『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)は、紫式部によって記されたとされる日記。寛弘7年(1010年)に完成されたとするのが通説である。なお、『
栄花物語』と一部文章が全く同じであり、同物語のあとがきには日記から筆写した旨記されている。江戸時代に
安藤為章が
紫家七論で取り上げて以降、源氏物語の成立事情を考えるための第一資料とされるようになっている。
中宮彰子の出産が迫った寛弘5年(1008年)秋から同7年(1010年)正月にかけての諸事が書かれている。史書では明らかにされていない人々の生き生きとした行動がわかり、歴史的価値もある。自作『
源氏物語』に対しての世人の評判や、彰子の同僚女房であった
和泉式部・
赤染衛門、
中宮定子の女房であった
清少納言らの人物評や自らの人生観について述べた消息文などもみられる。—
ウィキペディア日本語版「
紫式部日記」より。