古事談/第六
東三条者、重明親王之旧宅也。親王夢に、日輪入㆓家中㆒と見給ひて、無㆓指事㆒過畢。為㆓大入道殿御領㆒之後、前一条院所㆘令㆓誕生㆒給㆖也云々。
東三条者、李部王家也。彼王夢に、東三条の南面に、金鳳来りて舞ひけり。仍李部王雖㆑被㆑存㆘可㆓即位㆒之由㆖、不㆓相叶㆒而大入道殿伝領之後、一条院乗㆓鳳輦㆒西廊の切間より令㆑出給云々。
有国は伴大納言後身也。伊豆国図伴大納言影、与㆓有国容貌㆒敢不㆑違云々。又善男臨終云、当生必今一度可㆓奉公㆒云々。
入道殿被㆑造㆓東三条㆒之時、有国奉㆓行之㆒。西の千貫の泉透廊、南へ長く差出したる中程、一間不㆑打㆓上長押㆒。殿下御㆓覧之㆒、など不㆑打㆓長押㆒哉、下も土にて弱きにと被㆑仰けれど、無㆑何申成して止畢。然る間上東門院立后之後、始入内給之時、此上長押あらば、不㆑有㆓其煩㆒之処、御輿安らかに令㆑出給之間、有国砌に候ひけるが、頗こわづくろひを申したりければ、殿下遣㆓御覧㆒たるに、指をさして上長押を見遣たりけり。いかにも可㆑有㆓此儀㆒と存じて、御輿の寸法を計りて、不㆑打㆓長押㆒云々。思慮深者也。
大入道殿姫君庚申夜、脇息に寄懸つて、令㆑死給畢。仍彼御一門には、女房之庚申永被㆑止云々。
宇治殿、京極殿を御車後に乗せて御行ありけるに、二条東洞院二町を築籠めて、大二条殿被㆓造作㆒候けるを御覧じて、京中の大路をも斯く籠め作るにやと令㆑申給ひけ【 NDLJP:94】れば、打任せては不㆑可㆑有事なれども、我等がせむをば、誰かは可㆑咎哉と仰せけり。仍高陽院をば、四町を築籠めて令㆑作給云々。
石田殿は泰憲民部卿、〈春宮亮泰通男〉近江任之時、選㆓勝地㆒所㆓構造㆒之別荘也。而宇治殿仰云、子息少僧在㆓園城寺㆒、可㆑然者坊舎一可㆓求出㆒云々。依㆑之以㆓石田之別業㆒、奉㆓覚円僧正㆒之後、為㆓園城寺平等院領㆒云々。
花山院者、貞保式部卿宮家也。貞信公伝領時、人号㆓東之宮㆒。主人住㆓給西町㆒〈小一条今宗形〉之故也。九条殿伝㆓領件家㆒之後、為㆓東宮御在所㆒。〈於㆓此処㆒有㆓立坊㆒〉以㆑是知㆓世俗之詞有_㆑徴云々。件所一名㆓東一条㆒云々。
京極大殿御時、摸㆓大内春日町㆒令㆑造給〈伊予守泰仲朝臣造㆑之〉之後、于㆑今不㆑焼之処也。寝殿上長押有㆓七星之節㆒云々。又吉平朝臣符之故云々。故左府兼之時修理之間、自㆓天井上㆒被㆔取㆓出種々厭物㆒、〈多分小社人形等也、〉被㆑見㆓吉平末葉等㆒之処、此物体等総申㆘不㆓習伝㆒之由㆖云々。仍如㆑本被㆓納置㆒云々。
平等院宝蔵に、水龍といふ笛は、唐土笛也。唐人渡㆓此朝㆒之時、於㆓海中㆒船欲㆑沈。舟人等奇㆑之、種々財物を令㆑入㆑海に、皆以不㆑沈。仍入㆓件笛㆒之時、即沈之。無為着岸之後、本主沙金千両を儲けて、龍王に相伝へんと誓ひて、欲㆑入㆓於海㆒之時、件笛を令㆓買取㆒給ひて、令㆑籠㆓宝蔵㆒給云々。
村上御時、朝忠卿祗㆓候御前㆒。舎弟朝成始昇殿候㆓小板敷㆒。主上御㆔覧自㆓小蔀㆒て、にくさげなりけり。聞㆓食吹㆑笛之由㆒、雲火を給ひたりければ、内裏も破れぬ計りに吹きたりけるに、貌も忽美麗云々。
伶人助元〈助種父〉依㆓府役懈怠事㆒、被㆔召㆓籠右近府下倉㆒。此下倉には、蛇𧑀なる〔集るイ〕ものをと怖畏の間、夜半計大蛇出来、其頭如㆓祇園師子頭㆒、其眼如㆓銀提㆒、其舌三尺計にて、大口をあきて己欲㆑成㆑害。助元心神如㆑無。雖㆑然わなゝく〳〵笛を抜出して、吹㆓還城楽破㆒。爰大蛇来り留りて、頸を高く持上げて、有㆓聞㆑笛之気色㆒。暫聞きて搔帰去畢云々。
堀川院御時、召㆓南都僧徒㆒、被㆑行㆓大般若御読経㆒けるに、明暹在㆓此中㆒。于㆑時主上御笛をあそばしけるが、様々に調子を替へて、令㆑吹給ひけるに、明暹毎㆓調子㆒声を違へず【 NDLJP:95】経を上げければ、主上奇み給ひて、此僧を召しければ、明暹跪候㆓庭上㆒。依㆑勅昇候㆓簀子㆒。笛や吹くと令㆑問給ければ、おろ〳〵吹き候と申すに、さればこそとて、御笛を給ひて被㆑吹に、万歳楽をえもいはず吹きたりければ、叡感ありて、其御笛を給ひけり。件笛般若丸と付けて、秘蔵して持ちたりけり。伝々して今在㆓八幡別当幸清之許㆒云々。
放鷹楽といふ楽をば、明暹已講只一人習伝へたりけり。白川院野行幸あさてといふ夜、山階寺三面僧坊にありけるが、今夜は戸なさしそ、尋人あらむものぞといひて侍りけるに、如㆑案有㆓来入之人㆒、問㆑之是秀也。放鷹楽習ひにかといひければ、然也と答ひ、房の内に入りて令㆑授㆑楽たり。
元正下㆓向八幡御領備中国吉阿保㆒、〈二条御神楽保、〉上洛之間、於㆓室泊㆒俄心神違例如㆑亡。片鬚如㆑雪変也。成㆓奇異之思㆒令㆓巫卜㆒之処、吉美津宮託宣給云々。適下㆓向当国㆒、依㆑不㆑聞㆓其曲㆒所㆑成㆑祟也云々。忽押帰参㆓詣彼宮㆒、吹㆓皇帝己下秘曲等㆒之間、白髪立尋常云々。
保延五年正月廿六日、六条大夫某参㆓入礼部禅門㆒語申云、八幡所司永秀、古時無㆓左右㆒笛吹也。正近同時者也。永秀常吹㆑笛、隣里悪㆑之、四隣無㆑人。如㆑此之間、避㆓人里㆒移㆓住男山南面㆒。件近辺不㆑生㆑草、依㆓笛声㆒歟。嫌多分笛不㆑吹、只以㆓寄竹笛一管㆒随身吹㆑之。件笛不慮伝㆓来故正清許㆒、正清不㆑伝㆓正近㆒、売㆓八幡別当光清㆒、光清進㆓白川院㆒畢。件永秀・正近共居㆓宿院水中門㆒。永秀吹㆓桃李花㆒、令㆑聞㆓正近㆒。正近密屈㆑指計㆓其拍子㆒、其屈㆑指透㆑自㆓狩衣㆒〈木賊色〉顕然。永秀畏㆑之云、雖㆑有㆘聞㆓笛声㆒者㆖、不㆑許㆓其拍子㆒、是非㆓直之人㆒云云。又正近或時吹㆓皇代㆒。永秀障子内聞㆑之、令㆑書㆓其譜㆒。後日勘㆑之、二拍子注落云云。又語云、大殿被㆔語㆓仰管絃間事共㆒、少々注㆓置之㆒、漸成㆓大巻㆒云々。故大殿令㆑引㆓琵琶㆒給、御師資近・故後二条殿同令㆑引㆓琵琶㆒給。〈御師経信卿。〉当時大殿御笛。〈御師、按察使中納言宗俊。〉
月夜吹㆑笛有㆘登㆓猪鼻㆒之者㆖。元正於㆓山井私宅㆒聞㆑之、不㆓聞知㆒之楽也。成㆑奇走㆓登大坂㆒、隠㆑藪見㆑之、青衣を被て帯劒之僧也。元正問云、何人乎。其時衣被を脱ぎて、法師ぞかしといふ。見㆑之山路権寺主永真也。元正重問云、所㆑被㆑吹何楽哉。永真答云、万歳楽を逆に吹く也。若し逆に吹けと申人もあらばとて、所㆓吹習㆒也云々。件永真、宮寺所司也。永秀若同人歟。此両事式賢所㆑語也。【 NDLJP:96】大納言宗俊、笙は時光の弟子也。大食調入調、今にとて不㆑授、送㆓年月㆒之間、或五月廿余日之頃、甚雨夜、時光来臨申云、今夜彼入調欲㆑奉㆑授云々。大納言喜悦之間、時光申云、此殿中にては、耳恥かしき者も侍らむ。いささせ給へとて、忽到㆓大極殿㆒、共には時光一人也。〈亜相乗車、時光簑笠を着歩行。〉已臨欲㆑授㆓秘曲㆒之時、時光が云、斯る所には、耳聞く者も侍るぞやとて、執㆓炬火㆒見廻之処、着㆓簑笠㆒之者一人居㆓柱隠㆒。誰人ぞと問之処、武吉也。笙上手云々。仍さればこそとて不㆑授帰畢云々。京極殿召㆓此武吉㆒被㆑吹㆑笙。其曲優美、仍被㆑尋㆓師匠㆒之処、依㆑不㆓分明㆒、被㆑仰云、猶可㆑為㆓時光之弟子㆒云々。依㆑之翌日到㆓時光之許㆒。時光調㆑笙弘庇にあり。武吉居㆓庭上㆒、自㆓懐中㆒取㆓出名符㆒、給㆓于時光㆒。時光驚、携㆑手引㆓昇堂上㆒、乍㆑悦問云、年来其曲をいとなみて互奉公、何忽如㆑此哉。武吉答云、年来も乍㆑存、自然罷過之間、昨日依㆓殿下仰㆒所㆓参入㆒也云々。時光興云、先何曲可㆑被㆑伝哉。武吉云、大食調入調所㆓大望㆒也。時光云、公里小童にて前に居りけるを、件曲彼童未㆑授也。授㆓畢彼童㆒之後、不㆑可㆑秘云々。其時武吉云、被㆑授㆓小児㆒事、非㆓只今事㆒歟。武吉已老爛、不㆑可㆑待㆓其時㆒とて、乞㆓返二字㆒退帰畢云々。仍件曲を懸㆑心令㆑伺之間、甚雨夜到㆓大極殿㆒云々。
博雅三位箏譜奥書云、案㆓万秋楽自序㆒、始て六の帖の畢まで、無㆑不㆓落涙㆒。予誓㆘世々生々在々所々以㆑箏生㆗弾㆓万秋楽㆒之身㆖歟。調子盤渉調殊に勝る、楽中万秋楽殊勝也云々。博雅者依㆑愛㆓此調子㆒再㆓此楽㆒。生㆓都卒外院㆒之由、見㆓経信卿伝㆒云々。
高野御室、御寵童共の師匠の料に、孝博を鳴滝に家作りて居給ひて、種々御いとほしみありて、常在には琵琶、参川には箏、各器量も相叶ひて、秘曲ども授けゝり。参川に千金調子授けてけりと、富家入道殿聞食して、孝博を召して、実にや千金調子、御室なる児に教へたんなると令㆑問給ふに、孝博申云、召して可㆓聞食㆒云々。依㆑之御室へ、箏よく弾く童の候なる、給ひて聞き候はゞやと令㆑申給ひたりければ、御室入㆑興給ひて、被㆑進㆓参川㆒けり。御前に召して、楽などあまた被㆑引て後に、千金調子を弾かせらるゝに、無㆓正体㆒僻事共也。童退出之後、又召㆓孝博㆒被㆑仰云、千金調子為㆓僻事㆒之由可㆑申也云々。孝博今暫可㆓令㆑助給㆒、忽まどひ候ひなむと申しけれど、僻事也。汝も吾も存生之時、不㆑令㆓謝顕㆒者、為㆓後代之狼藉㆒歟とて、ありのまゝに被㆑申㆓御室㆒之【 NDLJP:97】間、孝博不㆓日預㆒追却畢云々。
箏流
延喜聖主──貞信公──村上帝──済時卿──山城守為舜─┐
┌──────────────────────────┘
├─少倉供奉賢円─嵯峨供奉院禅孝博┬─季通朝臣┬─安芸
│ └─妙音院 └─善興寺
└─箏少将┬─大宮右府──宗俊卿┬─富家入道──妙音院
└─五節命婦 └─京極大相国──若御前尼
村上聖主、明月之夜於㆓清涼殿昼御座㆒、玄上を水牛角の撥にて引澄して、只一所御座しけるに、如㆑影之者自㆑空飛参りて、孫庇に居ければ、彼は何物ぞと令㆑問給ふの処、申云、大唐琵琶博士廉承武に候。只今此虚を罷通る事候ひつるが、御琵琶の撥音のいみじさに所㆓参入㆒也。恐くは昔貞敏に授貽す曲の侍るを、欲㆑奉㆑授云々。聖主有㆓叡感之気㆒、御琵琶を令㆓差置㆒給ひたりければ、かきならして、是は廉承武の琵琶に候。貞敏に二つ給ひ候内に候と申しけり。終夜御談話ありて、玄上石上曲をば奉㆑授云々。貞敏をば妙音院入道は、常に祖師守宮令と被㆑仰けり。玄上の事を、江中納言に人の問ひければ、不㆑知㆓慥説㆒。延喜頃、玄上宰相といひける琵琶引の琵琶やらんとぞ被㆑答ける。
貞敏渡㆑唐成㆓廉承武之聟㆒。一年之間究㆓習琵琶之曲㆒云々。帰朝之時、紫檀琵琶二面得㆑之云々。又以㆑金与㆓廉承武㆒云々。玄上者、件琵琶之其一也云々。
玄上撥面絵事、師時卿記云、打毬之唐人二騎歟。是左府仰也云々。
師時記云、保安元八廿、左大臣殿云、故二条殿孝通語次云、玄上絵様於㆓馬上㆒打毬者、指㆓毬於腰㆒舞形也。良道撥面様付体図㆑之。良道是紫藤琵琶也。留㆑世者即皮而見在㆑定、其体顕然歟。
妙音院入道、自㆓配所土佐国㆒帰洛之時、資賢卿参㆓向彼亭㆒面謁之次、何事共か候ひけんと被㆑申ければ、返事はなくて、韓康独往之栖といふ句を詠出し給ひたりければ、按察落涙退出云々。
【 NDLJP:98】京極殿御堂供養之式、宗俊卿作㆑之。黄鐘調子為㆑本云々。而経信卿云、いかにまれ如㆑此事者、以㆓壱越調㆒可㆑為㆑本也。母調子とて、往昔以来然也。
舞人助忠為㆓傍輩正道㆒〈一者〉被㆓殺害㆒〈祇園林〉畢。仍堀川天皇御歎息過㆑法之間、久我大相国被㆑奏云、何故強御歎候哉云々。被㆑仰云、神楽秘曲・胡飲酒・采桑老、此等三箇事亦無㆓相伝説之人㆒、已欲㆑絶。争不㆓歎思食㆒哉云々。重被㆑奏云、神楽は所㆑残なく令㆓伝説㆒御畢。子息等成長之時、選㆓器量㆒可㆓授給㆒之。采桑老は召㆓天王寺舞人㆒可㆑被㆑習。胡飲酒者某可㆑教候云々。依㆑之兄忠方被㆑教㆓胡飲酒㆒、弟近方給㆓神楽㆒、被㆑習㆓采桑老㆒云々。
堀川天皇令㆑習㆓神楽㆒給之時、天皇御㆓于倚子㆒、助忠候㆓小庭㆒、師時朝臣候㆓小板敷㆒、令㆔伝㆓申秘曲㆒時、於㆓荻戸方㆒令㆑奉云々。
承元四年三月日、鴨禰宜祐綱奏云、為㆓御祈祷㆒欲㆔勤㆓行臨時御神楽㆒、其次弓立宮人等、うたはせんと存候。仍可㆑執㆓御気色㆒也云々。上皇仰云、神楽事不㆔知㆓食仔細㆒可㆑示㆓合実教㆒云々。因㆑之左近大夫将監家綱、奉㆑勅問㆓彼卿㆒。被㆑申云、宮人者、荒涼不㆑唱之歌也。於㆓他之秘曲㆒者何事候哉。至㆓宮人㆒者可㆑有㆓御計㆒候歟云々。私語云、唱㆓宮人㆒事、実教覚悟二ヶ度也。一度者、二条院御宇、平治乱逆静謐之後、承暦元年四月、於㆓八条内裏㆒被㆑行、三ヶ夜御神楽之時、成方唱㆑之。今一度者、後白川院御薬危急之後、被㆑行㆓日吉臨時祭㆒之時、可㆑仕之由被㆓仰下㆒、好方再三辞申、有㆓所存㆒歟。然而被㆑仰㆘可㆓慥仕㆒之由㆖。愁唱㆑之。〈実教為㆓御使㆒。〉
承暦御楽召人
資賢朝臣 季兼朝臣拍子 忠親〔義イ〕朝臣琴 兼雅朝臣 実家朝臣 季信箏
近衛召人
忠節 成方 好方 近人 守忠 助種 兼文人長
天永三年三月石清水臨時祭、師時卿令㆓勤仕㆒之時、御神楽依㆑有㆑興、近方唱㆓宮人㆒之由、見㆓于彼卿記録㆒。然者雖㆑非㆓勅宣㆒、令㆑唱㆑之歟。但宮寺之外、定無㆓其例㆒歟。
仁平御賀之時、宇治左府息隆長列㆓舞人㆒、被㆑習㆓青海波㆒之間、知足院入道殿被㆔御㆓覧之㆒、未練とて師匠光行を被㆑舞。又御覧之後、只同体也。于㆑時被㆑仰云、光行之父者、八十【 NDLJP:99】有余之後、授㆓此曲㆒之由聞食すは、実にてありけり。老耄之間、無㆓四度㆒計授けたりけり。摸㆓寄波体㆒之時は、首を左に傾けて、忽に寄㆑之、摸㆓引波体㆒之時は、首を右に傾けて緩引㆑之也とて、召㆓光行㆒令㆑授㆓此秘事㆒給云々。
久我大相国被㆑授㆓胡飲酒於忠方㆒之時、授畢之由聞召して、天皇御覧之処、不㆑叶㆓叡慮㆒。仍召㆓相国㆒被㆑仰㆓其旨㆒。相国被㆑申云、授には能授候了。然而此曲は、頗しまひに舞ふ所の候を、天性無骨者候之間、幽玄の所を舞ひ候はぬなり云々。又被㆑仰云、彼へ不㆑舞所を見合せばや。仍被㆑遣㆑取㆓装束於里亭㆒間、退㆓直虚㆒解脱して高㆑枕臥、依㆔押㆓移時刻㆒、頻御使適到来之時、是はあらぬ面なりとて、又被㆑遣㆑取㆓他面㆒之間、已及㆓晩頭㆒、遅参過㆑法之間、有㆓逆鱗㆒と御使申しければ、猶乍㆑臥、胡飲酒は参上の程ある物なりと被㆑示て、愁に装束して被㆑舞けり。其曲神妙、天皇被㆑仰云、凡力不㆑及云々。
小野篁、遣唐使に渡ると聞きて、白楽天悦びて、構㆓望海楼㆒待ち給ひけるに、見えざりければ、太政官符露点雖㆑明、小野篁舟風帆未㆑見と被㆑書けり。
在衡大臣、才学雖㆑非㆓絶倫㆒、主上毎㆑有㆓勅問㆒、事明必申云々。是毎㆓参内㆒入㆑車之書一帙、於㆓途中㆒見㆑之、勅問事、必今日所㆑見之事也。仍主上深思㆓食才学由緒在之由㆒、総夙夜恪勤超㆑倫云々。甚雨烈風之日、左衛門陣告上云、縦雖㆓在衡㆒難㆑参日也云々。其詞未㆑終に、笠をさし深沓をはきて参りければ、見る人皆感じけり。在衡・維時同時蔵人。〈藤内記、江式部云々。〉
伊陟卿、村上御宇、近被㆓召仕㆒之間、主上被㆑仰云、故宮は、常に何事をかせられしと。伊陟申云、うさぎのかはごろもとかや申す物こそ、常被㆑翫候ひしかと被㆑申ければ、定被㆓伝得㆒歟、一見せばやと仰事ありければ、安く候事とて、後日書を一巻持参云々。主上は、裘などにやと被㆓思召㆒けるに、伝なりけり。披き御覧じければ、君暗臣詣無㆑所㆑愬とあるをも、文盲之間不㆑知㆑之取出云々。伊陟不覚在㆓此事㆒云々。
一条院御時、以言望㆓顕官㆒之時、有㆓勅許気㆒而御堂令㆑申給云、以言者、鹿馬可㆑迷二世情と作る者なり。争浴㆓朝恩㆒哉、仍不㆑許云々。
文時之弟子分㆓二座㆒て座列之時、文章座には保胤為㆓一座㆒。才学座には称文為㆓一座㆒。而只藤秀才最貞令㆓参上㆒被㆓諍論㆒云々。文時被㆑問㆓由緒㆒最貞云、切韻文字の本文、無【 NDLJP:100】㆑不㆑知㆑之云々。文時は又史書全経専堪之者也。仍尚以㆓称文㆒為㆓一座㆒云々。
時棟列㆓宇治殿蔵人所㆒之日、雅康為㆓右衛門権佐㆒、来りて問㆓文字㆒。時棟不㆑答。傍なる範国朝臣云、時棟課試及㆓第三ヶ度㆒也。今始問㆓文字㆒極白物也云々。
有国与㆓保胤㆒争㆓文道㆒、常不和云々。保胤をば、有国はあらめの主と号しけり。有国問㆓本文事㆒之時、不㆓覚悟㆒事をも、さる事あり〳〵といひて候。本文を問ひける時も、又さる事ありといひけり。仍あらめの主と号す云々。
保胤所㆑作庚申序云、庚申者、古人守㆑之今人守㆑之云々。有国奥書云、古の人守り、今の人守り、多くの人守るぞや云々。
維時中納言、始補㆓蔵人㆒之時、主上為㆑令㆑掘㆓前栽㆒、被㆑書㆓花名㆒。納言多以㆓仮名㆒書㆑之時嘲㆑之、維時聞㆑之云、若書㆓実字㆒者誰人読㆑之哉云々。後日主上召㆓維時㆒令㆑書㆓花目録㆒。御㆓覧之㆒、被㆑仰㆘可㆑用㆓漢字㆒之由㆖。維時忽書㆑之進㆑之。時人不㆑㆓知一草字㆒、競来問㆑之、維時云、如㆑此之故先日用㆓仮名字㆒、何被㆑嘲哉云々。
敦基朝臣参㆓法性寺殿㆒、褒㆓美子息等事㆒、其後有㆓聯句会㆒之時、茂明候㆓其座㆒。殿下思㆓食出先日事㆒被㆑仰云、愚息称㆓賢息㆒、心得て、とりも敢ず令㆑明与㆓茂明㆒と申しければ、頻御感ありけり。
近衛院御宇、摂政直房被㆑行㆓除目㆒之時、蔵人掃部助敦周取㆓申文目録㆒。殿下いかゞ取ると御尋ありければ、朝隆卿奉行職事にて申云、雖㆑為㆓未練者㆒、よくこそ取り候へ云云。于㆑時殿下被㆑仰云、申文今可㆓択受㆒、敦周無㆑程仔細更難㆑白と申しければ、申文に、仔細神妙なりとて御感ありけり。父茂明朝臣、うるせき由依㆓申置㆒、試とて被㆓仰懸㆒けり。
同頃東北院領、池田荘解を、朝隆卿執筆之時、執申状中云、非㆔啻軽㆓殿下之御威㆒、兼又成㆓梁上之奸濫㆒と書きたりけるを御覧じて、此解状者、非㆓田舎者之草㆒、可㆑然之学生儒者などの書きたるにこそ、尋ねよと被㆑仰ければ、召尋荘官等之処、暫は秘蔵不㆑令㆑申、殿下御定なりとて問ひければ、江外記康貞と申す者に、触㆑縁誂候とありけり。仍被㆑召㆓康貞於文殿㆒云々。
敦光朝臣愛㆑酒之間、不断置㆓酒於褻居棚㆒。或夜寝後子息弟成光放㆓本鳥㆒裸形取㆑之。爰【 NDLJP:101】兄長光連句を云懸く、其詞云、酒是正衣裳。成光無㆑程云、盗則乱㆓礼儀㆒云々。父朝臣空寝之間聞㆑之、不㆑堪㆓感情㆒落涙云々。
俊憲卿書㆓内宴序㆒〈西岳草嫩、馬嘶㆓周年之風㆒上林花穂、鳳馴㆓漢日之露㆒〉之時、持㆓来通憲入道之許㆒、令㆓見合㆒ければ、一見之後、刻限巳至、早清書といひければ、猶一両返読みなどして有㆓沈思之気㆒、起後入道云、こゝが法師にはまさりたるぞとて涕泣云々。件序、入道も書儲け懐中に持ちたりけれど、尚劣りたりければ不㆓取出㆒云々。
安芸守基明嬰子之時、正月戴㆑餅之間、少納言入道祝言、才学者如㆓祖父㆒、文章者如㆑父云々。
四条大納言参㆓六条宮㆒、被㆓論申㆒云、貫之歌仙也。宮仰云、不㆑可㆑及㆓人丸㆒云々。亜相被㆑申㆓不㆑可㆑然之由㆒。仍後日各秀歌十首被㆑合之時、八首人丸勝、一首持、一首貫之勝之云々。
延喜御時、相人相者参来、天皇御㆓于簾中㆒、奉㆑聞㆓御声㆒云、此人為㆓国主㆒歟、多上少下之声也。叶㆓国体㆒云々。天皇恥給不㆓出給㆒云々。次先坊〈保明太子〉・左大臣〈時平〉・右大臣〈菅家〉三人列座、依㆑勅令㆑相云、第一人〈先坊〉容貌過㆑国、第二〈時平〉賢慮過㆑国、第三〈菅家〉才能過㆑国、各不㆑叶㆓此国㆒、不㆑可㆑久歟云々。爰貞信公為㆓浅臈公卿㆒、遥離別候給。相者遮申云、彼候人才能心操形容旁叶㆓国定㆒、久㆓奉公㆒歟。寛平法皇聞㆓食此事㆒被㆑仰云、三人事不㆑見、及㆓於貞信公㆒、向後必可㆑善之由所㆑見也云々。因㆑之以㆓第一女王㆒、於㆓朱雀院西対㆒、有㆓嫁娶之儀㆒。于㆑時貞信公大弁参議云々。法皇同御㆓于東対㆒云々。又貞信公云、吾賢慮之条、雖㆑兄不㆑可㆑劣申。左大臣於㆓他事㆒者更不㆑可㆑及。今相者所㆑見尤所㆓為恥㆒也云々。
珍材朝臣従㆓美作㆒上道之路、寄㆓宿備後国上〈沼治イ〉郡㆒召㆓郡司女㆒、令㆑打㆑腰之間懐孕畢。其児至㆓七歳㆒之時、郡司相具前㆓立之㆒、参㆓珍材之許㆒、述㆓仔細㆒。珍材思㆓出件事㆒涕泣。
珍材者極相人也。仍見㆓此児㆒、可㆑至㆓二位中納言㆒の相ありといひて養育、果如㆓父相㆒云々。鰯の数をかぞへさせて、令㆑知㆓始物数㆒云々。件郡司死去之後、恒依㆓憐愍㆒敦舒家中給㆓曹子㆒養立云々。仍其家に資任等は尤親也。
一条院御時伴別当といふ相人ありけり。帥内大臣遠行をも、兼て相し申したりけり。件者物へ往きける道に、橘馬允頼経といふ武者、騎馬して、下人七八人計具し【 NDLJP:102】て逢ひたりけるを、此相人見て、往過後喚返云、是は某と申す相人に侍り、如㆑此事令㆑申は、有㆑憚事侍れど、又為㆓冥加㆒不㆑可㆑不㆑申。今夜中及㆓御命㆒可㆑令㆑慎。中㆑矢給御相令㆓顕現㆒給也。早令㆑帰給。可㆑被㆓祈謝㆒云々。爰頼経驚云、何様の祈祷をしてか、可㆑免㆓其難㆒哉。相者云、取㆓其身㆒難㆑去大事に令㆑思給ふ者を、不㆑論㆓妻子㆒殺しなんどしてぞ、若令㆑転給ふ事も可㆑侍云々。頼経忽打帰りて、路すがら案ずる様、大葦毛とて持ちたる馬こそ、妻子にも過ぎて惜き物なれ。それを殺さんと思しけり。帰るや遅きと褻居の前に、一疋別に立飼ひければ、かりまたをはげて馬に向つて弦引きたるに、蒭打食ひて立ちけるが、主を見て何心なく嘶きけるに、射㆓殺之㆒心地もせで、美麗なる妻の不㆑思気色にて、大なる皮古に寄懸りて、苧といふ物うみて居たる方へ、引きたる弓をひねりむけて射㆑之。中を射串して、皮古に射立畢。妻は矢に付きて死畢。而皮古の内より血流れ出で、皮古動きければ成㆑奇開見之処、法師の腰刀抜きて持ちたる尻に、矢を被㆓射立㆒て、死なんとて動くなりけり。頼経帰寝之後、殺させんとて、密夫の法師を、皮古内に隠し置きたりける也。件相人非㆓直之人㆒歟。
洞昭側見㆓俊賢卿㆒云、哀目やあれをもて相せさせばやと云々。件卿、さる者には見えぬ由とて、年来不㆑被㆑見云々。
西方院座主〈院源〉問㆓洞昭㆒云、弟子良因は、何月日可㆑補㆓阿闍梨㆒哉。答㆘全無㆓其相㆒之由㆖。座主笑ひていふ、御房の相に、此事こそをかしけれ。一々毛孔にも成りぬべき闍梨也、如何云々。洞昭出㆑房之後、対㆓他人㆒云、命あらばこそ、有職にも僧綱にもなれと云々。
而果如㆑所㆑言。即卒去畢。生年廿五云々。極抜萃之人也。
洞昭参㆓入道殿〈御堂〉御前㆒、乍㆑臥令㆑謁給。于㆑時宇治殿〈内大臣〉令㆑参給。暫ありて入㆓母上御方㆒給之後、洞昭申云、此君本自無㆑止御座而、重可㆑貴之御相已顕給云々。入道殿忽驚起給被㆑仰云、可㆑譲㆓摂籙㆒之由、只今心中所㆑案也云々。
江師者極相人也。清隆卿、因幡守之時、為㆓院御使㆒、到㆓江帥之許㆒、入㆓持仏堂㆒念誦之間也。仍御使を縁に居ゑて、隔㆓明障子㆒謁㆑之。清隆卿御使也。奇怪事哉と乍㆑思、数刻問答言畢。帰参之時、障子を細目にあけて、喚返して云、そこは官は正二位中納言、命は六十六ぞよと云々。果如㆑言。
【 NDLJP:103】六条右大臣殿は相人也。奉㆑相㆓白川院㆒曰、御寿命可㆘令㆑至㆓八十㆒給㆖。但頓死相難㆓遁給㆒歟云々。院令㆑及㆓暮年㆒給後、被㆑仰云、右府相相叶、已及㆓八十頓㆒死事、弥有㆓其憚㆒云云。
又大外記信俊、生年八歳之時、相㆓具兄囚獄正家俊㆒参㆓彼殿㆒。次に自㆓屛風之上㆒御㆓覧之㆒、又令㆑申㆓北方㆒給云、此童可㆑継㆓家業㆒者也。北方被㆑仰云、兄家俊容体太優、何不㆑継㆑家哉。大臣不㆑被㆑仰㆓左右㆒云々。
又令㆑参㆓故中宮㆒〈賢子〉給㆓退出㆒之時、令㆑申㆓北方㆒給云、いみじき態哉。心憂目を見むずるは。此宮今一両年の内の人也云々。北方被㆑仰云、まが〳〵しく、争如㆑此被㆑申哉。
全無㆓衰邁〔退イ〕気㆒御座するものを。大臣被㆑仰云、不㆑可㆑依㆓美麗㆒也。無㆓生気㆒なり給ひたるものを。不㆑可㆑過㆓今明年㆒人也云々。果然云々。
正家朝臣又相人也。息男右少弁〈左衛門権佐〉俊信を相云、為㆓弁靱負佐㆒、官位已至、然而無㆘ 可㆑着㆓正家服㆒之相㆖、口惜態哉云々。其言果不㆑違。又奉㆑相㆓白川院㆒、可㆑令㆑及㆓八旬㆒之由称㆑之。仍件日久我太政大臣無㆓執奏㆒云々。
平大納言時望参㆓敦実親王家㆒。雅信年少之時出㆑之、令㆓時望相_㆑之。時望相云、必至㆓従一位太政大臣㆒歟。下官子孫若有㆑触㆑事者、必可㆑有㆓許容㆒也とて、数刻感歎云々。時望卒去之後、一条左大臣感㆓彼知己之言㆒、惟仲肥後公文之間、殊被㆑施㆓芳心㆒云々。惟仲者是時望之孫、珍材之男也。平家者自㆓往昔㆒累代之相人也。
宗通卿子息両人〈兄伊通公、弟季通朝臣〉童稚之時、参㆓一条殿御許㆒、〈宗通卿母准后人也、〉忽被㆑居㆓折敷饌㆒、各食了退出之後、尼上云、此兄児者可㆑至㆓大臣㆒之人也。弟者凡卑也。不㆑可㆑至㆓卿相㆒也云々。果如㆓彼言㆒。
典薬頭紀国守、〈中納言長谷雄卿祖父、〉春宮御腹病之時、令㆑合㆓芒消黒丸㆒兼申云、此御薬服後、可㆘令㆓悩乱㆒給㆖。然而遂可㆑有㆓其験㆒云々。聞食之後令㆓悶絶㆒給。依㆑之被㆑下㆓国守身於帯刀陣㆒。
帯刀等抜㆑劒宮崩じ給はゞ、可㆔刺㆓殺国守之身㆒云々。次宮平安御腹病永愈云々。後日国守謂云、宮若御命終者、国守不㆑可㆑存歟とて、止㆓医道㆒畢。於㆓子孫㆒永不㆑伝㆓其道㆒云々。
入道殿建㆓立法成寺㆒之時、日々有㆓御出仕㆒頃、白犬を愛して令㆑飼給ひけり。御堂へ【 NDLJP:104】も毎日御供云々。或日令㆑入㆓寺門㆒給之時、件犬御供に候ひけるが、御前に進みて走廻りて吠えければ、暫令㆓立留㆒給ひて御覧じけるに、さしたる事もなかりければ、猶令㆓歩入㆒給。犬御直衣のらんを咬へ奉㆓引留㆒ければ、いかにも可㆑有㆑様とて、召㆑榻て令㆑懸㆑尻給ひて、忽召㆓遣晴明朝臣㆒、被㆑問㆓仔掘㆒之処、晴明眠沈思して申云、君を奉㆓咒咀㆒之者、埋㆓厭術於御路㆒、奉㆑超させらむと構へて待つ也。今君之御運、依㆓無㆑止御座㆒、御犬所㆓吠顕㆒也。犬者本自小神通之物也とて、差㆓其所㆒令㆑堀之間、土器二つを打合せて、黄色紙捻にて、十文字にからげたるを令㆓掘出㆒云々。晴明申云、此術者極秘事也。晴明之外、当世定無㆓知人㆒歟。但若道摩法師之所為歟。可㆑知㆓其人㆒とて、取㆓出懐紙㆒彫㆓鳥形㆒、唱㆑頌投揚之処、成㆓白鷺㆒指㆑南飛行、此鳥の以㆓落留之処㆒、厭術者の住所と可㆑知と申しければ、下部等守㆓白鳥㆒走行之間、落留㆓六条坊門万里小路川原院古師織戸内㆒。仍踏入捜拾之処、有㆓僧一人㆒、即捕取被㆑問㆓由緒㆒之間、道摩得㆓堀川左府之語㆒、施㆑術之由、已以白状。雖㆑然不㆑被㆑行㆓罪科㆒、被㆔追㆓遣本国㆒〈播磨〉畢。但永不㆑可㆑致㆓如㆑此咒咀㆒之由、被㆑書㆓誓状㆒云々。
施薬院領九条辺古所に、明道図のあるを、見る人必ず目を病むの由、雅忠朝臣申㆓置之㆒云々。
晴明者乍㆑俗那智千日之行人也。毎日一時滝に立ちて被㆑打けり。前生も無㆑止大峯之行人云々。花山院在位御時、令㆑病㆓頭風㆒給。有㆓雨気㆒之時は、殊発動為方を不㆓知給㆒、種々医療更無㆑験云々。爰晴明朝臣申云、前生は無㆑止行者にて御座しけり。於㆓大峯㆒某宿㆓入滅㆒。答、前生之行徳、雖㆑生㆓天子之身㆒、前生之髑体、巌介に落ちはさまりて候か。雨気には巌ふとる物にて、つめ候の間、今生如㆑此令㆑痛給也。仍於㆓御療治㆒者不㆑可㆑叶。御首を取出でて被㆑置㆓広所㆒者、定令㆓平愈㆒給歟とて、しか〴〵の谷底にと教へて、遣人被㆑見之処、申状無㆓相違㆒。被㆔取㆓出首㆒後、御頭風永平愈給云々。
亀甲御占には、春日南室町西角に御座する社をば、ふとのとの明神と申す。件社を此占の時は奉㆑念云々。
又伊豆国大島下人者、皆此占をするなり。堀川院御時、件島下人三人上洛、召して被㆑占之処、皆奉㆓仕此事㆒者也云々。
御堂早旦に、人々に、私に法興院馬場にて、公時に乗㆓競馬㆒給ひけるに、小野宮右府乗㆓古車㆒、於㆓馬場末㆒密見物。公時勝ちたりけるに、自車纏頭云々。神妙なる紅打衣を肩に懸けて、あげて参りたりければ、御堂、あれはいかにと令㆑驚給ふ間に、公時申云、右大将の馬場末にて見給ひ候也云々。
宇治殿若く座しける時、花形といふ揚馬を奉りけるを、兼時といひける御随身奉㆑見て、此御馬腹立ち候により、疾く下りさせおはしませと申しければ、下りさせ給ひて、他人を乗せて御覧じければ、御馬臥まろび、乗人を咬ひなどしければ、御堂召㆓兼時㆒纒頭云々。
法性寺殿御時、賀茂祭使
知足院殿御㆓座宇治㆒之時、武正陵轢、御所侍大略及㆓死門㆒之間、侍等参集訴㆓申之㆒。仍仲行を為㆓御使㆒、被㆔召㆓問仔細㆒。於㆓武正之処㆒申云、武正は少童之時、大殿召出御覧有㆓御感㆒、御沓の中三寸計を切捨て、尻首を閉合せ給ひて、はきて候ひしなりと云々。殿下いみじく申したりとて、賜㆑酒謝遣㆓侍等㆒、訴訟無㆓沙汰㆒云々。
相撲節以後、二条帥之許に、伊遠相㆓具男伊成㆒て参りたりければ、前に召して酒など勧むるの間、弘光といふ相撲又出来りければ、同じく召加へて酒のませて物語の間、弘光頗酒気入りて、多言になりて申云、近代之相撲者、勢などだに大になり候ひぬれ【 NDLJP:106】ば、無㆓左右㆒最手にも成り、脇にも立ち候也。昔は勝もせよ負もせよ、取昇進してこそ至り候へと云々。爰伊遠云、是は伊成が事を申す也。今度脇に立ち候にたり。
但きと試み候へかしと云々。于㆑時弘光左手を指出して手乞けるを、伊成は搔合せて畏りて居たりけるを、父伊遠只被㆑試候へかしと、度々いひければ、弘光が左手を、伊成以㆓右手㆒指をみじと取りたりけるを、引抜かむとしけれど、不㆑抜ければ、戯にしなすに、以㆓右手㆒腰刀の束に懸けて、抜かむとする体にしける時、伊遠さて放ち候へといひければ、放畢。其時弘光云、加様手合は、さのみぞ候。不㆑依㆓此事㆒候也。一差仕りて見候はんとて、起走りて隠所へ寄りて、肩脱ぎて括上げて、袖引違へて進み出で、ひら〳〵とねりて、是へ下り候へ〳〵といひけるを、伊成は、父に目を懸けて居たりけるを、伊遠、かく程に申候は。早罷下りて一差仕り候へといはれて、伊成も隠にて腰からみて寄合せて、弘光が手を取りて、前へ荒く引きたりければ、うつぶしに引臥してけり。弘光起上りて是は繆也。今度可㆑仕といひけるを、伊成猶伺㆓父之気色㆒、いとも進まざりけるを、只責寄りて試み候へとていひければ、進寄りて取㆓弘光之手㆒、後ざまへ荒く突きたりけるに、のけざまに顛倒して、頭を強く打ちてけり。起上りて、烏帽子の抜けたりけるを取りて推入れて、帥の前に膝をつきて、ほろ〳〵と落涙して、君の見参は今日計に候といひて退出して、やがて出家してけり。法皇聞㆓食此事㆒、最手脇などに昇進しぬれば、我等だにも輙不㆑決㆓勝負㆒事也。況私勝負の条、奇怪之事也とて、長実卿暫被㆑止㆓出仕㆒云々。父伊成を試みばやと思ひて、或時於㆓塗籠之中㆒取合ひけり。板敷の鳴る音おびたゞしくて、雷の落つるやうに、顛音しけれど、勝負は敢人不㆑知と云々。
仏師定朝之弟子覚助をば、義絶して家中へも入れざりけり。然而為㆑謁㆓於母㆒、定朝他行之隙などには、密々に来りけり。肇朝左近府陵王の面可㆓打進㆒之由、依㆑被㆓仰下㆒至心打出でて愛して、褻居の前なる柱に懸けて置きたりけるを、父他行の隙に覚助来りけるに、此面を取下げて見て、あな心う、此定にて被㆑進たらましかば、浅猿しからましとて、腰刀を抜き、むず〳〵と削り直して、如㆑本懸㆑柱退帰了。肇朝帰来見㆓此面㆒云、此白物来入りけりな。不孝之者、雖㆓他行之間㆒入居事、奇怪事也。此陵王面作【 NDLJP:107】直してけり。但かなしく被㆑直にけりとて、令免勘当云々。
延喜聖主召㆓基勢法師㆒、金御枕を御懸物にて、令㆑決㆓囲碁㆒給ふに、数無㆓御勝負㆒。或日基勢法帥奉㆑勝、賜㆓御枕㆒退出之間、以㆓蔵人㆒被㆓召返㆒之処申云、年来一堂建立宿願候。
思而渉㆑日之間、早賜㆓此懸物㆒、帰参して若被㆓打返㆒参らせもぞするとて、やがて退出、自㆓翌日㆒建㆓立一宇堂㆒。仁和寺北に、弥勒寺といふ堂は、此基勢之堂也。
同御時、令㆑好㆓囲碁㆒給ひけり。一条摂政蔵人之頭之頃、帯を懸物にて遊ばしけるに、奉㆑負て御数多くなりければ、詠㆓一首和歌㆒。
白浪のうちやかへすと思ふまに浜のまさごの数ぞ積れる
古事談第六大尾この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。