金槐和歌集/卷之上/春部

春部から転送)

  金 槐 和 歌 集   卷 之 上

      春  部


正月一日よめる
(一) 今朝けさみれば山も霞みて久方ひさかたあまの原より春は來にけり
眞淵この歌に○を附す。

春のはじめの歌

類從本には「立春の心をよめる」とあり。
(二) 九重ここのへの雲井に春ぞ立ちぬらしぬらん 大內山おほうちやまに霞たなびく 眞淵この歌に○を附し、「中さだの歌なり」と評せり。
(三) 山里に家居いへゐはすべし鶯のなく初こゑの聞かまほしさに
(四) うちなびき春さりくればひさぎおふる片山かたやまかげに鶯なく 類從本に「春のはじめの歌」といふ題あり。眞淵はこの歌の初句につき「萬葉に打なびく春とあり、うちなびきてふ語は別なり、冠辭考にくはし」と評せり。
春のはじめ 類從本には「春のはじめに雪の降をよめる」とあり。
(五) かきくらしなほ降る雪の寒ければ春とも知らぬ谷の鶯 眞淵この歌に○を附す。
(六) 新千ママ 春はまづ若菜つまむとめおきし野邊とも見えず雪の降れれば 類從本定家所傳本には、初句「春たたば」とあり。なほ新千載集には結句を「雪はふりつゝ」とせり。
眞淵この歌に○を附す。

故鄕立春
(七) 續後撰 朝霞たてるを見ればみづのえの吉野の宮に春は來にけり 眞淵この歌に○○を附し、且つ「後世みづのえの吉野の宮とよめるは、何ともなきことなり。此公もさるを傳へてよみ給ひしにや。されど公の歌の樣を思ふに古へにこそより給はめ、さらばみよし野のよしのとつゞけしこと、古事記よりこのかたの例により給ひけめ」といへり。

海邊立春
類從本に「海邊立春といふことをよめる」とありて、「雜」の部にあり。
(八) 鹽釜しほがまの浦の松風霞むなり八十島やそしまかけて春や立つらむ 眞淵はこの歌を「はた中さだ」と評せり。

子  日

類從本には「雜」の部にあり。
(九) いかにして野中の松のりぬらむ昔の人引かずやありけむ 類從本定家所傳本には第四句「人」とあり。


類從本には「霞をよめる」とあり。
(一〇) おほかたに春の來ぬれば春霞四方よも山邊やまべに立ちみちにけり
(一一) 新勅撰 み冬つき春し來ぬれば靑柳の葛城かつらぎ山に霞たなびく 眞淵この歌に○を附して、「靑柳のかつらぎ山とよめるは、たゞ冠辭なるを、春の歌につゞけ給へるは、是も後のにならへたまへるか。さもあらずば、この歌はよし」と評せり。
(一二) おしなべて春は來にけりつくばのもとごとに霞たなびく


二首とも類從本にては「雜」の部にあり。
(一三) ふか草の谷の鶯春ごとにあはれむかしとをのみぞ鳴く
(一四) 草ふかき霞の谷にはぐくまる鶯のみやむかし戀ふら 類從本には第三句「春ごもる」定家所傳本には「はぐくる」とあり。
この二首につき、眞淵は、「此二くさはむかし思ふよしありてよみたまひけむ」と評せり。
花 間 鶯 類從本には、「花の間の鶯といふ事を」とあり。
(一五) 春くればまづ咲く宿の梅の花をなつかしみうぐひすぞ鳴く 眞淵この歌に○を附す。

雨 後 鶯
類從本には「雨後鶯といふ事を」とあり。
(一六) 春雨の露もまたひず梅が枝にうは毛しをれて鶯ぞなく 類從本定家所傳本には第二句「まだひ」とあり。
眞淵この歌を、「露もまたひずは後拾遺にもある言葉ながら、此公のにはふさはず」と評せり。

雪中若菜
類從本には「雪中の若菜といふ事を」とあり。
(一七) 若菜つむ衣手ころもでぬれて片岡のあしたの原にあわママ雪ぞふる 類從本には第四句「あしたの原」とあり。
眞淵この歌に○を附す。

屛風の繪に若菜つむ所
類從本には「若菜つむ處」とあり。
(一八) 春日野のとぶ火の野守のもり今日とてや昔かたみに若菜つむらむ 眞淵は「昔かたみの句わろし」と評せり。

屛風の繪に春日山に雪ふれるところ
類從本には、「……をよめる」とあり。
(一九) 松の葉のしろきを見れば春日山の芽もはるの雪ぞ降りける 眞淵は、「木の芽もはるの句此公の心に似ず、はじめの歌ならむ」と評せり。

殘  雪
この歌、類從本には「雜」の部にあり。定家所傳本[1]新勅撰集には第二句「花とか見む」とあり。
(二〇) 新勅撰 春きては花とか見えむおのづから朽木のそまに降れる白雪 眞淵はこの歌を「花とか見らんと有りしなるべし。見えんとては、この歌は冬の歌と見ゆ。萬葉にも見らんとはよみたり」と評し、且つ「朽木に花を用ひられしは、まだしきはじめの歌なり」といへり。

雨そぼふれる朝に勝長壽院の梅ところ咲きけるを見て花にむすびつけ侍りし

類從本には、「……咲たるを見て花にむすびつけし歌」とあり。
(二一) 古寺のくち木の梅も春雨にそぼちて花もほころびにけり 類從本には第四句「花」とあり、定家所傳本には第四句以下「花ほころびにけ」とあり。
眞淵は第二句を「是は用ひざまあしからず」と評せり。

梅の花をよめる
(二二) 梅が枝にこほれる霜やとけぬらむほしあへぬ露の花にこほれる 類從本定家所傳本には第五句「花にこぼるる」とあり。猶ほ第四句の「露の」は貞享本に「霜の」とあれど類從本定家所傳本によりてかく改む。
(二三) 春風はふけどふかねど梅の花さけるあたりはしるくぞありける 眞淵この歌に○を附す。
(二四) 梅の花さけるさかりを目のまへにすぐせる宿は春ぞすくなき
(二五) わが宿の八重の紅梅咲きにけり知るも知らぬもなべてとはなむ 眞淵この歌に○を附し、「紅梅を音にていはれしはよろしからねど、かはらぬ所に器量あり」と評せり。
(二六) 咲きしよりかねてぞをしき梅の花ちりのわかれはわが身とおもへば 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。眞淵は「ちりのわかれはの句、此心のちの樣なり」と評せり。
(二七) わが袖に香をだにのこせ梅の花あかで散りぬるわすれがたみに
(二八) さりともとおもひしほどに梅の花散りすぐるまで君來まさぬ
眞淵は「さりともは後なり」と評せり。
(二九) 鶯はいたくなわびそ梅の花ことしのみ散るならひならねば

故鄕梅花
(三〇) 年ふれ宿は荒れにけり梅のはな花はむかしの香に匂へども 初句、原本に「年ふれど」とあれど傍註及類從本によりてかく改む。
眞淵はこの歌を「一二句はよし。四句此公にふさはしからず」と評せり。
(三一) 故鄕にたれしのべとか梅の花むかしわすれぬ香に匂ふらむ 類從本には、第二句「たれしのとか」とあり。
(三二) 續拾遺 誰にかもむかしをとはむ故鄕の軒端の梅は春をこそ知れ 續拾遺集には第四句「梅」とあり。
眞淵はこの歌に○を附し、「中さだのうちにてはよし」と評せり。

梅花薰衣
(三三) 梅が枝はわが衣手ににほひぬ花よりすぐる春の初風 眞淵は、「花より過ぐるの句後なり」と評せり。

梅花風に匂ふといふ事を人々によませ侍りしついでに
類從本には「……人々讀せ侍りし次に」とあり。
(三四) 梅が香を夢の枕にさそひきてさむる待ちける春のはつ風 類從本には、下句「さむる侍け春の風」定家所傳本には「春の風」とあり。眞淵は「夢の枕、このつゞけ後なり」と評せり。
(三五) 新勅撰 このねぬる朝けの風にかをるなり軒端の梅の春のはつ花 類從本には、「春の哥」として、「一本及印本所載歌」の部にあり。眞淵この歌に○○を附し、「一二句は萬葉、末をいひながされたるが高きなり」と評せり。

梅花厭雨
(三六) わが宿の梅の花さけり春雨はいたくな降りそ散らまくもをし 類從本には、第二句を「梅はなさけり」と七音にせり。
眞淵この歌に○を附す。

屛風の繪に梅花に雪のふりかかるを
類從本には、「屛風に梅の木に雪降かかれる所」とあり。
(三七) 續後撰 梅の花色はそれともわかぬまで風にみだれて雪はふりつつ 眞淵この歌に○を附す。

梅の花さける所

類從本には、「梅の花さける處をよめる」とあり。
(三八) わが宿やどの梅のはつ花咲きにけり待つ鶯はなどか來なかぬ


類從本には、「柳をよめる」とあり。
(三九) 春くればなほ色まさる山城のときはの森の靑柳あをやぎのいと 眞淵はこの歌を、「なほの語は古へは皆までてふ意のみ、いよいよの意に用ひられたるは、のちのりにならはれたり。ときはのもりといへる、この心後なり」と評せり。
(四〇) 靑柳の絲もてぬける白露の玉こき散らす春の山風 眞淵は、「白露の玉こきちらすといへる、この樣のちなり。柳は山の木にあらず」と評せり。

雨 中 柳
類從本には、「一本及印本所載歌」の部にあり。
(四一) 續拾遺 靑柳の絲よりつたふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る 眞淵はこの歌を「中さだなり」と評せり。
(四二) 水たまる池のつつみのさし柳この春雨に萌えでにけり 眞淵この歌に○を附す。
(四三) あさみどり染めてかけたる靑柳の玉ぬく春雨ぞ降る 眞淵この歌に○を附す。

早  蕨

類從本には「春の哥」と題せり。
(四四) さわらびのもえいづる春になりぬれば野邊の霞もたなびきにけり 眞淵は「下の句後なり」と評せり。

花をよめる
(四五) 櫻花ちらまくをしうちひさす宮路みやぢの人ぞとのゐまとゐせりける 類從本定家所傳本には第二句「をし」結句「まとゐせりける」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
(四六) 新勅撰 櫻花ちらばをしけむ玉ぼこの道ゆきぶりに折りてかざさむ 眞淵この歌に○を附す。
(四七) みよしのの山したかげの櫻花咲きてたてと風に知らすな 類從本には「花をよめる」と題し、第四句「咲てたて」とあり。定家所傳本また同じ。

弓あそびせしに芳野山のかたをつくり山人の花見たる所をよめる
類從本に「つくり」とあり。
(四八) みよし野の山の山守り花を見てながながし日をあかずもあるかな 定家所傳本には第三句「花をよみ」とあり。
(四九) 續千載 み吉野の山に入りけむ山人となり見てしがな花にあくやと 眞淵この歌に○を附し、「二三は萬葉」と評せり。

屛風に吉野山かきたる所
(五〇) みよし野の山にこもりし山人や花をばやどのものに見るらむ 類從本定家所傳本には、結句「もの」とあり。

名 所 櫻
(五一) 音にきく吉野の櫻咲きにけり山のふもとにかかる白雲 眞淵は、この歌を「花を雲と見なせる事、さいつ人一人二人はさる事なり。此頃となりてはいかにぞや。まして是より後にもいふ人のつたなさよ。結句後なり。」と評せり。

遠 山 櫻

類從本には「遠き山の櫻」とあり。
(五二) 新後撰 かつらぎや高間たかまの櫻ながむればゆふゐる雲に春雨ぞふる風ぞふく 新後撰集には結句「春風ぞ吹く」とあり。眞淵は、「花を雲と見たる後の事にてまだし」と評せり。

雨 中 櫻
(五三) 雨降るとたち隱るれば山櫻花のしづくにそぼちぬるかな 眞淵は、「下の句後なり」と評せり。
(五四) 今日もまた花にくらしつ春雨の露のやどりをわれにかさなむ 眞淵は「四句後なり」と評せり。

山路夕花
(五五) みち遠み今日こえくれぬ山櫻花のやどりをわれにかさなむ 眞淵は「四句後なり」と評せり。

屛風繪に山家に花見る所
類從本には「山家に花見るところ」とあり。
(五六) ときと思ひて來しを山里に花見る見ると長居ながゐしぬべし 眞淵は「中さだの中にはいささかよし」と評せり。

同じ心を人々によませしついでに
類從本には「山家見花といふ事を人々數多つかうまつりし次に」とあり。
(五七) 櫻花咲き散る見れば山里にわれぞおほくの春はにける 眞淵は「是も」と評せり。前の歌と同斷の意なり。

尋  花

類從本には「花をたづぬといふ事を」とあり。
(五八) 花をみむとしも思はでこしわれぞふかき山路やまぢ日數ひかずへにける

屛風の繪に旅人あまた花の下にふせる所
(五九) 今しはと思ひし程に櫻花ちるのもとに日かず經ぬべし
(六〇) のもとにやどりはすべし櫻花ちらまくをしみ旅ならなくに 眞淵この歌に○を附す。
(六一) のもとにやどりをすれば片しきのわが衣手ころもでに花はちりつつ 眞淵この歌に○○を附す。
(六二) このもとの花のしたぶし夜ごろ經てわが衣手に月ぞ馴れぬる 眞淵は「三句五句後なり」と評せり。

故 鄕 花
(六三) 尋ねても誰にかとはむ故鄕の花もむかしのあるじならねば 眞淵は「下の句後なり」と評せり。
(六四) 里は荒れぬ志賀の花園そのかみのむかしの君や戀しかるらむ

關 路 花

類從本には「雜」の部にあり。
(六五) たづね見るかひはまことに相坂あふさか關路せきぢに匂ふ花にぞありける 定家所傳本には、第四句「路」とあり。
眞淵は「一二句後なり。尋ねて見るといはでは古意ならず。此類世に多し。次に行て見んと有るを行き見んといふ類なり」と評せり。
(六六) 名にしおはばいざ尋ねみむあふ坂の關路に匂ふ花ありやと 類從本には「雜」の部にあり。結句原本に「花」とあり。傍註及類從本によりてかく改む。
眞淵は「尋ねみん、後なり」といへり。
(六七) あふ坂の嵐の風に散る花をしばしとどむる關守せきもりぞなき 類從本には「雜」の部にあり。
(六八) 逢坂の關の關屋の板びさしまばらなればや花のもるらむ 類從本には「雜」の部にあり。

花 厭 風

類從本には「花風をいとふ」とあり。
(六九) 咲きにけりながらの山の櫻花風に知られでりもわきなむ過ぎけむ 類從本定家所傳本には、結句「春も過ぎなん」とあり。

花 恨 風
(七〇) 心うき風にもあるかな櫻花さくほどもなくりぬべらな 類從本には、結句「りぬべらなり」定家所傳本には「りぬべらな」とあり。

三月すゑつかた勝長壽院にまうでたりしにある僧山かげに隱れをるを見て花はと問ひしかばちりぬとなむ答へ侍りしを聞きて

類從本には「三月の末かた……聞きてよめる」とあり。
(七一) 行きて見むと思ひし程に散りにけりあなやの花や風たたぬまに 眞淵この歌に○を附す。
(七二) さくら花さくと見しまに散りにけり夢かうつつか春の山風 眞淵は「四句此公には似つかず」と評せり。

人のもとによみてつかはしける

類從本には「……遣はし侍りし」とあり。
(七三) 春くれど人もすさめぬ山櫻風のたよりに我のみぞとふ 類從本定家所傳本には、初句「はくれど」とあり。

屛風に山中の櫻のさきたる所
(七四) 山櫻ちらば散らなむ惜氣をしげなみよしや人見ず花の名だてに 原本第二句「ちらばらなむ」とあり。類從本によりてかく改む。
(七五) 瀧の上の三船みふねの山の山櫻風にうきてぞ花も散りける 眞淵は「地の名をはたらかせて作るなどいまだし。四の句後なり」と評せり。
(七六) 山風のさくらふきまく音すなりよし野の瀧の岩もとどろに 眞淵この歌に○○を附す。

湖邊落花
(七七) 山風のさくらかすみふきまき散る花のみだれて見ゆる志賀の浦波 類從本定家所傳本には第二句の「さくら」を「かすみ」とせり。

水邊落花
(七八) 山ざくら木々きぎの梢にみしものを岩間いはまの水にあわとなりぬる 類從本定家所傳本には、第四句「岩間の水」とあり。
(七九) 行く水に風のふきいるる櫻花ながれてきえぬあわかとぞ見る 定家所傳本には、第二句を「風ふきいるる」として「の」を省き、類從本定家所傳本には、結句を「あわかと」とせり。
(八〇) 櫻花ちりかひ霞む春の夜のおぼろ月夜の加茂の川風

春  風
類從本には「春風をよめる」とあり。
(八一) さくら花咲きてむなしく散りにけり吉野の山はよし春の風 類從本定家所傳本には結句「たゞ春の風」とあり。

名所落花
(八二) 櫻花うつろふ時はみ吉野よしの山下風やましたかぜに雪ぞ降りける

花 似 雪
類從本には「花雪に似たるといふ事を」とあり。
(八三) 風吹けば花は雪とぞちりまがふ吉野の山は春やなからむ 眞淵この歌に○を附す。
(八四) 春は來て雪は消えにしのもとに白くも花の散りつもるかな 定家所傳本には初句「春」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
(八五) 山ふかみ尋ねて來つる木の下に雪とみるまで花ぞ散りける 眞淵この歌に○を附す。

雨中夕花
(八六) 山ざくらあだに散りにし花のに夕べの雨の露殘れる。 類從本定家所傳本には、結句「露」とあり。眞淵は「結句後なり」と評せり。
(八七) 山ざくら今はの頃の花の枝にゆふべの雨の露ぞこぼるる 眞淵は「下の句この心似つかはしからず」と評せり。

故鄕惜花
類從本には「故鄕惜花心を」とあり。
(八八) 今年ことしさへはれで暮れぬ櫻花春もむなしき名にこそありけれありける 眞淵は「四句後なり」と評せり。
(八九) 散りぬればとふ人もな故鄕は花むかしのあるじなりけ 類從本定家所傳本には、第二句以下を「人もな故鄕は花むかしのあるじなりけ」とあり。
眞淵は「下の句後なり」と評せり。
(九〇) さざ波や志賀しがの都の花盛はなざかり風よりさきにはましものを 眞淵この歌に○を附す。

落花をよめる
(九一) 春ふかみ嵐の山のさくら花咲くと見しまに散りにけるかな 眞淵は「嵐を巧に用ひられしは後なり」と評せり。
(九二) 春くれば糸賀いとかの山のいとざくら風にみだれて花ぞ散りける 類從本には「散花」と題し、第三句「やま櫻」とあり。定家所傳本また同じ。
眞淵はこの歌を「是も同じ」と評せり。
(九三) 咲けばかつうつろふ山の櫻花はなのあたりに風な吹きそも 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(九四) 春ふかみ花散りかかる山のはふるき淸水にかはづ鳴くなり 類從本には第三四句「山の井のふりにし水に」定家所傳本には「山の井ふるき淸水に」とあり。
眞淵は「山の井はのは、此助辭大かたの人はいひ得じ」と評せり。
(九五) 道すがら散りかふ花を雪と見てやすらふ程にこの日くらしつ 類從本の「春」の部には結句「此の日くれつつ」とし、「一本及印本所載歌」の部には、「此日暮しつ」と重複にこの歌を出せり。

櫻をよめる
(九六) 櫻花さける山路やまぢや遠からむ過ぎがてにのみ春の暮れぬる 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵は「下の句まだし」と評せり。

春 山 月
(九 七) 風さわぐをちの外山とやまに雲晴れてさくらにくもる春の夜の月 類從本定家所傳本には、第三句のとあり。眞淵は「四の句後なり」と評せり。

春  月
(九 八) ながむれば衣手ころもでかすむ久方ひさかたの月の都の春の夜のそら

故鄕春月
類從本には「故鄕春月といふ事をよめる」とあり。
(九 九) 故鄕は見しごともあらず荒れにける影ぞ昔の春の夜の月 類從本には第三句「あれにけ」とあり。
(一〇〇) たれすみて誰ながむらむ故鄕の吉野の宮の春の夜の月
眞淵この歌に○を附す。

海邊春月
(一〇一) 住吉の松の木がくれ行く月のおぼろに霞む春の夜のそら 類從本には「雜」の部にあり。眞淵は「四五句ふさはしからず」と評せり。

海邊春望
(一〇二) 難波がたこぎいづる舟の目もはるに霞に消えてかへるかりがね 類從本には「雜」の部にあり。眞淵は「三句ふさはず」と評せり。

きさらぎの廿日あまりのほどにやありけむ北むきの緣にたち出でて夕暮の空を眺めひとりをるに雁の鳴くを聞きてよめる

眞淵は、この歌の詞書につき「北のすのこに立出でて夕べの空のあやしきにむかひをるにと有べし」といへり。
(一〇三) ながめつつ思ふもかなし歸る雁行くらむ方のゆふぐれのそら

屛風の繪に花散る所に雁のとぶを
類從本に「花ちれるところに雁のとぶを」とあり。
(一〇四) 雁がねの歸るつばさにかをるなり花をうらむる春の山風 眞淵は「四の句まだし」と評せり。

喚 子 鳥
(一〇五) あをによしならの山なる呼子鳥よぶこどりいたくな鳴きそ君もなくに 眞淵この歌に○を附す。

(一〇六) 高圓たかまどのをのへのきぎす朝な朝なつまにこひつつ鳴くかなしも
(一〇七) 玉葉 おのが妻こひわびにけり春の野にあさるきぎすの朝な朝な鳴く

菫  菜
(一〇八) あさぢ原行方ゆくへも知らぬ野べに出でて故鄕人ふるさとびとは菫つみけり

まと弓風流ふりうに大井川をつくりて松に藤のかゝれる所を

類從本の詞書には「まとゆみママふりうに大井川をつくりて松に藤のかゝるところ」(を缺)とあり。
(一〇九) 立ちかへり見てもわたらむ大井川かはべの松にかかる藤なみ 類從本定家所傳本には第二句「見て」とあり。
眞淵この歌に○を附す。

屛風の繪にたごの浦に旅人藤の花を折りたる所

類從本には「……旅人の藤の花をりたる所」(一字缺)とあり。
(一一〇) たごの浦の岸の藤なみ立ちかへりをらでは行かじ袖は濡るとも 初句、貞享本に「田子の浦」類從本に「田籠の浦」とあり。

池邊藤花

類從本には「池のほとりの藤の花」とあり。
(一一一) 續後撰 いとはやも暮れぬる春かわが宿の池の藤なみうつろはぬまに 眞淵この歌に○を附す。
(一一二) 故鄕の池の藤なみたれ植ゑてむかし忘れぬかたみなるらむ 眞淵は「四の句まだし」と評せり。

河邊款冬
(一一三) 山ぶきの花の雫に袖ぬれて昔おぼゆる玉川のさと 眞淵は「四の句まだし」と評せり。
(一一四) 山吹の花のさかりになりぬれば井手ゐでのわたりにゆかぬ日ぞなき

款冬よめる
(一一五)の歌につき、類從本には「山吹のちるを見て」とせり。猶ほ眞淵この歌に○を附し、「かけては、こゝよりかしこをかくるにも、かしこよりこゝをかくるにもいへり。山吹にかくいひては理りなし。思ふにこれは古今集に、梅が枝に來ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪はふりつつといふは、隔句の歌にて、鶯なけどもいまだ春かけて雪はふりつつと心得る歌なるを、其頃の人り侍りしなり。されどこの歌、しらべのすぐれたるはめづべし」と評せり。
(一一五) 新勅撰 玉もかる井手のしがらみ春かけて咲くや川せのやまぶきの花
(一一六) 續拾遺 玉藻かる井手の河風吹きにけり水泡みなわにうかぶ山吹の花
眞淵この歌に○を附す。

水底款冬といふ事を人々あまたつかうまつらせしついでに
(一一七) 聲たかみかはずなくなり井手の川岸の山吹いまは散るらむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵はこの歌の初句につき「聲たかみ、此みは聲高くしててふ意なるを此公思ひり給へり。下にもこのみをれる多し」と評せり。
(一一八) 立ちかへり見れどもあかず山吹の花散る岸の春の川なみ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。

款冬を折りてよめる
(一一九) いまいく春しなければ春雨ぬるともをらむ山ぶきの花 類從本定家所傳本には第三句「春雨」とあり。

款冬をよめる
類從本には「山吹を見てよめる」とあり。
(一二〇) わが宿の八重の山ぶき露をおもみうち拂ふ袖のそぼちかをりぬるかな 類從本には結句「かをりぬるかな」とあり。

雨のふれる日款冬をよめる
(一二一) 春雨の露のやどりを吹く風にこぼれてにほふやまぶきの花 眞淵は「二の句四の句後なり」と評せり。

款冬に風の吹くをみて
類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(一二二) わが心いかにせよとか山吹のうつろふ花のあらしたつみむらむ 類從本には結句「あらし立らん定家所傳本には第四句「花」結句「たつらん」とあり。また佐佐木博士は「校註金槐和歌集」にて、「嵐らむ」と濁りて讀めり。
眞淵は「結句のあらしいかが」と評せり。

款冬の花を折らせて人のもとにつかはすとて

類從本には「山吹の花折て……」とあり。
(一二三) おのづからあはれともみよ春ふかみ散り殘る岸の山吹の花 定家所傳本には、第四句「散りる」とあり。
(一二四) 散り殘る岸の山吹春ふかみこのひと枝をあはれといはなむいはん 類從本には結句「あはれといはん」とあり。

春の暮をよめる
(一二五) 春ふかみあらしもいたく吹く宿やどは散り殘るべき花もなきかな
(一二六) 眺めこし花もむなしく散りはててはかなく春のくれにけるかな 眞淵はこの歌の初句につき「ながめこし、此語はこの頃の人思ひりしままなり」と評せり。
(一二七) いづかたに行き歸るらむ春霞立ちでて山の端にも見えなくなん 類從本には、第二句「行かるらん」定家所傳本には、第二句「行きかくるらむ」結句「見えなで」とあり。
(一二八) 行く春のかたみにと思ふにあまつ空有明ありあけの月は影もたけにき 類從本には、第二句「行春かたみとおもふ」結句「かげもたえけり」定家所傳本には、第二句「行く春のかたみと思ふ」結句「かげもたにき」とあり。

三 月 盡
(一二九) 朝ぎよめ格子かうしなあけそ行く春をわがねやのうちにしばしとどめむ この歌、類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(一三〇) 惜しむともこよひあけなば明日あすよりは花の袂をぬぎやかへさむ 類從本には結句「ぬぎかへん」定家所傳本には「ぬぎやかへむ」とあり。眞淵はこの歌の第四句につき、「遍照の花の袂とよみし如く、常の色有る衣をいふはよし。櫻色に染し袂といふ意にて花の袂といふは後世のなり。打まかせてつき草染をこそ色とはいへ」と評せり。

正月ふたつありし年の三月郭公のなくを聞きて

類從本には「……年三月に郭公の鳴を聞てよめる」とあり。
(一三一) きかざりきやよひの山の郭公春くははれる年にはありしかあるかと 類從本定家所傳本には結句「年はありしかど」とあり。眞淵は「かく樣に上へかへすいひなしは萬葉にはなし」と評せり。

屛風に春の景色を繪がきし所を夏見てよめる

この歌、類從本には「雜」の部にあり。原本には「屛風に春の景色を繪かき所を」類從本には「屛風に春の繪かきたる所を……」とあり。
(一三二) 見てのみぞおどろかれぬる烏羽玉ぬばたまの夢かと思ひし春の殘れる 眞淵はこの歌に○を附し「鳥羽玉と書く例なし。是は後人此語を心得りてのわざなり。萬葉に烏羽玉と書きしは黑玉のことなり」と評せり。


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  1. 底本“半角アキ”。