↑前年 莊公九年(紀元前685年) 翌年↓ < 巻の三 莊公 < 春秋左氏傳
【經】 九年、春、齊人、無知を殺す。公、齊の大夫と蔇に盟ふ。夏、公、齊を伐ちて、子糾を納る。齊の小白、齊に入る。秋七月丁酉、齊の襄公を葬る。八月庚申、及齊の師と乾時に戰ふ。我が師敗績す。九月、齊人、子糾を取へて之を殺す。冬、洙[1]を浚ふ。
【傳】 九年(周ノ莊王十二年)春、雍廩、無知を殺す。
公、齊の大夫と蔇[2]に盟ふは、齊に君なければなり。
夏、公、齊を伐ちて、子糾を納る。桓公[3]莒より先づ入る。秋、(魯ノ)師、齊の師と乾時[4]に戰ふ。我が師敗績す。公、戎路[5]を喪ひ、傳乘して歸る[6]。秦子・梁子[7]、公の旗を以て下道に辟く。是を以て皆止めらる[8]。
鮑叔牙、師を帥ゐて、來り言ひて曰く、『子糾は親なり。請ふ君之を討て。管仲[9]は讎なり、請ふ受けて甘心[10]せん』と。乃ち子糾を生竇[11]に殺す。召忽、之に死す。管仲、囚はれんと請ふ。鮑叔之を受け、堂阜[12]に及びて之を税く[13]。歸りて以て告げて曰く、『管夷吾は高傒よりも治なり[14]。相たらしめて可なり』と。公[15]之に從ふ。
- ↑ 洙は水の名。
- ↑ 魯の地。
- ↑ 桓公は即ち小白。
- ↑ 乾時は齊の地。
- ↑ 戎路は兵車。
- ↑ 驛傳に乘りて急ぎて逃げ歸る。
- ↑ 二子は魯君の從者。
- ↑ 齊師を誤らせ、魯君の身に代りて、獲られしなり。
- ↑ 管仲、桓公を射る、故に讐と曰ふ。
- ↑ 甘心とは思ふ存分に之を戮殺せんと欲するをいふ。
- ↑ 魯の地。
- ↑ 堂阜は魯の地。
- ↑ 縛を解く也。
- ↑ 高傒は齊の卿、高敬仲なり。管仲は高傒よりも治國の才に富めり。
- ↑ 公は齊の桓公小白。