永久に不愉快な二重生活


 中村なかむらさん。

 問題が大きいので、ちよいと手軽に考をまとめられませんが、ざつと思ふ所を云へばかうです。

 元来芸術の内容となるものは、人としての我々の生活全容ぜんようほかならないのだから、二重生活と云ふ事は、第一義的にはある筈がないと考へます。

 が、それが第二義的な意味になると、いろいろむづかしい問題が起つて来る。生活を芸術化するとか、或は逆に芸術を生活化するとか云ふ事も、そこから起つて来るのでせう。

 あなたの手紙にあつた芸術家の職業問題などは、それを更に一歩皮相ひさうな方面へ移して来ての問題だと思ひます。

 だから「物心ぶつしん両面にける人としての生活と、芸術家としての生活の関係交渉」と云つても、それぞれの意義に相当な立場をきめてかからないと、折角せつかくの議論は混乱するよりほかにありますまい。

 所でわたしは前にも云つたやうに、今さう云ふ問題をべんじてゐるひまがない。

 が、ひて何か云はなければならないとなると、職業として私は英語を教へてゐるから、そこに起る二重生活が不愉快で、しかもその不愉快を超越てうゑつするのは全然物質的の問題だが、生憎あいにくそれが現代の日本では当分解決されさうもない以上、永久に我々はこの不愉快な生存を続けてく外はないと云ふ位な、はなはだ平凡な事になつてしまひます。

 これでよかつたら、どうか諸家の解答の中へ加へて下さい。以上。

(大正七年十月)

この著作物は、1927年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。