後光厳天皇願文

維應安三年歳次庚戌十一月戊子九日甲午、皇帝彌、石淸水 御坐 世留 八幡大菩薩 廣前 、恐 美毛 申賜 波久止 申、夫萬乘 天祚 禀神德 、百姓 日嗣 據人和 、而峻德不明 志天、正塗壅怠 、王制難理 之弖、諸國動 、陰陽五行之氣上 列宿失度 、上下三綱之紀下 之天 百姓不睦 、故 三郡 兵率 志久、大廟 蘋蘩 具󠄁 、不德之譴旁頭 、大休 思愈 、一日尙可恐 、況十九年之重任乎、小瑕尙可辱之、況千萬事之大過󠄁乎、仍脫屣之望󠄂雖送年 、儲君之器未定仁 、近󠄁日俯 就先皇之素意 、仰 憑幽冥之明鑒 、是則天縱 世留奈利、神此 須留奈利、爰吾宗廟神輿不圖 入洛 阿利、訴訟 由來朝議不闕 禮登毛、大儀 障礙宸襟無聊 、速󠄁 本宮 還󠄁坐 之天 朝禮 遂󠄂行 、凡厥大順 牟古登遠止毛、却 至孝 牟古止乎、存實 取名 所󠄁起 奈利、克己 復禮 所󠄁生 奈利、其理已 當然 止毛、此儀猶󠄁未備 、大事不再擧 先哲 美言 奈利、適󠄁達󠄁多年之望󠄂 將弛十禪之肩 、又雖避󠄁大位 、猶󠄁治善政 牟古登波 不垂哀恤 牟也、今懇棘之至、差一口之淨侶 、致七日之精祈 、然則速󠄁 遂󠄂讓國之大儀 、逾 創新民之壯業 、大神此狀 聞食 、必垂感應 、方成所󠄁願 倍止美毛 申、


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