新体詩抄/テニソン氏軽騎隊進撃の詩(丶山仙士)

左の詩一千八百五十四年英佛の両國土耳其を援けて魯西亞と兵端を聞き遂髙名クライミヤの戰爭となり此間數多の合戰此處彼處在りたる中最有名なるもの同年六月廿五日バラクラバの戰爭て英國の輕騎隊六百騎が目餘る敵の大軍中へ乘り込み古今無雙の手柄を顯はしたれど哉衆寡素より敵し難く其大概討死し或せられ無難歸陣したる者甚僅て有きと當時英國有名る詩人テニソン氏が其進擊の有樣を吟味ママしたる者して何國人限ら英語を解るもの此詩を暗誦せざるなしといふ

丶山仙士

テニソン氏輕騎隊進擊の詩

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其一
一里半なり一里半 並ひて進む一里半
死地乘り入る六百騎 掛れの令下
士卒たる身の身を以て 譯を糾
答を分ならず これ命これ從ひて
死ぬるの外あらざらん 死地乘り入る六百騎
其二
右を望め大筒ぞ 前も左りも又筒ぞ
打出砲聲 轟くいつちの
響の如く凄まじや 彈丸雨飛の間
猛り立てぞ進む 死地こそ入れ鰐の口
勇んで乘り入る六百騎
其三
拔け玉ちるやいばを ろ共振あげて
きらと輝けり 敵陣近く乘り掛けて
大砲方をで切り と目冷しき働きぞ
烟の中飛込みて 烈しく陣を破る
太刀の早業見ごとなり 敵の軍勢たぢ
さゝふる事 むらつとむらくづれ
馬の頭ぞ立直す 以前進みし六百騎
殘るいとゞわ
其四
右を望め大筒ぞ 左りも後又筒ぞ
打出す砲聲 轟くいつぢぞ
彈丸雨飛の其中 從横むじん切り靡く
死地より出てゝ乘り歸へ 鰐の口より脱れ出て
歸る元の一里半 六百人の其中で
殘るいとゞわづ
其五
あゝ勇ましきものゝふの 香しき其譽
手柄永く傳へなん 今のをさご生立ちて
とる年あまた重りて 梓の弓と
霜を戴きて 孫ひこやしやご多き時
六百人の豪傑が 敵の陳へと乘り入れる
そのふる事を語り 末代までも名朽ちじ
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原文:
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:
 

この著作物は、1900年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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