高知県の漢学者、川田瑞穂による楢崎龍女史の坂本龍馬回想録(明治32年)
(二回)
◎其翌年(慶応二年)の正月十九日の晩長州へ行つて居た龍馬と新宮馬次郎と池内蔵太とマ一人私の知らぬ男とが一人の奴を連れて都合五人で寺田屋へ帰りました。奴は下座敷へ寝させて四人を二階へ上げると龍馬が私の知らぬ男を指し、此の方は長州の三吉慎蔵と云ふ仁だと紹介してくれましたから、私も挨拶して偖て其翌朝、龍馬が己等三人は今から薩摩屋敷(伏見)へ入るが、三吉丈は連れて行けぬからお前が預つて匿して置けと云ひますから、何故連れて行けぬと聞くと、薩摩と長州とは近頃漸つとの事で仲直りはしたが猶ほ互に疑ひ合つて居るから、三吉は内々で薩摩の様子を探りに来たのだと云ふ。ソンナラ私が預ります、が随分新撰組が往来する様ですから、万一三吉さんに怪我が有つたら如何しませう、私が死ねば宜いですかと云ふと、お前が死んでさへ呉れゝば長州へ申訳は立つと云ひますから、では確かに預りますと二階の秘密室(寺田屋にては浪人を隠す為め秘密室秘密梯子等を特に設けありし也)へ三吉さんを這入らせ、坂本から聞きますれば御大切の御身体ですから、随分御用心なさつて万一の時にはコヽから御逃げなさい、と後ろの椽の抜け道を教えて置きました。処が其翌二十一日龍馬らに従つて行つた奴が戻つて来ましたので何処へ行くと聞くと、お暇を貰つて大阪へ下ると云ひますからコイツ変な奴だと思ひまして、無理に座敷へ上らせ酒を呑ませて酔つた時分に、根掘り葉掘り問ひますと、未だ私を阪本の家内とは知りませぬから酔ひ紛れに饒舌つて仕舞つたのです。アノ三人は土州の坂本等で此家に残つて居るのは長州の奴だなどとすつかり内幕を知つて居るから、ソラこそ変な奴だと頻りに酒を呑ませ其翌日も此奴を大阪へ下してはイケぬと思ひ、女郎を呼んで来たり御馳走を拵へたり、散々此奴をだまかして到頭二十三日まで酒を以て盛り潰しました。龍馬に知らせる便りは無し自分で一走り行くのは易いが少しでも此奴の側を離れると何時どう云ふ事が起るかも知れず、どうしたら宜からうと私は一人で心配で心配で堪らなかつたのです。すると其晩方誰れとも知れぬ者が籠に乗つて来たから私はヱヽ誰れでも構ふかといきなり籠の幕を引上けると……龍馬が一人坐つて居るのです。アラあなたですかと飛び立つ思ひで、サア早う上つて下さいと三吉さんの居間へ通すと、二人(千里駒には大里三吉坂本の三人とあれど誤りなり)は寝転んで話し始めたから、私は下へ来て見ると下婢などは台所で片付をして居り、お登勢は次の室で小供に添乳をし乍ら眠つて居る様子ですから、私は一寸と一杯と風呂に這入つて居りました。処がコツン〳〵と云ふ音が聞えるので変だと思つて居る間もなく風呂の外から私の肩先へ槍を突出しましたから、私は片手で槍を捕え、態と二階へ聞える様な大声で、女が風呂へ入つて居るに槍で突くなんか誰れだ、誰れだと云ふと、静にせい騒ぐと殺すぞと云ふから、お前さん等に殺される私ぢやないと庭へ飛下りて濡れ肌に袷を一枚引つかけ、帯をする間もないから跣足で駆け出すと、陣笠を被つて槍を持つた男が矢庭に私の胸倉を取て二階に客が有るに相違ない、名を云つてみよと云ひますから、薩摩の西郷小次郎さんと一人は今方来たので名は知らぬと出鱈目を云ひますと又、裏から二階へ上れるかと云ふから、表から御上りなさいと云へば、ウム能く教へたとか何とか云つて表へバタ〴〵と行きました。私は裏の秘密梯子から馳け上つて、捕り手が来ました、御油断はなりませぬと云ふと、よし心得たと三吉さんは起き上つて手早く袴をつけ槍を取つて身構へ、龍馬は小松(帯刀)さんが呉れた六連発の短銃を握つて待ち構へましたが敵の奴等は二階梯子の処まで来て、何やらガヤ〳〵云ふ斗り進んでは来ないのです。只だ一番先きの男が龕燈提灯を此方へ差向けて見詰て居るので、此方は一面明るくなつて無勢の様子がすつかり分るから、私は衣桁にあつた龍馬の羽織を行燈の片側へ被せ掛け、明るい方を向へむけ暗い方へ二人直立つて睨んで居ますと、敵は少しも得進まず枕を投げるやら火鉢を投げるやら一パイの灰神楽です。(龍馬伝には「上略乍ら一吏あり刀を提げ来りて曰く、嫌疑あり之を糺すと彼れ三吉と誰何して薩藩士の旅寓に無礼する勿れと叱す。中略、捕吏数人歴階し来りて曰く、肥後守よりの上意也神妙にいたし居れと、中略、龍馬大喝呼んで曰く吾は薩藩士也肥後守の命を受くるものにあらず。下略」とあれど事実此事なし、又千里駒にも誤れる節多し対照せられたし)三吉さんは槍で一々払つて居りましたが、此時龍馬は一発ズドンとやりましたが、外れて二発目が鳴ると同時に龕燈を持つた奴に中つて、のけぞる拍子に其龕燈をズーツと後へ引きました。其光りで下を見ると梯子段の下は一パイの捕手で槍の穂先は晃か〳〵と丸で篠薄です。三発やると初めに私を捕へた男が持つた槍をトンと落して斃れました。私は嬉しかつた……。もう斯うなつては恐くも何ともなく、足の踏場を自由にせねば二人が働けまいと思つたから、三枚の障子を二枚まで外づしかけると龍馬が、まごまごするな邪魔になる坐つて見て居れと云ひますから私はヘイと云つて龍馬の側へ蹲んで見て居りました。龍馬は又一発響かせて一人倒しましたが丸は五ツしか込て無かつたので後一発となつたのです。すると龍馬が、さア丸が尽きさうなぞと、独語て居りますから私は床の間へ走つて行つて、弾箱を持ち出して来たがなかなか込める暇が無いので、私はハア〳〵思つて居ると、四発目に中つた奴が皆んなへ倒れかゝつて五人六人一トなだれとなつて下へバタ〳〵転り落ちました、龍馬はハヽヽヽと笑つて卑怯な奴だ此方から押しかけて、斬つて斬つて斬り捲くらうかと云ふと三吉さんが、相手になるは無益、引くなら今が引き時だと云ふ。そんなら引かうと二人は後の椽から飛出しました。私もヤレ安心と庭へ降りよふと欄干へ手を掛けると鮮血がペツたり手へ附いたから、誰れかやられたなと思ひ庭にあつた下駄を一足持つて逃げたのです。(千里駒には「上略当夜お良は所夫の身に怪我過ちのあらざるやうにと神に祈り仏に念じ独り心を痛めしが、軈て龍馬は一方を切抜け逃去りしと新撰組の噂を聞き毫は安心したけれども、今宵のうちに一眼逢ひて久後の事など問ひ置かんと、原来女丈夫の精悍しく提灯照し甲処乙所と尋ね廻りし、裏河岸伝ひ思ひがけなき材木の小蔭に鼾の聴ゆるは、不審の事と灯をさしつけよくよく見れば龍馬なるにぞ、お良は喜び、下略」とあれど是亦相違にして、咄嗟に起りし騒動なれば迚も斯く優々たる道行を演ずる遑あらざりしなり)豊後橋迄走り着き振り回へると町は一パイの高張提灯です。まアこんなに仰山捕手が来たのかと人の居る処は下駄を穿いてソロ〳〵と知らぬ顔であるき、人の見えぬ処は下駄を脱いで一生懸命に走りました。処がひよつこり竹田街道へ出ましたので、コレは駄目かと思つて又町へ引返し追々夜も更けたから、もう大丈夫と思つて居る矢先に、町の角で五六人の捕手にハタと行遭つて何者だと云ふから私はトボケた顔をして、今寺田屋の前を通ると浪人が斬つたとか突たとか大騒ぎ、私や恐くつて逃げて来たあなたも行つて御覧なさいと云ふと、ウム人違ひぢやつたと放しましたから、ヤレ嬉しやとは思つたが又追ツかけて来はせぬかと悟られぬ様に下駄をカラ〳〵と鳴らして、懐ろ手でソロ〳〵と行きました。早や夜明け方となつて東はほんのりと白んで、空を見ると二十三日の片はれ月が傾ひて、雲はヒラ〳〵と靉靆き、四面は茫乎して居るのです。私は月を見もつて行きました。丁度芝居の様ですねえ……。夫れから又一人の男に出逢つたから薩摩屋敷の方角を問ひますと私の風体を見上げ見下ろし、何うしに行くと云ひますからハツと思つたが、屋敷の隣の荒物屋の有つた事を思ひ出し、イエ屋敷の隣の荒物屋の主人が急病で行くのだが屋敷と聞けば分り安いからと誤魔化すと、そうかと云つて丁寧に教へて呉れましたので、漸つとの事で薩摩屋敷へ着き、大山(綱良)さんに逢つて、龍馬等は来ませんかと云ふとイヤまだ来ないが其の風体は全体どうしたものだと云ふ。私は気が気でなく龍馬が来ねば大変ですと引返さうとするを、まア事情を云つて見よと抱き留めるので、斯様々々と話しますと吃驚し、探しに行かうと云つてる処へ三吉さんがブル〳〵震へもつて来て、板屋の中で一夜明したが敵が路を塞で居つて二人一処には落られぬから私一人来ましたと云ふ、それを聞いて安心と早速大山吉井(玄蕃)の二人が小舟に薩摩の旗を樹てゝ、迎へに行つて呉れました。寒いから私と三吉さんとは火をたいて煖つて居る処へ三人が連れ立つて帰りましたから、私は嬉しくつて飛出して行くと龍馬が、お前は早や来て居るかと云ひますから、欄干に血が附て居したがあなたやられはしませぬかと問へば、ウムやられたと手を出す。寄て見ると左の拇指と人指し指とを創て居りました——。椽から飛出した時暗がりから不意に斫り付けたのを短銃で受止めたが切先きが余つて創ひたのです——。つゞまり人指し指は自由がきかなくなつて仕舞ひました。