善人達のよきこんしゑんしやの悦びの事 (新漢字)

善人達のよきこんしゑんしやの悦びの事


右すぴりつ◦さんちより与へ給ふ内心の悦びの上に◦今一ツ善人達の楽み給ふ事といふは◦よきこんしゑんしやの証拠しようこなり。是をわきまへよ。でうす の御恵みを以て万物を養ひ給ひ◦それの極めに至らせ給はん為に◦入程いるほどの事を与へ給ふ如く◦人間の上をも達し給はん為に◦いるべきほどの事をいかではからひ給はずといふ事あらんや。されば人の達するといふは◦あにまの精力の第一となる◦分別とおんたあでの二ツを達するにありと心得よ。分別には諸々もろもろの学問の下地となる智恵を与へ給ひ◦おんたあでには万の善の種をまき給へば◦善には親み◦悪をば嫌ふみづからの精徳を含むが故に◦善を以ては悦び悪を以ては悲しむ者也。此生付うまれつき精力せいりきの強き事をいはば◦たとひ其身のあしき癖をもて弱る事ありといふとも◦かつて其精力の滅ずるママ事なし。たとへば人の自由は◦悪趣に落て次第に其精弱くなるといへども◦全く滅する事なし。その証拠しようこは昔*じよぶとまうす善人◦様々の災難をうけ給ふ時◦従類じゆうるい眷属けんぞく在々所々にて敵より打亡ぼさるゝといへども◦それつげる一人の臣下はいつも残りたると見へたり。其如く悪人も今罪を犯す災ひ起り来り◦諸善を亡すといへども◦善悪をわきまふる智恵はうせずして◦失ひたるきちと浅間しくはてたる進退しんだいつげらする事◦いつも◦こんしゑしやママに残りとゞまる者也


如此かくのごとく◦でうす より眠る事なき起手おこして◦無言する事なき談義者◦草臥くたびれる事なき師匠を与へ給ふを以て◦深く善徳を御大切におぼしめさるゝはからひ◦めう内証ないせうしらせ給ふ者也。是をよくわきまへたる*ゑぴてとといふ学者のいはく◦親は◦子に悪を退き善に勧むる道を教へんが為に◦若年の時より師匠の手に渡すごとく◦でうす 人をさくなされしはじめより面々うまつきによしあしを覚ふる心の精徳を◦こんしゑんしやとかうして師匠と渡し給ふ事は◦常に悪を退け善を行へと心をおこし勧むべき為なりと。されこのこんしゑんしやは◦善人の為の守手まもりて◦師匠なるが如く◦悪人の為には心のせめ訴手うつたへてしやくの人となりて◦悦びの中に苦しみをまじゆる者也。されば悪人のこんしゑんしや心にくひつく事は◦荊棘けいきよくのさし苦しむるに異ならず。このいばらを知らんと思はゞ◦其謂そのいはあまあり。一ツにはとがおのづから不浄にして無道也。是を指て学者のいはく◦人のおもはくにもかかはらず◦でうす の御照覧なしといふとも◦科の不浄を知るにをひては◦一悪を犯すべからずと。二ツにはとがといふは人のあだなり。すなはちあだを求むる者也。三ツにはとがは悪名をのがれず◦生得◦人は他人に讃められん事を望み◦憎まるゝ事を嫌ふ者なれば◦とがの悪名たゝずして叶はざる事を知るが故に◦身に悲しみをいだかずといふ事なし。或学者のいはく◦万民に憎まるゝに勝りて余に苦しき事なしと。四ツには一命のぢやう◦最期の悲み◦其糺決きうけつと終りなきげんの恐れ◦皆以て悪人の心をさし苦しむるいばら也。かほど定めなき露の命の◦かならず死すべき事を思へば◦ゑけれじやすちこに見へたる如く◦其日はわがとがむくひをうけ◦諸悪邪悪の終りなりと知るが故に◦うれひをいだかずといふ事なし。悪人の習ひは◦たとひ少の苦悩を以てもかならず最期きたるべき事を思ひ◦心の騒ぎたえざるが故に◦一命を惜む苦しみはなはだしく◦はかなく空しき影に恐れてふるひをのゝく者也。或は国に疫癘えきれいをこりて万民死しはて◦又は雷電地震の難にあひても◦忽ち身の上かと恐るゝ者也。是皆あしきこんしゑんしやの証拠也。如此かくのごとく茂りたる荊棘ママ一ツに群りて◦悪人の心をさし苦しむる者也。是に付て*じよぶのきやうに見へたる如く◦あしきこんしゑんしやは常に心をくらひ◦訴ふる叫びの声やむことなし。又心易く居るといへども◦畢竟ひつきやう敵の謀略を恐るゝ者也。誠に悪人はいつもあんの様に見ゆるといへども◦終にしきこんしゑんしやの恐れたゆる事あるべからず。*じよぶのいはく◦闇より光へいづる事を難しと思ふなりと。此心は今住しけるあしきこんしゑんしやの闇よりいでて◦無事案堵に移り◦あにまは でうす の御光をうけ奉る清きこんしゑんしやに住すべき事難しと思ふ者也。ゆへを如何といふに◦悪人の心は常に白刃はくじんをふむが如く◦恐れを懐かずと云事いふことなし。死するとじゆいぞの恐れ心を動かし◦倍すとが糺決きうけつきびしかるべき事を思へば◦飲食をんじきひまも更に心のくつろぎといふ事なし。たとへば大将の陣頭を守る兵は前後左右を囲むごとく◦悪人は常に騒がしき心の恐れに囲まれずといふ事なし。是皆あしきこんしゑんしやに付て*じよぶの親みのいへることば也。或学者のいはく◦でうす の終りなきおきては◦常に悪人の心にせめかゝると。又ぽろぺるびよといふきやうの廿八に◦Fugit impius, nemine persequente; justus autem quasi leo confidens absque terrore erit. Proverb. 28 悪人は誰も追ざるに逃げ◦善人は獅子王の如く強く猛き者也と。*さんと◦あぐすちいによ是を注し給ひて◦如何に御主◦誠に是御身の御定め也。悪人の乱れたる心はそれすなはち身の苦しみ也とのたまふ也。見よ◦悪人はこんしゑんしやのみに限らず◦常の進退しんだい皆もて如此かくのごとし。万事にらつをみだしながら◦いかであんの思ひに住すべきぞ。手足筋骨のつがひたがふ時は◦其痛みもつともたへがたき者也。又だいそれすわり所を離るゝ時は◦如何いかばかりの騒がしき事をなすと思ふや。又色身の血気乱れて血の道たがふ時は◦如何ほどの病をか生ずると思ふや。生得人は道理をもととするがゆへに◦道理にしたがつて勤めず乱行不法なるにをひては◦いかでかなやみ乱るゝ事のなからんとは思ふぞ。誠なる哉◦たつとき*じよぶの金言 Quis restitit ei, & pacem habuit. Job. 9 でうす に背き奉りて◦たれあんおもひには住すべきぞと。*さん◦げれごうりよ是を注し給ひて◦でうす の大なる御どくを以て◦万物をさくなされし如く◦面々其身を巣立んが為に次第たゞしく定め給へば◦御作者のおきてを背きてそれぞれの次第なきにをひては◦ともに無事を失ふべき者也。でうす の定め給ふ掟にもれて◦いかでか無事を得んと思ふぞ。でうす にしたがひ奉るを以て◦万事案堵の思ひをなし◦又御法度にたがふ時は◦ことくつがへりてらつ正しからざるが故に◦真の無事を失ふ者也。是すなはち悪のあんじよと人の元祖の上に見へたり。わたくしの望みを本とし◦でうす を背き奉り◦御法度にしたがはざりしあんじよは◦天上の位をひるがへしていみじき無事を失ふ者也。人も又◦天の御掟を背かざる以前◦善の位に住して其身を無事にたもつといへども◦御掟を背きて後は◦忽ち心乱れ騒ぎて色身ともに戦ふ者也と。是皆*さん◦げれごうりよ注し玉ふ也。*さん◦とますも又◦是にひとしき道理を注し給ふ者也。しからば でうす の御憲法を以て◦現在より悪人に与へ給ふわざわひの一ツといふは◦右にあらはす心中のげん是也。*さんと◦あんほろじよののたまはく◦こんしゑんしやのきずに勝りて何事か苦しき事あらんや。たゞし此苦しみに替るにをひては◦或は失墜◦或は火事◦或は病◦又は如何なる痛みをもても厭ふべき事に非ずやと。*さん◦じどろのいはく◦あしきこんしゑんしやに勝りて苦しき事なし。故に汝常に悲しみを遁れんと思はゞ◦行跡を正しくせよとのたまふ也。又此道理真実なる証拠として◦ひいですの光をうけざるぜんちよの学者までも◦悪人の上にさだまりたる苦慮ありといふ事を知るが故に*せねかのいはく◦人目を凌ぎ悪名を厭ふ事は何事ぞ。只汝がこんしゑんしやよきにをひては◦世界をも証拠とせよ◦しきこんしゑんしやあるにをひては◦ひとりなりとも心騒ぎくるしむべし。汝善事を為すにをひては◦たとひ人は知らずといふとも◦汝はそれを知るが故に◦隠すに益なし。嗚呼あゝかほど明白なる証拠を蔑如べつじよにする汝は◦さても便びんなる者哉。其故はことわざいはく◦自己のこんしゑんしやは他の千人の証拠に同じと。又いはく◦第一罪の報ひといふすなはち罪を犯す事也。汝が罪の恐敷おそろしき証人といふは◦すなはち汝が身よりほかになし。他人をば皆逃る事叶ふべし。我身よりはのがる事更に叶ふべからず。其罪すなはち身の苦しみとなれば也と。又*つうりよの曰く◦善悪に付てこんしゑんしやは大強の者なるが故に◦犯さゞれば恐れなし◦犯せば恐れのたゆる事なしと。是常に悪人の凌ぐ苦しみの一ツ也。現世よりはじめて未来までうけ続くげん是なりと。いざいやすといふきやうに◦永劫えうがう退たい死する事なきむしといふは◦悪人のこんしゑんしや◦かみつき苦しむるとあるも是也


§一 善人の楽みとなるよきこんしゑんしやの悦びの事

然るに善人達は◦右にあらはすあしきこんしゑんしやの苦しみを遁れ給ひ◦すなはちすぴりつ◦さんとかのあにまにうへおき給ふ徳本の善のあじはひ試み給ふ者也。たとへば◦ぱらいぞ◦てれあるに定めおき給ふ花園は◦すぴりつ◦さんとの御もてあそびなさるゝ御園に等き也。是に付て*さんと◦あぐすちいによ◦ぜねじすといふきやうの注にのたまはく◦善人のよきこんしゑんしやの悦びはそれすなはちぱらいぞなりと。こゝを以て◦諸善備り給ふ善人達を指てゑけれじやとよび給ひ◦同じくがらさといさぎよき心の悦び充々みちみち給ふゑけれじやを指て◦ぱらいぞとよび給ふ事◦其道理ある儀也。又いはく◦来世にて真の甘味を尋る汝◦すなはち其を約束し給ふおんあるじおきてを保つにをひては◦現在にて何たる辛苦艱難のうちにありとも◦其甘味を見付べしと思へ。悪より生ずる子に勝りて◦善のの味ひある事をば◦時節をずして試み知るべし。又あしきこんしゑんしやを以て身の楽みを極むるよりも◦よきこんしゑんしやを以て辛労を凌ぐは◦猶真の甘味となる悦びのほどを◦試み知るべしと宣ふ也。故によきこんしゑんしやの悦び◦如何いかばかり深きぞといふ事をわきまへよ。たとへば蜜は生得甘きものなるが故に◦苦き物をも甘くなすごとく◦よきこんしゑんしやの悦びは◦現在の辛苦を甘くして悦びとへんずる者也。又悪は生得無道にして不浄なる物なれば◦悪人の苦しみとなるごとく◦善の美しく清きを以ては◦善人の悦びとなる者也。是をさしてさるも百十八に Im via testimoniorum tuorum delectatus sum, sicut in omnibus divitijs. Psal. 118 おんあるじの御掟は◦真実まさに廉直也。金玉よりもあたひ高く蜜よりもなほ甘しと。是おきてを保つをもてよろこびをと知らせ給はんが為に◦如何に御主◦おきての道は世界にあるほどの実にひとしく◦われよろこぶとのたまふ也。*ぱろへたの御子さらもんも是を述べ給ひて Gaudium jusuto est facere judicium. Prov. 21 善事を為す事は◦すなはち善人の悦び也と。されば此悦びの由来多しといへども◦分て善の美しくうづたかきよりをこる物なれば◦更に凡慮の及ばざる儀也。是を指て*さんと◦あんぼろじよ◦今生にて善人の果報はよきこんしゑんしやにきわまるなりと宣へり。是則◦我等は一命を無事に栄ふるほど◦善の美しさと光をもつ者也

さればぜんちよの学者さへ◦あしきこんしゑんしやに苦しみある事をわきまへ◦よきこんしゑんしやには悦びありといふ事を知るが故に◦つうりよのいはく◦よく生涯のひまたつとき勤めに使ふ人は大なるよろこびを得る也。それを行ひすますにをひては◦辛労の重荷を覚へず◦かへつて軽くなすといへり。*せねかのいはく◦知者は常に悦ぶ者也。是よきこんしゑんしやの水上よりいづる也と。右ぜんちよの学匠は◦後生の徳を楽まずといへども◦よきこんしゑんしやの悦びある事をば大に讃めあげけるに◦況や◦現当二世ともに大なる吉事と御返報を定めおき給ふ◦天の快楽をわきまへ奉るきりしたん◦いかでか是を益々楽まざらんや。又こゝに勘弁すべき事あり。たとひよきこんしゑんしやの証拠しようこありといふ共◦貴き恐れをかねずんば有べからず。此貴き恐れあるを以て◦正路しやうろなるたのしきを得るが故に◦弱き心をつよらして◦信力も堅固になる者也。此恐れなきあにまは◦真の道を失ひ◦偽りたる無事高慢のもとゐとなる也。故に◦善人達の楽み給ふよきこんしゑんしやの証拠しようこといふは◦善よりいづる徳儀の内の一ツなりと勘弁せよ。是をさして*さん◦ぱうろ Nam gloria nostra haec est, testimonium conscientiae nostrae. 2. Corint. 1 我等が楽しみといふは◦よきこんしゑんしやの証拠しようこなりと宣へり。此心は正直にしていさぎよく◦わが智恵を本とせず。行跡かうせきを正しくするにありと宣ふ儀也

しかるに此内心の悦びの大なる事は◦昔今の善人達の上に多く見へたり。如何程の難儀◦如何程の辛労をか凌ぎ給ひ◦苦痛逼迫のうちに在ませども◦其善心に立帰り給へば◦明らかなるこんしゑんしやの無事を見付◦忽ち悦びを懐き給ひ◦信力堅固の心をおこし給ふ者也。其故は只此一儀あるにをひては◦余は皆さもあらばあれ◦世界の損得ともに益なしとわきまへ給ふ故也。右こんしゑんしやの証拠しようこ明かなる事は◦現在にをひて知る事難しといへども◦曙日に先立て輝く時は四方朗になる如く◦こんしゑんしやのあきらかなる光を以てあにまをてらし◦現在より其悦びを生ずる者也。*さん◦きりぞすとも是をのべ給ひて◦よきこんしゑんしやは何たる悲み来るといふとも◦深き淵におつるほのこの如く◦やがてきゆると宣ふ也


脚注

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巻末附録「第三 欧語抄」より

○あぐすちによ〔さんと〕 Agostinho 人名
○あにま Anima 「たましひ」 霊魂
○あんじよ Anjo 「天人」 天神
○あんぼろじよ Ambrosio, S. 人名
○いざいやす Isaias 人名
○ゑけれじや Ecclesia 教会
○ゑけれじやすちこ Eclesiástico 集会書
○ゑぴてと Epitetto, Epictetus 人名
○おんたあで Vontade 「憎み愛するに傾く(あにまの)精」
○がらさ graça 聖寵
○きりしたん Christão 基督教人
○きりぞうすとも〔さん〕 Chrysostomo, S. 人名
○げれごうりよ ぱつぱ〔さん〕 Gregorio Papa S.
○こんしゑんしや Consciência 良心
○さらもん Salomon 人名
○さるも Salmo 聖詩
○じどろ〔さん〕 Jsidoro, S. 人名
○じよぶ Job, S. 人名
○じゆいぞ Juizo 「御糺明」審判
○すぴりつさんち、すぴりつさんと Spiritus Sanctus, Espiritu Santo, Espirito Santo 聖神
○せねか Seneca 人名
○ぜねじす Genesis 創世記
○ぜんちよ Gentio 異教徒
○つうりよ Cicero つうりよ
○とます Thomas, S. 人名
○ぱうろ Paolo, S. 
○ぱらいぞ Paraiso 天国
○ぱらいぞ てれある Paraiso Terral 「でうすあだんをおき給ひし悦び充満のところ」 地上楽園
○ぽろへた〔ぽろへいた〕 Propheta 予言者
○ひいです Fides 「でうすの御教をまことに信じ奉る善」
○ぽろへるびよ Proverbio 箴言

巻末附録「第四 聖書引用文句索引」より

155頁 11行以下 百 15章以下
156頁 3行以下 百 15章22節
157頁 1行以下 箴 28章1節
157頁 12行以下 百 9章4節
160頁 9行以下 賽 66章24節
162頁 9行以下 詩18章10,11節(19章9,10節)。拉丁文は次に入るべきなり
162頁 12行以下 詩118章14節(119章14節)
163頁 1行以下 箴21章15節
164頁 9行以下 哥後1章12節
この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。
原文:
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:
 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。