オープンアクセス NDLJP:173
 
江談抄 第二
 
 
雑事
 
天安皇帝有譲位于惟喬親王之志事。

命云、天安皇帝(〈文徳〉)有宝位于惟喬親王之志。太政大臣忠仁公総摂天下政、為第一臣。憚思不口之間、漸経数月云々。或祈請神祇又修秘法于仏力。真済僧正者為小野親王祈師、真雅僧都者為東宮(〈清和〉)護持僧云々。各専祈念互令相摧云々。

陽成院被卅匹御馬事。

又云、陽成院御所立御厩、常被卅匹御馬、号北辺院

冷泉院欲開御重結緒給事。

故小野右大臣(〈実資〉)語云、冷泉院御在位之時、大入道殿〈兼家〉忽有参内之意、仍俄単騎馳参、尋御在所於女房、女房云、御夜御殿、只今令開御璽結緒給者、乍驚排闥参入、如女房言筥緒給之間也。因奪取如本結之云々。

円融院末朝政乱事。

円融院末、朝政甚乱、寛和(〈花山〉)二年之間、天下政忽反淳素、多是惟成弁之力云々。天下于今受其資云々。

華山院出禁中花山事。

命云、粟田関白扈従、華山院出禁中華山寺之時、大入道殿以平維敏出家之使。時人見維敏之気色、万人不敵云々。

華山院御時、被女房以下袴事。

又云、華山院御時、被女房并下女等袴、一裳袴被免云々。

済時卿女参三条院事。

為仲云、済時卿女被三条院〈東宮之時〉之日夕、大将参大入道殿申云、被輦車宣オープンアクセス NDLJP:174哉。件事欲莫大恩返答云々。などかは可恩許之事也。欲奏達云々。大将不感悦、起座拝舞退出。及入内之刻限待宣旨、已以無音、数莚道参入也。時人密号〈空拝紅梅イ〉大将、又彼大将家前庭有紅梅、便称空拝云々。

堀川院崩御御運叶天度事。

談云、堀川院崩給事、大略御運叶天度歟。近代帝王及廿余年給宝位、希代之算也。御宿曜過畢、而御宝位運久之故、于今令持給也云々。予問云、御算尽者、御宝位豈久哉如何。被談云、此事尤興然也。但彦作初謁、宿曜事相語之日、帝王御運者、漢家本朝共異於凡人也。其故寿命百歳、宝位五十年、帝王可在に、至六十算即位給ば、百歳寿所残四十年、五十宝祚所期四十年也。仍五十年実位、今十年可欠。然而自六十一年即位、猶伝五十年位〈[#返り点「一」は底本ではなし]〉給也。仍算は百十年に延引、而至百歳之時、有大病也。不其心、信宿曜期算通位者、今十年不持、即算又尽乎。位五十年、位不避ば亦令位延齢也。然而帝王之位、荒涼不避。又帝王位は強く算は弱き事也。因之異于凡人といふなり。凡人不然、以官位鬼瞰職延齢、宿曜秘説也。皆有其理云々。此事秘事也。披露無由。匡房欲隠居、足下令朝ば、亦可朝議之人也。可其心云々。

上東門院御帳内犬出来事。

上東門院為一条院女御之時、帳中に犬子不慮之外に入見付給。大に奇恐被入道殿〈道長〉入道殿召匡衡密々令此事給に、匡衡申云、極御慶賀也と申すに、入道殿何故哉と被仰に、匡衡申云、皇子可出来給之徴也。犬の字は是点を、大の字の下に付けば、太の字也、上に付くれば、天の字也。以之謂之、皇子可出来給。さて立太子、次に至天子給歟。入道殿大令感悦給之間有御懐姙、合後朱雀院天皇也。此事秘事也。退席之後、匡衡私令件字家云云。

九条殿燧火事。

小野宮叙二位事。

小野右府嘲範国五位蔵人事。

オープンアクセス NDLJP:175

故小野宮右府被参陣、件日範国自甲斐前司五位蔵人之日也。右府不甘心、則成嘲被人云、甲斐前司には、誰か罷成りたる云々。宇治殿聞食此事仰云、以大臣以上之身、居陣座朝議事不然云々。則被勘発経頼勘発使云々。其時蔵人頭者経輔也。仍被示。彼頭随申其由也。宇治殿被咎仰、後日右府怨経輔云々。

惟仲中納言申請文事。

惟仲中納言為肥後守之時、有申請文〈文名忘却可之也〉。於陣献上卿。上卿者一条右大臣 〈雅信〉也。上卿被此文。惟仲以為之。上卿被命云、此文者於陣難之、於里第之文也。是先例也。惟仲為恥云々。

惟成弁失錯事。

又云、有国為蔵人頭之時、以使着駄解文取違。申文下陣座之間、惟成弁乍失錯申上卿云々。

公方違式違勅論事。

問云、公方違式違勅論、其義如何。答云、天暦御時、諸国受領不率分之輩、勘公文之時、勘会諸司文書署判之者、可其罪状之由被公方。公方勘云、当違式云々。被仰云、事出勅語。然則可勅。公方不然之由執申。爰以文範問之間、問云、破勅語之起請、皆可違式之者、何故格条中注云、若違此格者、論以違勅之罪。公方答云、以此文之、格条事偏皆可違勅之者、何更令始有違勅之詞矣。格条事不必称違勅之故、新立違勅之文。文範又難云、格条立違勅文、文異陳状。然者今令条称曰、論以違勅之罪此条如何。公方無陳之旨。遂依此過左遷。公方卒後、子允亮思其父之恥、研精此事七八年計。遂相具文書文範亭、欲討論之処、文範命云、令問給之聖皇も不御座、公方も其身不存、僕も亦老たり。是討論以無益也云々。允亮懐文書還畢。問。此論如私曲相須歟。被答云、私曲相須者、及諸道之沙汰矣。違勅者只公方一身也。

外記日記図書寮紙工漸々盗取間、師任自然書取事。

談曰、外記日次日記一筆書取人者孝言也。近代希有事也。依大史外記之懇切オープンアクセス NDLJP:176也。一生中之間、常に紙を巻きて、以牛飼小舎人童等持云々。予問云、外記日次日記又誰人之持哉。被答云、日次日記持人粗所聞也。但皆悉令持人稀也。師遠祖父師任大外記之間、皆悉所書取也。師任書取之後、外記日記等為図書寮紙工漸々被盗取也。事発日記、本在故師平許、希代之事也。帝王之運未尽之所致也。若師任当初不写取者、一本日記定絶失なまし。皆悉持人稀之故也。奉為国家さばかり致忠者なれば、子孫は不絶繁昌也。此師任・師平殊有寛仁之心、強無貪欲云々。師遠相継不□事継其跡、又希有之事也。当時之一物也。

音人卿為別当時、長岡獄移洛陽事。

談云、匡房仕帝王納言、始祖音人卿為検非違使別当之時、奉為国家能致忠之故、必仕帝王也云々。予問其由緒如何。被答云、音人卿為検非違使別当之以前、獄所在長岡京。件所にて獄所極以荒涼、囚人動逃去。仍音人卿改立此獄門之後、無刑人還又重恩也。修善根之人、与饗膳施饗、是彼時始也。仍音人卿最後被談けるは、我子孫は依国家致_忠、必仕帝王大位也。但刑人其罪尤重之者、此依囚獄門輙逃之者。又路次往行之者、動与食物、依別法之目、不輙入獄門、依其報定子孫にあらん云々。此事尤理也。仍匡房も為靱負佐之時、為其跡、路頭夜行事、稠以所申置也。奉為国家忠也。仍後三条院御時、全以無強盗之聞。又於身学抜群ば、先考(〈成衡〉)雖無才能伝家之文書条々為書写加之所致也。先考以明障子四面、其中曝涼家文書、皆悉捺印、又損失之処には必尋求其本、被共継也。常には我是江家の文預也とぞ被申侍し。以青侍四人〈[#返り点「三」は底本では「二」]〉件障子之、一人には続飯を令餬、一人には令披、又一人には令継立、一人には令書継。如此送年月、後代物語也。不披露歟。

六壬占天番廿八宿可天而在地番不審事。

命云、陰陽家事心被得如何。答云、於書籍者大略随分雖歴覧、不委学。此間逢陰陽博士宗憲、占事少々所請候也云々。被命云、占事尤可知事也。但番事能被学哉。番不審事在之也。天番可廿八宿、在地番、地番可十二神、在天番如何。此事可学也云々。

オープンアクセス NDLJP:177大外記師遠諸道兼学事。

命云、大外記師遠諸道兼学者歟。今世尤物也。能達者不中古之博士歟。

助教広人兼学諸道諸舞工巧事。

助教広人者是能読左伝、兼学諸道諸舞。長工巧。時人無失歟。但一目〔不イ〕精、一眼誠明。高村文章博士対策判に、預多科病累処落第。而弘仁皇帝命被及第之時、高村窃云、一目之〔無イ〕人何識我策哉。広人聞之云、以一目汝書。尚不見。何況両眼共存時乎。以此等例之、紀傅明経者共以可広学也云々。

天暦皇帝問手跡於道風事。

天暦皇帝召道風朝臣。勅云、我朝上手誰人哉。申云、空海・敏行。時人難云、於大師御名音読也。敏行をば猶としゆきとなん可奏云々。

道風朝綱手跡相論事。

天暦御時、野道風与江朝綱、常成手書相論之時、両人議曰、給主上御判、互可勝劣云々。仍申請御判之処、主上被仰云、朝綱書劣於道風事、譬如道風劣朝綱之才云々。

兼明・佐理・行成等同手書事。

兼明・佐理・行成三人等、同之手書也。各皆様少相乖也。後人難決処最歟。故源右相府〔〈師房〉〕云、行成卿、世人謂於道風歟。信者、佐理・兼明等となん世人称しける。

積善作衛玠能書事。

積善作衛玠家風、衛玠能書之義有所見歟如何。答、衛玠能書也。故称家風歟、分明不告。

平中納言時望相一条左大臣雅信事。

故右大弁時範談云、一条左大臣年少之時、故平中納言時望到其父式部卿敦実親王、召出雅信時望相_之。時望相云、必至従一位左大臣歟。下官子孫若有申触事者、可必挙用之也。数刻感歎云々。時望卒後、一条左大臣、感彼知己之言、惟仲肥後之公文間、殊施芳心。惟仲者是時望孫珍材男云々。是故平宰相(〈親信〉)之説也。彼家伝語之由時範所談也。

オープンアクセス NDLJP:178平家自往昔相人事。

又平家自往昔、累代伝相人之事。又惟仲中納言其母讃岐国人也。珍材為讃岐介之時、所生子也。而去任之後尋来、珍材召入相之云、汝必至大納言歟。但依貪心頗有其妨、可之也云々。後果至中納言太宰帥。件時宇佐宮第三宝殿附封之。依件事任之。是往年先親所伝語也云々。

行成大納言雖固物忌召参内事。

又云、行成大納言為蔵人頭之時、依固物忌、籠居里亭之間、自禁中大切事召、令参上時、於殿上俄心神失度、乍恐参清涼殿、主上先識其気色、揚音誰ぞあれはと被仰。即応御音朝成、留御簾限。行成入御前此難云々。是則行成祖父小一条大将(〈済時〉)与朝成大納言敵人凌云々。

延喜之頃以束帯一具両三年事。

又談曰、延喜之頃、上達部時服不美麗。朱雀院御時、或公卿遣消息於内裏女房許、令奏云、先朝恩賜御襲、年月推移処々破損、御下襲一領可申下者、大略調束帯一具、両三年之間、節会公政之庭着用歟。何況近代之例、諸国受領不封物。無頼公卿可乗下之人云々。

小野宮殿不蔵人頭事。

又被命云、英明少年時献押綾。小野宮殿以此故蔵人頭云々。

四条中納言嘲弱君顕定事。

又四条中納言(〈定頼〉)為蔵人頭之時、嘲弼君顕定、誰吐虚誕。宇治殿〔〈頼通〉〕仰云、某申、宇治殿聞食、被発定頼云、摂政関白などは、人の嘲弄する者にも非ず。依此事半年計蟄居云々。顕定宇治殿方人也云々。定頼二条殿〔〈教通〉〕方人也。故有意緒歟。古今蔵人頭久被勘例事之例云々。

範国恐懼事。

又範国為五位蔵人奉行事。小野宮右府〔〈実資〉〕為上卿、被陣下、申文之時、弼君顕定於南殿東妻于陰根。範国不堪遽以笑。右府不案内、以答及奏達。範国依此事恐懼。

オープンアクセス NDLJP:179実資・公任・俊賢・行成等被公事、其作法各異事。

又被命云、資業談曰、実資・公任・俊賢・行成四人、為御使彼亭、被公事之時、其作法各異。実資者日記中可証文処被取出。俊賢者先見日記畢、識覚被之。公任者只被執政申之由。四人之体皆以不同也云々。又被命云、此人々皆雖朝議、於式目、多公任被作献。人其人其家封也。〔倶イ〕自作法進退劣其所_知云々。

諸御屛風等有其員事。

又云、諸御屛風等有其数。所謂漢書打毬・坤元録・変〔天イ〕図・賢聖山水等御屛風之類是也。随時立之、委事見装束司記文歟。

然人着袴、奴袴不着事。

戸部卿曰、故右大将御童稚之時、着袴之日夕、従上東門院御装束一襲〈兼日依申請也。〉進奴袴。時人或称忘却給之由。或重申申請之由。殿下無返答不審。刻限之至矣。不着用給。其後院聞食此旨仰云、宜人者着袴之時、不奴袴也。近代人々不案内歟。于時近習・上達部・殿上人・非参議等、識者済々焉。何不伝聞哉。尤恥辱多乎。資業・章信不此旨。猶以不古賢也。

善男座事承伏事。

善男座事之日、大納言南淵年名・参議菅原是善卿等、奉勅於勘解由使局問之、更不承伏。即詐令人謂云、息男佐世已以承伏畢。何独不然。善男聞之、口惜男かなと云承伏。又法隆寺僧善愷訴之時、左大弁正躬王等訴善男之幣。善男各弁正躬等之少奸曰、羣蚊成雷之日、善男死国之時也。

御劔鞘巻付何物哉事。

又談曰、御劒鞘有五六寸計物巻付、人不何物事。資仲卿自撰進之四巻云々。故大納言(〈資平〉)教命云、予昔三条院御宇時、為殿上人、参内自無名門。主上御于殿上御倚子。予謹跪候地上。仰云、可候小板敷者、仰云、御劒鞘有纏付之物、是何物哉。汝有聞乎。予奏云、至愚之身難此事者、又仰云、猶可、申者、奏云、不慥説、但或人申云、若是御辛櫃鎰歟者、天気有感、後日量理朝臣オープンアクセス NDLJP:180相語曰、主上仰云、我問秘事。衆人不知而資平之所申已相叶、尤所感也者、抑件鑑事右相府(〈実資〉)仰也。又在清慎公御口伝。又江左大丞説云、神璽筥鎰纒宝劒之組、纒籠之由見延喜御日記、是秘事也。非普通御記云々。

貞信公与道明意趣歟事。

又被命云、貞信公弱年為右大臣。于時道明一大納言。此時貞信公辞退、不左大臣。道明薨之後、不幾程左大臣、定方任右大臣、若有意趣歟。

古人名唐名相通名等事。

又云、古人名唐名相通名等、三善清行〈居逸〉・内大臣〈達音〉・紀長谷雄〈発超〉・源順〈具埃〉・慶保胤〈定沢法名心覚。〉 江挙周〈達〉・藤明衡〈安蘭〉・江匡房〈満呂〉

古人名并法名事。

又云、古人名□□并法名等、定基〈江家法名寂照参川入道是也唐号円通大師〉・遍昭僧正〈良峯宗貞〉・能因〈楠永澄〔愷イ〕〉・今毛人〈大師〉・愛発〈朝成〉・惟成〈法名悟妙〉・華山院〈法諱入覚〉・義懐中納言〈法名悟真〉・大入道殿〈法名如実〉・仲平〈静覚〉・道長〈行観又行覚〉・高光少将〈如覚道号寂真〉・内相藤押勝。〈仲麻呂号恵美大臣〉。又云藤慶者〈道明大納言字云々〉・藤賢者〈有国字云々〉・式大者 〈惟成字云々。〉

経頼卿死去事。

又被命云、経頼卿蒙宇治殿御勘責之後、不幾程病死去云々。

英明乗檳榔車事。

又被命云、英明昔乗檳榔車法性寺御国忌、公卿多以参会。朝成卿云、公卿之車外有檳榔車、誰人車哉。英明被答云、下官車也。若被咎仰者。不檳榔車之由、有所見者欲承云々。件法式無見云々。

忠文被昇殿事。

又被命云、忠文為近衛司、有昇殿。然而不仰云々。毎陣直夜人取寮御馬一疋枕辺。常語云、聞馬食_秣不眠之計云々。

忠文炎暑之時不出仕事。

又云、忠文秋冬者勤陣直、及夜匪懈。炎暑之時、請暇向宇治別業、以避暑事。或時被髪洗于宇治川云々。

オープンアクセス NDLJP:181元方為大将軍事。

又被命云、天慶征討使之時、朝議以其事、欲元方大将軍。元方聞之云、大将軍所言一事以上、国家無用。若被大将軍者、必請貞信公子息一人副将軍云々。因玆寝此議云々。

人家階隠事。

人家階隠者、元者不同事也。其起被知哉如何。答云不知。被命云、荷前行幸之日、天皇□五条皇〔居イ〕御在所為輦御輿新議階隠也。乃皆□於此時也。

鹿宍人当日不内裏事。

又被命云、喫宍当日不内裏之由、見年中行事障子。而元三之間、供御薬御歯固鹿猪可之也。近代以雉盛之也。而元三日之間、臣下雖宍不忌歟。将主上一人雖食給、不忌歟云々。但愚案思者、昔人食鹿。殊不忌憚歟。上古明王常膳用鹿宍、又稠人広座大饗用件物云々。若起請以後有此制歟。件起請何時と慥不覚。又年中行事障子被始立之時、不何世、可検見也。

咒師猿楽物営始事。

又咒師猿楽等物営始事、後三条院令養円宗寺給之時、舞装束為人之択、俊綱朝臣始構出事也。

 
江談抄第二
 
 

この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。