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余が札幌の滞在したのは五日間である。僅(わずか)に五日間ではあるが余はこの間に北海道を愛するの情を幾倍したのである。
我国本土の中(うち)でも中国の如き、人工稠密(ちゅうみつ)の地に成長して山をも野をも人間の力で平げ尽したる光景を見慣れたる余にありては、東北の原野すら既に我自然に帰依(きえ)したるの情を動かしたるに、北海道を見るに及びて、如何(いか)で心躍(おど)らざらん、札幌は北海道の東京でありながら、満目(まんもく)の光景は殆(ほどん)ど余を魔し去ったのである。
札幌を出発して単身空知川(そらちがわ)の沿岸に向ったのは、九月二十五日の朝で、東京ならば猶(な)お残暑の候でありながら、余がこの時の衣装(ふくそう)は冬着の洋服なりしを思わば、この地の秋既に老いて木枯(こがら)しの冬の間近に迫っていることが知れるであろう。
目的は空知川の沿岸を調査しつつある道庁の官吏に会って土地の撰定(せんてい)を相談することである。然るに余は全く地理に暗いのである。かつ道庁の官吏は果して沿岸何(いず)れの辺に屯(たむろ)しているか、札幌の知人何人(なんびと)も知らないのである。心細くも世は空知太(そらちぶと)を指して汽車に搭(とう)じた。
石狩の野(の)は雲低い迷いて車窓より眺(なが)むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処(ここ)に愛なく情(じょう)なく、見ると荒涼、寂寞(せきばく)、冷厳にしてかつ壮大なる光景はあたかも人間の無力と儚(はかな)さとを冷笑(あざわら)うが如くに見えた。
蒼白(そうはく)なる顔を外套(がいとう)の襟(えり)に埋めて車窓の一隅に黙然(もくねん)と坐している一青年を同室の人々は何と見たろう。人々の話柄(はなしがら)は作物である、山林である、土地である、この無限の富源より如何にして黄金を握(つか)み出すべきかである、彼等の或(ある)者は罎詰(びんづめ)の酒を傾けて高論し、或者は煙草をくゆらして談笑している。そして彼等多くは車中で初めて遇(あ)ったのである。そして一青年は彼等の仲間に加わらずただ一人その孤独を守って、独(ひと)りその空想に沈んでいるのである。彼は如何にして社会に住むべきかということは全然その思考の問題としたことがない。彼はただ何時(いつ)も何時も如何にしてこの天地間にこの生を托(たく)すべきかということをのみ思い悩んでいた。であるから彼には同車の人々を見ること殆(ほとん)ど他界の者を見るが如く、彼と人々との間には越ゆ可(べ)からざる深谷(しんこく)の横(よこた)わることを感ぜざるを得なかったので、今しも汽車が同じ列車に人々及び彼を乗せて石狩の野(や)を突過(つきすご)してゆくことは、ちょうど彼の一生のそれと同じように思われたのである。ああ孤独よ!彼は自(みずか)ら求めて社会の外を步みながらも、中心実に孤独の感に堪(た)えなかった。
もしそれ天高く澄みて秋晴(しゅうせい)拭(ぬぐ)うが如き日であったならば余が鬱屈も大にくつろぎを得たろうけれど、雲は益々(ますます)低く垂(た)れ林は霧に包まれ何処(どこ)を見ても、光一閃(せん)だもないので余は殆(ほとん)ど堪ゆべからざる憂愁に沈んだのである。
汽車は歌志内(うたしない)の炭山に分るる某(なにがし)の停車場に着くや、車中の大半は其処(そこ)で乗換えたので残るは余の外に二人あるのみ、原始時代そのままで幾千年人の足跡をとどめざる大森林を穿(うが)って列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団又一団、忽(たちま)ち現われ忽ち消え、或(あるい)は命あるものの如く黙々として浮動している。
「何処(どちら)までお出(い)でですか」と突然一人の男が余に声をかけた。年輩四十幾干、骨格の逞(たく)ましい、頭髪の長生(のび)た、四角な顔、大なる鼻、一見一癖あるべき人物で、その風俗は官吏に非(あら)ず職人にあらず、百姓にあらず、商人にあらず、実に北海道にして始めて見るべき種類の者らしい、即(すなわ)ち何(いず)れの未開地にも必ず先(ま)ず最も跋扈(ばっこ)する山師らしい。
「空知太まで行く積りです」
「道庁の御用で?」彼は余を北海道庁の小役人と見たのである。
「イヤ僕は土地を撰定(せんてい)に出掛けるのです」
「ハハア。空知太は何処等(どこら)を御撰定か知らんが、最早(もう)目星(めぼしい)ところは無いようですよ」
「どうでしょうか空知太から空知川の沿岸に出られるでしょうか」
「それは出られましょうとも、然(しか)し空知川の沿岸に何処等ですかそれが判然(はんぜん)としないと……」
「和歌山県の移民団体が居る処で、道庁の官吏が二人出張している、其処へ行くのですがね、ともかくも空知太まで行って聞いてみる積りでいるのです」
「そうですか、それでは空知太にお出(いで)になったら三浦屋という旅人宿(やどや)へ上って御覧なさい、其処の主人(あるじ)がそういうことに明う御座いますから聞て御覧になったら可(よ)うがす、どうも未だ道路が開けないので一寸(ちょっと)其処までの処が大変大廻りを為なければならんようなことが有って慣れないものには困ることが多うがすテ」
それより彼は開墾の困難なことや、土地に由(よ)って困難の非常に相違することや、交通不便の為めに折角の収穫も容易に市場に持出すことが出来ぬことや、小作人を使う方法などに就(つ)いて色々と話し出した、それ等の事は余も札幌の諸友から聞いてはいたが、彼の語るがままに受けて唯(た)だその好意を謝するのみであった。
間もなく汽車は蕭条(しょうじょう)たる一駅に着いて運転を止めたので余も下りるとこの列車より出た客は総体で二十人位に過ぎざるを見た、汽車は此処(ここ)より引返すのである。
ただ見るこの一小駅は森林に囲まれている一の孤島である。停車場に附属するところの二三の家屋の外人間に縁ある者は何もない。長く響いた気笛が森林に反響して脈々として遠く消え去(う)せた時、寂然(せきぜん)として言う可からざる静さにこの孤島は還(かえ)った。
三輛(りょう)の乗合馬車が待っている。人々は黙々としてこれに乗り移った。余も先の同車の男と共にその一に乗った。
北海道馬(ほっかいどうば)の驢馬(ろば)に等しきが二頭、逞(たく)ましき若者が一人、六人の客を乗せて何処(いずく)へともなく走り初めた。余は「何処(いずく)へともなく」というのが心持が為たのである。実に我が行先は何処(いずぐ)で、自ら問うて自から答えることが出来なかったのである。
三輛の馬車は相隔つる一町ばかり、余の馬車は殿(しんがり)に居たので前に進む馬車の一高一低、凸凹(でこぼこ)多き道を走って行く様が能(よ)く見える。霧は林を掠(かす)めて飛び、道を横(よこぎ)って又林に入(い)り、真紅(しんく)に染った木の葉は枝を離れて二片三片馬車を追うて舞う。御者は一鞭(べん)強く加えて
「最早(もう)降(おり)るぞ!」と叫んだ。
「三浦屋の前で止めてくれ!」と先の男は叫んで余を顧みた。余あ目礼してその好意を謝した。車中何人(なんびと)も一語も発しないで、皆(み)な屈托(くったく)な顔をして物思に沈んでいる。御者は今一度強く鞭(むち)を加えて喇叭(らっぱ)を吹き立てたので軀(からだ)は小なれど強力(ごうりょく)なる北海の健児は大駈(おおかけ)に駈けだした。
林がやや開けて殖民の小屋が一軒二軒と現れて来たかと思うと、突然平野に出た。幅広き道路の両側に商家らしきが飛び飛びに並んでいる様は新開地の市街たるを欺かない。馬車は喇叭の音(ね)勇ましくこの間を駈けた。


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三浦屋に着くや早速(さっそく)主人を呼んで、空知川の沿岸にゆくべき方法を問い、詳しく目的を話してみた。ところが主人は寧(むし)ろ引返えして歌志内に廻(ま)わり、歌志内より山越えした方が便利だろうという。
「次の汽車なら日の暮までに歌志内に着きますから今夜は歌志内で一泊なされて、明日(あす)能(よ)くお問合せになってその上でお出かけになったが可(よ)うがす。歌志内なら此処とは違って道庁の方も居ますから、その井田さんとかいう方の今居る処も多分解るでしょう」
こうわれてみるとなるほどそうである。されども余は空知川の岸に沿うて進まば、余が会わんとする道庁の官吏井田某(ぼう)の居所を知るに最も便ならんと信じて、空知太まで来たのである。然るに空知太より空知川の岸をつたうことは案内者なくては出来ぬとのこと、しかもその道らしき道の開けいるには在らずとの事を、三浦屋の主人より初めて聞いたのである。其処で余は主人の注意に従い、歌志内に廻ることに定(き)めて、次の汽車まで二時間以上を、三浦屋の二階で独(ひと)りポツ然(ねん)と待つこととなった。
見渡せば前は平野である。伐(き)り残された大木が彼処(かしこ)此処(ここ)に衝立(つった)っている。風当りの強きゆえか、何れも丸裸体(まるはだか)になって、黄色に染った葉の僅少(わずか)ばかりが枝にしがみ着いているばかり、それすら見ている内にバラバラと散っている。風の加わると共に雨が降って来た。遠方(おちかた)は雨雲に閉されて能く見え分かず、最近(まぢか)に立っている柏(かしわ)の高さ三丈ばかりなるが、その太い葉を雨に打たれ風に揺られて、けうとき音を立てている。道を通る者は一人もない。
かかる時、かかる場所に、一人の知人なく、一人の話相手なく、旅人宿(はたご)の窓に倚(よ)って降りしきる秋の雨を眺(なが)めることは決して楽しいものでない。余は端(はし)なく東京の父母や弟や親しき友を思い起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何(いか)に温かであったかを感じたのである。
男子志を立て理想を追うて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願う時、決して女々(めめ)しくてはならぬと我とわが心を引立るようにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く人寰(じんかん)は懐(なつ)かしくして巣を作るに適している。
余は悶々(もんもん)として二時間を過した。その中には雨は小止(こやみ)になったと思うと、喇叭(らっぱ)の音(ね)が遠くに響く。首を出して見ると斜(ななめ)に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳(は)せて来る。余はこの馬車に乗り込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立った。
汽車の乗客は数うるばかり。余の入(はい)った室は余一人であった。人独り居るは好ましきことに非(あら)ず、余は他の室に乗換えんかとも思ったが、思い止(と)まって雨と霧との為めに薄暗くなっている室の片隅(かたすみ)に身を寄せて、暮近くなった空の蜘蛛の去来(ゆきき)や輪をなして回転し去る林の立木を茫然(ぼうぜん)と眺めていた。かかる時、人は往々無念夢想の裡(うち)に入るものである。利害の念もなければ越方(こしかた)行末(ゆくすえ)の想(おもい)もなく、恩愛の情もなく憎悪(ぞうお)の悩(なやみ)もなく、失望もなく希望もなく、ただ空然として眼を開き耳を開いている。旅をして身心共に疲れ果てて猶(な)おその身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にしてかくの如き心境に陥るものである。かかる時、はからず目に入(い)った光景は深く脳底に彫(え)り込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むるところの雲の去来(ゆきき)や、樺(かば)の林やちょうどそれであった。
汽車の歌志内の渓谷へ着いた時は、雨全く止(や)みて日は将(まさ)に暮れんとする時で、余は宿るべき家(や)のあてもなく停車場を出ると、さすがに幾千の鉱夫を養い、幾百の人家の狭き溪(たに)に蔟集(ぞくしゅう)している場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けていた。その一人に導かれ礫(いし)多く燈(ともしび)暗き町を步みて二階建の旅人宿(はたご)に入り、妻女の田舎(いなか)なまりをそのまま、愛嬌(あいきょう)も心かららしく迎えられた時は、余も思わず微笑したのである。
夜食を済すと、呼ばずして主人は余の室(へや)に来てくれたので、直(ただち)に目的を語り彼より出来るだけの方便を求めた、主人は余の語るところをにこついて聞いていたが
「一寸お待ち下さい、少し心当りがありますからと言い捨てて室(へや)を去った。暫時(しばら)くして立還(たちかえ)り
「だから縁というは奇態(きたい)なものです。貴所(あなた)早速(もう)御安心なさい、すっかり分明(わかり)ました」と我身のことの如く喜んで座に着いた。
「わかりましたか」
「わかりましたとも、大わかり。四日前から私の家にお泊りのお客様があります。この方は御料地の係の方で先達(せんだって)から山林を見分(みわけ)してお廻わりになったのですが、ソラ野宿の方が多がしょう、だから到頭(とうとう)身体を傷(こわ)して今手前共で保養していらっしゃるのです。篠原(しのはら)さんという方ですがね。何でも宅へ見える前の日は空知川の方に居らっしゃったということ聞きましたから、もしやと思って唯(ただ)今伺ってみましたところが、解りました。ウン道庁の出張員なら山を越すと直ぐ下の小屋に居たと仰(おっ)しゃるのです。御安心なさい此処(ここ)から一里位なもので訳は有りません、朝行けばお昼前には帰って来られますサ」
「どうも色々難有(ありがと)う、それで安心しました。然し今もその小屋に居てくれれば可(よ)いが、始終居所が変るのでそれで道庁でも知れなかったのだから」
「大丈夫居ますよ、もし変っていたら先に居た小屋の者に聞けば可うがす、遠くに移るわけは有りません」
「ともかく明日(あす)朝早く出掛けますから案内を一人頼んでくれませんか」
「そうですな、山道で岐路(えだ)が多いから矢張(やは)り案内が入(い)るでしょう、宅の倅(せがれ)を連れて行(いら)っしゃい。十四の小僧ですが、空知太までなら存じています。案内位出来ましょうよ」と飽くまで親切に言ってくれるので、余は実に謝するところを知らなかった。なるほど縁は奇態なものである。余にしてもし他の宿屋に泊ったなら決してこれ程の便宜と親切とは得(う)ることが出来なかったろう。
主人は何処(どこ)までも快活な男で、放胆で、しかも眼中人なきの様子がある。彼の親切、見ず知らずの余にまで惜気もなく投げ出す親切は、彼の人物の自然であるらしい。世界を家となし到る処にその故郷を見出(みいだ)す程の人は、到る処の山川、接するところの人が則(すなわ)ち朋友(ほうゆう)である。であるから人の困厄(こんやく)を見れば、その人が何人であろうと、憎悪(にくあし)するの因縁(いわれ)さえ無くば、則ち同情を表す十年の交友と一般なのである。余は主人の口よりその略伝を聞くに及んでかの人物の余の推測に近きを知った。
彼はその生れ故郷に於(おい)て相当の財産を持っていたところが、彼の弟二人は彼の想像したる財産を羨(うらや9むこと甚(はなはだ)しく、遂には骨肉の争まで起る程に及んだ。然るに彼の父なる七十の老翁(ろうおう)もまた少弟(しょうてい)二人を愛して、ややもすれば兄に迫ってその財産を分配せしめようとする。もしこれ三等分すれば、三人とも一家を立つることが出来ないのである。
「だから私は考えたのです。これっばかしの物を兄妹で争うなんて余り量見が小さい。宜(よろ)しいお前達に与(や)って了(しま)う。ただ五分の一だけくれろ、乃公(わし)はそれを以(もっ)て北海道に飛ぶからって。其処(そこ)で小僧が九(ここのつ)の時でした、親子三人でポイと此方(こっち)へやって来たのです。イヤ人間というものは何処(どこ)にでも住まば住まれるものですよハッハッハッ」と笑って「ところが妙でしょう、弟の奴(やつ)等、今では私が分配(わけ)てやった物を大概無くしてしまって、それでいて矢張(やは)り小ぼけな村をこの上もない土地のように思って私が何度も北海道へ来てみろと手紙ですすめても出て来得(きえ)ないんでサ」
余はこの男の為すところを見、その語るところを聞いて、大(おおい)に得るところがあったのであr。よしやこの一小旅店の主人は、余が思うところの人物と同一でないにせよ、よしや余が思うところの人物は、この主人より推して更らに余自身の空想を加えて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずるところあり、海をも山をも原野をも将(は)た市街をも、我物顔に横行闊步(かっぽ)して少しも屈托せず、天涯地角(てんがいちかく)到るところに花の香(かんば)しきを嗅(か)ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからくこの如くして男というべきではあるまいか。
かく感ずると共に余の胸は大に開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしおれていた心は端(はし)なく天の一方深碧(しんぺき)にして窮(きわま)りなく望んだような気がして来た。
夜の十時頃散步に出てみると、雲の流(ながれ)急(きゅう)にして絶間々々には星が見える。暗い町を辿(たど)って人家を離れると、溪(たに)を隔てて屏風(びょうぶ)の如く黒く全面に横(よこた)わる杣山(そまやま)の上に月現われ、山を掠(かす)めて飛ぶ浮雲(ふうん)は折り折りその前面を拭(ぬぐ)うている。空気は重く湿(し)めり、空には風あれども地は粛然として声なく、ただ渓流の音かすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖(がけ)の爪先(つまさき)上りの道を進みて小高き広場に出たかと思うと、突然耳に入(い)ったものは絃歌(げんか)の騒(さわぎ)である。
見れば山に沿うて長屋建の一棟(むね)あり、これに対して又一棟あり。絃歌はこの長屋より起るのであった。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、その障子には火影(ほかげ)花(はなや)かに映り、三絃の乱れて狂う調子放歌の激して叫ぶ声、笑う声は雑然として起っておるのである。牛部屋に等しきこの長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買うものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んでこの長屋小路(こうじ)に入った。
雨上(あめあがり)の路はぬかるみ、水溜(みずだまり)には火影(ほかげ)うつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにただ軒先障子などの白木(しらき)の夜目にも生々しく見ゆるばかり、床低く屋根低く、立てし障子は他より直(ただち)に軒に至るかと思われ、既に歪(ゆが)みて隙間(すきま)よりは鉤(つり)ランプの笠など見ゆ。肌脱(はだぬぎ)の荒くれ男の影鬼の如く映れるあり、乱髪の酌婦の頭の夜叉の如く映るかと思えば、床も落つると思わるる音(ね)が為(し)て、ドッとばかり笑声(しょうせい)の起る家もあり。「飲めよ」、「歌えよ」、「殺すぞ」、「撲(なぐ)るぞ」、哄笑(こうしょう)、悪罵(あくば)、歓呼、叱咤(しった)、艶(つや)ある小節の歌の文句の腸を断つばかりなる、三絃の調子の嗚咽(むせぶ)が如き忽(たちま)ちにして暴風、忽ちにして春雨、見来(みきた)れば、歓楽の中に殺気をこめ、殺気の中に血涙をふくむ、泣くは笑うんか、笑うのは泣くのか、怒は歌か、歌は怒か、嗚呼(ああ)儚(はかな)き人生の流よ!数年前までは熊眠り狼(おおかみ)住みしこの溪間(たにま)に流れ落ちて、ここに澱(よど)み、ここに激し、ここに沈み、月影冷やかにこれを照している。
余は通り過ぎて降り顧(かえ)り、暫(しば)し停立(たたず)んでいると、突然間近なる一軒の障子が開(あ)いて一人の男がつと現われた。
「や、月が出た!」と振上げた顔を見れば年頃二十六七、背高く肩広く屈強の若者である。きょろきょろ四辺(あたり)を見廻していたが吻(ほっ)と酒気を吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。


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宿の子のまめまえしさが先に立ちて、明くれば九月二十六日の朝九時、愈々(いよいよ)空知川の岸へと出発した。
陰晴(いんせい)定めなき天気、薄き日影洩(も)るるかと思えば忽(たちま)ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路(みち)をも包んでしまう。山路は思いしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつつ身も心も軽(かろ)く步ゆんだ。
林は全く黄葉(きば)み、蔦紅葉(つたもみじ)は、真紅(しんく)に染り、霧起る時は霞(かすみ)を隔て花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎(ごと)に幾千万の真珠碧玉(へきぎょく)を連らねて全山燃(もゆ)るかと思われた。宿の子は空知川沿岸に於(お)ける熊の話を為し、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語った。坂を下りて熊笹(くまざさ)の繁(しげれ)る所に来ると彼は一寸(ちょっと)立どまり
「聞えるだろう、川の音が」と耳を傾けた、「ソラ……聞えるだろう、あれが空知川、もう直ぐ其処(そこ)だ」
「見えそうなものだな」
「どうして見えるものか、森の中に流れているのだ」
二人は、頭を没する熊笹の間を僅(わずか)に通う帯ほどの径(みち)を暫(しばら)く行と、一人の老人の百姓らしきに出遇(あ)ったので、余は道庁の出張員が居る小屋を訊(たず)ねた。
「この径を三丁ばかり行くと幅の広い新開の道路に出る、その右側の最初の小屋に居なさるだ」と言い捨てて老人は去(い)って了(しま)った。
歌志内を出発(たっ)てから此処までの間に人に出遇(であ)ったのはこの老人ばかりで、途中又小屋らしき物を見なかったのである、余はこの老人を見て空知川の沿岸の既に多少(いくら)かの開墾者の入込(いりこ)んでいることを事実の上に知った。
熊笹の径(こみち)を通りぬけると果して、思いがけない大道(だいどう)が深林を穿(うが)って一直線に作られてある。その幅は五間以上もあろうか。然(しか)も両側に蜜茂(みつも)している林は、二丈を越え三丈に達する大木が多いので、この幅広き大道も、掘割を通ずる鉄道線路のようであった。然し余はこの道路を見て拓殖に熱心なる道庁の計営の、如何(いか)に困難多きかを知ったのである。
見ればこの道路の最初の右側に、内地では見ることの出来ない異様なる掘立(ほったて)小屋がある、小屋の左右及び後背(うしろ)は林を倒して、二三段歩(だんぶ)の平地(ひらち)が開かれている。余は首尾よくこの小屋で道庁の属官、井田某(ぼう)及び他の一人に会うことが出来た。
殖民課長の丁寧なる紹介は、彼等をして十分に親切に余が相談相手とならしめたのである。更に驚くべきは、彼等が余の名を聞いて、早く既に余を知ってたことで、余の蕪雑(ぶざつ)なる文章も、何時(いつ)しか北海道の思いをかけぬ地にその読者を得ていたことであった。
二人は余の目的を聞き終りて後、空知川沿岸の地図を披(ひら)きその経験多き鑑識を以(もっ)て、彼処(かしこ)此処(ここ)と、移民者の為めに区劃(くかく)せる一区一万五千坪の地の中(うち)から六ヵ所ほど撰定してくれた。
事務は終り雑談に移った。
小屋は三間に四間を出(い)です、屋根も周囲(まわり)の壁も大木の皮を幅広く剝(は)ぎて組合したもので、板を用いしは床のみ、床には筵(むしろ)を敷き、出入(でいり)の口はこれ又樹皮を組みて戸となしたるが一枚被(おお)われてあるばかりこれ開墾者の巣なり家なり、いな城廓なり。一隅に長方形の大きな炉が切って、これを火鉢(ひばち)に竈(かまど)に、煙草盆に、冬ならば暖炉(だんろ)に使用するのである。
「冬になったら堪(たま)らんでしょうねこんな小屋に居ては」
「だって開墾者は皆(みん)なこんな小屋に住んでいるのですよ、どうです辛棒が出来ますか」と井田は笑いながら言った。
「覚悟は為(し)ていますが、イザとなったら随分困るでしょう」
「然し思った程(ほど)でもないものです。もし冬になってどうしても辛棒が出来そうもなかったら、貴所(あなた)方のことだから札幌へ逃げて来れば可いですよ。どうせ冬籠(ふゆごもり)は何処(どこ)でしても同じことだから」
「ハッハッハッハッハッハッそれなら初めから小作人任(まかせ))にして御自分は札幌に居る方が可かろう」と他の属官が言った。
「そうですとも、そうですとも冬になって札幌に逃げて行くほどなら寧(いっ)そ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何(な)に僕は辛棒しますよ」と余は覚悟を見せた。井田は
「そうですな、先ず雪でも振って来たら、この炉にドンドン焼火(たきび)をするんですな、薪木(たきぎ)ならお手のものだから。それで貴所だからウンと書籍(しょもつ)を仕込で置いて勉強なさるんですな」
「雪が解ける時分には大学者になって現われるという趣向ですか」と余は思わず笑った。
談(はな)していると、突然パラパラと音がして来たので余は外に出てみると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂(せき)たる深い林を越えて時雨(しぐれ)が過ぎてゆくのであった。
余は宿の弧を残して、一人この辺(あたり)を散步すべく小屋を出た。
げに怪しき道路よ。これ先年の深林を滅し、人力を以て自然に打克(うちかた)んが為めに、殊更(ことさら)に無人(ぶじん)の境(さかい)を撰(えら)んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林にこれを覆(おお)うのみにて、一個の人影(じんえい)すらなく、一縷(いちる)の軽煙すら起らず、一人の人語すら聞えず、寂々寥々(せきせきりょうりょう)として横(よこた)わっている。
余は時雨の音の淋(さび)しさを知っている、然し未(いま)だ曾(かつ)て、原始の大深林を忍(しの)びやかに過ぎゆく時雨ほど淋しさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる死語(ささやき)である。深林の底に居て、この音(ね)を聞く者、何人(なんびと)か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤(どとう)、暴風、疾雷(しつらい)、閃雷(せんらい)は自然の虚喝(きょかつ)である。彼の威力を最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天(そうてん)の、何の声もなく唯(た)だ黙して下界を視下(みおろ)す時、曾て人跡を許さざりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は欠伸(あくび)して曰(いわ)く「ああ我一日も暮れんとす」と、しかして人間の一千年はこの刹那(せつな)に飛びゆくのである。
余は両側の林を覗(のぞ)きつつ行くと、左側で林のやや薄くなっている処を見出(みいだ)した。下草(したぐさ)を分けて進み、ふと顧みると、この身は何時(いつ)しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
林が暗くなったかと思うと、高い枝の上を時雨がサラサラと降って来た。来たかと思うと間もなく止(や)んで森(しん)として林は静まりかえった。
余は暫くジッとして林の奥の暗くなっている処を見ていた。
社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。この場所に於て、この時に於て、人はただ「生存」その者の、自然の一呼吸の中に托(たく)されておることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て深林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言ったが、実にそうである。又た曰く「人類最後の一人がこの地球上より消滅する時、木の葉の一片もその為によがざるなり」と。
死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、この如きの威迫を請けないものは誰(たれ)も無かろう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んでいると、
「旦那!旦那!」と呼ぶ声が森の外でした。急いで出てみると宿の子が立っている。
「最早(もう)御用が済んで帰りましょう」
其処(そこ)で二人は一先ず小屋に帰ると、井田は、
「どうです今夜は試験のために一晩此処に泊って御覧になっては」
余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到った。たとい一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚(な)お空知川の沿岸を思うと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるように感じるのである。
何故(なぜ)だろう。
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。