甲陽軍鑑/品第十七
御親類衆
【伝解ニハ典厩逍遥軒共様ノ字ヲ加フ】 【一本黒大文字トアリ】 【一条ハ信虎ノ男】 【仁科ハ信玄ノ五男】 【望月ハ古典厩ノ二男】 【葛山六郎義久】 一武田典厩 旗黒地に白丸 二百騎 一逍遥軒 旗色きれて見へず 八十騎 一勝頼公 旗白地に大文字 二百騎 一一条右衛門太夫殿 旗白地にすそあか 二百騎 一武田兵庫殿 旗色書付なし 十五騎 一武田左衛門殿 旗色書付なし 百騎 一仁科殿 旗色きれてみへず 百騎 一望月殿 旗色きれてみへず 六十騎 一かつら山殿 旗色書付なし 百廿騎 一板垣殿 旗色書付なし 百廿騎 一木曽殿 旗色書付なし 二百騎 一穴山殿 旗きれてみへず 二百騎
御譜代家老衆
【胴赤】 【伝解ニハ二百五十騎トアリ】 【晴々ハ段々ノ誤ナルヘシ】 【亟ハ尉ノ誤ナルヘシ】 【原ハ一本百廿騎内五十騎ハ近習ナリトアリ】 【跡部ハ伝解全集トモニ旗色白地ニ朱ノ丸トアリ】 【駒井ハ一本ニ五十五騎内五十騎ハ近習ナリトアリ】 【伝解ニハ此末ニ跡部美作ヲ加ヘ旗色切れてみへず五十騎トアリ】 一馬場美濃守 旗白地黒山道 百廿騎 一内藤修理正 旗白地どうあか 二百五十騎 一山県三郎兵衛 旗黒地に白桔梗 三百騎 一高坂弾正 旗くちばの四方 四百五十騎 一小山田弥三郎 旗色きれてみへず 二百騎 一甘利左衛門丞 旗白赤晴々 百騎 一栗原左兵衛 旗白地に黒わくのて 百騎 一今福浄閑 旗きれて見へず 七十騎 一土屋右衛門丞 旗黒地に白鳥井 百騎 一秋山伯耆守 旗きれて見へず 五十騎 一原隼人佐 旗色きれてみへず 百廿騎 一小山田備中守 旗色きれて見へず 七十騎 一跡部大炊助 旗色きれてみへず 三百騎 浅利 きれて見へず 百廿騎 一駒井右京 きれて見へず 五十五騎 一小宮山丹後 きれてみへず 三十騎
信州先方衆
【蘆田下野】 【屋代左衛門】 【伝解ニハ大室ノ次ニ浦野源之亟十騎ヲ加フ】 【かいたは河田はたは須田ノ誤ナルヘシ】 【綿内】 【小田切采女】 【栗田刑部 山部民部】 【西条治部】 【丸子三右衛門】 【伝解おぎヲをみトス】 【会田】 【依路】 【室賀】 一真田源太左衛門 旗色黒四方 二百騎 一真田兵部 五十騎 一蘆田 百五十騎 一松尾 百騎 一下条 百騎 一相木 八十騎 一海野 八十騎 一屋代 七十騎 一雨宮 七十騎 一寺尾 二十騎 一大室 五十騎 一かいた 十騎 一わた 七十騎 一わたうち 三十騎 一おたぎり 三十騎 一栗田 六十騎 一やまべ 四十騎 一いも川 六十騎 一八幡神主 二十騎 一西条 四十騎 一赤沢 四十騎 一小笠原新弥 六騎 一くさま備前守 十二騎 一青柳 五十騎 一とき田 十騎 一やさは 十六騎 一をの山 六騎 一桜井 五騎 一まりこ 三十騎 一た気し 三十騎 一おぎ 十騎 一あひた 十騎 一山口 五騎 一戸田大隅守 六騎 一保科弾正 百廿騎 一ばんざい 六十騎 一大津 十騎 一よら 十騎 一とうの原 廿騎 一地く 十五騎 一座光寺 三十騎 一松岡 五十騎 一塩崎 廿騎 一小泉 廿騎 一もろか 廿騎 一根津 三十騎 一大島 一片桐 一飯島 一はふ 一あかづ 五人合五十騎 一諏訪 五十騎 【 NDLJP:63】
西
【伝解ニハ此末ニ清野清受軒九十騎隅田淡路守十騎仁科入道八十騎春日播磨五十騎岩井右馬之助百騎ヲ加フ】 【小幡上総守赤備騎馬千騎ノ内五百騎】 【和田ノ上ノ城主和田左衛門尉下ノ城主同兵部允三十騎倉鹿野淡路】 【五甘 長根】 【大戸】 【安中左近】 一小幡上総守 五百騎 一和田 三十騎 一たい羅 四十騎 一高山 五十騎 一白倉 五十騎 一あまお 五十騎 一きベ 五十騎 一くらかの 五十騎 一依田 八十騎 一ごかん 一ながね 合六十騎 一おふど 十騎 一安中 百五十騎 一松本兵部 十五騎
駿河先方衆
【伝解ニハ三浦右馬之介ヲ十五騎トス】 一朝比奈駿河守 百五十騎 一岡部次郎右衛門 五十騎 一岡部丹波守 十騎騎 一三浦右馬介 四十騎 一朝比奈監物 二十騎 一三浦兵部 二十騎 一三浦右近 十騎 一小原ー二十騎
一庵原弥右衛門此様なる一騎衆七八拾騎は典厩穴山殿土屋右衛門山県三郎兵衛三枝勘解由五人与力付二三十騎御旗本にも乗也
海賊衆衆
【向井伊兵衛ハ岡部忠兵衛家来ナレドモ剛兵ナルヲ以テ直参トナル】 一間宮武兵衛 船十艘 一間宮造酒丞 船五艘 一小浜 あたけ一艘小舟十五艘 一向井伊兵衛 船五艘 一伊丹大隅守 船五艘 一岡部忠兵衛 船十二艘同心十五騎
右岡部忠兵衛駿河にて忠節人の故、土屋忠兵衛になされ候己の極月駿河治まりてより土屋備前になされ候此内覚への者
一大石四方の介 一大石四方の介 一沢江左衛門 一ときは万右衛門 一入沢五右衛門 一保科六右衛門【一本ニ保科ヲ小塩トス】
遠州三州先方衆
【伝解ニハ菅沼新八郎(後仝之三州陀峰ノ城主)トス
長篠伊豆】
一天野宮内右衛門 百騎 一奥平美作守 百五十騎 一菅沼新三郎 四十騎 一長篠 三十騎
飛弾先方衆
一江間常陸守 百五十騎
越中先方衆
一推名 百七十騎 一舎弟同甚左衛門 是は五騎にて馬場美濃与力付に討也
武蔵先方衆
一永井豊前守 八十騎 一小幡三河守 百騎
御旗本武者奉行
一今井刑部左衛門 一今井新左衛門
足軽大将衆
【新三郎ハ新十郎ナルヘシ】
【伝解ニハ曽根内匠ノ次ニ上原民部入道随翁軒騎馬三騎足軽三十人ヲ加フ】
【伝解ニ安間三右衛門騎馬五騎足軽五十人トアリ】
一横田十郎兵衛 騎馬三十騎 足軽百人 一原与左衛門 騎馬十騎 足軽五十人 一市川梅印 騎馬十騎 足軽五十人 一城伊庵 騎馬十騎 足軽十人 一多田治部右衛門 足軽十人 一遠山右馬
駿河三河信濃上野の一騎合衆
【波合 平屋】
【小万場】
【木所】
一波あひ備前 三騎 一
此外一騎合衆右合三拾騎是はさかひめにて関をとり或は陣へ立ても寄合とて牢人衆と一備に有
御料人様衆
一五味新右衛門 一同伝之丞 是二人は頭也 一小沢新兵衛 一石黒八兵衛 一前島和泉 一竹千世 一朝比奈新九郎 一たへさは久助【丹沢久助】 一永井又五郎 一もるか甚五郎【全集ニ有賀甚五左衛門トアリ】
此外以上三十騎
御同朋衆
一なにあみ 一さい阿弥 右三十人是は御前様衆を後御料人様へ付らるゝ
御しやうどう様衆
一秋山越前 一下条讃岐 一みなひゆきゑ【皆井靱負】 一甘利三右衛門 一高村清右衛門 是五人を頭として以上三十騎【一本高村ヲ高室トス】
右御しやうたう様後は海野が跡を可㆑被㆑遣事なり扨又御陣の御留主は御しやうだう様衆御前様衆御蔵前衆御かまへの御番なり
御曹司様衆 一ぬくひ常陸守 是は御守なり 御小姓衆
【一本ニ古屋金三郎トス】 一土屋惣八郎 一跡部喜兵衛 一甘利彦五郎 一土屋源五左衛門 一雨宮善二郎 一曽根内膳 一安部掃部 一日向伝次郎 一原甚五郎 一原おちご 一横田おむつ 一跡部お熊 一白須平次 一古屋平三郎 一友野又市 一三枝監物 一大蔵新蔵 一跡部主殿 一小山田弥五郎 一跡部源左衛門 一岩本右近 一小山田新之丞 一市川内蔵 一おたき彦次郎 一おたき彦次郎
御なんど奉行
一河村下野 一内藤外記
御同朋衆
【来阿弥】 一万阿弥 一らいあみ 共に以上合三十八騎 一職 山県三郎兵衛持
公事奉行
一今福浄閑 一武藤三河守 一桜井安芸守 右三奉行 用
御陣留主には御蔵の前衆目安を請取、目安箱に入置也
勘定奉行
一青沼助兵衛 騎馬十五騎 足軽三十人 一市川宮内助 一跡部美作守 此衆惣算用聞也
御蔵前の頭四人
一古屋道忠 一古屋兵部 一伊奈宗普 足軽七十人 一諏訪春芳 足軽七十人 一古屋内匠 一古屋文六郎 一伊田村新左衛門【伊田村ハ八田村ノ誤ナルヘシ】 一松木桂琳 一平岡 一石原 一大野 一小宮山民部 以上三十五人
御蔵前につめ五人組にして一日一夜づゝ御なんどの番を代官衆つとむる也万事御目付衆三日に一度づゝ一切善悪のことを見立聞立一書にて言上申者共也
一坂本武兵衛 一塚原六右衛門 一武井江右衛門 一三沢四郎兵衛 一あい川甚五兵衛 一島田外記 一笠井半兵衛 一小池主計 一伊藤玄番 一切田勘之丞
右此十人は二十人の頭になされ信玄公御身近く御供仕る場を引たる武篇の覚へ五度より少きは一人もなしさるに付
此横目衆
右此十騎は御中間頭なり一人に付て三十人御小人御中間御道具衆よりこを預り御搆へ大手の番屋にて日一夜宛番役をつとむ殊更甲州口々の筋奉行を彼の御中間頭に仰せ付けらるゝ府中其外在々の役者衆或は又目付衆迄の依怙贔負善悪の横目なりさるほどに永禄七年甲子七月十四日の夜太郎義信公長坂源五郎御供にて灯籠御見物とことよせて御城を御出あり忍びて飯富兵部処へ御座なされ候故乱鳥迄談合ありたる様子を不審に存知奉り御中間頭荻原豊前信玄公へ申上るそれより不審を立てられ太郎義信公逆心の事あらはれて翌年丑の年飯富兵部長坂源五郎両人御成敗なり太郎義信公を
一右之内御道具の衆三十五人は御中間頭衆に劣らざる者をなされ候心は剛強にても御心安き者にて無㆑之はなされず御譜代の中間小人の中にてすぐり出し如㆑此然れば御中間頭各武篇仕る御証文大かたこゝにあらはし置き候他国の歴々覚への衆にもさのみ劣り申間敷候中間衆などのケ様に挊ぎたるは末代には如何もあれ前代にはさのみ何方にも有㆑之とは聞かざる故にこまかにこれをしるす
一原大隅御感状 十八 一山本土佐 十一 一荻原豊前 十三 一久保田監物 六ツ 一中村弥左衛門 三ツ 一久保田助之丞 二ツ 一河野但馬 四ツ 一志村又右衛門 五ツ 一荻原五左衛門 五ツ 一石坂勘兵衛 七ツ
今度始而出馬候処各以相挊敵二三ケ処落居辛労祝着候弥忠信可㆑仕者也
五月十日 晴信 判 【天文十七年戊申】
後荻に被㆑成 長坂源内右衛門とのへ【後荻ニハ荻原ニナルヘシ】
今十一日未刻於㆓信州佐久郡志賀城㆒頸一ツ笠原新三郎討㆓捕之㆒神妙候弥々可㆑抽㆓忠信㆒者也仍如㆑件
八月十一日 晴信 御朱印【天文十六年丁未】
(後豊前に被成候)荻原弥右衛門とのへ
今十三日申刻於㆓信州苅屋原城
天文廿一年壬子八月十三日 晴信 判
荻原弥右衛門とのへ
此於㆓苅屋原城㆒内より日の中に十度つゐて出、せり合有其刻彼荻原弥右衛門旗本より御使に参り十度ながら首尾に
一訴人岩間大蔵左衛門とて御分国中万事の儀を申上る侍一人あり【一本ニ此外は皆きれてみへず荻原が御感状三ツ残りたるを本のごとく元和七年辛酉四月記之トアリ】
○御台所頭両人 一前島加賀守 一大島惣兵衛 此外十人有
○茶堂坊主頭両人 一福阿弥 一
○御右筆衆 一永順是は真の物書也 一神尾庄左衛門 一宗白
【解伝ニ八重林因幡ヲ加フ是ハ三条殿衆信玄公御台所ニツキ甲府ヘ来ルトアリ】
○諸国へ御使者衆四人 一日向源藤斎 一秋山十郎兵衛 一西山十右衛門 一雨宮ぞんてん【ぞんてんは存銕ノ誤ナルヘシ】 在府衆在郷衆惣近
○御使いたすは大方むかでの差物の衆也 一諏訪越中 一工藤市兵衛 一染戸左京
○御旗奉行 一岩手右衛門
○御鍵奉行 一安西平左衛門 騎馬十騎 足軽五人 一今福新右衛門 騎馬十騎 足軽十人 【 NDLJP:66】一かずの市右衛門 騎馬十五騎 足軽十人 是は真田一徳之末の子なるを御一家のかずのがあとめに被成候
子助市郎若キ故春日左衛門ヲ添フ】
○御とぎ衆 一小笠原慶安斎 一板坂法印 一同卜斎 一山本大林 一寺島甫庵 一岡田堅桃斎 一小侯清甫 一一花堂 一長遠寺 一新藤金藤斎 一市川宗三 一犬山鉄斎 御はなし衆御
○御旗楯なしの別当 一山下伊勢 御旗本の惣近寄衆二百五騎此次外様近寄百騎は原隼人に五十騎駒井右京駒井右京に五十騎預け給ふ也近寄二百五騎 右之外牢人衆百十人此頭
越前牢人一五味与宗左衛門【一本越後牢人五味与三兵衛トス又伊井ヲ飯尾ニ作ル牢人合百十三人此大将武田兵庫頭】 関東一名和無理ノ介 遠州牢人伊井豊前姪也一伊井弥四右衛門 一
○猿楽衆 一観世太夫 一大蔵太夫 両座合子共をかけて太夫共に五十一人なり 【全集ニ常乃客衆ハ
一土岐 一佐々木】佐々木殿は信玄公御他界其年天正元年酉霜月御座候故是れは勝頼公御代之牢人衆也【但佐々木ハ信玄公御他界の年酉霜月参らるゝ故勝頼御代の牢人なりトアリ】以上惣騎馬数合九千三百四拾騎但し大将共此内にて引方御料人様衆三十騎御蔵前衆三十九人御しやうだう様衆三十騎御台所衆十人御曹司様衆三十八騎御同朋衆二十人猿楽五十人引方合二百十八騎
○右惣人数之外人質の事永 禄七年に飛弾の国江間常陸弟坊主善立寺と申、甲府へ致㆓進上㆒候常陸他事なく御忠節の様子にて彼僧を俗人になされ知行を下さる江間右馬丞と名乗り足軽十人預けなされ候【椎名肥前守】永禄十一年霜月遠州の侍天野宮内右衛門秋山伯耆守取次をもつて人質に子息を甲府へ進上申 永禄八年に越中国椎名亀松と云ふ子息を進上【伝解全集トモニ元亀元庚午年トス】 永禄十二巳己年正月信長扱ひをもつて三州家康舎弟を甲州下山迄進上候穴山殿預りなり但し是れは其年中に家康へ御返しなさるゝ子細は山県三郎兵衛家康自身出て駿河瀬戸と云ふ処にて喧嘩故無事破れて如㆑此
又大小惣ならして主共に四人づれにして三万六千四百八十四人【御旗本足軽八百八十四人惣家中足軽五千四百八十九人】 足軽二口合六千三百七十三人 惣合四万二千八百五十七人是は上下四人づれの積りなり 又大小惣ならして主共に三人づれにして二万七千三百六十三人 足軽二口合六千三百七十三人 惣合三万三千七百三十六人
右之内を抜き出し御旗本の惣人数二千九百三十五人但し二十人衆頭御小人頭二十騎をは主共に三人積りなり足軽大将衆又は奥近寄衆三十五人は随分歴々の身上なる故三十人二十人召し連れ候へども是をも押籠み十人づれに積り如此なり此内弓鑓鉄炮小荷駄足軽八百八十四人以上雑兵合三千積りなり【全集ニハ鉄炮ノ下小荷駄ヲ除キ末文ニ小荷駄ハ此外ニテ候トアリ】此外にて候
○西表遠州三州江 之御先 一山県三郎兵衛【山県ハ駿河江尻在城】 手前三百騎中州信濃同心共に 此組衆 一朝比奈駿河守 一逍遥軒聟松尾 一大熊 一山形聟相木 一奥平美作守 一菅沼新三郎 一長篠 一三浦右馬助【伝解ニハ右馬助ヲ右近トス】 一三浦兵部 一孕石主水 一きところ道寿 合九百八十騎但組衆は遠陣の時は半役なり関東御陣の時は駿河三州の衆信長家康を押へられ候
○関東方新田足利への御先 一内藤修理 手前二百五十騎 此組衆 一高山 一白倉 一たいら 一あまお 一くらがの 一こかんなかね【こかんなかねハ五甘、長根ナリ】 合六百騎西面御陣の時は組衆は半役也内藤手前も五十騎簔輪に残す
○美濃国岩村の城に信長押へ 一秋山伯耆 手前五十騎 此組衆 一下条 一ばんさい 一地く 一松岡 一さくおふる【さくおふるハ座光寺ノ誤ナルベシ】 合三百五十五騎 御供申さす美濃の御陣の時ばかり御供いたす也
馬場みのゝかみ信州まきの島に在城して越中飛弾への御先とはいへ共手前の人数四五十騎組衆にそへ残し何方へも御供の子細は馬場美濃守弓矢功者の故如㆑此 一馬場美濃守 手前百二十騎 【 NDLJP:67】此組衆 一江間常陸守 一推名 一荻 一岡部次郎右衛門 合五百騎関東御陣の時は駿河衆不㆑立、飛弾越中衆はまして何方へも不立去に付て馬場美濃守人数すくなし
○越後謙信押
【小幡ハ上州国岑居城 加美小山田ハ甲州都留郡在城】 ○同先衆 一小幡上総守 手前五百騎是は組なしにて御先をい立 此内覚の衆 一友松将監 一かみ権之助 一安井 一熊井戸 一森平 一小山田弥三郎 手勢一百騎の内覚の衆 一奥和き加賀守【奥脇】 一小林尾張守 一小山田弾正 一上原能登守 一小山田掃部 一加藤丹後守 {是ハ加藤駿河子息なり駿河におとらぬ者なり} 一安左衛門(是は坊主落にて覚もなき者なれども殊の外心がけいたし有徳の故足軽三十人つれて出る郡内の者なる故小山田に是を付給ふ)
○同先衆 一浅利 手前百廿騎 ○同先衆 一高坂弾正 手前四百五十騎 信州かいづに被㆓差置㆒【高坂ハ信州海津在城】二のくるわに小幡弥左衛門山城時のごとく也弾正内覚の者 一飯島長左衛門 一渡辺六郎左衛門 一川井八兵衛 一川井次郎兵衛 一外記弥八郎 一駒沢新左衛門 一金井清八郎 一長崎与七郎 一平山出羽守 一川崎七郎左衛門 一わた内市之丞 一雨宮忠左衛門 一とたさき郷右衛門 一しほの市右衛門 一広沢九右衛門 一小倉五郎右衛門 一小幡因幡守 一河野丹後守
○同先衆 一内藤修理正【内藤ハ上州簑輪在城】 手前二百五十騎之内覚之衆 一道寺久助 一花形民部左衛門 一きべ駿河守【木辺】 一町田兵庫 一かんな図書【神奈】 一上泉伊勢守 {信長公へ御暇を申上諸国へ兵法修行仕るなり} 一寺尾豊後守 一長沼 一八木原 一久保島 一矢島(右是は長野信濃守代より上杉家にもためしまれなるおぼへの衆なり)
○二の御先衆 一典厩御 手前二百騎之内覚之衆 一青木尾張守 一依田新左衛門 【 NDLJP:68】一篠沢勘兵衛 一小松庄左衛門 一高木蔵人 一跡部又兵衛 一瀬下惣兵衛 一瀬場 一高木
○同御先衆 一勝頼公【勝頼ハ信州高任在城】 御手前二百騎之内おぼへの衆 一安部加賀守 一小原下総守
○同御先衆 一逍遥軒 御手衆八十騎
○同御先衆 一武田左衛門佐殿 手勢百騎之内おぼへの衆 一長谷川新之丞 一油井内膳 一松尾 一油井藤助 一堀屋又蔵 一油井藤太夫 一小川 一内田総三郎
○同御先衆 一一条右衛門太夫殿 手勢百騎之内おぼへの衆 一石黒五郎兵衛 一沢田 一和田新左衛門 一内山新之丞
○同御先衆 一甘利左衛門尉 手前百騎之内{永禄七年に左衛門尉}病死の後百騎許也前多勢也前多勢也 米倉丹後守此勢引廻す 一畠野加賀守 一須野原惣左衛門{是は小男惣左衛門とて奥座わかさ弟なり【惣左衛門ハ兄若狭ト真田下ニテ村上方ヘ行大剛智略アリシニ依テ兄ニハ本地五十貫ヲ千貫ニナサレ海野八十騎ノ陣代仰付ラレ須野原ヲ改メ奥坐(一ニ小草ニ作ル)ニ下サル惣左衛門モ十貫計ノ身上ヲ三百貫ニナサレ甘利ニ預置】
○同先衆 一穴山殿 手勢二百騎之内おほへの衆 一保坂常陸守 一蘆沢伊賀守 一佐野兵右衛門 一馬場八左衛門 一市川武兵衛 一塩津治部 一有泉大学 此外小身なる覚への衆 一若林三郎兵衛 一佐野内膳 一宇山無辺の助 一川手惣太夫 一蘆沢九郎右衛門 一保坂掃部
○同先衆 一土屋右衛門丞 手勢百騎
○在城衆 一秋山伯耆守 美濃国岩村に在城して信長を押ふる 一小宮山丹後 上野松枝に在城す 一駒井右京 深沢に在城す 一高坂弾正 信州かいづに有りて輝虎をおさゆる
但十月より末は越国大雪故長沼之衆斗りを置き弾正は御先を致す也馬場美濃真木の島にて越中を押ふるも如㆑此なり併し是は夏の陣にも御供申、子細は越中に対して大将なき一揆の故椎名に申付其上まきの島に我人数少し残し、美濃はいつも御供なり 一原与左衛門 一市川梅印 一山辺 一赤沢 右四人信州長沼に在城なり
一木曽殿 信玄公聟になされ息女の輿ぞへとして茅村備前守山村両人を指し越し美濃ざかひ是を防ぐ
一甲州石水寺の在番衆駒井次郎左衛門 一山県三郎兵衛駿河江尻に在城して遠州三州御先を仕る但し関東御陣之時は駿河先方衆を指し置き其身は御供なり
一内藤修理上州簔輪に在城して西北の御陣には跡を申付其身は御供なり 一小山田弥三郎は甲州郡内を信玄公十一代跡より下されて都留郡に在城也子細は小山田か先祖行人なり又其比武田殿御牢人ありて於㆓武蔵滝山㆒右の行人に出合ひ給ふ其方は何方の人ぞと尋ね有り
一板垣は駿州田中に在城する 手前百廿騎の内覚へ衆 一志村金右衛門【一本ニ志村兼右衛門トアリ】 一平原宮内の助 一河野又兵衛 一井上又左衛門 一小倉 一花形 一河村 一宇野 一今福浄閑駿河久能に在城同心七十騎此内原美濃守馬乗三十騎あるに手前四十騎同十騎そへて子息市左衛門に渡し諏訪高島在城也
一大熊備前、遠州小山に在城也 一下曽根信州小室に在城也 一遠州いぬい天野宮内右衛門は則乾にかき上城有 一勝頼公信州いなのたかとうに御在城なり 一遠州あまかたは駿河一騎合之衆番手がはり也 一飛弾の城は則江間常陸守 一三河岡崎へのとりで、宮崎は三州山家三方衆番手がはり也 一三州長篠は則長篠 一菅沼刑部城も其身居城也 一奥平も其身の居城也 一上野くに
一跡部大炊助 騎馬三百騎 一原隼人佑 百廿騎 一仁科殿 百騎一かづら山殿 百廿騎 一望月殿 六十騎 一武田兵庫殿 十騎 一栗原左兵衛 百騎 一小山田備中 七十騎 一海野 八十騎(是は奥座若狭陣代也) 一もろが 廿騎 一禰津 三十騎 一小泉 廿騎 一塩崎 廿騎 一片桐 一飯田 一はぶ 一永津【一本永津ヲ赤津トス】 一大島 此五人合五十騎 一諏訪 五十騎 一岡部丹後 十騎 一朝比奈監物 廿騎 一三浦右近 十騎 一小原 廿騎 一永井豊前 八十騎
右侍大将はわきぞなへうしろ備或は城をせめ取て番手又は先衆の 、はなれてはたらく時は御先をも被㆓仰付㆒候就㆑中小山田備中は御旗本の先衆なりさて又原隼人は敵の国深く御はたらきの時は一入後備になされ候子細は陣取の場所見合す事御家中の諸大将衆にすぐれたり他国にて山中などに道のしれざる処をも此隼人見積り道をふみ分る事前代より今に至る迄武田の家にも此一人也、さるほどに陣取の場所合戦の場所山川の案内なき所を原隼人
○越後長尾謙信家老侍大将衆 一柿崎 一かぢ 一柴田 一三宝寺 一あろう 一斎藤 一黒川 一長尾遠江 一竹又 一いろへ 一本城清七郎 一あかわ 一かんどう 一北条 一直江 一甘数近江守 一長尾小四郎 一長尾義景 是は謙信あねむこなり
一川田豊前守 一す田 一安田 一中条 此衆輝虎侍太将分なり是は譜代衆此外越中衆東上州衆これあり謙信家中にて承り及候衆如件謙信旗本いつの合戦にも三百騎許りにて二の手三の手に御入り候宇佐美駿河守謙信に弓矢指南の武士なり
○小田原北条氏政衆侍大将 一北条陸奥守 千九百騎 一北条安房守 千四百騎 一北条右衛門佐 三百騎 一北条げんあん【源庵】 百五十騎 一北条美濃守 是は助五郎とて信玄公御代に甲州へ人質に参り候人なり 二百騎 一松田 八百騎 一大道寺 九百騎 一遠山 千騎 一山門【全集ニ山門伊予守ヲ遠山紀伊守トス】 百五十騎 一山門伊与守 五十騎 一葉賀伯耆守 二百五十騎 一内藤大和守 百騎 一遠山左衛門 二百騎 一伊勢大和守 二百騎 一飛長 人数追て可㆑考㆑之【一本ニ飛長ヲ富永トス】 一清水人数追て可㆑考㆑之【清水内膳】 一伊勢兵庫 百廿騎 一笠原 人数追て可㆑考㆑之 一北条左衛門佐 百五十騎 一北条氏政旗本 五百騎 右是は北条家譜代衆なり譜代衆ばかりにて信玄公惣人数ほどの積りなり此外碓氷さくら、こがね、とけ、とうかね、
○浜松家康衆 一家康子息三郎 此もり平岩七之助 一酒井左衛門尉 一中根平左衛門 一柴田七九郎 一本田平八郎 是は上村出羽におとらぬ者なり 一大須賀五郎左衛門 一榊原小平太 是家康御座をなをしたる者なり 一鳥井彦右衛門 一大久保七郎右衛門 一松平左近 一本田百介 一石川伯耆守 是は酒井左衛門におとらぬものなり 一酒井与四郎 是は家康を取立の者乃子なり 一水野宗兵衛 是は家康母方乃伯父なり 一土居豊後 一安部善九郎 一本田作左衛門 一内藤弥次右衛門 一内藤三左衛門 一三宅惣右衛門 一戸田三郎右衛門 一上村出羽守 是は家康内大功のものなり 一菅沼大膳
○於㆓三河㆒家康江降参之侍 一牛久保 一二れん木 一いな 一野田 一
此書立をもつて分別なされ家康内へ智畧又は人衆積り尤なり右甲州御人数冬の陣には越後大雪故押へいらずして信州勢をめされ候十月より御陣には信玄公御人数右の積りより多勢なり仍て如㆑件
天正五年丁丑極月廿三日 高坂弾正
長坂長閑老
跡部大炊助殿参