← 春夏秋冬の詩(尚今居士)
跋 作者:久米幹文明治15年1882年
我國は昔より言靈(ことだま)のさきはふ國といひ傳へて長きみじかき歌に文に妙(たへ)なる人も代々に少からず然(さ)るを今の文明の御代にあたりて短歌に名ある人は彼是きこゆれど長歌をよみ文かく人のをさ〳〵きこえざるはいとあやしや海外の國々にては昔も今もうたといへば長きをむねとして軍陣(いくさ)にうたひ祭祀(まつり)にうたひ哀樂にうたひて此道に妙(たへ)なる人代々にたえずと云同し天地の間に生るゝ人はげにさもあるべき事(わざ)なりかしおのれ此比大學に入て大人たちの西洋の詩を我が言葉にうつせるを見て感慨に堪へずいかですたれたるを起してかゝる新代(あらたよ)の風(てふり)をうたひ出ばやさて此道に妙なる人の出來たらんには實にことだまの幸(さき)はふ國の手ぶりも著(しる)くはた海外の人も聞つたへてなどか彼の言葉にうつさゝらん然らは國の光ともなるへき事(わざ)ならずやかくいふものは水屋主人幹文
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。