正廣日記

世中みだれて後は。宮古に跡をとゞむベきさまにもあらで。大和國泊瀨寺にしる所ありて年月ををくり侍るに。文明五の年八月七日につとめておきはベれば。觀音へまいる人の尋はべるとあるをみれば。攝津修理大夫元イ親にて。對面し手をうちて代のかはり侍るに久見參にも入侍らぬなどかたりて。不思議のごとく思はベる。さていづくへと問侍れば。駿河國にしる所有てくだり侍るとあれば。さては富士をこそ見給はめとうらやみ侍れば。さらばいざかしとあるに。とてもすてはつる身にて。いづくに跡をとゞむべき事にもあらねば。さいはひのこととおぼえて。そのまゝ出て。行すゑのことなど思ひたどり侍らでくだりぬ。伊勢の山田といふ所に四五日やすらふ事ありて。十五日大江といふ所より舟にのり。いらこのわたりとてすさまじき所をこし侍るに。こよひは十五夜なりけり。むかしは所々にて歌などよみ侍に。思ひの外なる心ちして。かぢの枕に篷もる月をわづかにみて。

 いにしへを思ひいらこの月みれはかいの雫そ袖に落そふ

十六日。舟よりあがりて。潟濱とて浪のあらあらしき所を越はベるに。名所などおほくありと聞しかどもとふベき人もなし。しらすかといふ所のあさましきあまのとまやに一夜浪のをとを枕にてあかし侍に。歌などよむベきさまにもあらず。人々立さはぎ出行に。見つけのこううちすぎ。さ夜の中山をこえ侍るに。彼西行上人。年たけてなど詠じ侍もあはれに思ひ出られて。

 月ひとり都の友そわれにかせ雲の衣をさ夜の中山

それよりくだり侍に。心のうちに歌などよみはべれども。かたるベき友もあらでよみすて侍る。さて十九日に駿河國藤枝といふ所は彼領知にて。長樂寺といふ寺にをのかりそめにすみ侍る。さても今日まで空くもらはしくて。富士をみはベらぬと人にかたり侍れば。小川といふ所は殘なくみゆるとて。廿六日人々友なひてをもむき侍るに。おりふしはまかぜあらしく。雲など立さはぎて富士もみえず。むなしくかへり侍るに。其夕より桂厚とてつれはべる僧。おこりとかことの外煩てふし侍。なに事も心にいらであつかひしに。長月一日の比。なをざりにて心をのべ侍るに。そのあたりにおに岩といふ山よりこそ富士はみゆる所なれとて。人のいざなはれしほどに。うれしくて。老のさかくるしけれども。あがりてみれば。東にたか草山といふ山の上より雲などことにはれてさだかにみえはべれば。年月ののぞみもはるゝ心ちして。

 富士はなをうへにそみゆる藤枝やたか草山の峯のしら雲

さて立かへりて。筆にまかせて十首よみはべる。

 尋ねてもなとかみさ覽富士ならてそれも名高きさよの中山

 富士やこれ雲まの嶺に顯れて先めつらしき秋のはつ雪

 同しくはふしのみ雪を分みにや身はひるの子の老そ苦しき

 淸見かたふしにうしろの山颪みね雪ちらす浪のあらかき

 ふしのねは雲ゐに高し大ひえやはたちあけても爭て及はん

 時しらぬ山こそあらめふし川やそれさへ雪のたかき波かな

 夜や寒きつるか岡への鶴のこゑつはさの霜にふしのしら雪

 嶺くつすうきしまなくは足高や雲まにふしを竝へてそみん

 わきも子か黑かみ山はふしのねのいたゝく雪を哀とやみむ

 ふしはみつ又もそ思ふ秋の風きかはやゆきてしら川の關

かやうによみて富士淺間に奉りし。此寺の本尊藥師如來にてまします。さいはひのことと覺えて。桂厚祈禱のため。筆にまかせて詠じ侍る歌。

  春

 なそへなき君か惠みを日の光四方にてらして春やきぬ覽

 むかふよりうき世のさかと厭ふ身をよしやと許す花の蔭哉

 彌生山くれ行空に契るらん春もとまらぬ入あひの聲

  夏

 汲たえし野中の淸水いつしかに又尋ぬへき夏はきにけり

 しきたへの袖の淚をむつましとなれも昔に匂ふたちはな

 るりとみる人と魚との心にもまさる御拔やそてのうは浪

  秋

 りうのすむ都も秋やしら浪の立そふおきつはつかせのこゑ

 くり返しむかしを今にすむ月のめくる光やしつのをた卷

 わくらはにそめし椿を初にて時雨につくす秋の色かな

  冬

 うき世とて誰も朝夕なけく身をしらていつくと冬のきぬ覽

 庭の松をしのふすまはしらね共先あたゝかに積る雪かな

 世中の人の心をさく梅のいそくと年やくれてゆくらん

  雜

 らむとなる關の東もこゝのへも皆おさまりて道そたゝしき

 いまははや雲霧はれてふしの雪都にみつと人にかたらん

かくよみ侍るしるしにや。少取なをし侍る。神な月にもなりぬ。むかしは今川上總介範政老僧歌の友にて朝夕ともなはれしかども。今は世中うつりて知人もなし。中頃臨川坊とて都にてみし人府中に住侍るが。くだりたる山ききて。せうそこありて。ふしぎなる草庵を結び侍る。又うつの山をもみよかしなどありて。迎をたびたるに思立侍る。まことにうつの山は逢人もなし。夢にも人にとか業平の詠ぜしことなどおもひいでて。蔦のはを分侍るにも。ききしにまさる心ちして。

 老ぬれはさなから夢そうつの山蔦の葉くらき霜のふる道

さてかの草庵につきて。昔の物がたりなどし侍るに。彼範政の孫上總介義忠よりくだりたるよしきゝ給て。

 萩かえのもとのはこそはちりぬとも梢也とて忘れさらめや

これはかの範政老僧愚身など參會せし昔の事おぼし出てかくよみ給にや。返。

 荻かえのむかしをとへは月まても先玉ちらす露のことのは

又かれより。

 はきかえの昔なれにしゆへしあれは月まて照す光そふ覽

かくしてあくる十三日淸見が關みむとて人々ともなひて行侍るに。ことに空はれてうら浪もなぎ。ふじも手にとるばかりにて。關のあたりをみるに。心もこと葉もをよばずおもしろく。聞しよりはみるはまさり侍る。せきのあらがきの柱を少けづりて。

 月なからいく世の浪を淸見かたよせてはあらす關のあら垣

舟をこぎいださせて。三保の松ばらのほとりまでこがせ。みれば。すこし隔つる山をいでて。浪のうへより又富士を見侍るに。老の後の思出これに過はべらじとおもひ侍る。さてかへるに。つれたる人にざれごとに。

 歸るさはふしをうしろに老の身のくるしやをくれ跡の濱風

彼草庵にかへぬれば。上總介殿對面ありて。さかづきのつゐでに。

 知しらす立とまれとも淸見かたみる人からの關の名なれや

返し。

 かヘりみることはの花と淸見かたけふはかひ有老のなみ哉

十六日。彼草庵をいでてかへるに。弘濟とてわかき法師の歌など稽古ありたきよし有て。古歌などの心少々尋られはべるが。歸るさをしたひて。うつの山を送られはべるも心ざしありがたく覺えて。

 忘れめやうつの山路をいさよひの月に越つる蔦の下陰

彼弘濟立歸とて。上總介殿へ一首よみつかはしはべらば可然之由あるに。又筆にまかせて。

 天津人君にみよとてそめ色の山をわけてや富士となしけん

返々かたはらいたき事也。遠江國埴谷備前入道常純と云人。昔老僧に逢て歌など稽古せし人の遠江より武藏國へ越侍るが。我藤枝にありと聞て。旅なる所へたちより。むかしのことなど語てかへられしが。うつの山より人をかへして。彼蔦の葉を送られしに。

 うつの山うつゝの夢にあふ世かとこのたひたとる蔦の下道

やさしく覺えて。其つかひにかへし。

 あひみるを夢とたとれはうつの山うつゝ定むる蔦のはの露

さて十九日。又上總介殿よりかの淸見關のあらがきを少しとらせて。都の家づとにとて。歌をそへて送賜し。

 尋つと都にかたれ淸見かたこれそまことの關のあらかき

此あらがき短册箱になどおぼえて。所望にありしかども。とらせ侍らば。關守のしら波とやとがめ侍らむとはゞかりてかへりしに。うれしくもおぼえ侍る。返し。

 人ならて都のつとそ淸見潟せきのあらかき松のことのは

廿一日。かへりのぼり侍るとて。埴谷遠江の相良といふ所に子に左近將監重治といふ人の所へ行侍るに。老僧その昔此あたりへ下給て。かさはらよりかつま田と云所へ文などつかはさるゝ事有とて。其文など取いだしつゝ物がたりなどせし人のあるにも。いとなつかしく覺え侍る。こゝにしばしとゞまるべきなどあるにやすらひて。其あたりちかき所に西山寺とておもしろき山寺のあるに行はべるに。御堂のかたはらに櫻の木あり。其木のもとに此二三年の程空はくまなくて雨ふり侍るとあれば。ふしぎのおもひをなしてたちいでてみるに。まことにくまなき日の光に雨ふり侍り。きどくのこととおぼえて。

 はるゝ日にいかなる雨そ花の雪空にしられぬ櫻木のかけ

玉泉坊と云所に二三日とゞまり侍るに。その坊主興衡。又彼重治などのすゝめにて。續歌たびたびありしかども。書とゞむるにをよばず。此みちをのすきにて。日比よみをかれ侍る歌ども書あつめ。そのうちなをざりなるに墨など付べきよし侍り。今は都にだに此道すたれたるさまなるに。ありがたくおぼえて。

 しるへする人はなくとも此道に心をかけよ和歌のうら舟

と申侍る。さて遠江の府中より人ののぼりぬる便あるにいそぎ立出侍る。さてもあとさきもなき事を井中文のやうに書付はべる也。とくやぶるベしと申き。

文明五年霜月 日

釋正廣

此一帖。以他本書寫之處。晴雲有後見。尤可證本歟。

正因在判


この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。