↑前年 莊公元年(紀元前693年 翌年↓巻の三 莊公春秋左氏傳

訓読文

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莊公さうこう[1]

【經】 元年春王の正月。三月、夫人ふじんせいのがる。夏、單伯たんぱく[2]王姫わうき[3]を送る。秋、王姫のやかたそときづく。冬十月乙亥いつがい陳侯ちんこうりんしゆつ[4]。王、榮叔えいしゆくをしてきたりて桓公かんこうめいたまはしむ。王姫、齊にとつぐ。齊のへいうつす。

【傳】 元年(周ノ莊王四年)春、即位そくゐしようせざるは、文姜ぶんきやうでしがゆゑなり[5]
 三月、夫人[6]、齊に孫る。姜氏きやうしと稱せざるは、ちてしんさざる[7]なり。れいなり。
 秋、王姫の館を外に築く。外につくるは、禮なり[8]

  1. 莊公、名は同、桓公の子、母は文姜。[#註番号の整合のため重出]
  2. 單伯は天子の卿、單は采地、伯は爵なり。
  3. 周王の女。
  4. 陳の莊公し、弟宣公杵臼立つ。
  5. 文姜は莊公の母。公羊傳、穀梁傳には、弑せられたる君に繼ぐが故に即位と言はずと曰ふ。
  6. 夫人は文姜。
  7. 絶は義絶なり。姜は齊の姓なり。夫人と書して姜氏と稱せざるは、齊侯、桓公を弑したるによりて、孔子、此經に於て齊を絶ちて復た親とせざるによる
  8. 齊強く魯弱く、罪を彭生に委し、魯、齊を讎とする能はず、然も喪服未だ終らず。此時に當りて周の爲に王姫の婚に主となりしは、禮を失ひたるものなりが、館を城外に築きたることだけは、禮を得たるなり。