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都(みやこ)より一人の年若き教師下(くだ)り来りて佐伯(さいき)の子弟に語学教ふること殆(ほとん)ど一年、秋の中頃来りて夏の中頃去りぬ。夏の初(はじめ)、渠(かれ)は城下に住むことを厭(いと)ひて、半里隔てし、桂(かつら)と呼ぶ港の岸に移りつ、こゝより校舎に通ひたり。斯(か)くて海辺(かいへん)にとゞまること一月(ひとつき)、一月の間に言葉かはす程の人識(し)りしは片手にて数ふるにも足らず。其重(おも)なる一人は宿の主人(あるじ)なり。或夕(ゆふべ)、雨降り風起(た)ちて磯打つ波音もやゝ荒きに、独(ひとり)を好みて言葉少なき教師もさすがに物淋しく、二階なる一室(ひとま)を下(くだ)りて主人夫婦が足投げだして涼み居し縁先に来(きた)りぬ。夫婦は燈(ともしび)つけんともせず薄暗き中に団扇(うちわ)もて蚊やりつゝ語れり、教師を見て、珍らしやと坐を譲りつ。夕闇の風、軽ろく雨を吹けば一滴二滴、面(おもて)を払(はらふ)を三人は心地(こゝち)よげに受けて四面山(よもやま)の話に入りぬ。
其後教師都に帰りて幾年(いくとせ)の月日経ち、或冬の夜、夜更けて一時を過ぎしに独(ひとり)小机に向ひ手紙を認(したゝ)めぬ。そは故郷(ふるさと)なる旧友の許へと書き送るなり。其物案じがほなる蒼き色、此夜は頰の辺(あたり)少し赤らみて折々何処(いづこ)ともなく睇視(みつむ)るまなざし、霧に包まれし或物を定(さだ)かに視んと願ふが如し。
霧の中(うち)には一人の翁(おきな)立ちたり。
教師は筆おきて読みかへしぬ。読みかへして目を閉ぢたり。眼(まなこ)、外に閉ぢ内に開けば現れしはまた翁なり。手紙の中に曰く「宿の主人は事もなげに此翁が上を語りぬ。げに珍(めづらし)からぬ人の身の上のみ、かゝる翁を求めんには山の蔭、水の辺(ほとり)、国々には沢(さは)なるべし。されどわれいかで此翁を忘れ得んや。余には此翁たゞ何物をか秘め居て唯一人開く事叶(かな)はぬ箱の如き思(おもひ)す。こは余が例(いつも)の怪しき意(こゝろ)の作用(はたらき)なるべき歟(か)。さもあらばあれ、われ此翁を懐(おも)ふ時は遠き笛の音(ね)をきゝて故郷恋ふる旅人の情(こゝろ)、動きつ、又は想高き詩の一節を読み了(を)はりて限りなき大空を仰ぐが如き心地す」と。
されど教師は翁が上を委(くは)しく知れるにあらず。宿の主人(あるじ)より聞き得し其あらましのみ。主人は何故に此翁の事を斯くも聞きたゞさるゝか、教師が心解げ)し兼ねたれど問はるゝまゝに語れり。
「此港は佐伯町に恰好(ふさはし)かるべし。見給ふ如く家といふ家幾干(いくばく)ありや、人数(ひとかず)は二十にも足らざるべく、淋(さみ)しさは何時(いつ)も今宵の如し。されど源叔父(げんをぢ)が家一軒たゞ此磯に立ちし其以前(そのかみ)の寂(さびし)さを想ひ給へ。渠(かれ)が家の横なる松、今は幅広き道路(みち)の傍(かたはら)に立ちて夏は涼しき蔭を旅人に借(かせ)ど十余年の昔は沖より波寄せて節々(をり)根方(ねかた)を洗ひぬ。城下より来りて源叔父の舟頼まんものは海に突出(つきいで)し巖(いは)に腰を掛けし事しばなり、今は火薬の力もて危(あやふ)き崖も裂かれたれど。
「否、渠(かれ)とてもいかで初より独(ひとり)暮さんや。
「妻は美しかりし。名を百合(ゆり)と呼び、大入島(おほにふじま)の生(うまれ)なり。人の噂を半偽り(なかばいつはり)と見るも、此事のみは信((まこと)なりと源叔父が或夜酒に呑まれて語りしを聞けば、彼の年二十八九の頃、春の夜更けて妙見(めうけん)の燈(ともしび)も消えし時、ほとと戸をたゝく者あり。傾(かたぶ)きし月の光にすかし見れば兼て見知り大入島の百合といふ小娘(こむすめ)にぞありける。
「その頃渡船(おろし)を業となすもの多きうちにも、源が名は浦々にまで聞えし。そは心たしかに俠気(をとこぎ)ある若者なりしが故(ゆえ)のみならず、別に深き故あり、げに君にも聞かし度きは其頃の源が声にぞありける。人々は彼が櫓(ろ)こぎつゝ歌を聴かんとて撰びて彼が舟に乗りたり。されど言葉少なきは今も昔も変らず。
「島の少女(をとめ)は心ありて斯くて晩(おそ)くも源が舟頼みしか、そは高きより見下し給ひし妙見様ならでは知る者なき秘密なるべし。船とゞめて互に何をか語りしと問へど、酔ふても言葉少なき彼はたゞ額に深き二条(ふたすぢ)の皺(しわ)を寄せて笑ふのみ、其笑は何処となく悲しげなるぞうたてき。
「源が歌ふ声冴えまさりつ。斯くて若き夫婦の幸(たの)しき月日は夢よりも淡く過ぎたり。独子(ひとりご)の幸助七歳(なゝつ)の時、妻ゆりは二度目の産重くして遂にみまかりぬ。城下の者にて幸助を引取り、ゆくは商人(あきうど)に仕立てやらんと言ひいでしがありしも、可愛(かわい)き妻には死別れ、更に独子(ひとりご)と離るゝは忍び難しとて辞しぬ。言葉少き彼は此頃より、癒(いよ)言葉少くなりつ、笑ふことも稀に、櫓こぐにも酒の勢ならでは歌はず、醍醐(だいご)の入江を夕月の光砕きつゝ朗らかに歌ふ声さへ哀(あはれ)をこめたり、こは聞くものの心にや、あらず、妻失ひし事は元気よりかし彼が心を半ば砕き去りたり。雨のそぼ降る日など、淋しき家に幸助を一人おこし置くは不憫なりとて、客と共に舟に乗せゆけば、人々哀れがりぬ。さればこ小供への土産にと城下にて買ひし菓子の袋開きて此孤児(みなしご)に分つ母親も少からざりし。父は知らぬ風にて礼を言はぬが常なり、これも悲しさの余なるべしと心にとむる者なし。
「斯くて二年(ふたとせ)過ぎぬ。此港の工事半ば成りし頃吾等夫婦、島より此処に移りて此家を建て今の業をはじめぬ。山の端(は)削りて道路(みち)開かれ、源叔父が家の前には今の車道(くるまみち)でき、朝夕二度に滊船(きせん)の笛鳴りつ、昔な網だに干さぬ荒磯は忽ち今の様と変りぬ。されど源叔父が渡船(おろし)の業は昔のまゝなり。浦人島人乗せて城下に往来(ゆきゝ)すること、前に変らず、港開けて車道でき人通り繁くなりて昔に比ぶれば此処も浮世の仲間入りせしを渠(かれ)はうれしとも将(は)た悲しとも思はぬ様なりし。
「斯くて又三年(みとせ)過ぎぬ。幸助十二歳の時、子供等と遊び、誤りて溺(おぼ)れし、見てありし子供等、畏(おそ)れ逃げて此事を人に告げざりき。夕暮になりて幸助の帰り来(こ)ぬに心づき、驚きて吾等も共に探せし時は言ふまでもなく事遅れて、哀れの骸(かばね)は不思議にも源叔父が舟底に沈み居たり。
「渠(かれ)は最早決してうたはざりき、親しき人々にすら言葉かはすことを避くるやうになりぬ。物言はず、歌はず、笑はずして年月を送るうちには如何なる人も世より忘れらるゝ者と見えたり。源叔父の舟こぐ事は昔に変らねど、浦人等は源叔父の舟に乗りながら源叔父の世に在ることを忘れしやうになりぬ。斯く語る我身すらをり源叔父が彼(か)の丸き眼を半ば閉ぢ櫓担(ろにな)ひて帰り来るを見る時、源叔父はまだ生きてあるよなど思ふことあり。渠は如何なる人ぞと問ひ玉ひしは君が初めなり。
「さなり、呼びて酒呑ませなば遂には歌ひもすべし。されど其歌の意解(げ)し難し。否、渠はつぶやがず、繰言(くりごと)ならべず、たゞをり太き嘆息(ためいき)するのみ。あはれとおぼさずや――」
宿の主人(あるじ)が教師に語りしはこれに過ぎざりし。教師は都に帰りて後も源叔父が事忘れず。燈下に坐りて雨の音きく夜など、思ひはしばしば此あはれなる翁(おきな)が上に飛びぬ。思へらく、源叔父は今は如何、浪の音きゝつゝ古き春の夜の事思ひて独り炉の傍(かたはら)に丸き目をふさぎてやあらん、或は幸助が事のみ思ひつゞけてや居らんと。されど教師は知らざりき、斯く想ひやりし幾年(いくとせ)の後の冬の夜は翁の墓に霙(みぞれ)降りつゝありしを。
年若き教師の、詩読む心にて記憶のページ飜(ひるが)へしつゝある間に、翁が上には更に悲しき事起りつ、既に此世の人ならざりしなり。斯くて教師の詩は其最期の一節を欠きたり。

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佐伯の子弟が語学の師を桂港の波止場に送りし年も暮れて翌年一月の末、或日源叔父は所用ありて昼前より城下に出でたり。
大空曇りて雪降らんとす。雪は此地に稀(まれ)なり。其日の寒さ推(おし)て知らる。山村水廓の民、河より海より小舟を泛(うか)べて城下に用を便ずるが佐伯近在の習慣(ならひ)なれば番匠川(ばんしやうがは)の河岸(かし)には何時も渡船(おろし)集(つど)ひ乗るもの下(おり)るもの、浦人は歌ひ山人(やまびと)はのゝしり、最(い)と賑々(にぎ敷(し)けれど今日は淋びしく、河面(かわづら)には漣(さざなみ)たち灰色のお雲の影落ちたり。大通(おおどほり)何れもさび、軒端(のきは)暗く、往来(ゆきゝ)絶え、石多き横町の道は氷れり。城山(じやうさん)の麓にて撞く鐘雲に響きて、屋根瓦の苔(こけ)白き此町の終(はて)より終へと物哀しげなる音の漂ふ樣は魚住(すま)ぬ湖水(みずうみ)の真中(たゞなか)に石一個投げ入れたる如し。
祭の日などには舞台据ゑらるべき広辻あり、貧しき家の児等血色(ちいろ)なき顔を曝(さら)して戯れす、懷手(ふところで)にして立てるもあり。此処に来かゝりし乞食あり。小供の一人「紀州(きしゅう)々々」と呼びしが振向きもせで行過ぎんとす。打見(うちみ)には十五六と思はる、蓬(よもぎ)なす頭髪は頸(くび)を被(おほ)ひ、顔の長きが上に頰肉こけたれば頜(おとがひ)の骨尖(とが)れり。眼の光濁り瞳(ひとみ)動くこと遅く何処(いずこ)ともなく睇視(みつむ)るまなざし鈍し。纏(まと)ひしは袷(あはせ)一枚、裾(すそ)は短く襤褸(ぼろ)下り濡れしまゝ僅に脛(すね)を隠せり。腋(わき)よりは蟋蟀(きりす)の足めきたる肱(ひぢ)現はれつ、わなわなと戦慄(ふる)ひつゝゆけり。此時又彼方(かなた)より来(き)かゝりしは源叔父なり。二人は辻の真中にて出遇ひぬ。源叔父は其丸き目睜(みは)りて乞食を見たり。
「紀州」と呼びかけし翁(おきな)の声は低けれども太し。
若き乞食は其鈍き目を顔を共にあげて、石なんどを見るやうに源叔父が眼(まなこ)を見たり。二人は暫時(しばし)目と目を見合はして立ちぬ。
源叔父は袂(たもと)をさぐりて竹の包皮を取出し握飯(にぎりめし)一つ撮(つま)みて紀州の前に突きだせば、乞食な懷より椀をだしてこれを受けぬ。与へしものも言葉なく受けしものも言葉なく、互に嬉れしとも憐(あはれ)とも思はぬやうになり、紀州はそのまゝ行き過ぎて後振向きもせず、源叔父は其後影(そのうしろかげ)角(かど)をめぐりて見えずなるまで目送(みおく)りつ、大空仰げば降るともなしに降りくるは雪の二片(ふたひら)三片(みひら)なり、今一度乞食のゆきし方を見て太き嘆息(ためいき)せり。小供等は笑ひ忍びて肱をつゝき合へど翁は知らず。
源叔父家に帰りしは夕暮なりし。渠(かれ)が家の窓は道に向へど開かれしことなく、さなきだに闇(くら)きに燈(ともしび)つけず、炉の前に坐り指太き両手を顔に当て、首を垂れて嘆息(ためいき)つきたり。炉には枯枝一摑(ひとつかみ)くべあり。細き枝に蠟燭の焔ほどの火燃え移りて代る消えつ燃えつす。燃ゆる時は一間(ひとま)の中暫時(しばらく)明(あか)し。翁の影太く壁に映りて動き、煤(すゝ)けし壁に浮びいづるは錦絵なり。幸助五六歳のころ妻の百合が里帰りして貰ひ来しを其時粘(は)りつけしまゝ十年余(とゝせあまり)の月日経ち今は薄墨塗りしやうなり、今宵は風なく波音聞えず。家を繞(めぐ)りてさらと死後(さゝや)く如き物音を翁は耳そばだてゝ聴きぬ。こは霙(みぞれ)の音なり。源叔父は暫時(しばし)此さびしき音(ね)を聞入りしが、太息(ためいき)して家内(やうち)を見まはしぬ。
豆洋燈(まめらんぷ)つけて戸外(そと)に出(いづ)れば寒さ骨に沁(し)むばかり、冬の夜寒むに櫓こぐをつらしとも思はぬ身ながら粟(あわ)だつを覚えき。山黒く海暗し。火影(ほかげ)及ぶ限りは雪片きらめきて降(おつ)るが見ゆ。地は堅く氷れり。此時若き男二人物語つゝ城下の方(かた)より来しが、燈(ともしび)持ちて門に立てる翁を見て、源叔父よ今宵の寒(さむさ)は如何にといふ。翁は、さなりとのみ答へて目は城下の方に向へり。
やゝ行き過ぎて若者の一人、何時もながら源叔父の今宵の様は如何に、若き女彼顔(あのかほ)見なば其儘気絶やせんと囁(さゝや)けば相手は、明朝(あすあさ)あの松が枝に翁の足のさがれるを見出さんも知れずといふ、二人は身の毛の弥竪(よだ)つを覚えて振向けば翁が門には最早(もはや)燈火(ともしび)見えざりき。
夜は更けたり。雪は霙(みぞれ)と変り霙は雪となり降りつ止みつす。灘山(なだやま)の端(は)を月はなれて雲の海を光に包めば、古城市はさながら乾ける墓原(はかはら)の如し。山々の麓には村あり、村々の奥には墓あり、墓は此時覚(さ)め、人は此時眠り、夢の世界にて故人相(あひ)まみえ泣きつ笑つす。影の如き人今しも広辻を横(よこぎ)りて小橋の上をゆけり。橋の袂に眠りし犬頭(くび)をあげて其後影を見たれども吠へず。あはれ此人墓より脱け出でし。誰に遇ひ誰れと語らんとて斯(かく)はさまよふ。渠(かれ)は紀州なり。
源叔父の独子(ひとりご)幸助海に溺れて失せし同年(おなじとし)の秋、一人の女乞食日向(ひうが)の方より迷来(まよひき)て佐伯(さいき)の町に足をとゞめぬ。伴ひしは八歳(やつつ)ばかりの男子(をのこ)なり。母は此子を連れて家々の門(かど)に立てば、貰物(もらひもの)多く、此地(こゝ)の人の慈悲(めぐみ)深きは他国にて見ざりし程なれば、子の為に行末よしやと思ひはかりけん、次の年の春、母は子を残して何処(いふれ)にか影を隠したり。大宰府(だざいふ)訪(もう)でし人帰来(かへりき)ての話に、彼の女乞食に肖(に)たるが襤褸(ぼろ)着し、力士(すまふとり)に伴ひて鳥居の傍(あき)に袖乞ひすると見しといふ。人々皆な思ひ当る節なりといへり。町の者母の無情(つれなき)を憎み残されし子をいや増してあはれがりぬ。斯くて母の計(はかりごと)当りしと見えし。あらず、村々には寺あれど人々の慈悲(めぐみ)には限りあり。不憫(ふびん)なりとは語りあへど。真面目に引取りて末永く育てんといふものなく、時には庭先の掃除など命じ人らしく扱ふものありしかど、永くな続かず。初は童(わらべ)母を慕ひて泣きぬ、人々物を与へて慰めたり。童は母を思はずなりぬ、人々の慈悲は童をして母を忘れしめたるのみ。物忘れする子なりともいひ、白痴なりともいひ、不潔なりともいひ、盗(ぬすみ)すともいふ、口実は様々なれど此童を乞食の境に落しつくし人情の世界の外に葬りし結果は一つなりき。
戯(たはむ)れにいろは教ふればいろはを覚え、戯れに読本教ふれば其一節二節を暗誦し、小供等の歌聞て又歌ひ、笑ひ語り戯れて、世の常の子と変らざりき。げに変らずと見えたり。生国(しやうごく)を紀州なりと童の言ふがまゝに「紀州」と呼びなされて、はては佐伯町附属の品物の様に取扱はれつ、街に遊ぶ子は此童と共に育ちぬ。斯(か)くて渠(かれ)が心は人々の知らぬ間に亡び、人々は渠と朝日照り炊煙棚引き親子あり夫婦あり兄弟あり朋友あり涙ある世界に同居せりと思へる間、渠は何時(いつし)か無人の島に其淋しき巣を移し此処に其心を葬りたり。
彼に物与へても礼言言はずなりぬ。笑はずなりぬ。渠の怒りしを見んは難(かた)く渠の泣くのを見んは容易(たやす)からず。渠は恨みを喜びもせず。たゞ動き、たゞ歩み、たゞ食(くら)ふ。食ふ時傍(かたはら)より甘(うま)きやと問へばアクセント無き言葉にて甘しと答ふ其声は地の底にて響くが如し。戯れに棒振りあげて渠の頭上に翳(かざ)せば、笑ふごとき面持(おもゝち)してゆるやかに歩(あゆみ)を運ぶ様は主人に叱られし犬の尾振りつゝ逃ぐるに似て異り、渠は決して媚(こび)を人にさゝげず。世の常の乞食見て憐れと思ふ心もて渠を憐れといふは至らず。浮世の波に漂ふて溺るゝ人を憐れと見る眼には渠を見出さんこと難かるべし、渠は波の底を這(は)ふものなれば。
紀州が小橋を彼方(かなた)より渡りてより間もなく広辻に来かゝりて四辺(あたり)を見廻すものあり。手には小さき舷燈提(さ)げたり。舷燈の光射す口を彼方此方と転(めぐ)らす毎に、薄く積みし雪の上を末広がりし火影(ほかげ)走りて雪は美しく閃(きらめ)き、辻を囲(かこめ)る家々の暗き軒下を丸き火影飛びぬ。此時本町の方より突如と現はれしは巡査なり。づかと歩み寄りて何者ぞと声かけ、燈(ともしび)をかゝげて此方(こなた)の顔を照しぬ。丸き目、深き皺(しわ)、太き鼻、逞(たく)ましき舟子(ふなこ)なり。
「源叔父ならずや」、巡査は呆れ様なり。
「さなり」、嗄(しはが)れし声にて答ふ。
「夜更けて何者をか捜す。」
「紀州を見給はざりしか。」
「紀州に何の用ありてか。」
「今夜(こよひ)は余り寒ければ家に伴はんと思ひはべり。」
「されど渠の寝床は犬も知らざるべし、自(みづか)ら風ひかぬがよし。」
情(なさけ)ある巡査は行きさりぬ。
源叔父は嘆息(ためいき)つきつゝ小橋の上まで来しが、火影落ちし処に足跡あり。今踏みしやうなり。紀州ならで誰か此雪を跣足(すあし)のまゝ歩まんや。翁は小走(こばしり)に足跡向きし方へと馳(は)せぬ。


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源叔父が紀州を其家に引取りたりといふ事知れ渡り、伝へきゝし人初(はじめ)は真(まこと)とせず次に呆れ終(はて)は笑はぬものなかりき。此二人が差向ひにて夕餉(ゆうげ)に就く様(さま)こそ見たけれなど滑稽(おどけ)芝居見まほしき心にて嘲(あざけ)る者もありき。近頃は有るか無きかに思はれし源叔父又もや人の噂のぼるやうになりつ。
雪の夜より七日(なのか)余り経ちぬ。夕日影あざやかに照り四国地遠く波の上に浮びて見ゆ。鶴見崎の辺(あたり)真帆(まほ)方帆(かたほ)白し。川口の洲には千鳥飛べり。源叔父は五人の客乗せて纜(ともづな)解かんとす、二人の若者駈けて来ちて乗りこめば舟には人満ちたり。島にかへる娘二人は姉妹(はらから)らしく、頭に手拭かぶり手に小さき包持ちぬ。残り五人は浦人なり、後(おく)れて乗りこみし若者二人の外(ほか)の三人(みたり)は老夫婦(としよりふうふ)と連(つれ)の小児(こども)なり。人々は町の事のみ語りあへり。芝居の事を若者の一人語りいでし時、この度のは衣裳も格別に美しき由(よし)島には未だ見物せしもの少(すくな)けれど噂のみはいと高しと姉なる娘いふ。否(いな)さまでならず、たゞ去年のものには少(すこし)く優(まさ)れりと打消やうにいふは老婦(おうな)なり。俳優(やくしや)の中に久米五郎とて稀(まれ)なる美男まじれりてふ噂島の娘等が間に高しときゝぬ、いかにと若者姉妹(はらから)に向て言へば二人は顔赤らめ、老婦(おうな)は大声に笑ひぬ。源叔父は櫓こぎつゝ眼(まなこ)を遠き方にのみ注ぎ手、此処にも浮世の笑い声高きを空耳(そなみゝ)に聞き、一言も雑(まじ)へず。
「紀州を家に伴へりと聞きぬ、信(まこと)にや。」若者の一人、何をか思ひ出して問ふ。
「さなり。」翁は見向きもせで答へぬ。
「乞食の子を家に入れしは何故(なにゆゑ)ぞ解(げ)し難しと怪むもの少からず、独(ひとり)は余に淋しければにや。」
「さなり。」
「紀州ならずとも、共に住む程の子島にも浦にも求めんには必ず有るべきに。」
「げに然(しか)り。」と老婦(おうな)口を入れて源叔父の顔を見上げぬ。源叔父は物案じ顔にて暫時(しばし)答へず。西の山懷(やまふところ)より真直(ますぐ)に立ちのぼる煙の末の夕日に輝きて真青(まさを)なるを見視(みつめ)しやうなり。
「紀州は親も兄弟も家も無き童(わらべ)なり、我は妻も子もなき翁なり。我渠(かれ)の父とならば、渠我の子となりなん、共に幸(さいはひ)ならずや。」独語(ひとりごと)のやうに言ふを人々心のうちにて驚きぬ、此翁が斯く滑らかに語りいでしを今迄聞きしことなければ。
「げに月日の経つことの早さよ、源叔父。ゆり殿が赤児抱きて磯部に立てるを視しは、われには昨日の様なる心地す。」老婦(おうな)は嘆息(ためいき)つきて、
「幸助殿今無事ならば何歳(いくつ)ぞ」と問ふ。
「紀州よりは二ツ三ツ上なるべし。」さりげなく答へぬ。
「紀州の歳ほど推(すゐ)し難きはあらず、垢(あか)にて歳も埋(うも)れはてしと覚ゆ、十(とを)にや将(はた)十八にや。」
人々の笑う声暫時(しばし)止まりざき。
「われも能(よく)は知らず、十六七とかいへり。生(うみ)の母ならで定(さだか)に知るものあらんや、哀(あわれ)とおぼさずや。」翁は老夫婦(としよりふうふ)が連れし七歳(ななつ)計(ばかり)の孫とも思はるゝ児を見かへりつゝ言へり。其声さへ震へるに、人々気の毒がりて笑ふことを止めつ。
「げに親子の情二人が間に発(おこ)らば源叔父が行末楽しかるべし。紀州とても人の子なり、源叔父の帰り遅しと門(かど)に待つやうなりなば涙流すのは源叔父のみかは。」夫(つま)なる老人(おきな)の取繕(とりつくろ)ひげにいふも真意(まごゝろ)なきにあらず。
「さなり、げに其時はうれしかるべし。」と答(いら)へし源叔父が言葉には喜(よろこび)充(み)ちたり。
「紀州連れて此度の芝居見る心はなきか。」斯く言ひし若者は源叔父を嘲(あざけ)らんとにはあらで、島の娘の笑顔見たきなり。姉妹(はらから)は源叔父に気兼(きがね)して微笑(ほゝゑみ)しのみ。老婦(おうな)は舷(ふなばた)たゝき、そは極(きはめ)て面白からんと笑ひぬ。
「阿波十郎兵衛(あはのじふろべゑ))など見せて我子泣かすも益なからん。」源叔父は真顔(まがほ)にていふ。
「我子とは誰(た)ぞ。」老婦(おうな)は素知らぬ顔にて問ひつ、
「幸助殿は彼処(かしこ)にて溺れしと聞きしに。」振り向て妙見の山影黒き辺(あたり)に指しぬ、人々皆な彼方(かなた)を見たり。
「我子とは紀州の事なり。」源叔父は暫時(しばし)こぐ手を止めて彦岳(ひこだけ)の方(かた)を見やり、顔赤(あから)めて言放ちぬ。怒とも悲とも恥とも将(は)た喜ともいひわけ難き情胸を衝(つ)きつ。足を舷端(ふなばた)にかけ櫓に力加へしと見るや、声高らかに歌ひいでぬ。
海も山も絶えて久しく此声を聞かざりき。うたふ翁も久しく此声を聞かざりき。夕凪(ゆうなぎ)の海面(うみづら)をわたりて此声の眽ゆるやかに波紋を描きつつ消えゆくとぞ見えし。波紋は渚(なぎさ)を打てり。山彦は微(かすか)に応(こた)へせり。翁は久しく此応(このこたへ)をきかざりき。三十年前(ぜん)の我、長き眠より醒めて山の彼方より今の我を呼ぶならずや。
老夫婦(としよりふうふ)は声も節も昔の如しと賛(ほ)め、年若き四人は噂に違(たが)はざりけりと聴きほれぬ。源叔父は七人の客わが船に在るを忘れ了(は)てたり。
娘二人を島に揚げし後は若者等寒しとお毛布(けつと)被(かぶ)り足を縮めて臥しぬ。老夫婦(としよりふうふ)は孫に菓子与へなどし、家の事どもひそと語りあへり。浦に着きし頃は日落ちて夕煙村を罩(こ)め浦を包みつ。帰舟(かへり)は客なかりき。醍醐(だいご)の入江の口を出(いづ)る時彦岳(ひこだけ)嵐(あらし)身に滲(し)み、顧(かへりみ)れば大伯(たいはく)の光漣(さざなみ)に砕け、此方(こなた)には大入島(おほにふじま)の火影(ほかげ)早きらめきそめぬ。静に櫓をこぐ翁の影黒く水に映れり。舳(へさき)軽く浮べば舟底たゝく水音、あはれ何をか囁(ささや)く。人の眠催す様なる此水音を源叔父は聞くともなく聞きて様々の楽しい事のみ思ひつゞけ、悲しき事、気がゝりの事、胸に浮ぶ時は櫓握る手に力入れて頭(かしら)振りたり。物を追ひやるやうなり。
家には待つものあり、渠(かれ)は炉の前に坐りて居眠りてや居らん、乞食せし時に比べて我家のうちの楽しさ煖(あたゝ)かさに心溶け、思ふこともなく燈火(ともしび)打見やりてや居らん、わが帰るを待(また)で夕餉(ゆうげ)了へしか櫓をこぐ術(すべ)教ふべしといひし時、うれしげに点頭(うなづ)きぬ、言葉少く絶えず物思はしげなるは此迄の慣(ならひ)なるべし、月日経(たゝ)ば肉付きて頰赤らむ時もあらん、されどされど。源叔父は頭(かしら)を振りぬ。否々渠も人の子なり、我子なり、吾に習ひて巧にうたひ出る渠が声こそ聞かまほしけれ、少女(をとめ)一人の背て月夜に舟こぐ事もあらば渠も人の子なり其少女再び見たきい情(こゝろ)起さでやむべき、あわれに其の情見ぬく眼あり必ず他所(よそ)には見じ。
波止場に入りし時、翁は夢みる如きまなざしゝて問屋(とひや)の燈火(ともしび)、影長く水にゆらぐを見たり。舟繫ぎ了(をは)れば臥席(ござ)巻きて腋(わき)に抱き櫓を肩にして岸に上(のぼ)りぬ。日暮れて間もなきに問屋三軒皆な戸ざして人影絶え人声なし。源叔父眼(まなこ)閉ぢて歩み我家の前に来りし時、丸き眼睜(みは)りて四辺(あたり)を見廻しぬ。
「我子よ今帰りしぞ。」と呼び櫓を置く可き処に櫓置きて内に入りぬ。家内(やうち)暗し。
「こは如何に、わが子よ今帰りぬ、早く燈(ともしび)点(つ)けずや。」寂(せき)として応(こたえ)なし。
「紀州々々。」竈馬(こほろぎ)のふつゞかに喞(な)くあるのみ。
翁は狼狽(あわ)てゝ懐中(ふところ)よりまつち取出し、一摺(ひとすり)すれば一間のうち俄(にはか)に明(あか)くなりつ、人らしき者見えず、暫時(しばし)して又暗し。陰森(いんしん)の気床下より起りて翁が懷に入りぬ。手早く豆洋燈(まめらんぷ)に火を移し四辺を見廻はすまなざし鈍く、耳をそばだてゝ「我子よ。」と呼びし声嗄(しはが)れて呼吸も迫りぬと覚し。
炉には灰白く冷え夕餉(ゆうげ)たべしあとだになし。家内(やうち)捜すまでもなく、たゞ一間の裡(うち)を翁はゆるやかに見廻しぬ。煤(すゝ)けし壁の四隅(よすみ)は光届き兼(かね)つ心ありて見れば、人あるに似たり。源叔父は顔を両手に埋め深き嘆息(ためいき)せり。此時もしやと思ふ事胸を衝(つ)きしに、つと起てば大粒の涙流れて頰をつたふを拭はんとはせず、柱に掛けし舷燈に火を移していそがはしく家を出で、城下の方指して走りぬ。
蟹田(がんだ)なる鍛冶(かぢ)の夜業(よなべ)の火花闇に散る前を行過(ゆきすぎ)んとして立どまり、日暮のこと紀州此前を通らざりしかと問(とへ)ば、気つかざりしと槌(つち)持てる若者の一人答へて訝(いぶか)しげな顔す。こは夜業(よなべ)を妨げぬと笑面(ゑがほ)作(つくり)つ、又急ぎゆけり。右は畑、左は堤の上を一列に老松並ぶ真直(ますぐ)の道を半ば来りし時、行先をゆくものあり。急ぎて燈火(ともしび)さし向くるに後姿紀州にまぎれなし。渠は両手を懷にし、身を前に屈(かゞ)めて歩めり。
「紀州ならずや。」と呼びかけて其肩に手を掛けつつ、
「独り何処(いづこ)に行かんとはする。」怒(いかり)、はた喜(よろこび)、はた悲(かなしみ)、はた限りなき失望をたゞ此一言に包みしやうなり。紀州は源叔父が顔見て驚きし様もなく、道ゆく人を門(かど)に立ちて心なく見やる如き様にて打守りぬ。翁は呆れて暫時(しばし)言葉なし。
「寒からずや、早く帰れ我子。」いひつゝ紀州の手取りて連れ帰りぬ。みち源叔父は、わが帰りの遅かりしゆゑ淋しさに堪へざりしか、夕餉(ゆうげ)は戸棚に調(とゝの)へ置きしmのをなどいひ行けり。紀州は一言もいはず、生憎(あやにく)に嘆息(ためいき)もらすは翁なり。
家に帰るや、炉に火を盛に燃(たき)て其傍(わき)に紀州を坐らせ、戸棚より膳取出して自身(おのれ)は食(くら)はず紀州にのみたべさす。紀州は翁の言ふがまゝに翁のものまで食ひ尽しぬ。其間源叔父はをり紀州の顔見ては眼(まなこ)閉ぢ嘆息(ためいき)せり。たべ了(をは)りなば火にあたれといひて、うまかりしかと問ふ紀州は眠気(ねむげ)なる眼(まなこ)にて翁が顔を見て微(かすか)にうなづきしのみ。源叔父は此様見るや、眠くば寝よと優しくいひ、自から床(とこ)敷きて布団かけて遣りなどす。紀州の寝(いね)し後、翁は一人炉の前に坐り、眼を閉ぢて動かず。炉の火燃えつきんとすれども柴くべず、五十年の永き年月を潮風にのみ晒(さら)せし顔には赤き焰の影覚束(おぼつか)なく漂(たゞよ)へり。頰を連(つた)ひてきらめくものは涙なるかも。屋根を渡る風の音す、門に立てる松の梢を嘯(うそぶ)きて過ぎぬ。
翌朝(つぎのあさ)早く起きいでゝ源叔父は紀州に朝飯たべさせ自分(おのれ)は頭重く口渇(かわ)きて堪へ難しと水のみ飲みて何も食はざりき。暫時(しばし)して此熱を見よと紀州の手取りて我額(わがひたひ)に触れしめ、少し風邪ひきしやうなりと、遂に床のべて打臥しぬ。源叔父の疾(や)みて臥するは稀なる事なり。
「明日は癒(い)えん、此処へ来(きた)れ、物語して聞かすべし。」強(しひ)て打ゑみ、紀州を枕辺(まくらべ)に坐らせて、といきつく色々の物語をして聞かしぬ。爾(そなた)は鱶(ふか)てふ恐ろしき魚(うを)見し事なからんなど七ツ八ツの児に語るが如し。やゝありて。
「母親恋しくは思はずや。」紀州の顔見つゝ問ひぬ。此問を紀州の解(げ)し兼ねし様(やう)なれば。
「永く我家に居よ、我を爾(そなた)の父と思へ、――」
尚ほ言ひ続(つ)がんとして苦しげに息す。
「明後日(あさつて)の夜は芝居見に連れゆくべし。外題(げだい)は阿波十郎兵衛なる由ききぬ。そなたに見せなば親恋しと思ふ必ず起らん、其時われを父と思へ、そなたの父はわれなり。」
斯くて源叔父は昔見し芝居の筋を語りいで、巡礼謡(じゆんれいうた)を微(かすか)なる声にてうたひ聞かせつ、あはれと思はずやといひで自ら泣きぬ。紀州は何事も解(げ)し兼(か)ぬ様(さま)なり。
「よし、話のみにては解し難いし、目に見なば爾(そなた)も必ず泣かん。」言い了りて苦しげなる息、ほと吐(つ)きたり。語り疲れて暫時(しざし)まどろみぬ。目さめて枕辺を見しに紀州あらざりき。紀州よ我子よと呼びつゝ走りゆく程に顔の半(なかば)を朱に染めし女乞食何処(いづこ)より現はれて紀州は我子なりといひしが見る内に年若き娘に変りぬ。ゆりならずや幸助を如何にせしぞ、わが眠りし間に幸助何処(いづこ)にか逃げ亡(う)せたり、来(きた)れ来れ共に捜せよ、見よ幸助は芥溜(ごみため)のなかより大根の切片(きれ)堀出すぞと大声あげて泣けば、後より我子よといふは母なり。母は舞台見ずやと指(ゆびさ)し玉ふ。舞台には蠟燭(らふそく)の光眼(まなこ)を射る計(ばか)り輝きたり。母が眼のふち赤らめて泣き玉ふを訝(いぶか)しく思ひつ、自分(おのれ)は菓子のみ食ひて遂に母の膝に小さき頭載せ其儘眠入(ねい)りぬ。母親ゆり起し玉ふ心地して夢破れたり。源叔父は頭(つもり)をあげて、
「我子よ今恐ろしき夢みたり。」いひつゝ枕辺見たり。紀州居ざりき。
「わが子よ。」嗄(しは)がれし声にて呼びぬ。答なし。窓を吹く風の音怪しく鳴りぬ。夢なるか現(うつゝ)なるか。翁は布団翻(はね)のけ、つと起ちあがりて、紀州よ我子よと呼びし時、眼眩(めくら)みて其儘布団の上に倒れつ、千尋(ちひろ)の底に落入りて波わが頭上に砕けしやうに覚えぬ。
其日源叔父は布団被りしまゝ起出です、何も食はず、頭を布団の外にすらいださゞりき。朝より吹きそめし風次第に荒らく磯打つ波の音すごし。今日は浦人も城下に出でず、城下より嶋へ渡る者もなければ渡舟(おろし)頼みに来る者もなし。夜に入りて波益々狂ひ波止場の崩れしかと怪まるゝ音せり。
朝まだき、東の空漸く白みし頃、人々皆起きいでゝ合羽(かつぱ)を着、灯燈(ちやうちん)つけ舷燈携(たづさ)へなどして波止場に集りぬ。波止場は事なかりき。風落ちたれど波尚高く沖は雷轟くやうなる音し磯打波(いそうつなみ)砕けて飛沫(しぶき)雨の如し。人々荒跡を見廻るうち小舟一艘岩の上に打上げられて半ば砕けしまゝ残れるを見出しぬ。
「誰の舟ぞ。」問屋の主人らしき男問ふ。
「源叔父の舟にまぎれなし。」若者の一人答へぬ。人々顔見合はして言葉なし。
「誰れにてもよし源叔父呼び来らずや。」
「われ行(ゆか)ん。」若者は絃燈を地に置きて走りゆきぬ。十歩の先已(すで)に見るべし。道に差出でし松が枝(え)より怪しき物さがれり。胆(きも)太き若者はづかと寄りて眼(まなこ)定めて見たり。縊(くび)れるは源叔父なりき。
桂港に程近き山ふところに小(ちひさ)き墓地ありて東に向ひぬ。源叔父の妻ゆり独子(ひとりご)幸助の墓みな此処(このところ)にあり。「池田源太郎之墓」と書きし墓標亦此処(こゝ)に建(たて)られぬ。幸助を中にして三つの墓並び、冬の夜は霙(みぞれ)降ることもあれど、都なる年若き教師は源叔父今も尚一人寂しく磯部(いそべ)に暮し妻子(つまこ)の事思ひて泣つゝありと偏(ひとへ)に哀れがりぬ。
紀州は同く紀州なり、町のものよりは佐伯附属の品(しな)と視らるゝこと前の如く、墓より脱け出でし人のやうに此古城市の夜半(よは)にさまよふこと前の如し。或人渠(かれ)に向(むかひ)て、源叔父は縊(くび)れて死(しに)たりと告げしに、渠はたゞ其人の顔を打まもりしのみ。
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。