基督者の自由について/第三十節
これまで述べてきたことから、次の結論が生ずる、それは、基督者が、自分自身に生きないで、基督と隣人とに生きるといふことだ、彼が、信仰によって基督に生き、愛によって隣人に生きるといふことだ、信仰によって、基督者は、自らを超えて神のなかに入る、愛によって、再び、神から、自己の下に下る。それでも何時も神と神の愛のうちにとゞまるのである。基督が、ヨハネ第一章(五十一節)において、『天ひらけて人の子のうへに神の使たちの昇り下りするを汝ら見るべし』と言われたとほりだ。見よ、それが、眞の、靈的な、基督者の自由であって、凡ての罪や律法や掟より心を解放する自由だ。その自由は、天が地を超えるやうに、凡ての他の自由を超えてをる。神がわれゝゝをして此自由を正しく理解せしめ保たしめ給はんことを。アーメン。