日本女性美史 第四話

第四話

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上代女性の愛國心

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上代女性の雄々しさは、神功皇后の御事蹟によつてしのばれるであらう。しかも、更に武將、武人の妻のうちにも、雄々しい女性の姿を見ることが出來るのである。これは、上代女性が家庭の女として純愛、勤勞の美德、美風を備へてゐたのみでなく、國家意識を持ち、武士の妻たる氣槪に燃えてゐたことを現はす。
雄略天皇の朝、任那の國司吉備田狹臣(きびのたさおみ)は、日本に叛き、新羅と通じてゐた。時に、田狹臣の子、弟君は、詔によつて新羅を討ちに出かけ、百濟から兵を入れたが、途中で老女に道のりを尋ねると、敵のゐる所まで行くには一ヶ月もかかると敎へた。これは老女の噓である。弟君はそんなに遠くては兵糧もつづくまいと思つて兵をしばらく百濟にとどめてゐた。父の田狹臣はこれを聞いて、人を百濟につかはして、そのまま百濟にとどまり、日本に歸るな、父も任那にとどまつて日本に歸らないことにするから、と申し送つた。これは子に謀叛をすすめたのである。
弟君の妻、樟(くす)姬は祖國を愛するの念に燃えてゐる女丈夫であつた。君臣の大義を尊ぶまことの日本女性の一人であつた。日本書紀には姬をたゝえて、
「忠、白日に踰え
節、靑松に冠(す)ぎたり」
と記してある。
今、良人に叛心ありと知つては、大義のために私情を制せざるを得なかつた。卽ち、弟君を殺し、屍を室內に隱し埋めて國難を未然に救つた。これは非常に特異の場合に處してあやまらぬ日本女性の氣槪を示したものである。今日、このやうな良人のあることを考へることさへいまはしいことである。
次に大葉子(おほばこ)の話。
欽明天皇の朝、新羅の罪を問はせられんと、調伊企灘(つのいきな)と云ふ勇士を特派された。彼はもと百濟から歸化した者の子孫であつたが、忠烈の勇士として聞こえてゐた。時に、新羅は日本の保護してゐた任那を討ち、皇軍をも破つて副將河邊臣(かはべのおみ)以下をとりことした。その一人に調伊企灘(つのいきな)があり、また彼に從つて皇軍に參加してゐた妻の大葉子も一緖にとらへられた。敵將は調伊企灘に、「日本に尻を向けて、日本の將尻を食へ、と云ふなら、ゆるしてやる」と云つた。彼は命じられた通りに尻をまくつたが、ひらりと敵將に向けて「新羅王わが尻を食へ」と叫んだので忽ち殺された。妻の大葉子はこの時歌つた。
「からくにの城(き)のへに立ちて
大葉子はひれを振らすも
日本(やまと)に向きて」
これは大葉子の昂然たる氣槪を歌つたものである。この時大葉子は當然、捕はれの身であつたにちがひない。その運命に直面して、われは日本の女子なり、といふ精神、氣魄を「大和の向つて布(ひれ)を振る」と歌つたのだ。「ひれ」は古代貴婦人が飾裝として、頸から肩にかけた長い布である。大葉子の品位、雄々しさ、美くしさ、やさしさ、この一首の歌にしのばれて更に悲痛である。
 

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