凩よ!
凩よ!
などかくは
夜半を目覚めて
男ひとりを泣かしむるや。

わが殴られぬ。
わが踏みにじられぬ。
傷つきしこの身ひとつを
姙娠みおもの妻と別れて
とぼとぼと逃れ帰りぬ
――ふるさとの母のふところ

友も情けもみんな去りぬ。
ああ、まこと裏切りばかりの世の中よ!
この男、この拗ねものの
瞼のうらにのこるなり
――痩せて優しき妻のおもかげ。

(石下の蟬も鳴きひそまりて候。
土壁の蔦も枯れつくして候)
離り住みてあれば
あけくれの秋の便りもふかみたりき。

凩よ!
 凩よ!
いとせめて凩よ、われをいましばし眠らしめ
 よ。
われとても息あつきひとりの男なれば
やがてはしゃんと目覚めむもの――
傷つき破れては、かくも寂しき眠りの束の間
 を、
静かに
 静かに
凩よ、軒下にきてじっと息吹をひそませよ。
凩よ、跫音を忍ばせてそっとそっと遠ざかり
 ゆけよ。

〈昭和七年、愛誦〉