新体詩抄/新体詩抄序 (巽軒居士)

新體詩抄序

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程子曰。古人之詩。如今之歌曲。雖閭里童雅ママ。皆習聞之。而知其說。故能興起。今雖老師宿儒。尙不能曉其義。况學者乎。是不得興於詩也。余讀此文慨然而歎曰。今之歌曲。如古人之詩。而今人不知之。賤今之歌曲。而尙古人之詩。嗚呼亦惑矣。何不取今之歌曲乎。後讀傳記。貝原益軒有謂曰。我邦只可以和歌言其志述其情。不要作拙詩以招詅癡符之誚。余又曰。誠如益軒氏所言也。我邦之 人。可學和歌。不可學詩。詩雖今人之詩。而比諸和歌。則爲難解矣。何不學和歌乎。後入大學。學泰西之詩。其短者雖似我短歌。而其長者至幾十卷。非我長歌之所能企及也。且夫泰西之詩。隨世而變。故今之詩。用今之語。用至ママ到精緻。使人翫讀不倦。於是乎久曰。古之和歌。不足取也。何不作新體之詩乎。既而又思。是大業也。非學和漢古今之詩歌。决不可能。乃復學和漢古今之詩歌。咀英嚼華。將以作新體詩。而未知其成與否也。屬者丶山仙士。與尙今居士陸續作新體詩以示余。余受而讀之。其文雖交俗語。而平平坦坦。易讀易解。乃歎曰。有是哉。雖閭里童稚。於習聞之。何難之有。且作此詩。以發舒情志。則不亦勝於作唐詩以招詅癡符之誚乎。乃與二君屡相往來。改格正調。所作不爲少。因撰其佳者。名曰新體詩抄。是爲第一編。世之作詩歌者。其或誚以爲鄙俗乎。雖然。自古新體詩之興。多出于偶然。而不必俟百方鍊磨之勞也。果然則此書雖鄙俗。安知其不爲新體詩之始哉。

明治十五年五月七日

巽軒居士井上哲次郞撰

 

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