちらつと見て、またすぐ自分の荷の上に視線を向けるといふふうだつた。眼鏡をかけ、髭のある鑑定人は、だが彼等の方を見返しはしなかつた。さういふ役人といふものは、さういふ場合には、無用な言葉を云つたり、またどんな意味の笑ひにしろ笑ひを見せたりすべきものではなかつた。彼は周圍に對しては全く無關心で、車が軌道を行くやうに、ただきまきつた事を、きまりきつた通りにやつて行くのみだと云ふやうな、あの突つばねた冷たさを持つだけだつた。その冷たさといふものは、彼等の役目柄から來るおのづからなものであり、また仕事に慣れ切つてゐるといふところから來るものであり、鑑定に對する高ぶりと云へるほどの强い自信から來てゐるものでもあつた。しかしそれ等の一切が非常に誇張した形で外にまであらはれてゐることによつて、彼等が人々のさまざまな眼で見られてゐる自分を自ら感じてゐることがわかるのだつた。
それは何といふあつけなさであつたことだらう!全くあッといふ間のこととしか思へなかつた。每年のことで慣れてゐる者らにも、そのあつけなさは何か信ぜられぬほどの、ぽかんとしてしまふやうなことであつた。あんなに意氣込んで來たことが、そんなに簡單に片附けられてしまふといふことが、非常に不當なことのやうにさへ思はれるのだつた。――包みになつた煙草の葉は、あらかじめそれぞれの品位に從つて三つの階級に選別されてゐる。鑑定人は二人である。彼等は各包每に觀察し、手を觸れて見る。互ひにその見るところについて話し合ふ。葉の彈力はどうか、肉の厚薄はどうか、黃變の工合はどうか、中骨や枝骨の大小はどうか、これら葉の品位を決定すべき重要な條件について二人の意見はつねに一致する。特等から七等までの賠償價格決定の標準はさうしてきまる。そこで鑑定人はちよつとわきを向いてその結果を云ふ。傍の机に向つてゐるものがそれを書き込む。――迅速であることは鑑定人の生命であり、誇りだつた。念のために等級別の標本が備へてあるが、疑はしい時に標本に照らし合して見なければならぬなどといふことは、その道の專門家ともあらうものの恥であつた。
杉野の十四包も、さうしてわづか五分間足らずで終つたのである。
鑑定がすんで、さつさと無造作に向うに取り片附けられ、前からある葉煙草の山の上に、自分の包みが新たに附け加へられるのを見ると、自分の內に何かごつそり穴があいたやうな氣持がした。何か一言云はねばならぬやうな、これだけですんでしまふといふ法はないと云ひたいやうな、さうかと思ふと萬事すんだとがつかり諦めてしまふといつた氣持でもあつた。さういふ氣持の起つて來る根據は、複雜なものではあつたが、その一つは明らかに、鑑定人の、生產物評價に對する疑惑と不滿であるには違ひなかつた。等級の鑑定にどうも納得のできぬものがある。道々ひそかに考へて來た自分達の豫想とはちがふ。こんな筈はないと思ふ。瞬間、實に多くの考へがそこに立つてゐる彼等のあたまを駈けめぐる。《どうしよう?云つたものか、それとも默つてゐたものか?》となかでもそれについて强く考へる。不服の申立ての道は開かれてゐる。再鑑定を云ふうことができる。云はうか、云ふまいか?
ためらつて、ふと見上げるそこに立つ鑑定人の姿といふものは大きく見える。云はうとする口を强張らせてしまふやうな何かが彼にはある。《憎まれては損だ!⦆と彼等は考へる。しかも、再鑑定を云つて、取り上げられたとして、それの實際の結果が殆ど云ふに足らぬものであることを、彼等は餘りにもよく知り過ぎてゐる。それでも、たとへわづかでも、評價額が增加した場合はいい。前鑑定以下になつた場合はどうだらう。費用までも自分が負はねばならぬ!
後ろにはもうあとに續くものが來て交代をうながすかのやうに立つてゐる。それに氣づくともう何を云ひ出す勇氣をも失つてしまふ。彼はちよつと頭を下げて、こそこそと場を外す。隅つこに行つて、ほつと息をつく時にはこの寒空にびつしより汗さへかいてゐる。さきにすんだ同じ思ひの者たちがそこへ寄つて來る。
「何等だつた?六等か?」
「うん――お前もか。ぢやあ、いくらになつた?」
彼等はまるくかたまりあつて、ひそひそと話をする。
やがて彼等は金を受け取る。彼等は一層物陰に行つて、節くれ立つた指で何度も禮を數へては見、數へては見する。やがて無造作にはだかのまま腹卷のなかに落し込むものもあれば、幾重にも紙に包んで、首から下げた袋のなかにしまひ込むものもある。一瞬、それは彼等にすべてを忘れさせる。が、すぐに彼等はたつた今さきのことにこだはらないわけにはいかない。この金を思ふにつけても、やはりさつきは云ふべきことを云つておくべきではなかつたか、さうすればこの上になほ幾らかでも加へることになつたのではないか。取り返しのつかぬことをしてしまつたといふ氣がして來る。いきほひ愚癡になり、仲間にも話すと、いよいよさういふ氣持が强まつて來る。家へ歸つても繰り返し、繰り返しそのことを云ふ。しばらくは、その考へから脱け出るといふことは出來ないのだ。
そのやうにして、杉野の家も、百五十圓餘りの金を得たのである。
そのほかに大きなものとしては、牛を賣つて得た金、百二十圓餘りがあつた。
春、田を起す前に買つた二歲の朝鮮牛は、十一月の末に、麥蒔きがすむと間もなく賣つたのだつた。買つた時には九十圓に少し缺けた。十月末からひと月餘りは、牛を引いた百姓の群が、每日ぞろぞろ街道に續いた。春買つて秋賣る牛のためには、町から仲買人が出張して來る。杉野の家では駒平が鼻綱を引いて連れて行つた。すでにその一週間前から、牛は一切の仕事から解放され、牛舍內はつねにも增して淸潔に、新しく取り替へられた敷藁はたつぷりと厚かつた。牛ののからだは刷毛をもつてていねいに梳いてやつた。食べものは、切藁、牧草、にんじん、油粕、もやしなどある限りのものを、あるひは取りまぜ、あるひはかはるがはる、出來得る限りの變化で與へた。さういふ心の配りは必ずしも賣らうとするものの評價を考へての打算からばかりではなかつた。その咸鏡道生れの、全身赤毛で角は珍らしく黑く、蹄も黑い牡の朝鮮牛は、がつちりした骨骼で、その頸の太さと、恰好のいい腹のひき緊り方からもその質の好さが知られる、癖のない、いかにも性質のいい奴だつた。それはここ八ヶ月餘りの間の最も忠實な働き手だつた。煙草を始めるやうになつて、いくつもの主要な勞働が一時に輻輳してくる時もあるやうになつては、ことに、牛のゐない耕作といふものは考へられなかつた。田の除草にさへ、牛に除草機を引かせるものが、此頃ぼつぼつこの地方にも見えて來てゐた。
その朝は、出て行く前に、家ぢゆうのものが牛のまはりを取りまいて、口々に何かを云つては、額や鼻面を撫でたり、背中や腹をぱんぱん、平手で輕く叩いたりした。毛の色艷は此頃一際よくなつたやうで、毛竝に添うて何べんも撫でてやる手に傳はるあたたかな感觸は、かういふ經驗が今年はじめての駿介にはことに忘れがたかつた。八ヶ月勞苦を共にして深い親しみを感じて來てゐるものへの、別れを惜しむ情は深くても、一般に春買つて秋賣らねばならぬといふ事實そのものは、駿介以外の人々には、今さら迫ることもなかつた。それは每年々々のことであり、全くあたりまへの事であつた。しかし駿介にはそれが迫つた。一頭の耕牛をすら一年を通して飼へぬこと、それが農家の常態であるといふ事實を彼は思つてみたのである。
牛は頸をのばし、頭を低く垂れ、大きくゆるやかに右に左に動かし、また上を向きなどして、廣い額や丸く大きな眼に比べて愛嬌があるほど短かく小さい角を打ち振りながら時々長く聲をひいて鳴いた。やがて駒平が曳いて去り、家の下の道の向うに隱れてまでも、その聲はしばらく聞えてゐた。その道は二曲りほどして、牛どもが集る原つぱに通じてゐた。
さうして得た百二十圓餘りは、もとより長く手許にとどまるわけもなかつた。また何かほかの使途にさし向けるといふわけにもいかぬ金だ。牛を賣るのはもとより耕牛を不要とするのではなくて、秋から翌年の春の終りにかけてただ遊ばせて食はしておく費えを避けるのであつて見れば、何れまた春には新しく買はねばならぬ。しかし切羽詰つた時にはその金とてもほかへ𢌞すことはできる。そして、牛は牛の產地として名のあるとなりの國から借りればいい。となりの國の山あひの地にはそれを目的とした牛が放牧されてゐる。春、田起しの始まる頃になると、牛は隊をなして國境ひの村まで來る。そこへ行つて借りて歸つて、借賃は牛を返す時でいい。さうすることも出來るし、杉野の家では、來年からは場合によつてはそれすらもしないですまさうと思へばすますことも出來るのだ。杉野の家には今年から新しく屈强な男の手が一つふえた。駿介の手がふえたのである。
葉煙草を納めて得た金とても、來年度の經營の費用がそのなかから出ねばならぬことは勿論である。何れもしばらく手許にとどまるべきものではなかつたが、しかしこの二口のまとまつた金が、しばらくでも手の中にあるといふことは何よりも大きな力であつた。飯米のほかに幾らか賣ることの出來る米は急いでは賣りたくなかつた。何も思ひがけぬ金が轉げ込んだといふのではないが、豫定通りのものが豫定通りであるといふことは喜ばなければならなかつた。牛など、わるくすれば買つた時の値だつて割らなければならないことだつてあるのだ。かうしてとくにきつい今年の冬の寒さも苦ではなかつた。これで老父の駒平が神經痛で時々寢込むといふことさへなければ、何もほかに云ふことのない冬であるのだが。
風が落ちて珍らしくよく晴れた日の暮れ方、彼等ははじめての麥の踏壓から歸つて來た。おむら、駿介、じゆん、道、だつた。五時にはもうほとんど暗い。駒平はこの二三日來、わるくて寢てゐた。曇れば曇つたで、風があればあるで、よく晴ればまた晴れたで、肉のなかは刺すやうに、抉るやうに、また灼くやうに痛んだ。朝は乳のやうな靄で、日が上ると同時にだちだちだちと雨の落ちるやうな音で霜の解け出す日は、よく晴れたが、氣溫がぐつと下るから、痛みはかへつてひどかつた。晝間はさほどではなく、夜になるときつと痛んだ。が、さうだからと云つて、晝間起きて動き𢌞つてゐると、恐らく冷え込むからなのであらう、報いは覿面に來て、次に來る痛みは一層激しかつた。手當てのしようもべつになかつた。醫者にもかからず、そのやうな時には、炬燵の火をごくぬるくして、駒平は一日でも寢てゐた。食事も眼立つて細く、ぢつと眼を閉ぢて身動きもせず、口もほとんどきかなかつた。苦痛を訴へるといふこともなかつた。病苦ばかりでなく、日頃の疲れが一時に出たといふふうにながめられた。粗末な建方の二階は冷えるので、冬になつてからはみんなと一緖に階下に寢るやうになつた駿介は、夜なかに時々眼をさました。一眠りしたあとの若い彼のからだは快くぬくもつてゐる。裏山には今夜も風が吼えてゐる。彼は襖を一つ隔てた向うの老父の氣配に、耳をすまさないわけにはいかなかつた。かすかに鼾の聞える夜があつた。何一つ物おとの聞えぬ夜があつた。しかしまた苦痛をこらへる呻きにちかい聲を聞かなければならぬ夜もあつた。その聲は斷續しつついつまでも續いた。駿介は思はず半身を起して、闇のなかにぢつと息をひそめるやうにしてゐた。突然のことのやうに、今はじめて氣づいたことのやうに、彼はすでにかなり傾いてゐる老父の年齡を思つた。そして自分が歸つて來て、この家に住みつくやうになつたことをよかつたとする氣持をあらためて深めるのであつた。
「どうですか、今日は。お父つあん。」と、手足を洗つて、上へあがると、駿介は云つた。「ちつとは痛みはいいやうですか。」
「うう。」と駒平は云つて、大儀さうにゆるゆると起き上ると、炬燵の上に顏をこすつた。眼をしばたたきながら、戶のガラス越しに向うをすかすやうにして、
「ほう、もうこんなになるんかい、俺ら、ついうとうとしとつたもんぢやけに。――今日は家ん中はよう冷える。どこもここも何やら乾いとるやうで。」
咽喉がいがいがすると云つて、傍の茶盆を引き寄せて、冷たくなつた番茶を含んでは咽喉をカラカラいはせた。駿介は外は風さへなければ日向はずゐぶん暖かだと云つて、麥が順調にのびてゐることや、朝はあんな土が霜に濡れてゐながら、風のために乾くのが早いのにおどろく、といふやうな話をした。臺所の方でごとごと音をさせてゐたじゆんが、その乾くといつたのを聞きつけて、家のなかもよう乾く、朝、お櫃を洗つてかけておいたのがもうカラカラだし、雨が降ると窮屈な臺所の床板の上げ下ろしも此頃は木が乾いて輕いといふやうなことを、大きな聲で云つた。感冒はかういふときにはやるんだから氣をつけなくつちや、と自身に向つて云ふやうに附け加へた。駿介は炬燵の火を繼ぎ足し、それからまた下へ降りて行つて、鷄の小舍と山羊の小舍とを見𢌞つた。
夕飯が濟むと、親子は一つ部屋に集つて、寢るまでの時間を過した。此頃は彼等は多くの晚かうであつた。一年を通じてここしばらくほんのわづかな期間が、幾らか仕事が暇だと云へる時であつた。暇だと云つても、繩を綯つたり、筵を編んだり、夜なべ仕事のないわけはなかつた。たださういふ仕事も、ここしばらくはやめてゐた。やがて、もうすぐ、舊正月も待たずに激しい勞働が始まる。煙草の苗床準備がそれである。それを皮切りとして、それからはもう次から次へと少しの暇も許されぬ。それまでの短い期間を、せめては少しはゆつくりしたいといふ氣が、おのづからみんなにあつた。
母は明りのすぐ下に坐つて、膝の上に襤褸をひろげてゐた。おむらももう六十である。眞綿が厚く入つて、切地の上にところどころ小さな玉になつて下つてゐるあつたかさうなちやんちやんこを着て、背中をまるめて、老眼鏡の眼でたどりながら、かなりおぼつかなげに針を運んでゐる。眞白な髮が年寄りには珍らしくたつぷりして、かぶさるやうなので、黑くコチコチした感じの顏が一層小さく見える。眼はわるいほか、彼女には喘息の持病があつた。ふだんでも息をするごとにゼーゼーかすかに音をさせてゐるが、時々首を前へのばし、背中を一層まるめてこんこん續けさまに咳をする。赤くなつて力みながら、最後に自分で咳込みをふつ切らうとするもののやうに、ガーッと大きく咳拂ひをしてやめる。しかし冬季には大きな發作は少なかつた。それが一番激しく來るのは梅雨時だつた。――じゆんは火鉢の傍へ寄つて、麥稈眞田を編んでゐた。それを編む手の甲は紫がかかつて脹れ、その指先さきはところどころ皹破れて赤く口を開いてゐた。じゆんは火箸の先をあたため、それで黑い皹ぐすりを溶して破れ目になすり込んだ。若い彼女は絕えず微笑を含み、生き生きとした紅い顏をして、たつたそれだけの手仕事をするのにも、全身をもつてしてゐるやうに見えた。時々はその手をやめて、傍に開いて伏せてある四月も五月も月おくれの婦人雜誌の頁をめくつたり、母や妹に向つて話しかけたりした。妹の道は壁の一方に小机を寄せて、その前に小學生のやうにきちんと坐つて、本に向つてゐた。彼女は父親似の、眼尻の少し釣り上つた、額が男の子のやうな顏立ちで、何よりも本の好きな娘である。
駿介は父と向ひ合つて、炬燵に入つてその上に本をひろげてゐた。彼はこのごろの貴重な暇を得て、每晚かうして本を開いた。はじめ彼はなんとなく不安を感じた。生活の激變、激しい肉體的な勞働は、生理的にも頭腦を硬化させ、細胞の組織を一變し、キメが粗くなつて書物による知識の吸收、緻密な論理の追求といふことが今までのやうなわけにはいかぬのではないか、といふやうな危惧を感じたのである。が、さうした危惧は全く意味のないことだつた。むしろ事實はその反對であるとさへ云へた。肉體的な勞働は彼に活力を與へ、彼の細胞をリクリエイトしたものだらう。一時書物から離れてゐたといふことは、結果から見れば、いいこと、あるひは必要なことであつたとしか思へなかつた。新しく讀み出した彼の頭腦は潑剌として新鮮な水を含む海棉のやうにたんらんにすべてを吸收した。彼の精神はいつのまにか、彼自身も知らぬまに、いろいろな垢と來雜物とから拂拭されてゐた。それは肉體になぞらへて云へば、チブス後の復活したそれのやうなものだつた。日々の新しい生活に對して淸新な感動をもつて立ち向つて來たやうに、書物の世界に對しても同じやうな感動をもつて踏み込んで行くことが出來た。もう長らく彼はこのやうな狀態からは遠のいてゐた。何を讀んでも物倦く、つまらぬ、理解は一通り行き屆いてゐながら、對象と自分との間には幾重にも何か眼に見えぬ煙幕のやうなものが立ちこめてゐる――一年前、歸鄕する前後の彼はそのやうな狀態にゐたのだつた。かつて中學から高等學校へかけて、夜を徹してまで外國の文學や哲學などに讀み耽つたあの感激、情熱といふものはどこへ行つてしまつたのだらう?當時からわづか二三年後にはもうこんな狀態だ。この無感動、この衰弱といふものは一體どこから來たのであらうか?それは一時は誰にでも來るやうな、靑年期の病氣の一つなのであらうか?それともそれはもつと時代的な社會的な意味を持つたものなのであらうか?かつてあのやうな時期は何人にももう二度とは𢌞つては來ないのであらうか?――駿介は寂しい氣持でそのやうなことを幾度も幾度も思ひ返した。ところが、その失つてゐた時期を、思ひがけなくも、彼は今再び取り返すことが出來たのである。
夜更けまで讀んで彼は容易に眠くはならなかつた。晝の疲れにも倒れなかつた。夜が更けるにつれて肩のあたりに忍び寄る寒さも何ほどのことにも感じなかつた。やや讀み疲れると、久しく無沙汰にしてゐる、東京の親しかつた二三の友達に手紙を書いたり、古い葛籠から祖父の代からのいろいろな書きつけや帳面を引つぱり出して來て見たり、古い寫眞帳をくりひろげて見たりした。それらのものも充分に彼を樂しますことが出來た。彼は見ながら、熱い番茶を幾杯も代へて、うまさうに飮んだ。
彼が今讀んでゐるのは、農業の經濟的方面や技術的方面に關する書物だつた。それらは今の彼が日々生きて行くために必要とされる知識だつた。そのあるものは、今日獲得されれば、すぐその翌日、實際の仕事のなかに生かされるといふふうだつた。さきに云つたやうな彼と對象との間の透間の無さ、新しい知識への感動は、おそらくはもつとも手近に、右の關係から來てゐるものにちがひなかつた。
「お父つあん、やつぱり一度醫者に見せてみたらどうですか。」
壁の方に向いて橫になつてゐた駒平が、寢返りを打つて、こつちの明るい方に顏を向け、物憂ささうに眼を見開いた時本の上から顏をあげて駿介が云つた。駒平はしかし、ゆつくりゆつくりした口調で答へた。
「あきやせん。俺らのこの病氣にや醫者はなんちや役に立たんが。」
「そりや治り切るなんてことはないでせうが、いくらかでも痛みが薄らぐだけでもいいんだから。」
「今までにも何度も醫者にはかかつたが。何せえもう十年このかた每年々々のことぢやけんのう。村の醫者にやむろん、赤十字の醫者にもかかつたし、手療治なんぞも、ええと云つて人の敎へてくれるもなァ大抵やつてみた。けど、どれもこれもあきやせん。藥をもらへば、その當座だけはちよつとええが、ほんの當座だけぢや。第一、醫者はみんなこちとらに出來(でけ)んことばかり云ふで、どもならん。やれ仕事をやめて溫泉さ行けとやら、電氣をかけに每日半年がほども通へとやら。――結局、まァかうして溫(ぬく)とうにして、ぢつとして寢とるのが何よりぢや。」
「そりや、結局は、からだの無理からばかり來てゐることなんだから。」
「何も餘計な手をかけんと、溫とうにしてぢつとしとつて自然とおさまるのを待つとるのが一番ぢや。そのうちにや氣候も溫とうになるし……しかし、これでようしたもんぢや。おつ母さんと俺らとは代り番こぢや。おつ母さんの喘息もやつぱしこつちから醫者に愛想づかしせんならん病氣ぢやが、もしもこれが俺らと一緖の時であつて見い、えらいことになる……天道人を殺さずとはようしたもんぢやがな。」
駒平はゆつくり半身を起して、傍の煙管を取つた。ぢゆーツと終ひの方で脂(やに)の音をさせて一服うまさうに吸ひ終つた。それからふところからずつとなかへ手を入れて、腰にあててゐた懷爐を取り出した。「じゆん、これ、ちよつくら。」と云つて、そつちの方へ押してやつた。じゆんは古い懷爐灰を棄て、新しい懷爐灰に火をつけて、ふーつと息を吹きかけた。赤い火花がパツと散つた。
外は靜かであつた。裏山にも珍らしく音が絕えてゐた。月が高く上つて、空を射してゐる葉の落ち盡した木々の枝々の交はりもはつきりそれと知れる明るさである。そのなかで空氣中の水氣が玉に結ぼれ、凍つて行く。さういふ外の澄んだ靜けさが家のなかにまで浸み入るのだつた。新しく仕替へた懷爐に腰のあたりが熱いぐらゐになると、からだのほかの部分に、ことに襟元にかへつてぞつとするやうな寒さを感じた。
「じゆん!もつともつと炭をくべろや。藥罐をちんちん云はせにや。寢る前にみんな熱い砂糖湯でも飮んで、少しなかから溫(ぬく)とまらにや。」と、駒平が云つた。
「もう少しここを繕らうて了うてから。」と、おむらが獨りごつやうに云つて、なほも針を進めようとしたが、丁度その時絲の終りに來たらしく、針を明りの方に高くかざして、新しく絲を通さうとしたが、弱つた眼に針めどは動いてしばし止まらなかつた。傍に居て火鉢に炭を繼ぎ足してゐたじゆんがそれを見て、すぐに代つて通してやつた。
こつちから母の橫顏を見てゐた駿介は、每日見慣れてゐる母の顏に今はじめて氣づいたことがあるやうに思つた。知つてゐたことのなかに新しく何か見たやうに思つた。彼は母の傍へ寄つて行つて、「おつ母さん、ちよつと。」と云つて、手を輕くその肩において顏をのぞき込んだ。おむらは、「何ぢや、駿は。お醫者さんの眞似かいな。」と云ひながら、さう云はれるままに、その小さな顏を明りの方へ近く持つて行つた。駿介は母の眼にぢつと見入つた。やや褐色がかかつた黑目のなかの瞳。しかし黑い筈のその瞳は黑くはなかつた。黑いどころか白濁しいてゐた。右の瞳はすつかり白い薄皮に覆はれ、左のそれも半ばは白く變つてゐた。
「おつ母さん、これで見えるんですか。」
と、駿介はおどろいて云つた。
「うん、だんだん見えんやうになつて行きよる。」
おむらは當り前のことを云ふやうに云つて、云はれるままに左の眼を閉ぢた。
「何も見えやせん。そこらへんがぼんやり黃色に見えるだけや。」
駿介はその顏の前に近く手をやつて、上に下に振つて見た。おむらは、薄暗いところに、何か黑いものが動いてゐるだけだと云つた。それから右の眼を閉じた。
「こつちはまアどうにか見えるが、顏はずつと近く持つて行きや、大抵見えんこたアない。それでも去年から見りやずツと見えんやうになつたがのう。一年一年見えんやうになつて行きよる。」
他人(ひと)事のやうに靜かに云つて、また膝の上の襤褸を取り上げた。
「底翳(そこひ)ですね……白ぞこひつて云ふんですね。それに違ひないけれど、何とかしなけりや。」
「こりや年寄りの眼やけに。年を取りや大抵のをなごはかうなる。まるで見えんけりや困るけど、どうにか見えとるうちは、高い錢かけたり、暇だれしたりするには及ばんこつちや。」
病氣や醫者の話からふと氣づいたらしく駒平が云つた。
「駿、お前、今度目歸つて來てから、森口の息子に會つたかいや。」
彼については、前に足を怪我したとき父から聞いて知つてゐた。
「いや、まだ會はないんです。これから世話にもなるんだし、一度會つて挨拶をしとかなくちやと思つてゐるんだけど、訪ねて行くとなると何だか億劫で……それに暇もなかつたしするもんだから。一度、自轉車で行く姿を見かけたことがあつたけれど。」
「一度會つておくがええ。何と云うても森口は村ぢや有力者やけに。――それに道のこともあるよつて、今度會つてお前から一つ賴んどいてくれんかな。」
「道のことを――ああ、さうですね、そりや森口に賴んでもいいわけですね。」と云つて、駿介は隅の方で默つて机に寄つてゐる道を見た。
高等科を卒へた道は、看護婦にならうとしてゐるのだつた。それは誰から云はれたのでもなく、自分自身の發意からだつた。彼女は町へ行つた時に、その方面の受驗に必要な本を買つて來て、わづかな暇も無駄にせずに讀んでゐた。そのさまには何か眞劍なものが見られた。無邪氣なこの年頃の娘のなかに伸びつつあるそのやうな意志的なもの、自分のおかれてゐる境遇をさとつて、ひとりで自分の道を切り拓いて行かうとしてゐる姿を、駿介ははじめて見たもののやうに思つた。はじめは誰にも相談せず、自分ひとりで考へながらやつてゐるやうなのが、いぢらしくもあり、また健氣でもあつた。一體に、ふだんから、思つてゐることをさう賑やかに言葉や色を出す方ではなく、だがさうかと云つてただ內へ內へ籠る一方といふのではなく、考へたことはすぐにも行ひとしてあらはれるから賑やかである必要がない、とさういつたやうな子であつた。明るく外に向つて開け擴げたじゆんの性格とはちがつてゐた。さういふ道を、駿介はしばらくは默つてわきからいたはりの眼で見護るやうにしてゐたが、ある時はじめて彼女の志望について妹と話した。それまで道は駿介にあまり馴染まなかつた。やつと小學校に入つた年頃に別れて、それからはずつと別れ別れにくらして來た兄だつた。時々渡り鳥のやうに立ち歸つて來るかと思ふと、すぐに慌ただしく去つてしまふ。その度每にぐんぐん伸びて、顏にも姿にもものの云ひぶりにも昔の兄のおもかげはほとんど殘らなかつた。さういふ存在が、昔から何の疑ひの餘地なく自分に深いつながりがあるものときめられて、今もかうして一つ家に寢たり起きたりしてゐるといふことが、時には何やら不思議な感じであつた。向ひあつて坐つてゐると、胸が壓され、息がつまりさうな氣のすることがあつた。薄髭が生え、面皰が一つ二つ熟んでゐる顏を見、靑年に特有な汗ばんだ肌のにほひを嗅いで、憎しみと敵意のやうなものを感じさへした。それは血のつながりの深さから來てゐる複雜な一種の感情で、愛情とは裏と表の關係にあるものであつたが、もとより道にはそんな自覺はなかつた。そしてただ搔き亂すやうな不思議な感情の經驗に苦しんだ。駿介の東京からの土產を小さな子供のやうに有頂天になつて喜び、彼が着いたその日から、戲談口をきき合ひ、會はずにゐた何年間かが何の障害にもなつてゐない、かへつて親しさを增し深めるものになつてゐるじゆんのやうには、到底素直で蟠りなしにあることは出來なかつた。
ところが、一週間足らずゐて、駿介が歸つてしまふと、道はまた思ひがけない、新たな氣持を味はふのだつた。彼女は空虛を感じた。折角手のなかに得たものをむざむざ失つたやうな氣がした。そしてさういふ氣持の原因がやはり駿介にあることを認めなければならなかつた。彼女はそれを感じた。すると兄へのなつかしさが、非常に深く激しいものとして一時に蘇つて來るのであつた。
その兄が今度は一時的にではなく、ずつと自分達と一緖に住むやうになつても、なほしばらくは兄に對して持つやうな氣持を素直には持てなかつたのである。駿介が、彼女の志望としてゐるものについて話しかけて來た時、道は赤くなつて口ごもつた。しかし道が兄に對して何でも思つてゐることを傳へるやうになつたのは、それ以來のことであつた。急に兄に對してよりかかる氣持を深めて行つた。駿介ははじめ看護婦などではなく、もつとほかに何かないかと思つた。彼はあまり看護婦などは好まなかつた。しかし、好まぬと云つたところで、では一體何がほかに、小學校しか出てゐない田舍の娘のためにあるのであらう。紡績の女工になるよりは、なほましだと駿介は妹のために思つた。彼は勵ましの言葉を云つた。そして必要な二三の書物を買つて來て與へもした。
「今は何を讀んでゐるんだい?」と、駿介は訊いた。道は開いてゐる本の背を、チラとこつちの方へ向けて見せた。それは有名な博士が書いた生理學の講義であつた。ラヂオの講演をもとにして、平易に、しかし要領よく人體の生理の全體に亙つて書いた本であつた。駿介はそれと、もう一册机の上にあつたのとを手に取つて見た。他の一册といふのは看護學の本で、試驗問題集が附錄になつてゐた。どつちも、彼女の手に渡る前にもう何人もの人でを通つて來たらしい、綴(とぢ)もグヅグヅになつてゐるやうな本であつたが、それでも彼女が讀んだあとといふものはよくわかるのだつた。それは繰り返しよく讀まれてゐた。試驗問題のあるものの上には、赤鉛筆で〇や△などのしるしがあつた。「人事不省ノ徵候及其處置ヲ述ベヨ」「手指ノ消毒方法ヲ記セ」「シヤイネ・ストツク氏呼吸現象ヲ詳記セヨ」――さう云つたやうなものであつた。それらを見てゐると、駿介は、突然のやうに、自分のこの妹に對するいたはりのなほ足らなかつたことを感じた。彼女のこれらの勉强に、自分も力を協せ得べき筈だといふことを思ふのだつた。
「シヤイネ・ストツク氏呼吸現象つてのは何かな。かうして見るとずゐぶんむづかしさうな問題もあるんだね。」と駿介は問題集の頁をめくりながら云つた。道は微笑しただけで默つてゐた。するとじゆんが云つた。
「お道はわしなんぞとは違うて頭がいいけに、そのくらゐのもんはなんちやないがな。春には試驗を受けてみたがええ。たんだの一囘で受かるやらう。」
「そりや駄目。學科には自信があつたとて、實地の經驗がないによつて。」
「やつぱし、講習所さ入らないかんのかいな。」
「なんだね……講習所でなくつても、一年以上、醫者の所で看護婦見習いをしたといふ證明がありさへすりやいいわけなんだらう?」と、駿介が訊いた。
「ええ、さう。」
「どつちがいいかなあ。講習所だと家から通へるといふことがあるが……。」
駿介は考へ込んだ。「講習所は郡の醫者が交代で來るんだらう?大きな病院のやうなとこなら、かへつてその方がいいんぢやないかな。」
駿介はやはり森口愼一に會つておかうと考へた。妹のことも賴み、それに父と母のことについても一應訊いておきたいと思つた。森口愼一などと云つても、同じ村から出たインテリの一人としての關心があるだけで、昔から別に親しかつたわけでもなく、それぞれ自分の考へといふものを持つやうになつてからは會つて話したこともなく、それだけにこつちからわざわざ訪ねて行つて會ふといふことになると億劫で、なんとなく氣の進まぬことであるのだが。
「本はどうだい。今持つてゐるだけぢや足りないんだらう?是非いるつていふものがあつたら云つてみないか。」
「看護婦の本がね、」と、道は、兄が手にしてゐる本の方を眼で指しながら云つた。「それぢやあんまり簡單すぎるんや。それに古すぎるし……。もう少し新しうて、詳しいのが欲しいんやけど。」
「成程な、こりや古いや。」駿介は、本の奧附のところを開いてみた。「大正二年か。――道の生れるずつと前ぢやないか。」
彼女はそれを、町の古本屋の、均一本のなかから探し出して來たのであつた。
「ぢやあ、何ていふのがいいの。」
「碓居つて云ふ博士の二册になつた本がええさうやけど、なんぼにも値段が高いによつて。」
「いくらだい。」
「上卷が四圓で下卷が五圓やさうな。」
町には醫學の學校がなかつた。その方面の本を古で備へてゐるといふ本屋なども思ひ當らなかつた。駿介はやはり東京の知合ひの誰かに云つて賴んでやらうと考へた。五圓以上といふ金は、今の彼等にとつては實に大金だが、出來るだけ早くその願ひはかなへさせてやりたいと思つた。
「もう寢ようぜ、みんな。」と、駒平がその時ねむさうな聲で云つた。「もう遲いけに。今晚はずゐぶんよう冷える。」
みんな立ち上つた。おむらは膝のあたりの絲屑を拂ひ、襤褸を風呂敷に包んで、針箱や針立てと一緖に押入れのなかにしまつた。道は本や雜記帳をのせた小机を持ち上げて次の部屋へ立つた。駿介は炬燵を部屋の片隅に押しやつた。じゆんがそのあとから箒で掃いて行つた。
「ああ、さうさう、忘れとつた。」と、のべられた布團の上に、眞先に橫になつた駒平が、思ひ出して云つた。「暮れ方にお前が歸る少し前に、廣岡の親爺が寄つて行つた。何か駿に賴みがあるさうな。」
「賴みが?わしに。」
「ああ。また明日にでも來るさうな。」
「廣岡の親爺がわしにつて。何かな。」
「何か知らんが。――わしは丁度少し痛み出して來たもんで、寢とつて挨拶したもんぢやけに、何も話さずにすぐ歸つた――けど、駿、お前これからは追々と忙(せわ)しなうなるぜ。村の者ら、なんだかんだといろんなことをお前なんぞのとこさも持ち込んで來ようわい。そりや、今から覺悟しとらな。――馬鹿げたことが多いにきまつとるが、短氣は出さんがええ。一々短氣を出しとつたら、村には住めんよつて。何もかも勉强ぢやけに、そのつもりでやるがええ。」

関連項目

編集
 

この著作物は、1945年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。