↑前年 桓公十五年(紀元前697年 翌年↓巻の二 桓公春秋左氏傳

訓読文

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【經】 十いう五年、春二月、天王てんわう家父かほをしてきたりてくるまもとめしむ。三月乙未いつび、天王ほう[1]。夏四月己巳きしせい僖公きこうはうむる。五月、鄭伯ていはくとつでゝさいはしる。鄭の世子せいしこつ、鄭に復歸ふくきす。許叔きよしゆく、許にる。公、齊侯にかいくわいす。邾人ちゆひと牟人ぼうひと葛人かつびと來朝らいてうす。秋九月、鄭公突、れきに入る。冬十有一月、公、宋公そうこう衞侯えいこう陳侯ちんこうに、に會して鄭をつ。

【傳】 十五年(周ノ桓王二十三年)春、天王、家父をして來りて車を求めしむるは、れいあらざるなり。諸侯しよこう車服しやふくこうせず[2]、天子はわたくしざいを(諸侯ニ)もとめざるなり。
 祭仲さいちうほしいまゝなり。鄭伯[3]、之をうれへ、其婿せい雍糾ようきう[4]をして之をころさしめんとす。將にこれをかう[5]きやうせんとす。雍姫ようき[6]之を知り、其はゝひて曰く、『ちゝをつといづれかしたしき』と。其母曰く、『ひとこと/”\く夫なり。父は一のみ。なんたぐけん』と。つひに祭仲にげて曰く、『雍氏、其しつ[7]てゝ、將にを郊に享せんとす。われ、之にまどへり。以て告ぐ』と。祭仲、雍糾を殺し、これを周氏しうしいけ[8]さらす。公・せて以て出でゝ曰く、『はかりごと婦人ふじんおよべり。むべなり其の死すること』と。夏、厲公れいこう・出でゝ蔡に奔る。六月乙亥いがい昭公せうこう[9]入る。
 許叔、許に入る。公、齊侯に艾に會するは、許をさだめんことをはかるなり。
 秋、鄭伯[10]櫟人れきびとつて、檀伯だんはく[11]を殺し、遂に櫟にる。
 冬、袲[12]に會するは、鄭を伐たんと謀り、將に厲公をれんとせしなり。あたはずしてかへる。

  1. 周桓王崩じ、子莊王佗立つ。
  2. 車服は、上の下に賜ふ所の物にして、下から上へ貢する所の物にあらず。
  3. 厲公。
  4. 祭仲の女婿。
  5. 郊は郊野。
  6. 祭仲の女にして、雍糾の妻。
  7. 其室は其家室。
  8. 鄭の大夫。汪は池なり。
  9. 昭公は忽なり。
  10. 逐ひ出されたる厲公突。
  11. 鄭の櫟を守る大夫。
  12. 宋の地。