坂本龍馬全集/阪本龍馬の未亡人/五回


(五)


 お良さんは、月に一二回、其頃横須賀の汐入町にあつた私の住居へやつて来た。不思議に私の父はお良さんを嫌つた。坂本の死後、同志の中には、出世をした人が尠くないのに誰一人お良さんや松兵衛さんを世話しようといふ者がなかつた。私の父がお良さんを嫌つたのも、お良さんの昔の生意気や、おしやべりや、蓮ツ葉な性格以外に、どこかお良さんには、人に嫌はれる天分があつたのかも知れない。
 お良さんが死んだのは明治三十九年一月十五日である、それもお良さんが、昭憲皇太后陛下の御夢に現はれたといふ記事が、当日の新聞紙を賑はせたから判つたので、このことがなければ、お良さんの死は、闇に葬られて居たのである。お良さんは、横須賀市外深田観念寺の裏長屋で、貧のドン底に落込んで死んだ。遺骸は神奈川県三浦郡浦賀町字大津(横須賀市外大津と言つた方がよく判る)の信楽寺に埋葬した。いみなは「昭龍院閑月珠光大姉」享年六十六歳で、現在の墓標は大正三年八月十六日、実妹中沢光枝が建立した。