初版例言
一、即興詩人は璉馬の HANS CHRISTIAN ANDERSEN(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡〻變じ、文致の畫一なり難きを憾み、又筆を擱くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠しくして、縱に述作に耽ると謂ふ。寃も亦甚しきかな。
三、文中加特力教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪すること能はず。
四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎に予の著作を讀むことを嗜めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太だ加はらざらしむることを得たり。
明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて
譯者識す
第十三版題言
是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會〻歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。
大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて
譯者又識す
わが最初の境界
羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首を囘してわが穉かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲むすべを知らず。又我世の傳奇の全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段に苦めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧の寺の前にて遊びき。寺の扉には小き眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉き一人がいふやう。いかなれば耶蘇の穉子は一たびもこの群に來て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等はかはる/″\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち住まり、指組みあはせて宣ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に協ひたり。わが罪なきことは固よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく軟なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
彼尖帽宗の寺の僧にフラア・マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の燄の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方なる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるは小き馬鈴藷圃にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬の木一株立てりき。開け放ちたる廊には世を逝りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。
僧はそちは心猛き童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊より二三級低きところなりき。われは延かれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多の小龕に分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽を被せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓、花形の燭臺、そのほかの飾をば肩胛、脊椎などにて細工したり。人骨の浮彫あり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢りていふやう。われも早晩こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き眙たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき纔に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母の息ひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これを掩ひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。
この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共に棲めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の蹟を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。
母上は未亡人なりき。活計を立つるには、鍼仕事して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ價とあるのみなりき。われ等は屋根裏の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年少き畫工なりき。フエデリゴは心敏く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも/\遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば璉馬といへり。當時われは世の中にいろ/\の國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことを曉らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可笑しきものにおもひて、をり/\果をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上もをり/\かれは善き人なりと宣ひき。さるほどにわれはとある夕母上とフラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技藝家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異國人は地獄に墜ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちにはかの男の如く惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かの輩は貧き人に逢ふときは物取らせて吝むことなし。かの輩は債あるときは期を愆たず額をたがへずして拂ふなり。然のみならず、かの輩は吾邦人のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ此の如くなりき。
フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、強ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力教徒はこれと殊にて神の愛子なり、これを陷れむには惡魔はさま/″\の手立を用ゐざること能はず。惡魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなしと答へき。
母上はこれを聞きて復た言ふべきこともあらねば、便なき少年の上をおもひて大息つき給ひぬ。かたへ聞せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて燄に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき畫をかく人なるに。
わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポのをぢなりき。惡人ペツポといふも西班牙磴の王といふも皆その人の綽號なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御ましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬の乞兒の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき兩の足痿えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは健かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、詐ありげに面をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所の人の此世にありて求むるものをば、かの人筐の底に藏めて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲の乞兒ありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢許に當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵の小筒をさら/\と鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢を竊む奴なり。立派に廢人といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。
大祭日には、母につきてをぢがり祝にゆきぬ。その折には苞苴もてゆくことなるが、そはをぢが嗜めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひ畢りたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一間には窓といふものなく、また一間には壁の上の端に、破硝子を紙もて補ひたる小窓ありき。臥床の用をもなしたる大箱と、衣を藏むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を嚇さむとおもふときは、必ずをぢを案山子に使ひ給ひき。母上の宣たまひけるやう。かく惡劇せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も磴の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
向ひの家の壁には、小龕をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ/\の紐、珠、銀色したる心の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時英吉利人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢るを待ちて、長らしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の眸を垂れ給へと願ひき。
わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の遷るを知らざることしば/\なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居あり)と家々の棟とを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黒に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狹く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて鎖されたり。庭ごとに石にて甃みたる井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の尖にて窓硝子を淨め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に當りたる木々の枝には、汝が食ふべき果おほく熟すべしとのたまひき。
隧道、ちご
我家に宿りたる畫工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。畫を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り畢りたるとき、われ穉き物語して慰むるに、かれも今はわが國の詞を解して、面白がりたり。われは既に一たび畫工に隨ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜の俘囚を獅子、「イヱナ」獸なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞の裡なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火を、絶えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の、鏡の如く明にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らではかなはざるほどなる、いづれもわが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。
街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚)の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりは逈に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶に寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂の址を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に揷し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔り下げたる一束の秣を食ひつゝ、ひとり徐に歩みゆけり。やう/\女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐を食べ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間なる葡萄架を見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は潰えて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道なりしが、半はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
深きところには、軟なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ點し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過りぬ。こゝは始て基督教に歸依したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里に近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇基督神子救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。
われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま/″\の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻に俯して、地上のものを搜し索むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐りゐよ、と云ひしが、又眉を顰めて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如く冷になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよ/\騷ぎ出し、母を呼びてます/\泣きぬ。畫工はこの時我肩を掴みて、劇しくゆすり搖かし、靜にせずば打擲せむ、といひしが、急に手巾を引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、畫工は又地上をかいさぐりぬ。
さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜し索むる忙しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして歩を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲を撮み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を※〈[#「てへん+參」、10-下段-6]〉りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。
われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の※〈[#「金+表」、10-下段-13]〉を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや悉く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母のおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと勿れといひき。
フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の戲に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何なる故とも知らねど、女といふ女は側に來らるゝだに厭はしう覺えき。母上のところに來る婦人は、人の妻ともいはず、處女ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ做し、強ひて我に接吻せむとしたり。就中マリウチアといふ娘は、この戲にて我を泣かすること屡なりき。マリウチアは活溌なる少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡やかなる色の衣をよそひて、幅廣き白き麻布もて髮を卷けり。この少女フエデリゴが畫の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに來て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ諾はねば、この少女しば/\武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては猶穉兒なりけり、乳房啣ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ慌てゝ迯ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が揷したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、露れたる少女が肩をも掩はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、竊に此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。
夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき性なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸に乘りて、金色に裝ひたる僕あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。
母上のいかにフラア・マルチノと謀り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小き衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふる兒の着るものに同じかりき。母上はかく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗の寺にゆきてちごとなり、火伴の童達と共に、おほいなる弔香爐を提げて儀にあづかり、また贄卓の前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉く記え、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる、美しき聖ミケルを面前に見ることを得るやうになり、鋪床に刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見てはさま/″\の怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)
美小鬟、即興詩人
萬聖祭には衆人と倶に骨龕にありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆經を誦するに、我は火伴の童二人と共に、髑髏の贄卓の前に立ちて、提香爐を振り動したり。骨もて作りたる燭臺に、けふは火を點したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた集ひ來ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を愍み給へ、と唱へ出す加特力教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を屈めて拜したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦卷ける香の烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守り居たりしに、こはいかに、我身の周圍の物、皆獨樂の如くに𢌞り出しつ。物を見るに、すべて大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘百ばかりも、一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は氣を喪ひき。人あまた集ひて、鬱陶しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。
わが夢の裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神の業なりといひき。聖のみたまは面前を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童のそのひかり耀けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。
さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信れ來て、救世主の誕れ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な/\覺むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。
吾齡は甫めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には毯を被ひたり。われはよその子供の如く、諳じたるまゝの説教をなしき。聖母の心より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねなりき。我順番になりて、衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調清き樂に似たる聲音に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、あの女の子の贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子の怪しく濃き目の色、鴉青いろの髮、をさなくて又怜悧げなる顏、美しき紅葉のやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には妬ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。
鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇の枝の緑の葉を啄めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば/\此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會せざりき。
母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば/\ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭かぬ間に、かれ等は早く聽き倦みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や舍れる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。
母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエル(テヱエル河の右岸なる羅馬の市區)なる友だちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單の代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾をば幅廣き襞に摺みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。
とぶらひ畢りて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「チプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に畫きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、また然る類なりき。國を去りての後も、テヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子さへ、扁鼓手に把りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば聊注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾を蹇ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋の烟を風のまにまに吹き靡かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂の青枝もて編みたる籠に貨物を載せたるを飾りたるは、肉鬻ぐ男、果賣る女などなり。剥栗並べたる釜の下よりは、火燄立昇りたり。賈人の物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて、母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。
こゝに古き殿づくりあり。意なく投げ疊ねたらむやうに見ゆる、礎の間より、水流れ落ちて、月は恰も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯の像は、重き石衣を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭吹くトリイトンの神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛へたる大水盤あり。盤を繞れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。截り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫一枚、鞣革の袴一つなるが、その袴さへ、控鈕脱れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の絃、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又奏づること一節。農夫どもは掌打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙なり。童の歌ひけるやう。青き空を衾として、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、聖ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飮まむ。又世の中にあらむ限の、箭の手開かぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髮に揷す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり、嫁ぎたる女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を※〈[#「てへん+諂のつくり」、13-下-25]〉りて、さて母御の上をも、又その童の鬚生ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讚め給へば、農夫どもゝジヤコモが旨さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の中なる群を、寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り戲れき。その時畫工は、かの童を即興詩人とぞいひける。
フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即興の詩を作れ。そなたは固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の料になりしは、向ひなる枯肉鋪なりしこそ可笑しけれ。此家の貨物の排べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙卷きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、この幻の境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒、店の女房と價を爭ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、殘ることなく入りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街を踰えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの神曲とはかゝるものか、とぞ稱へける。
これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香爐を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人、轟く車の間に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、小き臥床の中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊なる世ありとぞ覺えし。北山おろし劇しうして、白雪街を籠め、廣こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限なかりき。憾むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には年ゆたかなる兆とて、羊の裘きたる農夫ども、手を拍ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に雨は、晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。
花祭
六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。)母上とも、マリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を履まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に、我眠の穩ならざりしも、理なるべし。
「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の邊なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物いかめしき閭門、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に、物寂しき墳墓のところ/″\に立てる、遠山の裾を罩めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏殘れり。こは辜なき人を脅したる報に、こゝに刑せられし強人の骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多の筧の數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに、倦みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。壞れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。
アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば徒にてぞゆく。木犀草(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き橄欖の林の間に見えたるをば、神の使が戲に据ゑかへたる聖ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索にて牽かれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其周につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に來て聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて翻筋斗す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾編むを助けむとのたまへば、甲斐なかりき。
幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。
料理屋に立ち入りて見るに賑しき物音我等を迎へたり。竈には火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人も田舍人も、それに倚りて、酒飮み、醃藏にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫跳り越えたり、鷄の群は、我等が脚にまつはれて、踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは快く我等を迎へき。險しき梯を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては、國王の宴に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに揷したるは、纔に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も否とも諾とも云ふ暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を撫り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖の隱るゝまで袖を引き、又頸を越すまで襟を揚げなどして、やう/\心を安じ給ひき。アンジエリカは我を佳き兒なりと讚めき。
食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋めきたり。細き欄をば、こゝに野生したる蘆薈の、太く堅き葉にて援けたり。これ自然の籬なり。看卸せば深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄架、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に印りたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、乍ち草木に遮られ、乍ち又一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は、我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫の如く、我心目に浮び出づることあり。
日は烈しかりき。湖の畔に降りゆきて、葡萄蔓纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、徐に頷くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナの祠の址あり。その破壞して形ばかりになりたる裡に、大なる無花果樹あり。蔦蘿は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。
”〈[#「”」は下付き]〉―Ah rossi, rossi flori,
Un mazzo di violi!
Un gelsomin d'amore―“
(あはれ、赤き、赤き花よ。
菫の束よ。
戀のしるしの素馨〔ジエルソミノ〕の花よ。)
この時あやしく咳枯れたる聲にて、歌ひつぐ人あり。
”〈[#「”」は下付き]〉―Per dar al mio bene!“
(摘みて取らせむその人に。)
忽ちフラスカアチの農家の婦人の裝したる媼ありて、我前に立ち現れぬ。その脊はあやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗のためにや。膚の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は眶を填めん程なり。この媼は初め微笑みつゝ我を見しが、俄に色を正して、我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目には福の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我唇におし當てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそといふ。此時アンジエリカ籬の後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチのフルヰア。そなたも明日の祭の料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニアのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞を續ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき誕れぬ。名も財も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、緇き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩焚きて神に仕ふべきか、棘の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ意ぞ、とは心得たりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末を解すること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人の前にて説くところは、げに格子の裏なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。福の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶訝しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給ふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福の車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓く習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥ありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を撃ちたるとき、飛沫は我等が面を濕しき。雲の上にて、鋭くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りて攫みたるなり。刃の如き爪は魚の脊を穿ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪はいよ/\激しく、湖水の面ゆらぐまに/\、幾重ともなき大なる環を畫き出せり。鳥の翼は忽ち斂まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。數分時の後、雙翼靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に、偏翼摧け折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は殘れる翼にて、二たび三たび水を敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は詞もあらで、此光景を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。
我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照は湖水に映じて纔にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は粉碾車の轢るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく/\怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅の器に入れ、藥草を雜へて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。
新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條の心に殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ旨きものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る/″\唱へ、末の句に至りて、坐客齊しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給ふやう。そちは香爐を提ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉の祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の廣き臥床に上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、頼ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は旭の光窓を照して、美しき花祭の我を喚び醒すまで、穩なる夢を結びぬ。
その旦先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて掩ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈の小縁とす。中央には黄なる花多く簇めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と聯ね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色の氈と見るべく、又彩石を組み合せたる牀と見るべし。されどポムペイにありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を掩ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母と穉き基督とを騎せたる驢あり、ジユウゼツペその口を取りたり。顏、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に翻りたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒龍と鬪へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣着裝ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより來し異國人なるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の頭の前に立てり。
日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃の前には、兒あまた提香爐を振り動かして歩めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰り出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を印したる紐のひら/\としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、彩りたる紐は、黒天鵝絨の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髮を編みて、銀の箭にて留め、薄き面紗の端を、やさしく髻の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房の露るゝやうに着たる衣に、襟の邊より、彩りたる巾を下げたり。アプルツチイよりも、大澤よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おの/\古風を存じたる打扮したれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所の國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美なる式の衣を着けて歩み來たるは、「カルヂナアレ」なり。さま/″\の宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に跟いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を按へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸聲に叫ぶを聞きつ。我等は彼方へおし遣られ、又此方へおし戻されき。こは一二頭の仗馬の物に怯ぢて駈け出したるなり。われは纔にこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布の水漲り落つる如くなりき。
あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチアは泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上地に横り居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘にて、仆れたる母上の上を過ぎ、轍は胸を碎きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。
人々は母上の目を瞑らせ、その掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺に舁き入れぬ。マリウチアは手に淺痍負ひたる我を伴ひて、さきの酒店に歸りぬ。きのふは此酒店にて、樂しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の腕を枕にして眠りしものを。當時わがいよ/\まことの孤になりしをば、まだ熟くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子、くだもの、玩具など與へて、なだめ賺し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥の事、怪しき媼の事、母上の夢の事など語り、誰も/\母上の死をば豫め知りたりと誇れり。
暴馬は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡四十の上を一つ二つ踰えたる貴人の驚怖のあまりに氣を喪はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの族にて、アルバノとフラスカアチとの間に、大なる別墅を搆へ、そこの苑にはめづらしき草花を植ゑて樂とせりとなり。世にはこの翁もあやしき藥草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる僕盾銀(スクヂイ)二十枚入りたる嚢を我に貽りぬ。
翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣のまゝにて、狹き木棺の裡に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々共音に泣きぬ。寺門には柩を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアは我を牽きて柩の旁に隨へり。斜日は蓋はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ𢌞りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古を捩りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の過りし街なり。木葉も草花も猶地上にあり。されど當時織り成したる華紋は、吾少時の福と倶に、きのふの祭の樂と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂の穹窿を塞ぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なる他の柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアは我を石上に跪かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(祷爲我等)を唱へしめき。
ジエンツアノを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの巓を繞れり。我がカムパニアの野を飛びゆく輕き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。幾もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。
蹇丐
羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては得易からぬ寶なれば、この兒を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この兒は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香爐を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此兒をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるに若かずといふ。マルチノ思ひ定めかねて、僧たちと謀らんとて去る折柄、ペツポのをぢは例の木履を手に穿きていざり來ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十を貽りしを聞き、母上の追悼よりは、かの金の發落のこゝろづかひのために、こゝには訪れ來ぬるなり。をぢは聲振り立てゝいふやう。この孤の族にて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其餘の人々とこゝの始末をば油斷なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる乞丐の益なきこと言はんより、疾く歸れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツポのをぢとは、跡に殘りてはしたなく言ひ罵り、いづれも多少の利慾を離れざる、きたなき爭をなしたり。マリウチアのいふやう。この兒をさほど欲しと思はゞ、直に連れて歸りても好し。若し肋二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形となし、往來の人の袖に縋らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノの來給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペツポ怒りて、頑なる女かな、この木履もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポヽロの通衢のやうなる穴を穿けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に隨ひ來よ。我を頼めよ。この負擔だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我を扯きて戸を出でたるに、こゝには襤褸着たる童ありて、一頭の驢を牽けり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の兩脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ體になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく騎りて來しなるべし。をぢは我をも驢背に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて驅け出させつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまに賺し慰めき。見よ吾兒。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の競馬にも似ずや。我家にゆき着かば、樂しき世を送らせん。神の使もえ享けぬやうなる饗應すべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言萬句、いつ果つべしとも覺えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢を策たしむること少ければ、道行く人々皆このあやしき凹騎に目を注けて、美しき兒なり、何處よりか盜み來し、と問ひぬ。をぢはその度ごとに我身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと/\道の曲りめごとに浚へ行くほどに、賣漿婆はをぢが長物語の酬に、檸檬水一杯を白にて與へ、をぢと我とに分ち飮ましめ、又別に臨みて我に核の落ち去りたる松子一つ得させつ。
まだをぢが栖にゆき着かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顏を掩うて泣き居たり。をぢは我を抱き卸して、例の大部屋の側なる狹き一間につれゆき、一隅に玉蜀黍の莢敷きたるを指し示し、あれこそ汝が臥床なれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑みたる、その面恐しきこと譬へんに物なし。マリウチアが持ちたる嚢には、猶銀幾ばくかある。馭者に與ふる錢をも、あの中よりや出しゝ。貴人の僕は、金もて來しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣聲になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に歸らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか歸られぬ事あらん。おとなしくそこに寐よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を截りて寐よ。この鐵壁をば吼る獅子も越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチアの腐女が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に中り、惡瘡を發するやうに呪へかし。おとなしく寐よ。小窓をば開けておくべし。涼風は夕餉の半といふ諺あり。蝙蝠をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寐せよ。斯く云ひ畢りて、をぢは戸を鎖ぢて去りぬ。
をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまた集へりと覺しく、さま/″\の聲して、戸の隙よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ/\と鳴らば、おそろしきをぢの又入來ることもやと、いと徐に起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。卓には麺包あり、莱菔あり。一瓶の酒を置いて、丐兒あまた杯のとりやりす。一人として畸形ならぬはなし。いつもの顏色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。晝はモンテ、ピンチヨオの草を褥とし、繃帶したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を搖すのみにて、傍に侍らせたる妻といふ女に、熱にて死に垂としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、高趺かきて面白げに饒舌り立てたり。(注。モンテ、ピンチヨオには公園あり。西班牙磴、法蘭西大學院よりポルタ、デル、ポヽロに至る。羅馬の市の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指墮ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエエレ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騷ぎ立ちぬ。あの小童物の用に立つべきか、身内に何の畸形なるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、創一つなく育たせしに、丈伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。幸なきことよ、と皆口々に笑ひぬ。瞽たるカテリナのいふやう。さりとて聖母の天上の飯を賜ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否〻母親だに迂闊ならずば、今日を待たず、善き金の蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き聲なり。法皇の伶人には恰好なる童なり。人々は我齡を算へ、我がために作さでかなはぬ事を商量したり。その何事なるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何してこゝをば逭れむ。われは穉心にあらん限りの智慧を絞り出しつ。固よりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。鋪板を這ひて窓の下にいたり、木片ありしを踏臺にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人行絶えたり。逭るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この挾き間の戸ざしに手を掛くる如き音したれば、覺えず窓縁をすべりおちて、石垣づたひに地に墜ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。
跳ね起きて、いづくを宛ともなく、狹く曲りたる巷を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を敲き、高聲にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。
露宿、わかれ
月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登る磴の上には、大外套被りて臥したる乞兒二三人あり。古の神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に印せり。われはこの夕まで、日暮れてこゝに來しことなかりき。鬼氣は少年の衣を襲へり。歩をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭に蹶きて倒れ、また起き上りて帝王堡の方を仰ぎ見つ。高き石がきは、纏はれたる蔦かづらのために、いよゝおそろし氣なり。青き空をかすめて、ところ/″\に立てるは、眞黒におほいなるいとすぎの木なり。毀れたる柱、碎けたる石の間には、放飼の驢あり、牛ありて草を食みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を窘めざる生物こそあれ。
月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我を索むるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在る「コリゼエオ」に匿れたり。われは猶きのふ落したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且冷なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響にひゞく足音おそろしければ、徐に歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを戍る兵土にや。はた盜にや。さおもへば打物の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは却歩して、高き圓柱の上に、木梢と蔦蘿とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往來す。處々に抽け出でたる截石の將に墜んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。
上の方なる中の廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて來ぬるなるべし。その一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顯れ忽ち隱るゝ光景今も見ゆらん心地す。
暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり、高低さまざまなる木は天鵝絨の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは闃として物音絶えたり。この遺址のうちには、耶蘇教徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語なり。猶太教奉ずる囚人が、羅馬の帝の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相搏たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。
そも/\この「コリゼエオ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス帝の時、この工事を起しつ。これに役せられたる猶太教徒の數一萬二千人とぞ聞えし。櫛形の迫持八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝には八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。
この場のあらん限は
内日刺す都もあらん
このにはのなからん時は
うちひさす都もあらじ
うちひさす都あらずば
あはれ/\この世間もあらじとぞおもふ
頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、椎を揮ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み疊ぬる石は見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタの神の巫女あり。帝王の座も設けられたり。赤條々なる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前を奔り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の屹として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復た人事をしらず。
人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
幾時をか眠りけん。歌の聲に醒むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭を把りて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫め)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノなりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを訝りて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポのをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼したる房に入り、檸檬樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノは我をペツポが許へは還さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば蹇へたる丐兒にわたされずとのたまふを聞きつ。
午のころ僧は莱菔、麪包、葡萄酒を取り來りて我に飮啖せしめ、さて容を正していふやう。便なき童よ。母だに世にあらば、この別はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を墮し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族といふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニアの野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポのをぢのより舊りたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿き、膝を露し、野の花を揷したる尖帽を戴けり。かれは跪きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓の神の使、美しきミケルはいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏にも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、繪入の小册子を贈りぬ。
既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。
曠野
羅馬城のめぐりなる大曠野は、今我すみかとなりぬ。古跡をたづね、美術を究めんと、初てテヱエル河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に歩をとゞめて、これを萬國史の一ひらと看做すなり。起てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に觸るゝもの、一つとして史册中の奇怪なる古文字にあらざるなし。畫工の來るや、古の水道のなごりなる、寂しき櫛形迫持を寫し、羊の群を牽ゐたる牧者を寫し、さてその前に枯れたる薊を寫すのみ。歸りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの/\其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この焦れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘に苦められたれば、唯だあしき方、忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に對して、いと面白くぞ覺えし。平原の一面たる山々の濃淡いろいろなる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これを溯る舟、岸邊を牽かるゝ軛負ひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕、隻脚は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我栖はこゝより遠からずとぞいふなる。
此家は古の墳墓の址なり。この類の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を戍るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪をば填め、いらぬ罅をば塞ぎ、上に草を葺けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。隘き戸口なるコリントスがたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は砦にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。翁にドメニカ、ドメニカと呼ばれて、荒𣑥の汗衫ひとつ着たる媼出でぬ。手足をばことごとく露して髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル(亞伯拉罕の子)なるぞ。されどわが饗應には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床はすでにこしらへ置きぬ。豆も烹えたるべし。ベネデツトオもそなたも食卓に就け。マリウチアはともに來ざりしか。尊き爺(法皇)を拜まざりしか。醃豚をば忘れざりしならん。眞鍮の鉤をも。新しき聖母の像をも。舊きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオよ。おん身ほど物覺好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狹き一間に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の廣間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を産み出ししは、此ひとつ家ならんか。
若き棕櫚は重を負ふこといよ/\大にして、長ずることいよ/\早しといふ。我空想も亦この狹き處にとぢ込められて、却りて大に發達せしならん。古の墳墓の常とて、此家には中央なる廣間あり。そのめぐりには、許多の小龕並びたり。又二重の幅闊き棚あり。處々色かはりたる石を甃みて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壺鉢などを藏し、一つをば廚となして豆を煮たり。
老夫婦は祈祷して卓に就けり。食畢りて媼は我を牽きて梯を登り、二階なる二龕にいたりぬ。是れわれ等三人の臥房なり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。臥床の側には、二條の木を交叉はせて、其間に布を張り、これにをさな子一人寐せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき色澤ある蜥蝪我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、絶てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの穉兒をおのが龕のかたへ遷しつ。壁に石一つ抽け落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒き蔦の葉の鳥なんどの如く風に搖らるゝも見ゆ。我は十字を切りて眠に就きぬ。亡き母上、聖母、刑せられたる盜人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。
翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと闇き小部屋に籠り居たり。わが帆木綿の上なる穉子をゆすぶる傍にて、媼は苧うみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬ聖の上を語り、またこの野邊に出づる劫盜の事を話せり。劫盜は旅人を覗ふのみにて、牧者の家抔へは來ることなしとぞ。食は葱、麺包などなり。皆旨し。されど一間にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとて、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと緩やかにながるめり。さて木を刻み葦を截りて作りたるは羅馬よりオスチア(テヱエル河口の港)にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇しきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乘りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に駕りて、神の使の童供に舁かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏も見ゆ。
雨の時過ぐれば、月を踰ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は戒めて遠く行かしめず、又テヱエルの河近く寄らしめず。この岸は土鬆ければ、踏むに從ひて頽るることありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛き獸にて、怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獸を見ることを好めり。蠎蛇の鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其咽に入るといふ類にやあらん。この獸の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獸の馬の如く走るさま、力を極めて相鬪ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところを沙に畫き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我聲のめでたきを稱へて止まず。
時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。瀦水は惡臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず。かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶記えたり。乞兒は人に小銅貨をねだり、麪包をば買はで氷水を飮めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く核黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへば唾湧きて堪へがたし。この野邊にては、日光ますぐに射下せり。我が立てる影さへ我脚下に沒せんばかりなり。水牛は或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く驅けめぐりたり。われは物語に聞ける亞弗利加沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。
大海の孤舟にあるが如き念をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に濟ませ、終日我も出でず人も來ざりき。烘く如き熱、腐りたる蒸氣の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は涸れたり。テヱエルの黄なる水は生温くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も温し。土石の底に藏したる葡萄酒も酸くして、半ば烹たる如し。我喉は一滴の冷露を嘗むること能はざりき。天には一纖雲なく、いつもおなじ碧色にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この變化なき生活に倦みて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覺ゆるときは、蠅蚋なんど群がり來りて人の肌を刺せり。水牛の背にも、昆蟲聚りて寸膚を止めねば、時々怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底に滾してこれを攘ひたり。羅馬の市にて、闃然たる午時の街を行く人は、綫の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと雖、これをこの火の海にたゞよひ、硫黄氣ある毒燄を呼吸し、幾萬とも知られぬ惡蟲に膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ樂土の客ならんかし。
九月になりて氣候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの燒原を畫かんとて來ぬ。我が住める怪しき家、劫盜の屍をさらしたる處、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を與へて畫の稽古せよと勸め、又折もあらば迎へに來て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせばやと契りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約を履まざりき。
水牛
十一月になりぬ。こゝに來しより最快き時節なり。爽なる風は山々よりおろし來ぬ。夕暮になれば、南の國ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは畫工のえうつさぬところなるべく、また敢て寫さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、樂土の苑囿に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又夕映の赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みづから涼を取るらんとおもひやりぬ。或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、鍼もて穿ちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカこれを見つけて、そは目を傷ふわざぞとて日の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請ひ、許をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の男遽だしく驅け入りて、門口に立ちたる我を撞きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる面を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一聲を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸を衝くものあり。裂け飛んだる板は我頭に觸れんとせり。その時戸口を塞ぎたるは、血ばしる眼を我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆく梯を二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見𢌞はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の備にとて、丸をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響と共に、烟は狹き家に滿ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、銃把を擧げて、水牛の額を撃つを見たり。獸は隘き戸口にはさまりて前にも後にもえ動かざりしなり。
こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この詞はドメニカが纔にわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否聖母の惠なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の面は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その語を聞くに外國人にあらず。その衣を見るに羅馬の貴人とおぼし。この人草木の花を愛づる癖あり。けふも採集に出でゝ、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ來しに、圖らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れて衝き來たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは、疑もなく聖母のおんしわざなり。この童は聖母の愛でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物讀むことには長けたれば、書きたるをも、印したるをも、え讀まずといふことなし。畫かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに寫せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムブロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。聲は類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人もこれには優らざるべし。そが上に性すなほなる兒なり。善き兒なり。子供には譽めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、譽められても好き子なりといふ。客。この子の穉きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる無花果の木には、かかる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとベネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは兎まれ角まれ、この獸をばいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの歸るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、咎めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの老女も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの族なり。媼。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を兩の掌の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に來よ。われはボルゲエゼの館に住めり。ドメニカは忝しとて涙を流しつ。
ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる反古あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬を撫で、小きサルワトル・ロオザ(名高き畫工)よと讚め稱へぬ。媼。まことに宣ふ如し。穉きものゝ業としては、珍しくは候はずや。それ/\の形明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を寫したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年長けたる僧にも劣らじと覺ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には疾く歌ひて聞せよ、と勸めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し量りつ。
歌ひ畢りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く來よ。さて我は最早退るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる虞なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも讓らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、籘の束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を匿すに便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の群と倶に見えずなりぬ。
みたち
牧者二三人の帮を得て、ベネデツトオは戸口なる水牛の屍を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも記えず。翌朝疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。數月の間行李の中に鎖されゐたる我晴衣はとり出されぬ。帽には美しき薔薇の花を揷したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは履ものなり。靴とはいへど羅馬の鞋に近く覺えられき。
カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロの廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅の口より吐ける水を掬びて、我涸れたる咽を潤しゝが、その味は人となりて後フアレルナ、チプリイの酒なんどを飮みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ポルタア、デル、ポヽロの關を入りて、ピアツツア、デル、ポヽロといふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル河とピンチヨオ山との間にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞護謨の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたる、セソストリス時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。即ちヰア、バブヰノ、イル、コルソオ、ヰア、リペツタなり。イル、コルソオの兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩伽藍なり。歐羅巴に都會多しと雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポヽロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤はん、髮や亂れん、とドメニカは氣遣ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの館に近づきぬ。我もドメニカも、此館の前をば幾度となく過りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目を駭かせるは、窓の裡なる長き絹の帷なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。
中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。聖と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ/\なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の𢌞廊のいと高きが、小き園を繞れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈、霸王樹なんど、廊の柱に攀ぢんとす。檸檬樹はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘の舞女の形したる像二つあり。力を併せて、金盤一つさし上げたるがその縁少しく欹だちて、水は肩に迸り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニアの瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、香しさ奈何ぞや。
闊き大理石の梯を登りぬ。龕あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間の奇しき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘の竈の神なり。男神二人に挑まれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たる僮出で迎へつ。その面持の優しさには、こゝの間ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫を貼したり。その間々には、玻瓈鏡を嵌め、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/″\の木の實を啄めるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。
暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、大なる敏き目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髮を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと宣ひぬ。主人。否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし。媼。げにこの兒あらずなりなば、我小家の戸も窓も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達は盜を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奧に入りぬ。
奧の座敷の美しさ、賓客の貴さに、我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の韈穿ける議官、紅の袴着たる僧官達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを訝りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き龍に騎りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。
貴婦人のこはをぢの命を救ひし兒ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。法皇の禁軍の號衣を着たる、少く美しき士官は我手を握りぬ。人々さま/″\の事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り來りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に從ひぬ。士官は我に報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人快く傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許なるに、その酒は火の如く燄の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか聯ねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐なりと稱へ、わが臆せざるを、心敏しと譽めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、愛でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは固より戲謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア、ドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又曠野の中なる古墳の栖家、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/″\の外、二瓶の葡萄酒をさへ購ひ得て、幸ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎々たる望月、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に泛びて、焦れたるカムパニアの野邊に涼をおくり降せり。
家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐の間斷えず耳目を往來せり。喜ばしきは折々我夢の現になりて、又ボルゲエゼの館に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる性を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに對する如く、これに對して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、主人の君に我上を譽め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、曩に料らずも我母上を、おのが車の轍にかけしことありと知りてより、愈〻深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏仆しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。
貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を率て宮のうちなる畫堂に入り給ひぬ。美しき畫幀に對して、我が穉き問、癡なる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆聲高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に滿ちたり。又畫工の來ていろ/\なる畫を寫し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、畫ときなどし給ふなり。
特に我心に愜ひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の圖なり。「アモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる畫の中に群れ遊べるさまこそ愛でたけれ。童一人大なる砥を運すあれば、一人はそれにて鏃を研ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に灌げり。夏の圖を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに實りたる果を摘みとり、又清き流を泳ぎて、水を弄びたり。秋は獵の興を寫せり。手に繼松取りたる童一人小車の裡に坐したるを、友なる童子二人牽き行くさまなり。愛はこの優しき獵夫に、共に憩ふべき處を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。
神の使の童をば、何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故箭を放てる。こは我が今少し詳に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の宣ふやう。そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。汝は終日榻に坐して、文を手より藉かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる鍪を戴き、長き劍を佩きて、法皇のみ車の傍を騎りゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、逈に面白き物語のあらん限を記えんとや思ふ。我。されど左樣なる人になりては、ドメニカが許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや。フランチエスカ。汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この交もいつか更ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落を心にかくるなれ。我涙は愈〻繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く諭されたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が餘りに心弱きを諫め、かくては世に立たんをり、いと便なかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビアニといふ士官と倶に一間に歩み入り給ひぬ。
ボルゲエゼの別墅に婚禮あり。世に罕なるべき儀式を見よ。この風説は或る夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの士官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニ家の莊園に遷らんとす。儀式あるべき處は羅馬附近の別墅なり。檞いとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と外國人と、恆に來り遊ぶ處なり。麗しく飾りたる馬車は、緑しげき檞の並木の道を走り、白き鵝鳥は、柳の影うつれる靜けき湖を泳ぎ、機泉は積み累ねたる巖の上に迸り落つ。道傍には、農家の少女ありて、鼓を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は、燿く眼にこの樣を見下して、車を驅れり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながら與らばやと、カムパニアを立出で、別墅の苑の外に來ぬ。燈の光は窓々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、彼處にて禮を卒へつるなり。家の内より、樂の聲響き來ぬ。苑の芝生に設けたる棧敷の邊より、烟火空に閃き、魚の形したる火は青天を翔りゆく。偶〻とある高窓の背後に、男女の影うつれり。あれこそ夫婦の君なれと、ドメニカ耳語きぬ。二人の影は相依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の御上安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、數知れず亂れ落るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼの主人の君は、「ジエスヰタ」派の學校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニアの野と牧者の媼とに別れて、我行末のために修行の門出せんとす。ドメニカは歸路に我にいふやう。我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、滑なる床、華やかなる氈をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき兒なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶果敢なき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火を煽ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑なる床には、一本の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、蹉き易しと聞く。アントニオよ。一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に搖られし籃の中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人に驕るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又籃を搖りたることを思ひ給ふならん。言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心は鍼もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に閾を出でしとき、媼走り入りて、薫に半ば黒みたる聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡〻接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。
學校、えせ詩人、露肆
フランチエスカの君は夫に隨ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の學校の生徒となりたり。わが日ごとの業もかはり、われに交る人の面も改まりて、定なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の變化のいと繁きに、歳月の遷りゆくことの早きことのみぞ驚かれし。當時こそ片々の畫圖となりて我目に觸れつれ、今に至りて首を囘せば、その片々は一幅の大畫圖となりて我前に横はれり。是れわが學校生活なり。旅人の高山の巓に登り得て、雲霧立ち籠めたる大地を看下すとき、その雲霧の散るに從ひて、忽ち隣れる山の尖あらはれ、忽ち日光に照されたる谿間の見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く擴ごりぬ。カムパニアの野を圍める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/″\に人を住はせ、そのところ/″\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いづれか我に興を與へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本國なる伊太利なりき。我も一個の羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の傍に棄てられて、今は界の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神聖なる記念なり、わがためには、めでたき音色に心を惱ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及なるヂオスポリスに立てり、日出日沒ごとに鳴るといひ傳ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に戰ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本國の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞譽にあづかりぬ。
凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌卓のめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎冠者のやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身に聚まる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲の的を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最可笑しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。元と亞拉伯の産なるが、穉き時より法皇の教の庭に遷されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院の審美上主權者となりぬ。
詩といふ神のめづらしき賜につきては、われ人となりて後、屡〻考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘、鑛鋳などのやうに、これを索め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫その外卑き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管に言ひ腐すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、埴もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。
ハツバス・ダアダアは當時一流の埴瓮つくりはじめて、これを氣象情致の逈に優れたる詩人に擲げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇むも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人觀場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの亞弗利加と題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行の涙、幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む媒をなしたりけん。
ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又現世の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加を著しつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。
我等は日ごとにペトラルカの深邃なる趣味といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚淺なる詩人は水彩畫師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテすら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂人間地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば聯ねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど若しその詞だにも拉甸ならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、獅の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女)となり、法皇王侯の嗔を懼れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て面り査列斯四世を刺りて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢て輙ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹も及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里の王は手づから濃紫の袍を取りて、彼が背に被せき。これに月桂の環をわたしたるは、羅馬の議官なりき。此の如き光榮は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。
ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの戀は、夙く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテが女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を淨め懷を崇うせしなり。アレツツオとピザとの戰ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。
ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、盡く諳んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を喚び起して、これを讀まんの願は、我心に溢れたり。されどダンテは禁斷の果なり。その味は、竊むにあらでは知るに由なし。
或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩して、積み疊ねたる柑子、地に委ねたる鐵の器、破衣、その外いろ/\の骨董を列ねたる露肆の側に、古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刃を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよと賜りし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。(一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見逭すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷の果なれ。われはメタスタジオの集を擲ちて、ダンテの書を握りつ。さるに哀きかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界第一の詩なりと稱へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下にいひけたれたるダンテの名譽を。
露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火燄を踏み破りて、天堂に抵らんとす。若き華主よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。
嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、酸しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を囀り出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は聞畢りて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるも貶すも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心に慙ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。
神曲、吾友なる貴公子
何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆の主人が言に挑まれて、愈〻熾になりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷を繙かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。
われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために、新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に、斯く豐饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨々たる。その色彩何ぞ奕々たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活を閲し盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は、全篇を讀む間、我耳に響くこと、世の末の裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に云く。
こゝすぎて うれへの市に
こゝすぎて 歎の淵に
こゝすぎて 浮ぶ時なき
群に社 人は入るらめ
あたゝかき 情はあれど
おぎろなき 心にたづね
きはみなき ちからによりて
いつくしき 法をうき世に
しめさんと この關の戸を
神や据ゑけん
われは飇風に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空氣を見き。われは亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當が族を見き。而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るに迨びて、我眼は千行の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス、ヰルギリウス、これ皆永く樂土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふに負かざらん限の、安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責ならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陷いるなる、毒泡迸り、瘴烟立てる、深き池沼に圍まれたる大牢獄の裡なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平なること能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに、同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへる膠の海より聞ゆる苦痛の聲は、我胸を衝きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鐵搭にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其状深くも我心に彫りつけられたるにや、晝は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語の間には、屡〻「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ詞聞えぬ。こはわが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教場に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の聲にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの儘に神曲を擲たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。
我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心の人の被るといふ鍍金したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁斷の果に匍ひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪を數めらる。かの人を螫しては燄に入り、一たびは烟となれど、又「フヨニツクス」(自ら焚けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を傷るといふ蛇の刺をば、われ自ら我膚の上に受くと覺えき。
わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば/\なりき。或る朝老僧の舍監を勤むるが、我臥床の前に來しに、われ眠れるまゝに眼を睜き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力ひて、又枕に就きしことあり。
わがよな/\惡魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には呪水を灑ぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益〻我心を妥ならざらしめき。囈語の由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人を欺くことの快からぬために、我血はいよ/\騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹の如くなりぬ。
學校の書生衆しといへども、その家世、その才智、並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戲に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら恣にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟に騎り、或ときは窓より窓にわたしたる板を踐みて、人の膽を寒からしめき。凡そこの學校國に、内訌起りぬといふときは、其責は多く此人の身に歸することなり。しかもベルナルドオこれを寃とすること能はざるが常なりき。舍内の靜けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が戲は人を傷ふには至らざりしが、獨りハツバス・ダアダアに對しての振舞は、やゝ中傷の嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ福の神は、直なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木に抛げ與へしよ抔いひぬ。ベルナルドオは羅馬の議官の甥にて、その家富みさかえたればなるべし。
ベルナルドオは何事につけても、人に殊なる見を立て、これを同學のものに説き聞かせて、その聽かざるものをば、拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質太く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心に乏きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。
或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび爾を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を揮ひて我面を撲たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。
わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は呪水に濡らされ、身は護摩の煙に薫さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを。
血は我頬に上りぬ。われは爭でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く神曲の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを厭かず聽くならん。地獄に火燄の海、瘴霧の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も亦少からず。その底にゆきて見れば、恩に負きし惡人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし報にて、胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠の如き翼を振ふ隙に、早く半身を喉の裡に沒したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴と相識になりたるが、汝はよべの囈語に、その魔王の状を、詳に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを讀みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より直にて、我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書をば、汝何處にてか獲つる。我も一部を藏したれば、汝若し蚤く我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机に倚ることを好まず。神曲の大いなる二卷には、我とほ/\厭みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひ/\、勇を鼓して讀みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、冰のかたなるべきか。
わが祕事は訐かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際密になりぬ。旁に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。
わが買ひ得たる神曲の首には、ダンテが傳を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに據りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの淨き戀、戰爭の間の苦、逐客となりてアルピイ山を踰えし旅の憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが靈魂天翔りて、人間地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て、神曲の梗概を摸寫したるものなりき。淨火は又燃え上れり。果實累々たる、樂園の木のこずゑは、漲り落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に騰りゆく程に、山々は搖り動されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/″\に無上の樂を覺えたり。
誦してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる面をかすらん。面白し/\。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勸めらるゝに、われは手を揮りて諾はざりき。ベルナルドオ語を繼ぎていふやう。さらば汝はえ讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の徳にあらずや。いかに/\、と勸めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。
今も西班牙廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、當時は「ジエスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの/\その故郷の語、若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。
題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。さればわれは稍〻小なるものをとて、ダンテを撰びぬ、ハツバス・ダアダア冷笑ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉の祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞にて、他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか/\屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。
學校の規則には、詩賦は他人の助を藉ることを允さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽はれたるハツバス・ダアダアが面に、些の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵原の語は、纔にその半を存するのみなり。さて詩の拙さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に觸れざりき。
兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇りぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾を牽きて式場に入り、美しき椅子に倚り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア、カルデア、新埃及、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈〻あやしうして、喝采の聲は愈〻盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は固より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は些の怯れたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句を遺さず諳じたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。
我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時跪きたるが、もろ手に面を掩ひて、この冠を頭に受けたり。
式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を擁き、我手を把りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千の棘もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心爭でかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に負きて人に頼るも、その原は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に對して、忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。
この夕ベルナルドオは晩く歸りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。
ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の間なりき。その學校生涯は爆竹の遽に耳を駭かす如くなりき。その詩も亦然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟〻これを讀むときは、畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき歟。全篇支離にして、絶て格調の見るべきなし。看て瓶となせば、これ瓶。盞となせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を剩すこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字の連用(ヒアツス)あり。神といふ字を下すことおほよそ二十五處、それにて詩をかう/″\しくせんとにや。性靈よ、性靈よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか做し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉としてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと莫れ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて截り碎き、一片々々に査べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭兒の頭に加へし。その詩に史上の事實を矯め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆笞ち懲すべき科なるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ奴。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
學校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは遽に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶を覺えき。さて如何してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂の裡に求むるとき、始めて殘るところなく明なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我魂を動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわが魄を動せり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわが穉かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に遷りゆきぬ。我胸は押し狹めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。
ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。
忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(幸あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首を昂げさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍なる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。
我生活は今彼に殊なること幾何ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて、目深にかぶり、惡魔に逐はるゝ如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」學校、「プロパガンダ」學校、その外この教國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長けたる、若くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何めざりき。
めぐりあひ、尼君
大路に出づれば馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは都の習なる夕暮の逍遙乘といふものにいでたる人々なるべし。銅版畫を挂けつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは、乞兒の群なり。されば車の間を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙を覗ひて走りぬけんとしたる時「ボン、ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日をこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたる忌はしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ例の木履を手に穿きて、地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絶てなかりき。西班牙の磴を避けてとほり、道にて逢ふときは面を掩ひて知らしめず、式の日などに諸生の群にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは我裳裾を握りて離たずしていふやう。血を分けたるアントニオよ。そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペ(ペツポはこの名を約めたるなり)の上を思はゞ、我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ。かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は放ち給へと叫びて裾を引けども、ペツポは容易く手をゆるめず。アントニオよ。共に驢に乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば、最早我を顧みざるならん。母の同胞の西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢せしことあり。昔をわすれなせそ。かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の間をくゞりぬけて、横街に馳せ入りぬ。
我胸は跳れり。こは驚のためのみにはあらず、辱のためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そも/\何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自ら愧ぢ、又神に恥ぢて、我胸は燃ゆる如くなりき。
この時聖アゴスチノ寺の「アヱ、マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絶えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。館も御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひし穉き姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずやといふ。寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者の妻にてフエネルラといふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼの館にゆきぬ。
フアビアニの君はやさしく我をもてなし給ひ、フランチエスカの君は又母の如くいたはり給ひぬ。姫君にも引きあはせ給ひぬ。名をばフラミニアといふ。目の美しく光ある穉子なり。我に接吻し、我側に來居たるが、まだ二分時ならぬに、はや我に昵み給へり。かき抱きて間のうちをめぐり、可笑しき小歌うたひて聞せしかば、面白しと打笑ひ給ひぬ。館は微笑みつゝ。穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君をば、今より胸にをさめたるをとのたまふ。げにこの姫君は、白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを、鎖もて胸に懸け給へり。(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、夙くより小尼公など呼ぶことあり。)夫婦の君は婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて、羅馬に名高き尼寺の首座をば、今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には、苟且の戲にも法の掟に背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人いれたる箱取り出でゝ、中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、日ごとにかく歩ませて供養のにはに連れゆくとのたまひぬ。又尼どもは皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めりとのたまひぬ。こは皆保姆が教へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き※衣〈[#「曷+毛」、37-下段-28]〉を着て、噴水のトリイトンの神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐ひたるが上に一人の跨りたる侏儒抔、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。
夫婦の君は我上を細に問ひて、今より後も助にならんと契り、こゝに留らん間は日ごとに訪へかしとのたまひぬ。カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折、かしこに尋ねゆきて、我臥床の跡を見、媼が經卷珠數と共に藏したる我畫反古を見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞して出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう。學校は智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子の禮するさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをも忽にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから直るべきものぞ。
學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈を點くるは近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の御前に供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ、徐にあゆみを運びぬ。固より咫尺の間もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われはまだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、奇怪なる人かな、目をさへ撞きつぶされなば、道はいよ/\見えずやならんといふ。われは喜のあまりに聲高く叫びて、さてはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなといひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよと、友は我を抱きたり。さるにても何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは汝に似合はしからず。されど我に見現されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは。我。否けふはひとりなり。ベルナルドオ。ひとりとは面白し。汝も天晴なる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや。
我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは足の行くに任せて、暗路を辿りつゝ、別れての後の事どもを語りあひぬ。
猶太の翁
途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓の中を出でざるにひとし。冷なる學校の榻に坐して、黴の生えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬に騎りて市を行くを。美しき少女達は、燃ゆる如き眼なざしして、我を仰ぎ瞻るなり。わが貌は醜からず。われには號衣よく似合ひたり。此街の暗きことよ、汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大めきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞を傾け、又折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだ痒きに、我身はこれを受用すること醉ひたる人の水を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられて、我はいつもながら氣沮みて聲も微に、さらば君が友だちといふはあまり善き際にはあらぬなるべしと答へき。ベルナルドオはこらへず。善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道徳をや説かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍なり。縱ひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩のなすところに傚ひき。そは我意志の最も強き方に從ひたるのみ。我意馬を奔らしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ち後るゝ憂なかりしなり。されど此間我胸中には、猶少しの寺院教育の滓殘り居たれば、我も何となく自ら安ぜざる如き思をなすことありき。我はをり/\此滓のために戒められき。我は生れながらの清白なる身を涜すが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘なく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に帶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが欲するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌りて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカの前なり。類なき酒家にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅なれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍の士官と倶に酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオ。現に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西語あり。英吉利語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯く辭ふほどに、傍なる細道の方に、許多の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友の臂を把りていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。
我等が往方を塞ぎたるは、極めて卑き際の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈をなし、老いたる猶太教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁が前に横へ、翁に跳り超えよと促すにぞありける。
凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓をば嚴しく圍みて、これを猶太街といふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭の時の競馬の費用をも例の如く辨へ、又定の日には加特力教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふことなり。
今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふ戲せんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、見よ人々、猶太の爺こそ來ぬれと叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんとせしに、群衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に横へて、これを跳り超えて行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ、我等は汝が足の健さを見んと呼びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞伯罕の神は汝を助くるならんといと喧しく囃したり。翁は聖母の像を指ざしていふやう。人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何の辜をもおかしゝことなし。我髮の白きを憫み給はゞ、恙なく家に歸らしめ給へといふ。杖持ちたる男冷笑ひて、聖母爭でか猶太の狗を顧み給はん、疾く跳り超えよといひつゝいよ/\翁に迫る程に、群衆は次第に狹き圈を畫して、翁の爲んやうを見んものをと、息を屏めて覗ひ居たり。ベルナルドオはこの有樣を見るより、前なる群衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振り翳し、かの男を叱して云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與ふことかは。超えずは、汝が頭を裂くべしといふ。群衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男はしばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、鞘を拂ひし劍、禁軍の號衣、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳して杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖を擲ち、その肩口をしかと壓へ、劍の背もて片頬を打ちていふやう。善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動かな。今一たびせよさらば免さんといふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる群衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度にどつと笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶太の翁よ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させんといふ。されど翁はいつの間にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。
我はベルナルドオを引きて群衆の中を走り出でぬ。來よ我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶太の翁のかた持ちて、かの癡人と爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。
我等は酒家に入りぬ。客は一間に滿ちたれども、別に我等に目を注くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて、共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永く渝らざらんことを誓ひて別れぬ。
學校の門をば、心やすき番僧の年老いたるが、仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡して前後を知らず。
猶太をとめ
許をも受けで校外に出で、士官と倶に酒店に入りしは、輕からぬ罪なれば、若し事露れなば奈何にすべきと、安き心もあらざりき。さるを僥倖にもその夕我を尋ねし人なく、又我が在らぬを知りたるは、例の許を得つるならんとおもひて、深くも問ひ糺さで止みぬ。我が日ごろの行よく謹めるかたなればなりしなるべし。光陰は穩に遷りぬ。課業の暇あるごとに、恩人の許におとづれて、そを無上の樂となしき。小尼公は日にけに我に昵み給ひぬ。我は穉かりしとき寫しつる畫など取り出でゝ、み館にもて往き、小尼公に贈るに、しばしはそれもて遊び給へど、幾程もあらぬに破り棄て給ふ。我はそをさへ拾ひ取りて、藏めおきぬ。
その頃我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なるエネエアスがキユメエの巫に導かれて地獄に往く條に至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こはダンテの詩に似たるがためなり。ダンテによりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰も好しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは又學校の門を出でぬ。
美しきラフアエロが半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵にはかの大匠の下畫によりて、門人等が爲上げたりといふ聖經の圖あり。壁を掩へるめづらしき飾畫、穹窿を填めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。欄に凭りて遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭かぬ眺なれど、鋪石に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されどベルナルドオは久しく來ざりき。
間といふ間を空くめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をも徒に過ぎぬ。我はほと/\興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたる鍪を戴き、長靴の拍車を鳴して、輕らかに廊を歩みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、共に來よと云ひつゝ、友は我を延きて奧の方へ行きぬ。
汝はわが別後いかなる苦を嘗めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止むときなきを知らぬなるべし。譬へば我は病める人の如し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の頼なれ。斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳を過ぎ、そこを護れる禁軍の瑞西兵の前を歩みて、當直士官の室に入りぬ。君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそ訝しけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。
汝はかの猶太の翁の事を記えたりや。聖母の龕の前にて、惡少年に窘められし翁の事なり。我はかの惡少年を懲して後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん見えずなりぬ。その後翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞと覺りぬ。その時門の内を見入りたるに、黒目がちなる猶太の少女あまた群をなして佇みたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太教徒は全き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窓といふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、エロヒム」といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒簇りて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端には古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳べもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫を鬻ぐ露肆の間にて、目も當てられず穢れたる泥淖の裡にぞありける。家々の戸口より笑みつゝ仰ぎ瞻る少女二人三人を見るほどに、何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けんと、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは書くべかりしなれ。
忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日は、そも/\いかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ。かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くは解せず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去ぬる夜惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖に接吻し、我衣の裾に接吻していふやう。かしこなるは我破屋なり。されど鴨居のいと低くて君が如き貴人を入らしむべきならぬを奈何せん。かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテの神か。されど亞剌伯種の少女なればにや、目と頬とには血の温さぞ籠りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、辭はずその家に入りしことの無理ならぬを。
廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木の欄ある梯は、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢に堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演説をぞ始めける。その辭に綴り込めたる亞細亞風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難き饌に向へる心地して、肚のうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貴きわたりに交らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君も卒かに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、夥しき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエルの一枝を護りたる君が情の報なりといひぬ。我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて。さらば先づ平かに居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そを獻らんといふ。我は今いかなる事を答へしか知らず。されどその詞と共に一間に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮は漆の黒さにてしかも澤あり。こは彼翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女が壽をなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波の血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世のものにはあらざりけり。されば其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしも宜なり。
この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん。
媒
士官のいふやう。この時よりして我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又これを毀ちたるを知るか。我が彼猶太をとめに逢はんとていかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十「スクヂイ」を借らんといひしに、翁は快く諾ひて粲然たる黄金を卓上に並べたり。されど少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりに呈れき。我は前の日の酒の旨かりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、顫ふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我が梯を走りおりしとき、半ば開きたる窓の帷すこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。さらば君よ、とわれ呼びしが、窓の中はしづまりかへりて何の應もなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど我心は決して撓むことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ。我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアとヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室に誘はずや。われ。そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれおん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか、かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つや/\思ひもかけず。士官。否々。汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩趣に富みたること多く類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の群に數へられたり。彼翁汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝我がために娘に説かば、我戀何ぞ協はざることを憂へん。されど此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足にせよ歩度を伸べたる驅足にせよ。燃ゆる毒は我脈を循れり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ。われ。そは餘りに無理なる囑なり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女縱令美しといふとも、猶太の翁が子なりといへば。士官。それ等は汝が解し得ざる事なり。貨だに善くば、その産地を問ふことを須ゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを。我。わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力我を引きて汝が圈の中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行を匡さんとせず。人皆天賦の性あり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性然らしむればなり。されど此事は、縱令成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり。士官。善し/\。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔の榻に就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなる障あるべきか、そは我に解せられず。況んやそを猶太の翁に學ぶことをや。されどこの事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物欲しからずや。酒飮まずや。
友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はその特なる目なざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡〻ハツバス・ダアダアに對してなしたる目なざしなりき。友の擧動、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友の恭しさ常に倍して、その冷なる手は我が温なる手を握りぬ。我はわが辭退の理に愜へる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど或時は無聊に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶穩ならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒を霽す便にもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。門よりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳べたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我を聾にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へ毬投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。
一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオに逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人に慠る貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふに遑あらざりき。ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ、フランチエスカの人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むる媒となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たび顰めることあるときは、徑に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣の疵を指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人に踰えたるを戒めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎るゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯ばかりの事に逢ひて、必ず涙を墮すは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見るときは、又我頬を撫でゝ、聖母の善き人を得給はんためには、美しき花の壓さるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞと慰め給ひぬ。獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、岳翁と夫人との教の嚴なることよと打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう。君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧なる人ともならざるならん。されど君が如き性もまた世の中になくて協はぬものぞと宣ふ。斯く裁判し畢りて、小尼公を召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構し給へり。夏はジエノワにとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。人々は首途に先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝を焚かせたり。賓客の車には皆松明とりたる先供あるが、おの/\其火を石垣に設けたる鐵の柄に揷したれば、火の子迸り落ちて赤き瀑布を見る心地す。法皇の兵は騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈を弔り、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。階を升るときは奇香衣を襲ふ。こは級ごとに瓶花、盆栽の檸檬樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃の禮を施しつ。「リフレア」着飾りたる僕は堂に滿ちたり。フランチエスカの君は眩きまで美かりき。珍らしき樂土鳥の羽、組緒多くつけたる白き「アトラス」の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣間二つに樂の群を居らせて、客の舞踏の場としたり。舞ふ人の中にベルナルドオありき。金絲もて飾りたる緋羅紗の上衣、白き細袴、皆發育好き身形に適ひたり。その舞の敵手はこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。纖き手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なる帷の長く垂れたる背後にて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍は早くも愈えて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治しき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオは又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇りて、松明より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴なりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷の蔭に跪きて神に謝したり。
謝肉祭
その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダアは日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオをも外の友をも尋ぬることなかりき。週を累ね月を積みて、試驗畢る日とはなりぬ。
黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松の末より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカの君は、臨時の費もあるべく又日ごろの勞をも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙磴を驅け上りて、ペツポのをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオの主公と呼ぶ聲を後に聞きて馳せ去りぬ。
頃は二月の初なりき。杏花は盛に開きたり。柑子の木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭は既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨の幟を建て、喇叭を吹きて、祭の前觸する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。穉かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇みて祭の盛を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」の廡作りの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧や「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身を委ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草となりて、わが命の木に纏へるなるべし。
祭は全く我心を奪ひき。朝にはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備を觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓に曝せる假粧の衣類を閲しつ。我は可笑しき振舞せんに宜しからんとおもへば、状師の服を借りて歸りぬ。これを衣て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆と眠らざりき。
明日の祭は特に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜らざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」の丸賣る浮鋪簷を列べて、その卓の上には美しき貨物を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆〈[#「豌豆」は底本では「踠豆」]〉の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲ちて戲るゝを習とす。)コルソオの街を灑掃する役夫は夙に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度日景を瞻て、※〈[#「金+表」、44-下段-7]〉を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓には貴き外國人多く並みゐたり。議官は紫衣を纏ひて天鵞絨の椅子に坐せり。法皇の禁軍なる瑞西兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽を戴ける可愛らしき舍人ども群居たり。少焉ありて猶太宗徒の宿老の一行進み來て、頭を露して議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホにぞありける。式の辭をばハノホ陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖まんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力の御寺に詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔の例に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオを奔らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代、皆法の如く辨へ候はんといふ。議官は頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢れたり。)事果つれば、議官の一列樂聲と倶に階を下り、舍人等を隨へて、美しき車に乘り遷れり。是を祭の始とす。「カピトリウム」の巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。我は急ぎ歸りて、かの状師の服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の群は早く我を邀へて目禮す。この群は祭の間のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めて卑きものを揀びたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗𣑥の汗衫を被りたるが、その衫の上に縫附けたる檸檬の殼は大いなる鈕に擬へたるなり。肩と鞾とには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮にて、目に懸けたるは柚子の皮を刳りぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等に對ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分を踰えたる衣服の奢は國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折に臍を噬む悔あらんと喝したり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなる欄の如く見ゆ。家々の簷端には、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師あり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂の枝もて車輪を賁りたるあり。そのさま四阿屋の行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人填めたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭したる羅馬美人ありて、街上なる知人に「コンフエツチイ」の丸を擲てり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑ぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒へるあり。權夫(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役に打扮ちたる一群戲に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチア(辱を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今安にか在る。君は今の女子の爲すところに倣ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒〈[#「齋戒」は底本では「齊戒」]〉するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオをそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推すに、我は偶〻女の身上を占ひて善く中てたるものならん。友なる男は、アントニオ、物にや狂へると私語ぎて、急に婦人を拉きつゝ、巡査、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧し。われは思慮する遑あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔なき好事にやあらん。忽ち肩尖と靴の上とに鈴つけたる戲奴(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね𢌞りたり。忽ち又いと高き踊したる状師あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑ひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天の祐を得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩に去りぬ。ピアツツア、コロンナに伶人の群あり。非常を戒めんと、徐にねりゆく兵隊の間をさへ、學士、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、僕に鐸を鳴さする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞を解し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍に築きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘はんことに力を竭せり。街の一端に近きポヽロの廣こうぢに索を引きて、馬をば其後に並べたり。馬は早や焦躁てり。脊には燃ゆる海綿を貼り、耳後には小き烟火具を裝ひ、腋には拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引き傍ひたる壯丁はやうやくにして馬の逸るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風の如く奔りて、我前を過ぎぬ。幣の如く束ねたる薄金はさら/\と鳴り、彩りたる紐は鬣と共に飄り、蹄の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁ると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫打つ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。
歌女
衣脱ぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオ訪ひ來て我を待てり。われ。いかなれば茲には來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指を堅てゝ我を威すまねしていはく。措け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。然れどもこのたびは釋すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ女王の名にて又樂劇の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃ず主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信ならんには、汝が「ソネツトオ」の工を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協はゞ、我はこれを贄にせんといふ。我は共に往かんことを諾ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂をば、つゆ遺さずして嘗みんと誓ひたればなり。
今は我がために永く諼るべからざる夕となりぬ。我羅馬日記を披けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ如し日記を作らば、また我筆に倣はざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵、オリユムポスの圖を寫したる幕、黄金を鏤めたる觀棚など、當時は猶新なりき。棚ごとに壁に鉤して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし。
開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍と看做さるべきものなり。狂飇波を鞭ちてエネエアスはリユビアの瀲に漂へり。風波に駭きし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲獵を報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室の中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛の聲あり。幕は開きたり。
エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべしヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく。その夢は早晩醒むべし。トロアスの兵黒き蟻の群の如く獲を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。
ヂドは舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客屏息してこれを仰ぎ瞻たり。その態度、その嚴なること王者の如くにして、しかも輕らかに優しき態度には、人も我も徑に心を奪はれぬ。初めわれこのヂドといふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところに殊なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、些の塵滓を留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木の光ある髮は、美しく凸なる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼さんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何といふに、彼は今纔に場に上りて、未だ隻音をも發せざればなり。彼は面に紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調の上にあらはしつ。
友は遽に我臂を把りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利は違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓の少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑より迸り出づ。是時に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚び醒されんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉かりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。
エネエアスは無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身を娶りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明を見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心の人に對する忿、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今主なる單吟に入りぬ。譬へば千尋の海底に波起りて、倒に雲霄を干さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑く形あるものに喩へて言はんか。大いなる鵠の、皎潔雪の如くなるが、上りては雲を裂いて灝氣たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。
喝采の聲は屋を撼せり。幕下りて後も、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲止まねば、歌女は面を幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。
第二齣の妙は初齣を踰ゆること一等なりき。これヂドとエネエアスとの對歌なり。ヂドは無情なる夫のせめては啓行の日を緩うせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビアの種族を辱めき。君がためにはわれ亞弗利加の侯伯に負きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一隻の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス(エネエアスの父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。
エネエアスは行きぬ。ヂドは色を喪ひて凝立すること少らくなりき。その状ニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド、棄婦なるヂドならず。彼は生ながら怨靈となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽又共に怒らしむ。フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチが畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目の状は言ふことを須たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。
エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂドは夫の遺れたる武器を取りて立てり。その歌は沈みてその聲は重く、忽ちにして又激越悲壯なり。同胞なるアンナアが彼を焚かんとて積み累ねたる薪は今燃え上れり。幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女はその色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚よりも土間よりも、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲頻なり。幕上りて歌女出でたり。その羞を含める姿は故の如くなりき。男は其名を呼び、女は紛※〈[#「巾+兌」、47-下段-24]〉を振りたり。花束の雨はその頭の上に降れり。幕再び下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇しかりき。こたびはエネエアスに扮せし男優と並びて出でたり。幕三たび下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇しかりき。こたびはすべての俳優を伴ひ出でぬ。幕四たび下りしに、呼ぶ聲猶劇しかりき。こたびはアヌンチヤタ又ひとり出でて短き謝辭を陳べたり。此時我詩は花束と共に歌女が足の下に飛べり。呼ぶ聲は未だ遏まねど、幕は復た開かず。この時アヌンチヤタは幕の一邊より出でゝ、舞臺の前のはづれなる燭に沿ひて歩みつゝ觀客に謝したり。その面には喜の色溢るゝごとくなりき。想ふにけふは歌女が生涯にて最も嬉しき日なりしならん。されどこは特り歌女が上にはあらず。我も亦わが生涯の最も嬉しき日を求めば、そは或はけふならんと覺えき。わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき。觀客は劇場を出でたり。されど皆未だ肯て散ぜず。こは樂屋の口に𢌞りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も衆人の間に介まりて、おなじ方に歩みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脱ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の群は轅にすがりて馬を脱したり。こは自ら車を輓かんとてなりき。アヌンチヤタは聲を顫せてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板に上りて説き慰めたり。我も轅を握りてかの少年の群と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕を我心の中に留めしのみ。
歸路に珈琲店に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく。アントニオよ。奈何なりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれ髓燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことを辭みしか。若し辭まずば、かゝる女と並び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我猶太少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巣を立ちし「フヨニツクス」鳥の如く、かの穢はしき猶太廓を出でつるなり。われ。そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太教徒にあらずして加特力教徒なること疑なし。汝も熟々彼姿を見しならん。不幸なる猶太教徒の皆負へるカイン(亞當の子)が印記は、一つとしてその面に呈れたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ。我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほと/\歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひの幸を覺えたりしか。友。アントニオよ。汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。「ジエスヰタ」の學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車を挽かれて、且は懼れ且は喜びたりき。彼少女は面紗を緊しく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき。われ。汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは我が決して敢てせざる所ぞ。友。我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり。我友はこれより我にさきの詩を誦せしめて聞き、頗妙なり、羅馬日記に刻するに足ると稱へき。我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタが壽をなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。
我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。床に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉の全曲を繰り返して心頭に畫き出せり。ヂドが初めて場に上りし時、單吟に入りし時、對歌せし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其間の一節だに忘れざりき。我は手を被中より伸べて拍ち鳴らし、聲を放ちてアヌンチヤタと呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血を濺ぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫し畢りてこれを讀み、讀みては自ら其妙を稱へき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脱ぎ、絹の長椅の上に坐し、手もて頤を支へて、ひとり我詩を讀むならん。
きみが姿を仰ぎみて、君がみ聲を聞くときは、おほそら高くあま翔り、わたつみふかくかづきいり、かぎりある身のかぎりなき、うき世にあそぶこゝちして、うた人なりしいにしへのダヌテがふみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。
我は嘗てダンテの詩をもて天下に比なきものとなしき。さるを今アヌンチヤタが藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう/\にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。
をかしき樂劇
翌日になりて、ベルナルドオを尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナをばあまたゝび過ぎぬ。アントニウスの像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタの影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳聳つれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアスの役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如き目なざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴、道化役者、魔法つかひなどに打扮ちたる男あまた我圍を跳り狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなる粧、その物騷がしき聲々はます/\我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者はこと/″\く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下より露れたる黒髯、あら/\しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵を囘さんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。疾く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我友誼なれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓に昇りぬ。戲すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタの許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引き繕ひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。
衣は黒の絹なり。半紅半碧の紗は肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音にて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼの族の寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔に喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌を賜はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目なざしは廉ある如く覺えらるれど、姫が待遇のよきに、我等が興は損はるゝに至らざりき。
樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞を遮りて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物なる樂劇の本讀といふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界なるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を揷まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項を曲げ色を令くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指擿、その刪除に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉げてこれに從はでは協はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲を曲ぐといふ。畫工は某の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣をばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚は囀りにくし、あの韻をば是非とも阿のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削り給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと/\元の姿を失ひたる曲を革に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重なるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。
外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち/\たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。
道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中りたるものは、彩りたる旗、桂の枝の環飾、檸檬の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷りぬ。その旗のをかしく風に翻るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(麪類の名)つけたる大いなる玩具の柄つきの鈴を笏として持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷きたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りて挽き出せり。この時王は窓にアヌンチヤタあるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅に繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏めおきぬ。
ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈ち懲らさばやといひしを、樂長は餘のひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑き假粧舞の事、詩女の導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板投ぐる男の像等に肖せたる假面の事など、次を逐ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與らで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫しも減ぜず。この穉き振舞は却りてあやしく我心に協ひき。姫は譯もなき戲言をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※〈[#「金+表」、51-中段-7]〉を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀のうちなる役に中り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。
門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇禁軍の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタなることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。
この夕ベルナルドオと芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購ふことを得き。いづれの棧敷にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。
喝采の聲と花束の閃は場に上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技といへど、我はそを天賦の性とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀の鈴齊く鳴りて、柔なる調子の變化極なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアの瓶の面なる舞者に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタがヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を揷みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨し/\と叫びて掌を拍てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒の恣まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫の朝陽と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈〻高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻りぬ。
即興詩の作りぞめ
この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタが家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。
姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナに至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴のものは覺えず微なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍り給へり。アヌンチヤタが出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。
翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴の二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオなれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、倶に歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三辭みたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオは聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手を拉かれたる我は、捕られし小鳥に殊ならず。縱ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟なり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。
このときベルナルドオは汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言の囑を待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」を把りぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃を撥くこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典は荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹の摧け殘りたる石柱を掩へるあり。この間には鬼の欷歔するを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭を執り行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤を認めき。あはれ古人が美をかう/″\しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆に遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今筏に薪と油とを積みてオスチアに輸るを見る。されどクルチウスが炎火の喉に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡に眠れるを見る。アウグスツスよ。チツスよ。汝が雄大なる名字も、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルの猛き鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀きて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルスの椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣してこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルスの刀いかでか鏽を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期あるべき。縱ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇められん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美を敬ふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段の畢るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其眸には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷れり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭を低れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌歇み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍となりて、聽衆の胸に瘞められたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに瘞めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタが顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。
そも/\劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその倐忽にして滅するや、彼も此も迹の尋ぬべきなし。アヌンチヤタとアヌンチヤタが技とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。
我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我に賦したる樂天主義の賜なりき。或時ベルナルドオのいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩に倚らざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、賢しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し/\、我は汝が言を信ぜん。汝は素より蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。されど汝が姫に對する情果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如き目なざしゝて彼に向ふことを休めよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そも恃むべきにはあらず。これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタを見るべからざること五週に亙るべし。彼君はフイレンツエの芝居に傭はれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。ベルナルドオは語を繼ぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が即興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるゝ暇なからん。さはあれ一個の婦人にのみ心を傾くるは癡漢の事なり。羅馬には女子多し。野に遍き花のいろ/\は人の摘み人の采るに任するにあらずや。
この夕我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチヤタは再びヂドとなりて出でぬ。その歌、その振、始に讓らざりき。完備せるものゝ上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝はまことに其域に達したるなり。こよひは姫また我理想の女子となりぬ。その本讀の曲にての役、その平生の擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人間の態をなせるが如くぞおもはるる。その態も好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことの我を見るべし。萬客は又狂せり。想ふにこの羅馬の民のむかし該撤とチツスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上に出でざるならん。曲畢りて姫は衆人に向ひて謝辭を陳べ、再びこゝに來んことを約せり。姫はこよひもあまたゝび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。
謝肉祭の終る日
翌日は謝肉祭の終る日なりき。又アヌンチヤタが滯留の終る日なりき。我は暇乞におとづれぬ。市民がその技能に感じて與へたる喝采をば、姫深く喜びたり。フイレンチエはその自然の美しき、その畫廊の備れる、居るに宜しきところなれど、再生祭の後こゝに歸らんことは、今より姫の樂むところなり。姫はかしこの景色を物語りぬ。アペンニノの森林、豪貴の人々の別莊の其間に碁布せるピアツツア、デル、グランヅカ、其外美しき古代の建築物など、その言ふところ人をして目のあたりに見る心地せしめき。
姫のいはく。我は再び畫廊に往かむ。我に彫刻を喜ぶこゝろを生ぜしめしは彼處なり。プロメテウスが死者に生を與ふるに同じく、人間の心の偉大なるを、わが悟りしはかしこなり。彼廊に一室あり。そは最も小なる室にして、わが最も好める室なり。今若し君をかしこに在らしむることを得ば、君は能くわがむかしの喜を解し、又能くわが今日そを想起す喜を解し給はん。この八角に築きたる室には、實に全廊の尤物を擢でゝ陳列せり。されどその尤物の皆けおさるるは、メヂチのヱヌスの石像あればなり。かくまでに生けるが如き石像をば、われこの外に見しことなし。その目は人を視る如し。あらず。人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫けるヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふと雖、こゝに寫し得たるは人間の美しさにして、彼石の現せるは天上の美しさなり。ラフアエロがフオルナリイナ(作者意中の人)は心を動すに足らざるにあらず。されどヱヌスの生けるをば、われあまたゝび顧みざること能はず。否々、おほよそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右に出づべき。ラオコオンにてはまことに石の痛楚のために泣くを見る。しかも猶及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美を※〈[#「女+貔のつくり」、55-中段-5]〉ぶるは、君も知り給へるワチカアノのアポルロンならん。その詩神を摸したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美の神を造れるなり。我答へて。君の愛で給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き。姫。否、われは石膏の型ばかり整はざるものはなしと思へり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。石はやがて肌肉となり、血は其下を行くに似たり。フイレンチエまで共に行き給はずや。さらばわれ君が案内すべし。我は姫が志の厚きを謝して、さていひけるは、さらば再生祭の後ならでは、又相見んこと難かるべしといふ。姫こたへて。さなり。聖ピエトロ寺の燈を點し、烟火戲を上ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは君われを忘れ給ふな。我はまたフイレンチエの畫廊に往きて君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友のその樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故郷を偲ぶたぐひなるべし。我は姫の手に接吻して、戲に。この接吻をばメヂチのヱヌスに傳へ給へ。姫。さては我にとてにはあらざりしか。我は決して私することなかるべしといひぬ。我は分れて一間を出でしとき夢みる人の如くなりき。戸の外にて家の媼に出で逢ひ、心の常ならぬけにやありけむ、われその手を取りて接吻せしに、これは善き性の人なるよとつぶやくを聞きつ。
最後の謝肉祭の日をば、飽く迄樂まむと思ひぬ。唯だアヌンチヤタと別れむことは、猶現とも覺えず。又逢はむ日は遙なる後にはあらで、明日の朝にはあらずやとおもはる。假面をば被りたらねど、「コンフエツチイ」の粒擲ぐることは、人々に劣らざりき。道の傍なる椅子には人滿ちたり。家ごとの窓よりも人の頭あらはれたり。車のゆきかふこと隙間なく見ゆるに、その餘せる地にはうれしげなる面持したる人肩摩るほどに集へり。歩まむとする人は、車と車との隙を行くより外すべなし。音樂の聲は四面より聞ゆ。車の内よりも「イル、カピタノ」(大尉)の歌洩りたり。陸に海に立てたる勳とぞ歌ふなる。腰に木馬を結びたる童あり。首と尾とのみ見えて、四足のところは膝かけの色ある巾にて掩はれたり。童の足二つにて、馬の足の用をなせるなり。かゝるものさへ車と車との間に入れば、混雜はまた一入になりぬ。われは楔の如く車の間に介まりて、後へも先へも行くこと叶はず。後なる車挽ける馬の沫は我耳に漑げり。わがこれにえ堪へで、前なる車の踏板に飛び乘りたるを、これに乘れる寢衣着たる翁とやさしき花賣娘とは、早くも惡劇のためよりは避難のためと見て取りぬと覺しく、娘は輕く我手背を敲き、例の玉のつぶて二つ投げかけしのみなれど、翁の打つ飛礫は雨の如くなりき。娘もこの攻撃を興あることにや思ひけん、遂には翁の所爲に傚ひて、持てる籠の空しくならんとするをも厭はで唯だ打ちに打つ程に、我衣は斑々として雪を被れる如くぞなりぬる。われはこの地點を守りかねて、飛びおるれば、戲奴にいでたちたる男走り來て、手に持てる采配もて、我衣を拂ひ呉れたり。
暫し避けて佇む程に、さきの車又かへり路に我を見て、再び「コンフエツチイ」を投げかけたり。わが未だ迎へ戰ふに遑あらざる時、砲聲地に震ひて、くらべ馬始まるをしらせしかば、車は皆狹き横道に入りて、翁と娘とも見えずなりぬ。二人は我を識りたりと覺し。奈何なる人にかあらん。ベルナルドオは今日街に見えざりき。かの翁は其人にて、娘はアヌンチヤタにはあらずや。
我は街の角に近き椅子に倚りぬ。砲は再び響きて、競馬は街のたゞ中をヱネチアの廣こうぢさして馳せゆき、荒浪の寄するが如き群衆はその後に隨ひぬ。わが踵を旋して還らむとするとき、馬よ/\と呼ぶ聲俄に喧しく、競馬の内なる一頭の馬、さきなる埒にて留まらず、そが儘街を引きかへし來れるに、最早馬過ぎたりと心許しゝ群衆は、あわて騷ぐこと一かたならず。吾心頭には稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。瞬くひまに街の兩側に避けたる人の黒山の如くなる間を、兩脇より血を流し、鬣戰ぎ、口より沫出でたる馬は馳せ來たり。されど我前を過ぐるとき、いかにかしけむ銃もて撃れたる如く打ち倒れぬ。怪我せし人やあると、人々しばしは安き心あらざりしが、こたびは聖母やさしき手を信者の頭の上に擴げ給ひて、一人をだに傷け給はざりき。
危さの容易く過ぎ去りしは、祭の興を損ぜずして、却りて人の心を亂し、人の歡を助けたり。これよりは謝肉祭の大詰なる燭火の遊(モツコロ)始まらんとす。今まで列を成したりし馬車は漸く亂れて、街上の雜遝は人聲の噪しさと共に加はり、空の暗うなりゆくを待ち得て、人々持たる燭に火を點せり。中には一束を握りて、こと/″\く燃せるもあり。徒なるも車なるも燭を把りたるに、窓のうちに坐したる人さへ火持たぬはあらねば、この美しき夜は地にも星ある如くなり。家々より街の上へさし出せる火には、いろ/\なる提灯、燈籠ありて、おの/\功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。火持たぬ人は死ね(リア、アムマツアトオ、キイ、ノン、ポルタア、モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ち滅さるゝこと頻なりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は我に倣へよと叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々の窖の窓にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅したり。又高き窓なる人々は竿に着けたる堤燈さし出して誇貌なるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛※〈[#「巾+兌」、56-下段-1]〉結びたるを揮ひて、これをさへ拂ひ消すめり。
異國人にて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜遝を想ひ遣ること能はざるべし。立錐の地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝りぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なる籘の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳せり。彼の紛※〈[#「巾+兌」、56-下段-12]〉結びたる竿の長足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」の霰を迸らせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏の丸を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓ませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭の束ははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタが聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有らん限を我頭に擲げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳り下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある横街に身を避けつ。
身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタが同乘したる男の上なり。察するにベルナルドオが故意と翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき横街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナの廣こうぢに出で、戸口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕などの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがりいざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色の裳を見るに及びて、姫が家の媼なることは漸く知られぬ。媼はわがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫の供したる人の男ならざりし嬉しさに、幸あらん夜をこそ祈れと聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、惡しき人かな、早くフイレンチエに遁れ行かばやといひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、火持たぬ人は死ねと叫び行きぬ。我心の中には姫が徳を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の清き證なれ。彼媼は又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、壹ら姫を悦ばせんがために心を竭せるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオならんと疑ひしとき、我心の噪がしかりしは、妬なるか否ざるか、そはわが考へ定めざるところなりき。
われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞の場に入りぬ。堂の内には處狹きまで燈燭を懸け列ねたり。假粧せる土地の人、素顏のまゝなる外國人と打ち雜りて、高き低き棧敷を占めたり。平土間より舞臺へ幅廣き梯をわたしたるが、樂人の群の座はその梯の底となりたり。舞臺には畫紙を貼り、環飾紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコスとその妻なる女神アリアドネとの姿したる人を圍みて、貸車の御者に扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその群に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後塒に歸りぬ。
眠りしは短き間にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しきけふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戸は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオの大道には、往き交ふ人疎にして、白衣に藍色の縁取りしを衣たる懲役人の一群、霰の如く散りぼひたる石膏の丸を掃き居たり。塵を積むべき車の轅には、骨立したる老馬の繋がれつゝ、側なる一團の芻秣を噛めるあり。とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李の凹くなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は横街より出でたる、同じ樣に梱載せる車と共に去りぬ。ナポリにや行くらん。フイレンチエにや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週間の長眠をなさんとするなり。
精進日、寺樂
事なくして靜に日を暮せば、その永さの常にもあらで覺えらるゝと共に、謝肉祭の間の珍らしかりし事、その事の中心をなせる姫が上のみ心頭に往來せり。墳墓の如き靜けさは日ごとに甚しくなりぬ。わが胸の空虚は書卷の能く填むるところにあらざりき。ベルナルドオはわが無二の友なり。然るに今はその音容に接することの厭はしくなれるぞ怪しき。嗚呼我等二人の間にはアヌンチヤタの立てるなり。縱ひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら/\思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介の賜なり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオはわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタを忘るゝこと能はず。
アヌンチヤタを懷ふはアヌンチヤタの我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人の肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタは尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖、われ往いてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子と擇ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之ず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりは復我を憐み給はざるべし。況や此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタの心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞ料らむ聖母の面は姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我は縱ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。
我は嘗て古の信徒の自ら笞ち自ら傷けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣はんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその冷なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ穉き時の心安かりしことよ。母の膝下にて過す精進日は、常にも増して樂き時節なりき。四邊の光景は今猶昨のごとくなり。街の角、四辻などには金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木の草寮あり。處々に懸けし招牌には押韻したる文もて精進食の名を列べ擧げたり。夕になれば緑葉の下に彩りたる提燈を弔れり。雜食品賣る此頃の店は我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ産の乾酪を穹窿としたる小寺院中にて酪もて塑ねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて、ダンテの神曲なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこの譽ある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又幸にして未だアヌンチヤタが如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何してアヌンチヤタを忘るゝことを得べきぞ。
われは羅馬の七寺を巡りて、行者と偕に歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオは、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。コルソオの大道にて戲謔能く人の頤を解きしは誰ぞ。アヌンチヤタが家にて即興の詩を誦んじ座客を驚しゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び頬に死灰の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝はいかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオに及ばざるところぞといひぬ。吾友の言ふところは實録なりき。されど當時我を傷ること此實録より甚しきはあらざりしなり。
精進の最後週は來ぬ。外國人は多く羅馬に歸り集ひぬ。ポヽロ門よりもジヨワンニ門よりも、馬車相驅逐して進み入りぬ。水曜日午後にはワチカアノのシクスツス堂にて「ミゼレエレ」(ミゼレエレ、メイ、ドミネ、憐を我に垂れよ、主よの句に取りたるにて、第五十頌の名なり)の樂あり。われは樂を聽きて悶を遣らんがために往きぬ。聽衆は堂の内外に押し掛け居たり。前なる椅榻には貴婦人肩を連ねたり。色絹、天鵝絨もて飾れる觀棚の彫欄の背後には、外國の王者並び坐せり。法皇の護衞なる瑞西隊は正裝して、その士官は鍪に唐頭を揷めり。この裝束は今若き貴婦人に會釋せるベルナルドオには殊に好く似合ひたり。
われ裏面より埒に近き處に席を占めしに、こゝは歌者の席なる斗出せる棚に遠からざりき。背後には許多の英吉利人あり。この人々は謝肉祭の頃假粧して街頭を彷徨ひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するにその打扮は軍隊の號衣に擬したるものならん。されど十歳許の童までこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを欲することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧にして銀絲の縫ひあり、長靴には黄金を鏤め、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣の好き座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬間なりき。
老いたる僧官達は紫天鵝絨の袍の領に貂の白き毛革を附けたるを穿て、埒の内に半圈状をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共足元に蹲りぬ。贄卓の傍なる小き扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍を纏へる法皇なりき。法皇は交椅に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明取りたるもの數人法皇と贄卓との前に跪けり。
讀誦は始まりぬ。(絃歌に先だちて十五章の讀誦あり。壇上に巨燭十五枝を燃やしおきて、一章終るごとに一燭を滅す。)われは心を死せる文字の間に濳むること能はず、魂を彼のミケランジエロが世に罕なる丹青の力もて此堂の天井と四壁とに現ぜしめたる幻界に馳せたり。その活けるが如き預言者等の形は一個々皆大册の藝術論の資をなすに餘あるべし。その力量ある容貌風采とこれを圍める美しき羽ある兒の群とは、我眼を引くこと磁石の鐵を引く如くなりき。こは畫にあらず。活ける神人なり。エワが果を夫に贈りし智慧の木は鬱蒼として彼處に立てり。父なる神は、古の畫工の作れる如く羽ある童に擔はれたるにはあらで、その肢體の上、その風に翻る衣裳の上に、許多の羽ある童を載せつゝ、水の上を天翔り給ふ。われはけふ始めて此畫を觀たるにあらず。されど此畫の我心を動かすこと今日の如きは未だ有らず。われはけふの群集のためにや、わが熱したる情のためにや知らねど、此畫中に限なき詩趣あるを認めたり。或は想ふにこは我が抒情の興多き心を畫中に投じ入れたるにはあらずや。そは兎まれ角まれ、此畫に對して此情をなすは、恐らくは獨り我のみならず、こは我に先だてる幾多の詩人の亦免れざるところなりしなるべし。
險しきを行くこと夷なる如き筆力、望み瞻る方嚮に從ひて無遠慮なるまで肢體の尺を縮めたる遠近法は、個々の人物をして躍りて壁面を出でしめんとす。昔基督の山上に在りて言語もて説き給ひし法(馬太五至七)は、今此大匠によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。此數多き預言者は、一つとして同じ人の石もて刻める摩西に劣ることなし。何等の魁偉なる人物ぞ。堂に入るものゝ心目は先づこれがために奪はるゝなり。
吾人はこゝに心目を淨め畢りて、さて頭を擧げて堂の後壁に向ふなり。下は大床より上は天井に至るまで、立錐の地を剩さゞるこの大密畫は、即ち是れ一顆の寶玉にして、堂内の諸畫は悉くこれを填めんがために設けし文飾ある枠たるに過ぎず。これを世の季の審判の圖となす。
判官たる基督は雲中に立てり。使徒と聖母とは不便なる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣を搖り上げて起たんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高く翔り、地獄はその腭を開いて犧牲を呑めり。宣告を受けたる同胞の早く毒蛇に卷かれたるを、雲に駕せる靈の援け出さんとするあり。悔い恨める罪人の拳もて我額を撃ちつゝ、地獄の底深く沈み行くあり。天堂と地獄との間には、或は登り或は降る神將力士あまたありて、例の大膽なる遠近法もて寫し出されたり。優しく人を恤みがほなる天使、再會して相悦べる靈ども、金笛の響に母の懷に俯したる穉子など、いづれ自然ならざるなく、看るものは覺えず身を圖中に寘きて、審判のことばに耳を傾く。ミケランジエロは蓋し能くダンテの歌ひしところを畫けるなり。
恰も好し將に沒せんとする夕日はそのなごりの光を最高列の窓より射込みたり。圖の下の端なる死人の起つあたり、艤せる羅刹の罪あるものを拉き去るあたりは、早や暗黒裡に沒せるに、基督とその周匝なる天翔る靈とは猶金色に照されたり。日の入ると共に最後の燭は吹き滅されて、讀誦は全く果てたり。暗黒は審判の圖の全面を覆へり。絲聲肉聲は又湧きて、世の季の審判の喜怒哀樂皆洋々たる音となりつゝ、われ等の頭上を漲り過ぐ。
法皇は式の衣を脱ぎて、贄卓の前に立ち、十字架を拜せり。金笛の響凄じく、「ポプルス、メウス、クヰツト、フエチイ、チビイ」の歌は起りぬ。低階の調に雜る軟なる天使の聲は、男の胸よりも出でず、女の胸よりも出でず、こは天上より來れるなり。こは天使の涙の解けて旋律に入りたるなり。
われはこれを聽きて、力づき甦り、この頃になき歡喜は胸に滿ちたり。われはアヌンチヤタを愛し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するに殊ならざるべし。祈祷の我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。
友誼と愛情と
式終りてベルナルドオが許を訪ひぬ。手を握り襟を披きて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。けふ聞きつるアレエグリイ(寺樂の作者)が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我疑懼、鬱悶、苦惱は幾何なりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなしゝものゝ主に我友なりしか、又はアヌンチヤタなりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對して展べ開くことを敢てせざる心の襞はこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さて/\面倒なる男かな、カムパニアの羊かひの頃よりボルゲエゼの館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、「ジエスヰタ」派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん、切角の伊太利の熱血には山羊の乳を雜ぜられたり、「ラ、トラツプ」派の僧侶めきたる制欲は身を病ましめたり、馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚び、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそ憾なれ、汝が心身の全く癒えんは人なみになりたる上の事ぞといひぬ。われ。我等二人の性は懸隔すること餘りに甚し。然るを我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり。友。そは啻に我等を温めざるのみならず、却りて何時ともなくこの交を絶つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は時に夫婦の生活のいかに我を倦ましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程興なき事はあらざるべし。さればおほかたの夫婦は幾もあらぬに厭き果つれども、名聞を憚ると人よきとにて、其縁の絲は猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、その燄の相合ふ時は即ち相滅する時ならん。愛とは得んと欲する心なり。得んと欲する心は既に得て止むべし。われ。若し汝が妻アヌンチヤタの如く美しく又賢からむには奈何。友。其薔薇花の美しき間は、わが愛づべきこと慥なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令われ等二人同じ女に懸想することあらんも、相鬪ふには至らざるべし。斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首を抱きて戲れながらにいふやう。我に馴れたる小鳥ありて、その情はいと濃かなれど、この頃は些し濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の間には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ。われ。否、我は共に往かざるべし。友。そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀くことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと欲して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面の被りざま拙ければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと欲する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり。われ。止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我を辱むる詞なり。友。されど汝はその辱を甘んじ受けざること能はざるべし。これを聞きしとき、我血は上りて頭を衝きしが、我涙も亦湧きて目に溢れたり。いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタと汝との間にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタの我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや。友。否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣少きは汝も知りたらん。されど女の事をば姑く置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも愛々といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張すること能はず。我をばたゞ此儘にてあらせよ。對話はおほよそ此の如くなりき。ベルナルドオが毒箭は痛く我胸を傷けしが、別に臨みて我に握らせたる手は、遂にわれ等が交情を滅するに至らずして止みぬ。
をさなき昔
翌日は木曜の祭日なりき。鐘の音は我を聖ピエトロの寺に誘ひぬ。嘗て外國人ありて此寺の堂奧はこゝに盡きたりとおもひぬといふ、いと廣き前廳に、人あまた群れたるさま、大路の上又天使橋の上に殊ならず。羅馬の民はけふ悉くこゝに集へるなり。されば彼外國人ならぬものも、おなじ迷を起すべう思はる。何故といふに、人愈〻衆くして廳は愈〻闊しと見ゆればなり。
歌は頭の上に起りぬ。伶人の群をば棚の二箇處に居らせて、其聲相應ずるやうにせり。群衆は洗足の禮の今始まるを見んとて押し合へり。(此日法皇老若の僧徒十三人の足を洗ひ、僧徒は法皇の手に接吻して、おの/\「マチオラ」の花束を賜り退くことなり。)偶〻貴婦人席より我に目禮するものあり。誰ぞと視ればアヌンチヤタなりき。彼君は歸りぬ。彼君は此堂にあり。我胸はいたく騷げり。その席幸に遠からねば、我等は詞を交すことを得たり。姫は咋日歸りしかど、樂ははや果てし後にて、僅に「アヱ、マリア」の時此寺には來ぬとなり。
姫。此寺の光景はきのふ暗くて見しかた、けふのめでたきにも増してめでたかりき。聖ピエトロの墓の前なる一燈の外には何の光もなく、その光さへ最近き柱を照すに及ばざる程なるに、人々跪きて祷れば、われも亦跪きぬ。緘默の裡に無量の深祕あるをば、その時にこそ悟り侍りしかといふ。側にありし例の猶太婦人は、長き紗もて面を覆ひたれば、今までそれと知らざりしに、優しく我に會釋しつ。式は早や終りぬれば、姫はおのれを車に導くべき從者や來ると顧みたれど、その影だに見えず。若き人々の姫を認めて耳語き合ふもあれば、姫は早くこの堂を出でんとおもへる如し。われは車に導かんことを請ひしに、猶太婦人は直ちに手を我肘に懸け、姫は我と並びて行けり。我は姫に我肘に倚らんことを勸むる膽なかりき。されど表口の戸に近づきて、人の籠み合ふこと甚しかりしとき、姫は手を我肘に懸けたり。我脈には火の循り行くを覺えき。車をば直ちに見出だしつ。わが暇を告げんとせしとき、姫今は精進の時なれば何もあらねど、夕餉參らすべければ來まさずやと案内したるに、媼は快手くおのれが座の向ひなる榻に外套、肩掛などあるを片付け、こゝに場所あり、いざ乘り給へと、我手を把りぬ。共に車に載せんといひしならぬを、媼の耳疎くしてかく聞き誤りたるなれば、姫ははしたなくや思ひけん、顏さと赧めたり。されど我は思慮する遑もあらで乘り遷り、御者も亦早く車を驅りぬ。
膳は豐なるにはあらねど、一として王侯の口に上すとも好かるべき贅澤品ならぬはなし。姫はフイレンチエにての事細かに語りて、さて精進日の羅馬はいかなりしと問ひぬ。こは我がためにはあからさまに答ふべくもあらぬ問なりき。
われ。土曜日には猶太教徒の洗禮あるべし。君も往きて觀給ふべきか。此詞は料らず我口より出でしが、われは忽ち彼媼の側にあるを思ひ出だして、氣遣はしげにかなたを見き。姫。否、心に掛け給ふな。御身の詞は聞えざりき。されど聞ゆとも惡しく聞くべうもあらず。唯だ彼人の往かんは妥ならねば、我もえ往かざるべし。そが上コンスタンチヌスの寺なる彼儀式は固より餘り愛でたからぬ事なり。(この儀式は歳ごとに基督再生祭に先だつこと一日にして行へり。猶太教徒若くは囘々教徒數人をして加特力教に歸依せしめ、洗禮を行ふなり。羅馬年中行事に「シイ、アフ、イル、バツテシイモ、ヂイ、エブレイ、エ、ツルキイ」と記せり。)僧侶は異教の人の歸依せるをもて正法の功力の所爲となし、看る人に誇れども、その異教の人のまことに心より宗旨を改むるは稀なり。われもをさなき時一たび往きて觀しことあり。その折の厭ふべき摸樣は今に至るまで忘られず。拉き來りしは六つ七つばかりの猶太人の童なりき。櫛の痕なき頭髮の蓬々たるに、寺の贈なる麗しき素絹の上衣を纏へり。靴と韈とは汚れ裂けたるまゝなり。後に跟きて來たるは同じさまに汚れたる衣着たる父母なりき。この父母はおのれ等の信ぜざる後世のために、その一人の童を賣りしなるべし。われ。君はをさなき時この羅馬にありてそを見きとのたまふか。姫。然なり。されど我は羅馬のものにはあらず。われ。我は始て君が歌を聽きしとき、直ちに君のむかし識りたる人なることを想ひき。そを何故とも言ひ難けれど、この念は今も猶失することなし。若しわれ等輪𢌞應報の教を信ぜば、われも君も前生は小鳥にて、おなじ梢に飛びかひぬともいひつべし。君にはさる記念なしや。何處にてか我を見しことありとはおぼさずや。姫は我と目を見あはせて、絶てさる事なしと答へき。われ詞を繼ぎて。初めわれ君は穉きときより西班牙に居給ひぬと思ひしに、今のおん詞にては羅馬にも居ましゝなり。我惑はいよ/\深くなりぬ。君既にをさなくして此都に居給ひきといへば、若しこゝの稚き子等と共に、「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ひしことあらずや。姫。あり/\。まことにさやうなる事侍りき。さてはかの折人々の目に留まりし童はアントニオ、おん身なりしか。われ。いかにも初め目に留まりしは我なりき。されど勝をば君に讓りしなり。姫はげに思ひも掛けぬ事かなと、我兩手を把りて我面を見るに、媼さへその氣色の常ならぬを訝りて、椅子をいざらせ、我等が方をうちまもりぬ。姫は珍らしき再會の顛末を媼に説き聞せつ。われ。我母もその外の人々も暫くは君が上をのみ物語りぬ。その姿のやさしさ、その聲の軟さをば、穉き我心にさへ妬ましきやうに覺えき。姫。その時君は金の控鈕附きたる短き上衣を着たまひしこと今も忘れず。その衣をめづらしと見しゆゑ、久しく記憶に殘れるなるべし。我。君は又胸の上に美しき赤き鈕を垂れ給ひぬ。されど最も我目に留まりしはそれにはあらず。君が目、君が黒髮なりき。人となり給へる今も、その俤は明に殘れり。始て君がヂドに扮し給へるを見しとき、われは直ちにこの事をベルナルドオに語りぬ。さるをベルナルドオはそを我迷ぞといひ消して、却りておのれが早く君を見きと覺ゆる由を語りぬ。姫、そは又いかにしてと問ひしが、その聲うち顫ふ如くなりき。われ。ベルナルドオが君を見きといふは、いたく變りたる境界なり。惡しくな聞き給ひそ。ベルナルドオも後に誤れることを覺りぬ。君が髮の色濃きなど、人にしか思はるゝ端となりしなるべし。君は、君はわが加特力教の民にあらず、されば「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ふ筈なしとの事なりき。姫は媼の方を指ざして、さては我友とおなじ教の民ぞといひしなるべしといふ。われは直にその手を取りて、わが詞のなめしきを咎め給ふなと謝したり。姫微笑みて、君が友の我を猶太少女とおもひきとて、われ爭でか心に掛くべき、君は可笑しき人かなといひぬ。この話は我等の交を一と際深くしたるやうなりき。わが日頃の憂さは悉く散じたり。さてわが再び見じとの決心は、生憎にまた悉く消え失せたり。
姫はふと基督再生祭前のこの頃閉館中なる羅馬の畫廊の事を思ひ出でゝ、かゝる時好き傳を得て往き看ば、いと面白かるべしといふに、姫の願としいへば何事をも協へんとおもふわれ、幸にボルゲエゼの館の管守、門番など皆識りたれば、そは容易き事なりとて、あくる朝姫と媼とを伴ひ往かんことを約しつ。かの館は羅馬の畫廊のうちにて最も備れる一つなり。フランチエスカの君の穉き我を伴ひ往き給ひしはかしこなれば、アルバニが畫の羽ある童は皆わが年ごろの相識なり。
靜なる我室に歸りて、つら/\物を思ふに、ベルナルドオはまことに彼君を戀ふるに非ず。卑しき色慾を知りて、高き愛情を解せざる男の心と、深けれども能く澹泊に、大いなれども能く抑遜せる我心とは、日を同じくして語るべからず。さきの日の物語の憎かりしことよ。彼はたゞ驕慢なり。彼はたゞ放縱なり。かくて飽くまで我を傷けたり。そはアヌンチヤタの我に優しきを妬みてなるべし。初め我を紹介せしは、いかにも彼男なりき。されど今その心を推すれば、好意とはおもはれず。おのが風采態度のすぐれたるを彼君に見するとき、その側に世馴れぬ我を居らせて反映せしめんためにはあらずや。さるを我歌我詩は端なく彼君の心にかなひぬ。妬の心はこれより萌せるならん。さて我を又姫に逢はせじとて、かくは我を脅しゝなるべし。幸にわれ好き機會を得て、今は姫との交いと深くなりぬ。姫は我を憐めり。加之ず姫は我戀を知りたり。かく思ひつゞけつゝ、我は枕に接吻せり。さるにても口惜しきは、わが意氣地なき性質なり。いかなれば我は先の日直ちに彼の無禮を責めざりしぞ。かの詞にはかく答ふべかりしなり。かの辱をばかく雪ぐべかりしなり。我血は湧き上りたり。無上の快樂に無比の慙恨打ち雜りて、我は睡ること能はざりしが、曉近くおもひの外に妥なる夢を結びぬ。
翌朝は夙く起き、管守を訪ひて預めことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。
畫廊
畫廊はわが穉かりしとき、惠深き貴婦人の我を伴ひ往きて、おろかなる問、いまだしき感の我口より出で我言に發するごとに、面白しとて嬉み笑ひ給ひしところにして、又わが獨り入りて遊び暮らしゝところなれば、今アヌンチヤタを導き往くことゝなりたる我胸には、言ひ知らず怪しき情漲り起れり。既に入りて畫を看れば、幅ごとに舊知なるごとく思はる。されど姫は却りてこれを知ること我より深かりき。姫は生れながらの官能に養ひ得たる鑒識をさへ具へたれば、その妙處として指し示すところは悉く我を服せしめ、我にその神會の尋常に非ざるを歎ぜしめたり。
姫はジエラルドオ・デル・ノツチイの名ある作なるロオト(ソドムに住みしハランの子)とその女兒との圖の前に立てり。われはをゝしき父の面、これに酒を勸むる樂しげなる少女の姿、暗く繁りあひたる木立のあなたに見ゆる夕映の空などめでたしと稱へしに、姫我ことばを遮りて、げに/\奇なる才激せる情もて畫けるものと覺し、作者の筆の傅色表情の一面は寔に貴むべし、さるを此の如き題(ロオトは其女子と通じたり)を選みしこそ心得られね、畫にも禮儀あり、品性あらんは我がつねに望む所なり、コルレジヨオがダナエなども、己れは人の愛づらんやうには愛でず、少女(ダナエを謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス黄金の雨となりて遘き給ひ、ペルセウスを生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床の上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロの大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、毎に高雅にして些の穢れだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨醇白なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者に於けると同じ。名作中こゝかしこに稍〻過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做して、恕すこともあるべけれど、その疵瑕は遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ。われ。さらば君は變化を命題の間に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家鉅匠にても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし。姫。否々、そは我が言はんと欲せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風に抗ふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザが山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背徳を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイの畫の如きすら、その巧緻その汚穢を掩ふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふや。驢に騎りたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏ありて、一鼷鼠、一蚯蚓、一木蝱これに集り、石面には「エツト、エゴオ、イン、アルカヂア」と云ふ〈[#「アルカヂア」と云ふ」は底本では「アルカヂアと」云ふ」]〉四つの拉甸語を書したり。われ。その畫はラフアエロの「ヰオリノ」彈きの隣に懸けられたるを、われも記憶す。姫。さなり。そのラフアエロが落欵の見苦しき彼圖の上邊にあるこそ憾なれ。
既にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイが四季の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれといひて、憂をかくすやうなるさまなり。昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ。君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき、人々に感覆られたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目には君、まことに樂しく見え給へり。さるを心には樂しとおもひ給はずや。かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面を俯し視たるに、姫はそのそこひ知られぬ目なざしもて打ち仰ぎ、そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し、そを籠の内に養ひしは世の人にいやしまれ疎まるゝ猶太教徒なり、その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるはかの猶太教徒の惠なりといひかけて、忽ち頭を掉り動かし、あな無益なる詞にもあるかな、由縁なき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬをといふ。由縁なき人とはわれかと、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守りてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。否々、われも樂しかりし日なきにあらず、その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡に雕られたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたりとて、姫は我に先だちて歩を移しき。
わがアヌンチヤタと老媼とを伴ひて旅館にかへりしとき、門守る男はベルナルドオが留守におとづれしことを告げたり。我友はこの男の口より二婦人を連れ出だしゝものゝ我なるを聞けりといふ。友の怒は想ふに堪へたり。かゝる事あるごとに、我は前の日には必ず氣遣ひ憂ふる習なりしが、アヌンチヤタに對する戀は我に彼友に抗する心を生ぜしめき。さきには友我を性格なし、意志なしと罵りき。今はわれ友に見すに我性格と我意志とをもてすべしとおもひぬ。
姫が猶太教徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絶えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホの許にて見きといふ少女はアヌンチヤタなりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許なし。
あくる日往きしときは、姫は一間にありて某の役を浚ひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われは前の日即興の詩を歌ひしとき、この人の嬉み聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、あやしとおもひ給ひしも理りなり、君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそに解したるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタが歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やう/\養ひ成せりといふ。媼はベルナルドオが上を問ひ、そのきのふ留守の間におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオを喜べるゆゑを問ふに、かの人の心ざまには優れたるふしあり、われその證を見しことあればよく知りたり、猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならんといふ。やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはし/″\より推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙に生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、頼るべき方もなし。猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故郷なる某の貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさま/″\のてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしき計をさへ運らしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命も危かるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子に索ね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓に濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。幾もなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワの神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリにての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよ/\深きを稱ふること頻りなりき。
旅館を出でしは祝射の眞盛なりき。玄關よりも窓よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫を覆へる黒布をば、此聲とゝもに截りて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタと媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。
蘇生祭
祭の鐘は鳴りわたれり。僧官を載せたる彩車は聖ピエトロの寺に向ひて奔りゆく。車の後なる踏板には、式の服着たる僮僕あまた立てり。外國人の車馬、ところの子女の裙屐に、狹き巷の往來はむづかしき程になりぬ。神使の丘の巓には、法皇の徽章、聖母の肖像を染めたる旗閃き動けり。ピエトロの辻には樂人の群あり。道の傍には露肆をしつらひて、もろ手さし伸べたる法皇授福の木板畫、念珠などを賣りたり。噴水の銀線は日にかゞやけり。柱弓の下には榻あまた置きたるに、家の人も賓客も居ならびたり。群衆は忽ち寺門より漲り出でたり。供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱の鐵釘、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙間なき列をなせり。傖父少童には石像の趺に攀ぢ上れるあり。全羅馬の生活の脈は今此辻に搏動するかと思はる。既にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人に舁かせたる、華美なる手輿に乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀の羽もて作りたる長柄の翳を取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて歩めるは
僧官達なり。行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の群集は跪けり。隊伍をなせる兵士もこれに倣へり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新教を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタは停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの群の上に降り灑ぐを覺えき。廊の上より紙二ひら翩り落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。鐘の音再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオが馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタと媼とに禮して、我をば顧みざりき。姫は君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずやとさゝやきぬ。われはたゞさることはあらざるべしと答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以を知りたり。而してわれは我決心の期到れるを覺えき。
わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀に委ぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場に宜くして、我吭の喝采を博するに足るを驗し得たれば、一たび意を決して俳優の群に投ぜば、多少の發展を見んこと難からざるべし。ベルナルドオ畢竟何爲者ぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍をなさじ。友と我との間に擇ばんは、一にアヌンチヤタが寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我退かん。この日われは机に對ひて書を裁し、これをベルナルドオが許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の涙紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウスの鷲の嘴に刺さるゝ如き念をなし、或は姫に許されて戲場を雙棲のところとなさん日の樂奈何なるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほど心亂れたる人に殊ならざりき。
燈籠、わが生涯の一轉機
夕の勤行の鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺の燈籠見に往きぬ。聖ピエトロの伽藍には中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端、悉く透き徹りたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈は火燄の輪廓もて青空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の群れ集へること、晝の祭の時にも増されるにや、車をば並足にのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黄なるテヱエル河の波を射て、遊び嬉む人の限を載せたる無數の舟を照し、爰に又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロの廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖傳へられぬ。御寺の屋根々々に分ち上したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾に火を點ず。小き燈のかず/\忽ち大火燄と化したる如く、この時聖ピエトロの寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘムの搖籃の上に照りし星にもたとへつべきさまなり。(原註。寺院もそのめぐりなる家屋も、皆石もて築き立てたるものなれば、この盤中の火は松脂の盡くるまで燃ゆれども、火虞あるべきやうなし。)群衆の歡び呼ぶ聲はいよ/\盛になりぬ。アヌンチヤタこの活劇を眺めたるが、遽に我に向ひていふやう。かの大穹窿の上なる十字架に火皿を結び付くる役こそおそろしけれ。おもひ遣るに身の毛いよ竪つ心地す。われ。げに埃及の尖塔にも劣らぬ高さなり。かしこに攀ぢしむるには膽だましひ世の常ならぬ役夫を選むことにて、預め法皇の手より膏油の禮を受くと聞けり。姫。さてはひと時の美觀のために、人の命をさへ賭するなりしか。われ。これも神徳をかゞやかさんとての業なり。世には卑しき限の事に性命を危くする人さへ少からず。かく語るうち、車の列は動きはじめたり。人々はモンテ、ピンチヨオの頂にゆきて、遙かにかゞやく御寺と其光を浴むる市とを見んとす。われ重ねて。御寺に光を放たせて、都の上に照りわたらしむるは、いとめでたき意匠にて、コルレジヨオが不死の夜の傑作も、これよりや落想しつるとおもはる。姫。さし出がましけれど、そのおん説は時代たがへり。彼圖は御寺に先だちて成りたり。作者は空に憑りて想ひ得しなるべく、又まことに空に憑りて想ひ得たりとせんかた、藍本ありとせんよりめでたからん。モンテ、ピンチヨオは餘りに雜遝すべければ、やゝ遠きモンテ、マリヨへ往かばや。こゝより市門まではいと近ければといふ。われは馭者に命じて、柱廊の背後を𢌞らしめ、幾ほどもなく市外に出でたり。丘の半腹なる酒店の前に車を停めて見るに、穹窿の火の美しさ、前に見つるとはまた趣を殊にして、正面の簷こそは隱れたれ、星を聯ねたる火輪の光の海に漂へるかとおもはる。この景色は四邊のいと暗くして、大空なるまことの星の白かねの色をなして、高く隔たりたる處に散布せるによりて、いよ/\その美觀を添へ、人をして自然の大なるすら羅馬の蘇生祭には歩を讓りたるを感ぜしむ。鐘の響、樂の聲はこゝまでも聞えたり。
われは車を下りて、些の稍事を買はゞやと酒店の中に入りぬ。店の前には狹き廊ありて、小龕に聖母を崇きまつり、さゝやかなる燈を懸けたり。わが店を出でんとて彼龕の前に來ぬるとき、忽ちベルナルドオが吾前に立ち塞がりたるを見き。その面の色は、むかし「ジエスヰタ」派の學校のこゝろみの日に、桂冠を受け戴きしをりに殊ならず。眼は熱を病める如くかゞやけり。物狂ほしく力を籠めて我臂を握り、あやしく抑へ鎭めたる聲して、アントニオ、われは卑しき兇行者たらんを嫌へり、然らずば直ちに此劍もて汝が僞多き胸を刺すならん、汝は臆病ものなれば辭まむも知れねど、われは強ひて潔き決鬪を汝に求む、共に來れといふ。われは把られたる臂を引き放さんとすまひつゝ、ベルナルドオ、物にや狂へると問ふに、友は焦燥つ聲を抑へて、叫ばんとならば叫べ、男らしく立ち向ふ心なくば、人をも呼べ、この兩腕の縛らるゝ迄には、汝が息の根とめでは置かじ、兵はこゝにあり、我に恥ある殺人罪を犯させじとおもはゞ疾く來れといひつゝ、拳銃一つ我手にわたし、われを廊の外に拉き行かんとす。われは遞與されたる拳銃を持ちながら、猶身を脱せんとして爭へり。友。彼君は淺はかにも汝に靡きしならん。汝は誇らしくも、そを我に、そを羅馬の民に示さんとす。われを出し拔きしは猶忍ぶべし。いかなれば我に弔辭めきたる書を贈りて、重ねて我を辱めたる。われ。ベルナルドオ、そは皆病める人の詞なり。先づその手を弛めずや。われは力を極めて友の體を撥ね退けたり。
その時われは銃聲の耳邊に轟くを聞きたり。我右臂には衝動を感じたり。烟は廊道に滿ちたり。われは又叫ぶに似て叫ぶにあらざる一種の氣息を聞きたり。この氣息の響は我耳を襲ふよりは寧ろ我心を襲ひき。發したるは我手中の銃にして、黒く數石を染めたる血に塗れて我前に横れるは我友なり。われは喪心者の如く凝立して、拘攣せる五指の間に牢く拳銃を攫みたり。
わが此不慮此不幸の全範圍を感ぜしは、酒店の人の罵り噪ぎつゝ走り寄りアヌンチヤタと媼との我前に來るを見し時なりき。わがベルナルドオと叫びて、その躯に抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。姫はかく我友をいたはりつゝ、血の色全く失せたる面を擧げて、我を凝視せり。媼は我臂を搖り動かして、疾く此場をと呼べり。
われは胸裂くるが如き苦痛を覺えき。われは叫び出せり。思ひ掛けぬ怪我なり。殺さんと欲せしは他なり。銃は他の我にわたしゝなり。われは身を脱せんとして撥條に觸れたり。アヌンチヤタ聞き給へ。我等二人は命に懸けて君を慕ひしなり。君がために血を流さんことは、われも厭はざるべきこと、我友と同じ。われはおん身が一言を聞きて去らん。おん身は我友を愛し給ひしか、我を愛し給ひしか。
友の介抱に餘念なき姫は、詞のあやもしどろに、疾く往き給へといひて、手を揮りたり。姫は往き給へと繰反したり。われは心もそらに再び、友なりしか我なりしかと叫びたり。
その時われはアヌンチヤタが友の上に俯して唇をその顙に觸るゝを見、その聲を呑みて微かに泣くを聞きたり。
次第に集りたる衆人の中より、忽ち邏卒々々と呼ぶ聲を聞けり。われは目に見えぬ幾條の腕もて拉き去らるゝ心地して、此場を遁れたり。
基督の徒
愛せられしは友なり。この一條の毒箭は我渾身の血を濁して、人を殺せり友を殺せりといふ悔悟の情の頭を擡ぐるをさへ妨げんとす。灌木雜草を踏みしだき、棘に面を傷られ、梢に袖を裂かれつゝも、幾畝の葡萄畠を限れる低き石垣を乘り越え乘り越え、指すかたをも分かでモンテ、マリヨの丘を走り下るに、聖ピエトロの御寺の火は、昔カインの奔りしとき、同胞の躯を供へたる贄卓の火のゆくてを照しゝ如くなり。(譯者云。カインは亞當が第一の子にして、弟を殺して神に供へき。)この間幾時をか經たる、知らず。わが足を駐めしは、黄なるテヱエルの流の前を遮るを見し時なりき。羅馬より下、地中海の荒波寄するあたりまで、この流には橋もなし、また索むとも舟もあらざるべし。この時我は我胸を噬む卑怯の蛆の兩斷せらるゝを覺えしが、そは一瞬の間の事にて、蛆は忽又蘇りたり。われは復たいかなる決斷をもなすこと能はざりき。
われはふと首を囘らしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びし冢に比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入なり。頽れ墮ちたるついぢの石に、三頭の馬を繋ぎたるが、皆おの/\顋下に弔りたる一束の芻を噛めり。
墓門より下ること二三級なる窪みに、燃え殘りたる焚火を圍める三個の人物あり。その火影の早く我目に映らざりしにても、我が慌てたるを知るに足るべし。火の左右に身を横へたる二人は、逞ましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊の裘を纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖を貼けたる尖帽を戴き、短き烟管を銜みて對ひあへり。第三個は鼠色の大外套にくるまり、帽をまぶかに被りてついぢに靠りかゝりたるが、その身材はやゝ小く、瓶を口にあてゝ酒飮み居たり。
わが渠等を認めしとき、渠等も亦我を認めき。肥えたる二人は齊しく銃を操りて立ち上り〈[#「立ち上り」は底本では「立り上り」]〉たり。客人は何の用ありてこゝに來しぞ。われ。舟をたづねて河をこさんとす。三人は目を合せたり。甲。むづかしきたづねものかな。挈げ持ちて旅するものは知らず。こゝ等には舟も筏もなし。乙。客人は路にや迷ひ給ひし。こゝは物騷なる土地なり。デ・チエザアリが夥伴は遠き處まで根を張れば、法皇はいかに鋤を揮り給ふとも、御腕の痛むのみなり。甲。客人はなどて何の器械をも持ち給はぬ。見られよ、この銃は三連發なり。爲損じたるときの用心には腰なる拳銃あり。丙。この小刀も馬鹿にはならぬ貨物なり。(かの身材小さき男は冰の如き短劍を拔き出だして手に持ちたり。)乙。早く※〈[#「革+室」、67-下段-23]〉に納めよ。年若き客人は刃物は嫌ひなるべし。客人、われ等に逢ひ給ひしは爲合せなり。若し惡棍などに逢ひ給はゞ、素裸にせられ給はん。金あらば我等にあづけ給へ。
われは今三人の何者なるかを知りたり。我五官は鈍りて、我性命は價なきものとなりぬ。諸君よ、わが持てる限の物をば、悉く贈るべし、されどおん身等を饜かしむるに足らざるこそ氣の毒なれと答へて、われは進寄りつゝ、手を我衣兜にさし籠みたり。われは兜兒の中に猶盾銀二つありしを記したり。而るに我手に觸れたるは、重みある財布なりき。抽き出して見れば、手組の女ものなるが、その色は曾てアヌンチヤタが媼の手にありしものに似たり。落人の盤纏にとて、危急の折に心づけたる、彼媼の心根こそやさしけれ。三人ひとしくさし伸ぶる手を待たで、われは財布の底を掴みて振ひしに、焚火に近き匾石の上に、こがねしろかね散り布けり。眞物ぞと呼びつゝ、人々拾ひ取りて勿體なき事かな、盜人などに取られ給はゞいかにし給ふといふ。われ。貨物はそれ丈なり。疾く我命を取り給へ。生甲斐なき身なれば毫しも惜しとはおもはず。甲。思ひも寄らぬ事なり。我等はロツカ・デル・パアパに住める正直なる百姓仲間なり。同じ教の人を敬ふ基督の徒なり。酒少し殘りたり。これを飮みて、かく怪しき旅し給ふ事のもとを明し給へ。われ。そはわが祕事なり。かく答へて我は彼瓶を受け、燥きたる咽を潤したり。
三人は何事をかさゝやきあひしが、小男は嘲み笑ふ如き面持して我に向ひ、煖き夕のかはりに寒き夜をも忍び給へといひて立ちぬ。渠は驅歩の蹄の音をカムパニアの廣野に響かせて去りぬ。甲。いざ客人、船を待ち給はんは望なき事なり。我馬の尾に縋りて泅がんこともたやすからねば、鞍の半を分けて參らすべし。渠は我を後ざまに馬の脊に掻き載せて、おのれは前の方に跨り、水に墜さぬ用心なりとて、太き綱を我胸と肘とのめぐりに卷きて、脊中合せにしかと負ひたり。我には手先を動かす餘地だになかりき。逞ましき馬は前脚もて搜りつゝ流に入りしが、水の脇腹に及ぶころほひより、巧に泳ぎて向ひの岸に着きぬ。渠は河ごしは濟みたりと笑ひて、綱を弛むる如くなりしが、こたびは我脊を緊しく縛りて、その端を鞍に結ひつけ、鞍をしかと掴みておはせ、墜ちなば頸の骨をや摧き給はんといひて、靴の踵を馬の脇に加ふれば、連なる男も同じく足をはたらかせたり。かくて二匹の馬三個の人は、弦を離れし矢の如くカムパニアの原野を横ぎりたり。前なる男の長き髮は、風に亂れて我頬を拂へり。頽れたる家の傍、斷えたる水道の柱弓の畔を、夢心に過ぎゆけば、血の如く紅なる大月地平線より輾り出で、輕く白き靄騎者の首を繞りてひらめき飛べり。
山塞
友を殺し、女に別れ、國を去りて、兇賊の馬背に縛められ、カムパニアの廣野を馳す。一切の事、おもへば夢の如く、その夢は又怪しくも恐ろしからずや。あはれ此夢いつかは醒めん、醒めてこの怖るべき形相は消え淪びなん。心を鎭めて目を閉づれば、冷なる山おろしの風は我頬を繞りて吹けり。
山路にさしかゝると覺しき時、騎者は背後なる我を顧みて詞をかけたり。程なく大母の蔽膝の下に息らふべければ、客人も心安くおぼせよ。良き馬にあらずや。この頃聖アントニオの禳を受けたり。小童の絹の紐もて飾りて牽き往きしに、經を聽かせ水を灌せられぬれば、今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。
岩間の細徑に踏み入る頃、東の天は白みわたりぬ、連なる騎者馬さし寄せて、夜は明けんとす、客人の目疾せられぬ用心に、涼傘さゝせ申さんと、大なる布を頭より被せ、頸のまはりに結びたれば、それより方角だに辨へられず。諸手をば縛められたり。我身上は今や獵夫に獲られたる獸にも劣れり。されど憂に心昧みたる上なれば、苦しとも思はでせくゞまり居たり。馬の前足は大方仰ぐのみなれど、ともすれば又暫し阪道を降る心地す。茂りあひたる梢は頻りに我頬を拊てり。道なき處をや騎り行くらん覺束なし。
久しき後馬より卸して、我を推して進ましむ。かれこれ復た隻語を交へず。狹き門を過ぎて梯を降りぬ。心神定まらず、送迎忙はしき際の事とて、方角道程よくも辨へねど、山に入ること太だ深きにはあらずと思はれぬ。わがその何れの地なるを知りしは、年あまた過ぎての事なり。後には外國人も尋ね入り、畫工の筆にも上りぬ。こゝは古のツスクルムの地なり。栗の林、丈高き月桂の村立ある丘陵にて、今フラスカアチと呼ばるゝ處の背後にぞ、この古跡はあなる。「クラテエグス」、野薔薇などの枝生ひ茂りて、重圈をなせる榻列の石級を覆へり。山のところどころには深き洞穴あり、石の穹窿あり。皆草叢に掩はれて、迫り視るにあらでは知れ難かるべし。谷のあなたに聳てるはアプルツチイの山にて、沼澤を限り、この邊の景に、物凄き色を添ふ。あはれ此山の容よ。この故址斷礎の間より望むばかり、人を動すことは、またあらぬなるべし。
騎者等の我を拉き往くは、とある洞窟の一つにて、その入口は石楠の枝といろ/\なる蔓艸とに隱されたり。我等は足を駐めつ。徐かに口笛吹く聲と共に、扉を開く響す。再び數級の石磴を下る。數人の亂れ語る聲我耳に入りし時、頭に纏へる布は取り除けられぬ。わが身は大穹窿の裏に在り。中央なる大卓の上に眞鍮の燈二つ据ゑて、許多の燈心に火を點じ、逞しげなる大漢數人の羊の裘着たるが、圍み坐して骨牌を弄べり。火光の照し出せる面ざしは、苦みばしりて落ち着きたるさまなり。人々は生面の客あるを見ても、絶て怪み訝ることなく、我に榻を與へて坐せしめ、我に盞を與へて飮ましめ、肴せんとて鹽肉團をさへ截りてくれたり。その相語るを聞くに、方言にて解すべからず、されど我上に關はらざる如くなりき。
我は飢を覺えずして、たゞ燃ゆる如き渇を覺えしかば、酒を飮みつゝ四邊を見たり。隅々には脱ぎ棄てたる衣服と解き卸したる兵器とあるのみ。一角に龕の如く窪みたる處あり。その天井には半ば皮剥ぎたる兎二つ弔り下げたり。初め心付かざりしが、その窪みたる處には一人の坐せるあり。年老いたる媼の身うち痩せ細りたるが、却りて脊直にすくやかげなる坐りざまして、あたりに心留めざる如く、手はゆるやかに絲車を𢌞せり。銀の如き髮の解けたるが、片頬に墜ちかゝりて、褐色なる頸のめぐりに垂るゝを見る。その墨の如き瞳は、とこしへに苧環の上に凝注せり。焚きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座の畔にちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふ奇しき圈とも看做さるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。(譯者云。古説に三女ありて人生運命の泰否を掌る。性命の絲を繰るをクロトと曰ひ、これを撮みたるをラヘシスと曰ひ、これを斷つをアトロポスと曰ふ。姉妹神なり。)
人々の我事にかゝづらはざりしは、久しからぬ程なりき。忽ち糺問は始まりぬ。職業は何ぞ、資産ありや否や、親戚ありや否や抔いふことなりき。我は徐かに答へき。わが帶び來たるところのものをば、最早君等に傾け贈りぬ。かくてこの身はやうなき貨となりぬ。縱ひ羅馬わたりに持ち往きて沽らんとし給ふとも、盾銀一つ出すものだにあらじ。廉ある生活の業をも知らず。頃日は拿破里に往きて、客に題をたまはりて、即座に歌作りて謳はんと志したり。斯く語るついでに、われはこたび身を以て逃れたる事のもとさへ、包み藏さずして告げぬ。唯だアヌンチヤタが上をば少しも言はざりき。さてわが物語の終は、この上殊なる望なければ、この身を官府に引き渡して、襃美にても受け給へといふことなりき。
一人の男のいはく。さりとては珍らしき望なるかな。想ふに羅馬市には、黄金の耳環を典して、客人を贖ひ取ることを吝まざる人あるならん。拿破里の旅稼は、その後の事とし給はんも妨あらじ。さはあれ強ひて直ちに拿破里に往かんとならば、あぶなげなく彊を越させ申さんことも、亦我等の手中に在り。留りて此樂園に居らんとならば、それも好し。こゝに在るは善き人々なるをば、客人も夙く悟り給ひしならん。されど此等の事思ひ定め給はんには、先づ快く一夜の勞を醫し給ふに若かず。こゝに佳き牀あり。それのみならず、來歴ある好き衾をも借し參らせん。巽風吹く頃の夕立をも、雪ふゞきをも凌ぎし衾ぞとて、壁よりはづして投げ掛くるは、褐色なる大外套なり。牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆なり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ、オオ、ミア、ベツチイナ」(降り來よ、やよ、我戀人)と俚歌口ずさみて出行きぬ。
血書
われは眠ることを期せずして、身を藁蓆の上に僵しゝに、前の日よりの恐ろしき經歴は魘夢の如く我心を劫し來りぬ。されど氣疲れ力衰へたればにや目眶おのづから合ひ、いつとは知らず深き眠に入りて、終日復た覺むることなかりき。
醒めたる時は心地爽かになりて、前に心身を苦めつる事ども、唯だ是れ一場の夢かと思はるゝ程なりき。然はれそは一瞬の間にして、身の在るところを顧み、四邊なる男等の蹙みたる顏付を見るに及びては、我魘夢の儼然として動すべからざる事實なるを認めざることを得ざりき。
一客あり。灰色の外套を偏肩に引掛け、腰に拳銃を帶びたるが、馬に騎りたる如く長椅に跨りて、男等と語れり。穹窿の隅の方には、彼の雜種いろしたる老女の初の如く坐して繰車まはせるあり。黒地に畫ける像の如し。座のめぐりには、新き炭を添へて、その煖氣は室に滿ちたり。われは客の、彈は脇を擦過りたり、些の血を失ひつれど、一月の間には治すべしといふを聞き得たり。
わが頭を擡げしを見て、われを鞍に縛せし男のいふやう。客人醒め給ひしよ。十二時間の熟睡は好き保養なるべし。こゝなるグレゴリオは羅馬より好き信をもて來たり。そはおん身の喜び給ふべき筋の事なり。手を下しゝはおん身に極つたり。時も所も符を合す如し。驕りたる評議廳の官人は、おん身がために、容赦なくその長裾を踏まれぬと見えたり。お身の大膽なる射撃に遭ひしは、評議官の從子なりき。これを聞きてわれは僅に、命にはさはらずやと問ふことを得き。グレゴリオの云はく。先づ死なで濟むべし。醫者は然云ひきとぞ。鶯の如き吭ありといふ、美しき外國婦人の夜を徹して護り居たるに、醫者は心を勞し給ふな、本復疑なしといひきとぞといふ。我を伴ひ來し男の云はく。われおもふに、君は男の身を錯り射給ひしのみにあらず、女の心をも亦錯り射給ひしなり。雌雄は今雙び飛ぶべし。君は唯だこゝに在せ。自由なる快活なる生計なり。君は小なる王者たることを得べし。而してその危さは決して世間の王位より甚しからず。酒は酌めども盡きざるべし。女は君を欺きし一人の代りに、幾人をも寵し給へ。同じく是れ生活なり、餘瀝を嘗むると、滿椀を引くと、唯だ君が選み給ふに任すと云ひき。
ベルナルドオは死せず。我は人を殺さず。この信は我がために起死の藥に侔しかりき。獨りアヌンチヤタを失ひつる憂に至りては、終に排するに由なきなり。われは猶豫することなく答へき。我身は只君等の處置するに任すべし。されどわが嘗て受けし教と、現に懷ける見とは、俘囚たるにあらずして、君等が間に伍すべきやうなし。これを聞きて、我を伴ひ來し男の顏は、忽ち嚴なる色を見せたり。盾銀六百枚は定まりたる身のしろなり。そを六日間に拂ひ給はゞ、君は自由の身なるべく、さらずば君が身は、生きながらか、殺してか、我物とせではおかじ。こは此處の掟なれば、君が紅顏も我丹心も、寛假の縁とはならぬなるべし。六百枚なくば、我等の義兄弟となりて生きんとも、彼處なる枯井の底にて、相擁して永く眠れる人々の義兄弟となりて終らんとも、二つに一つと思はれよ。身のしろ求むる書をば、友達に寄せ給はんか、又彼歌女に寄せ給はんか。おん身の一撃媒となりて、二人はその心を明しあひつれば、さばかりの報恩をば、喜びてなすなるべし。斯く語りつゝ、男は又から/\と笑ひて云ふ。廉き價なり。この宿の客人に、還錢のかく迄廉きことは、その例少からん。都よりの馬のしろ、六日の旅籠を思ひ給へ。われ。我志をば既に述べたり。我はさる書をも作らざるべく、又君等が夥伴にも入らざるべし。男。さて/\強情なる人かな。されどその強情は憎くはあらず。我彈丸の汝が胸を貫かんまでも、その心をば讚めて進ずべし。命惜まぬ客人よ。生くといふには種々あり。少年の心は物に感じ易しといふに、吾黨がかく累なく障なき世渡するを見て、羨ましとは思はずや。そが上おん身は詩人にて、即興詩もて口を糊せんといふにあらずや。吾黨の自由不羇の境界を見て心を動すことはなきか。客人試みに此境界を歌ひ給へ。題をば巖穴の間なる不撓の氣象とも曰ふべきならん。客人若しこれを歌はゞ、彼生活といひ性命といふものゝ、樂む可く愛す可きを説かざることを得ぬなるべし。その杯を傾けて、歌ひて我等に聽せ給へ。出來好くば六日の期を一日位は延ばすべしといふ。男は手をさし伸べて、壁上なる「キタルラ」を取りて我に授けつ。賊の群は立ちて我席を繞りたり。
われはそを把りて暫く首を傾けたり。課する所の題は巖穴山野にて、こは我が曾て經歴せざるところなり。前の夜こゝに來し時は、目を掩はれたれば甲斐なし。昔見しところを言はゞ、羅馬のボルゲエゼ、パムフイリの兩苑に些の松林ありしに過ぎず。まことの山とては、幼かりし程ドメニカが家の窓より望みしより外知らず。已むことなくば只だ一たび山を見き。ジエンツアノの花祭に往きし途すがらの事なり。ネミ湖畔の高原を歩みしに、道は暗く靜けき森林の間を通じたり。彼祭はわが爲には悲き祭なりければ、湖畔の道にて花束つくりしことをさへ、今猶忘れでありしなり、景は心目に上り來れり。今かく物語する時間の半をだに費さずして、景は情を生じ、情は景を生ずるほどに、我は絃を撥きたり。情景は言の葉となり、言の葉は波起り波伏す詩句となりぬ。且我が歌ひしところを聽け。深き湖あり。暗き林はそを環れり。湖の畔なる巖は聳ちて天を摩せんとす。こゝに暴鷲の巣あり。母鳥は雛等に教へて、穉き翼を振はしめ、またその目を鋭くせんために、日輪を睨ましめき。扨母鳥の云ひけるやう。汝達は諸鳥の王なるぞ。目は利く、拳は強し。いでや飛べ。飛びて母の側を去れ。我目は汝を送り、我情は彼の死に臨める大鵝の簧舌の如く汝が上を歌ふべし。その歌は不撓の氣力を題とせんといひき。雛等は巣立せり。一隻は翅を近き巖の頂に斂めて、晴れたる空の日を凝矚すること、其光のあらん限を吸ひ取らんと欲する如くなりき。一隻は高く虚空に翔りて、大圈を畫し、林樾沼澤を下瞰するが如くなりき。岸に近き水面には緑樹の影を倒せるありて、その中央には碧空の光を蘸すを見る。時に大魚の浮べるあり。その脊は覆りたる舟の如し。忽ち彼雛鷲は電の撃つ勢もて、さと卸し來つ。刃の如き利爪は魚の背を攫みき。母鳥は喜、色に形れたり。然るに鳥と魚とは力相若くものなりければ、鳥は魚を擧ぐること能はず、魚は鳥を沈むること能はず、打ち込みたる爪の深かりしために、これを拔かんとするも、亦意の如くならず。こゝに生死の爭は始まりぬ。今まで靜なりける湖水の面は、これがために搖り動され、大圈をなせる波は相重りて岸に迫れり。既にして波上の鳥と波底の魚と、一齊に鎭まり、鷲の翼の水面を掩ふこと蓮葉の如くなりき。忽ち隻翼は又聳ち起り、竹を割く如き聲と共に、一翼はひたと水に着き、一翼は劇しく水を鞭ち沫を飛ばすと見る間に、鳥も魚も沈みて痕なくなりぬ。母鳥は悲鳴して、巖角なる一隻の雛を顧みるに、こもいつか在らずなりて、首を仰いで遠く望めば、只だ一黒斑の日に向ひて飛ぶを見き。母鳥は悲を轉じて喜となしたり。その胸は高く躍りて、その聲は折るれども撓まぬ力を歌ひぬ。我歌はこゝに終り、喝采の聲は座に滿ちぬ。獨り我は瞚きもせで、龕の前なる老女をまもり居たり。そは我が歌ひて半に至りし時、老女の絲繰る手やうやく緩く、はては全く歇みて、暗き瞳の光は我面を穿つ如く、こなたに注がれたればなり。又我が能く少時の夢を喚び起して、この詩中に入るゝことの、かくまで細かなることを得しは、この老女の振舞與りて力ありければなり。
媼は忽ち身を起し、健かなる歩みざまして我前に來て云ふやう。能くも歌ひて、身のしろを贏ち得つるよ。吭の響はやがて黄金の響ぞ。鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、この姥は汝が星の躔るところを見つれ。鷲よ。いで日に向ひて飛べ。老いたる母は巣にありて、喜の目もてそを見送らんとす。汝が翼をば、誰にも折らせじといふ。我に勸めて歌はせし男恭しく媼の前に磕頭きて、さてはフルヰアの君は此わかうどを見給ひしことあるか、又その歌を聞き給ひしことあるかと問ひぬ。媼。そは汝の知らぬ事なり。われは早く幸運の兒の身と光と眼の星とを見き。兒はむかし花の環を作りぬ。後又愈〻美しき花の環を作るならん。その臂を縛むべきことかは。六日が程は巣にあれかし。脊に爪打ち込みしにはあらず。六日立たば、汝この雛を放ち遣りて、日の邊へ飛ばしめよ。斯くつぶやきつゝ、媼は壁の前なる筐を探りて、紙と筆とを取り出でつ。あな、やくなし。墨は巖の如くなりぬ。コスモよ。人の上のみにはあらず。汝が腕の血を呉れずやといふ。コスモと喚ばれし彼男は、一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚を截りたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「往拿破里」と書して名を署せしめて云ふ。好し好し、法皇の封傳に劣らぬものぞとて、懷にをさめつ。傍なる一人の男、その紙何の用にか立つべきとつぶやきしに、媼目を見張りて、蛆のもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙らんを避けよといふ。コスモは首を低れて不敢不敢汝の命は神璽靈寶にも代へじといひき。人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、瓶は手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて呉るゝもありき。唯だ彼媼は故の如く、室隅に坐して、飮食の事には與らざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、大母よ、汝は凍ゆるならんといひき。我は媼の詞につきて熟〻おもふに、むかし母とマリウチアとに伴はれて、ネミ湖畔に花束作りし時、わが上を占ひしことあるは此媼なりしなるべし。我運命の此媼の手中にありと見ゆること、今更にあやしくこそ覺えらるれ。媼はわれに往拿破里と書かしめき。こは固より我が願ふところなり。されど封傳なくして、いかにして拿破里には往かるべきぞ。又縱令かしこに往き着かんも、識る人とては一人だに無き身の、誰に頼りてか活をなさん。前にはわれ一たび即興詩もて世を渡らんとおもひき。されど羅馬にて人を傷けたりと知られんことおそろしければ、舞臺に出づべきこゝろもなし。されど方言をばよく知りたり、聖母のわれを見放ち給ふことだにあらずば、ともかくもして身を立てんと、強ひて安堵の念を起しつ。あはれ、あやしきものは人のこゝろにもあるかな。この時アヌンチヤタが我を卻けて人に從ひし悲痛は、却りて我心を抑し鎭むる媒となりぬ。我がこの時の心を物に譬へて言はゞ、商人のおのが舟の沈みし後、身一つを三版に助け載せられて、知らぬ島根に漕ぎゆかるゝが如しといふべき歟。
かくて一日二日と過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨の留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、その目なざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をり/\は又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色現るゝことあり。我と此男とは暫し對ひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。
花ぬすびと
若者はふと思ひ付きたる如く。おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へとて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黒き瞳子には、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう。いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情の詐多きは、山里も都大路も殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少きこそめでたけれ。汝はアリチアの婚禮とサヱルリ侯との昔がたりを知るならん。壻は卑しき農夫なりき。婦は貧しき家の子ながら、美しき少女なりき。侯爵の殿は婚禮の筵にて新婦が踊の相手となり、宵の間にしばし花園に出でよと誘ひ給へり。壻この約を婦に聞きて、婦の衣裳を纏ひ、婦の面紗を被りて出でぬ。好くこそ來つれと引き寄せ給ふ殿の胸には、匕首の刃深く刺されぬ。これは昔がたりなり。われも此の如き貴人を知りたり。そは某といふ伯爵の殿なりき。又此の如き壻を知りたり。唯だ婦は此の如く打明けて物言ふ性ならねば、新枕の樂しさを殿に讓りて、おのれは新佛の通夜することゝなりぬ。刃の詐多き胸を貫きし時、膚は雪の如くかゞやきぬとぞ語りし。
わが心中には畏怖と憐愍と交〻起りぬ。われは詞はなくて、若者の面を打まもりしに、若者又云ふやう。彼も一時なり。此も一時なり。われを女の肌知らぬものと思ひ給ふな。英吉利の老婦人ありて、年若き男女と共に、拿破里へ往かんと、此山の麓を過ぎぬ。我等は此一群を馬車より拉き卸したり。我等は三人を擒にして、財物を掠め取りつ。少女は若き男の許嫁の婦なりしならん。顏ばせつやゝかに、目なざし涼しかりき。男をば木に括りたり。女は猶處子なりき。われはサヱルリ侯に扮することを得たり。賠ひの金屆きて一群の山を下りし時、少女の顏は色褪せて、目は光鈍りたりき。深山は蔭多きけにやあらん。
この物語にわれは覺えず面をそむけしかば、若者は分疏らしく詞を添へて、されど新教の女なりき、惡魔の子なりきとつぶやきぬ。われ等二人はしばし語なくして相對へり。若者は今一つ讀み給へと乞ひぬ。われは喜びて又尊き書を開きつ。
封傳
夕ぐれにフルヰアの媼歸りて、われに一裹の文書を遞與して云ふやう。山々は濕衾を被きたるぞ。巣立するには、好き折なり。往方は遙なるに、禿げたる巖の面には麪包の木生ふることなし。腹よく拵へよといふ。若者のかひ/″\しく立ち働きて、忙しげに供ふる饌に、われは言はるゝ儘に飢を凌ぎつ。媼は古き外套を肩に被き、手を把りて暗き廊道を引き出でつゝ云ふやう。我雛鷲よ。疆守る兵も汝が翼を遮ることあるまじきぞ。その一裹は尊き神符にて、また打出の小槌なり。おのが寶を掘り出さんまで、事闕くことはあらじ。黄金も出づべし、白銀も出づべしといふ。媼は痩せたる臂さし伸べて、洞門を掩へる蔦蘿の帳の如くなるを推し開くに、外面は暗夜なりき。濕りたる濃き霧は四方の山岳を繞れり。媼の道なき處を疾く奔るに、われはその外套の端を握りて、やう/\隨ひ行きぬ。木立草むらを左右に看過して、媼は魔神の如くわれを導き去りぬ。
數時の後挾き山の峽に出でぬ。こゝに伊太利の澤池にめづらしからぬ藁小屋一つあり。籘に藁まぜて、棟より地まで葺き下せり。壁といふものなし。燈の光は低き戸の隙間洩りたり。媼は我を延きて進み入りぬ。小屋の裡は譬へば大なる蜂窩の如くにして、一方口より出で兼ねたる烟は、あたりの物を殘なく眞黒に染めたり。梁柱はいふもさらなり、籘の一條だに漆の如く光らざるものなし。間の中央に、長さ二三尺、幅これに半ばしたる甎爐あり。炊ぐも煖むるも、皆こゝに火焚きてなすなるべし。炭と灰とはあたりに散りぼひたり。奧に孔ありて小き間につゞきたるが、そのさま芋塊に小芋の附きたる如し。その中には女子一人臥して、二三人の小兒はそのめぐりに横れり。隅の方に立てる驢は、頭を延べて客を見たり。主人なるべし、腰に山羊の皮を卷き、上半身は殆ど赤條々なる老夫は、起ちて媼の手に接吻し、一語を交へずして羊の皮をはふり、驢を門口に率き出し、手まねして我に騎れと教へぬ。媼は我に向ひて、カムパニアの馬に勝るべき足どりの駒なり、幸運の門出は今ぞとさゝやきぬ。われはその志の嬉しければ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。
老夫は鞭を驢に加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗き徑を馳せ出せり。われは猶媼の一たび手もて揮くを見しが、その姿忽ち重る梢に隱れぬ。心細さに馬夫に物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さては瘖なるよと思ひぬ。いよ/\心もとなくて媼の授けし裹み引き出すに、種々の書ものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖には些許りなる蔓草纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮の葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤の地なり。此澤はアルバノ山下に始まりて、北ヱルレトリより南テルラチナに至る。馬夫のしばし歩を留めし時、われは仰いで青空の漸く紅に染まりゆきて、山々の色の青天鵝絨の如くなるを視き。偶〻山腹に火を焚くものあり。その黄なる燄は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。
われは漸くにして媼の賜を見ることを得き。その一通の文書は羅馬警察衙の封傳にして、拿破里公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ銀行に振り込みたる爲換金五百「スクヂイ」の券なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程に癒ゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめとあり。フルヰアは我を欺かざりき。わがためには、これに増す神符あらじとおもひぬ。
道は少し夷になりぬ。とみれば一群の牧者あり。草を藉きて朝餉たうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包とにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫は手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう。この徑を下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街樾の長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街樾の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後に出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋となりたり。目の暮れぬ内にテルラチナに着き給ふべしといひぬ。我は此人々に報せんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換の外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒の裡に入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫には領なる絹の紛※〈[#「巾+兌」、74-上段-18]〉解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。
大澤、地中海、忙しき旅人
世の人はポンチネの大澤(パルウヂ、ポンチネ)といふ名を聞きて、見わたす限りの曠野に泥まじりの死水をたゝへたる間を、旅客の心細くもたどり行くらんやうにおもひ做すなるべし。そはいたく違へり。その土地の豐腴なることは、北伊太利ロムバルヂアに比べて猶優りたりとも謂ふべく、茂りあふ草は莖肥えて勢旺なり。廣く平なる街道ありてこれを横斷せり。(耶蘇紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウスの築く所にして、今猶アピウス街道の名あり。)車にて行かば坐席極めて妥なるべく、菩提樹の街樾は鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱と水草と、かはる/″\濃淡の緑を染め出せり。水は井字の溝洫に溢れて、處々の澱みには、丈高き蘆葦、葉闊き睡蓮(ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山岳の空に聳ゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる青野のあなたに、チルチエオの岬(プロモントリオ、チルチエオ)の隆く起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケが島にして、オヂツセウスが舟の着きしはこゝなり。(ホメロスの詩に徴するに、トロヤの戰果てゝ後、希臘イタカ王オヂツセウスこの島に漂流せしに、妖婦キルケ舟中の一行を變じて豕となす、オヂツセウス神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。)
霧は歩むに從ひて散ぜり。晒せる布の如き溝渠、緑なる氈の如き草原の上なる薄ぎぬは、次第に褰げ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の間に群れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚もて水を蹴るときは、飛沫高く迸り上れり。その疾く捷き運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如く騰れるあり。こはこの地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣を拂ふなるべし。
途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏にて、冢を出でたる枯骨にも譬へつべし。驪に騎りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を率て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何といふことを知らず。草むらを見もてゆけば、斗らず黒く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと間々あり。
道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣を恐るればなり。亭は皆白壁なれど、礎より簷端迄、緑いろなる黴隙間なく生ひたり。人も家も、渾べて腐朽の色をあらはして、日暖に草緑なる四邊の景と相容れざるものゝ如し。わが病める心はこれを見て、つく/″\人生の頼みがたきを感じたり。
「アヱ、マリア」の鐘響くに先だつこと一時ばかりにして、澤地のはづれに出でぬ。山脈の黄なる巖は漸く迫り近づきて、南國の風光に富めるテルラチナの市は、忽ち我前に横りぬ〈[#「横りぬ」は底本では「花りぬ」]〉。三株の棕櫚樹高く道の傍に立てるが、その實は累々として葉の間に垂れたり。山腹の果圃は黄なる斑紋ある青氈に似たり。その斑紋は檸檬、柑子などの枝たわむ程みのりたるなり。一農家の前に熟し落ちたる檸檬を堆く積みたるを見るに、餘所にて栗など搖りおとして掃き寄するさまと殊なることなし。岩石のはざまよりは、青き迷迭香(ロスマリヌス)、赤き紫羅欄花など生ひ上りたるが、その巓にはチウダレイクスが廢城の殘壁ありて、猶巍々として雲を凌げり。(譯者云。東「ゴトネス」族の王なり。西暦四百八十九年東羅馬帝の命を奉じて敵を破り、伊太利を領す。)
我心は景色に撲たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃をなせり。島嶼の碁布したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩を駐めたり。わが滿身の鮮血は蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。市に大なる白堊の屋ありて、波はその礎を打てり。下の一層は街に面したる大弓道をなして、その中には數輛の車を並べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬拿破里の間第一と稱へらる。
鞭聲の反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬の車を驛舍の前に駐むるものあり。車座の背後には、兵器を執りたる從卒數人乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男の斑に染めたる寢衣を纏ひて、懶げに倚り坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬を續ぎ替へたり。さて護衞の士兵ありやと問へば、十五分間には揃ふべしと答へぬ。こはゆくての山路に、フラア・ヂヤヲロ、デ・チエザレの流を汲むものありとて、當時こゝを過ぐる旅客の雇ふものとぞ聞えし。(前者は伊太利大盜の名にして、同胞魔君の義なり。實の氏名をミケレ・ペツツアといふ。千七百九十九年夥伴を率ゐて拿破里王に屬し、佛兵と戰ひて功あり。官職を授けらる。後佛兵のために擒にせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。)客は英吉利語に伊太利語まぜて、此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりぞと罵りしが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛※〈[#「巾+兌」、75-中段-15]〉を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るゝやうに被り、眼を閉ぢて默坐せり。馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまりなるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿破里にゆきて、ヱズヰオに登り、汽船にて馬耳塞に渡り、南佛蘭西を遊歴すべしとなり。士兵八騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭を揮へり。馬も車も、忽ち黄なる岩壁にそひたる閭門を過ぎ去りぬ。
一故人
客舍の前にはたけ矮く逞ましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。護衞はいかに嚴めしくとも、兵器の數はいかに多くとも、我客人となりて往くことの安穩なるには若かじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいつも驅歩なり。氣まぐれなる人柄かなと嘲み笑へり。われこれに聲かけて、おん身の車には既に幾位の客人をか得給ひしと問へば、隅ごとに眞心一つなれば、四人は早く備りたり、されど二輪車の中は未一人のみなり。ナポリへと志し給はゞ、明後日は旭日のまだサンテルモ城(ナポリ府を横斷する丘陵あり、其巓の城を「カステル、サンテルモ」といふ)に刺さぬ間に送り屆け參らすべしと答ふ。爲換ありて現金なき我がためには、此勸めのいと嬉しく、談合は忽ちに纏まりぬ。(原註。伊太利の旅を知らぬ人のために註すべし。彼國の車主は例として前金を受けず、途中の旅籠一切をまかなひくれたる上、小使錢さへ客に交付し、安着の後決算するなり。)
車主は客人も零錢の御用あるべければとて、五「パオリ」の銀貨一枚撮み出して我に渡しつ。われ。さらば食卓の好き座席と臥床とを頼むなり。明日は滯なく車を出してよ。車主。勿論にこそ候へ。聖アントニオと我馬との思召だにくるはずば、正三時には出で立つべし。されど明日はむづかしき日にて候ふ。税關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へとて、車主は手を帽庇に加へ、輕く頷きて去りぬ。
誘はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窓の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニアの景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家の事、ドメニカの媼の事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ呉るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡〻往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカの君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの間には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠ありて、縱ひ優しき情の蔓草の生ひまつはりて、これを掩ふことあらんも、能く全くこれを填むることなし。漸くにして、ベルナルドオとアヌンチヤタとの上に想ひ及ぶとき、われは頬の邊の沾ふを覺えき。涙にやありし、又窓の下なる石垣に中りし波の碎け散りて面に濺ぎたるにやありし。
翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナを立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、齡三十あまりと覺しく、髮の色明く瞳子青き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音なり。
手形は多く外國文もて認めたるに、境守る兵士は故里の語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手間取りたり。瞳子青き男は帖一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三の尖れる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。
わが背後よりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、あの大なる洞の中なる山羊の群のおもしろきを見給へと指ざし示せり。その詞未だ畢らざるに、洞の前に横へたる束藁は取り除けられたり。山羊は二頭づゝの列をなして洞より出で、山の上に登りゆけり。殿には一人の童子あり。尖りたる帽を紐もて結び、褐色の短き外套を纏ひ、足には汚れたる韈はきて、鞋を括り付けたり。童は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。
忽ち車主の一聲の因業を叫びて、我等に馳せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚ありとの事なり。われはその一枚の必ず我券なるべきを思ひて、滿面に紅を潮したり。畫工は券の惡しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。
我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を伸べ、四五人の匍匐ふ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪さうなる一人頭を擡げて、フレデリツクとは誰ぞと糺問せり。畫工進み出でゝ、御免なされよ、それは小生の名にて、伊太利にていふフエデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリツク・シイズとはそこなるか。畫工御免なされよ。それは券の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左樣か。(と謦咳一つして讀み上ぐるやう。)「フレデリツク、シイズ、パアル、ラ、グラアス、ド、ヂヨオ、ロア、ド、ダンマルク、デ、ワンダル、デ、ゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリツクなり、フエデリゴなり。(「ワンダル」は二千年前の日耳曼種の名なり。文に天祐に依りて璉馬の王、「ワンダル」、「ゴオツ」諸族の王などゝ記するは、彼國の舊例なり。)書記の一人語を揷みて、英吉利人なりしよと云へば、外の一人冷笑ひて、君はいづれの國をも同じやうに視給ふか、券面にも北方より來しことを記せり、無論魯西亞領なりといふ。
フエデリゴ、璉馬、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。璉馬の畫工フエデリゴとは、むかし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓に伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀※〈[#「金+表」、76-下段-22]〉を貽りし人なり。
關守る兵卒は手形に疑はしき廉なしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフエデリゴの私かに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフエデリゴに名謁りしに、この人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀き小アントニオなりしかと云ひて我手を握りたり。車に上るとき、人に請ひて席を換へ、われとフエデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を握りて笑ひ興じたり。
われは相別れてより後の身の上をつゞまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、さてこれよりはナポリへ往かんとすと告げたり。
むかし畫工と最後に相見たるは、カムパニアの野にての事なりき。その時畫工は早晩一たび我を羅馬に迎へんと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約を履まざりしを謝したり。君に別れて羅馬に歸りしに、故郷の音信ありて、直ちに北國へ旅立つことゝなりぬ。その後數年の間は、故里にありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよ/\思ひ定めて再遊の途に上りぬ。こゝはわが心の故郷なり。色彩あり、形相あるは、伊太利の山河のみなり。わが曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へといふ。
彼問ひ我答ふる間に、路程の幾何をか過ぎけん。フオンヂイの税關の煩ひをも、我心には覺えざりき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き旅の道づれには、フエデリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。
友は往手を指ざしていふやう。かしこなるが我が懷かしき穢きイトリの小都會なり。汝は故里の我が居る町をいかなる處とかおもへる。街衢の地割の井然たるは、幾何學の圖を披きたる如く、軒は同じく出で、梯は同じく高く、家々の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。清潔なることはいかにも清潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窓には太だ高きあり、太だ低きあり、大なるあり、小なるあり。家によりては異樣に高き梯の巓に門口を開けるあり。その内を望めば、繅車の前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黄に熟したる木の實の重げに生りたる枝さし出でたるべし。この參差錯落たる趣ありてこそ、好畫圖とはなるべきなれといふ。
車のイトリに入らんとするとき、同じく乘れる一客は、これフラア・ヂヤヲロの故郷なりと叫びぬ。この小都會は削立千尺の大岩石の上にあり。これを貫ける街道は僅に一車を行るべし。こゝ等の家は、概ね皆平家に窓を穿つことなく、その代りには戸口を大いにしたり。戸の内なる泣く小兒、笑ふ女子は、皆襤褸を身に纏ひて、旅人の過ぐるごとに、手を伸べ錢を索む。馬の足掻の早きときは、窓より首を出すべからず。石垣に觸るゝ虞あればなり。時ありて出窓の下を過ぐるときは、隧道の中を行くが如し。唯だ黒烟の戸窓より溢れて、壁に沿ひて上るを見るのみ。
閭門を出づるに及びて、友は手を拍ちつゝ、美なる都會かなと叫びぬ。車主は顧みて、否、盜人の巣なり、警察の累絶ゆる間なければとて、一たび市民の半を山のあなたに徙し、その跡へは餘所より移住せしめしことあり、されどそれさへ雜草の叢に穀物の種を蒔きしに似て、何の利益もあらで止みぬ、兎角は貧の上の事にて、貧人の根絶やし出來ねば、無駄なるべしと、諭し顏に物語りぬ。
げにも羅馬とナポリとの間ほど、劫掠に便よきところはあらざるべし。奧の知られぬ橄欖の蒼林、所々に開ける自然の洞窟より、昔がたりの一目の巨人が築きぬといふ長壁のなごりまで、いづれか身を隱し人を覗ふに宜しからざる。
友は蔦蘿の底に埋れたる一堆の石を指ざして、キケロの墓を見よといへり。是れ無慙なる刺客の劍の羅馬第一の辯士の舌を默せしめし處なりき。(キケロの別墅はこゝを距ること遠からざるフオルミエにあり。該撤歿後、アントニウス一派の刺客キケロを刺さんと欲す。キケロ身を以て逃れ、將にブルツスの陣に投ぜんとして、遂に刺客の及ぶところとなりぬ。時に西暦前四十三年十二月七日なり。)友は語をつぎて、車主はこたびもモラ、ヂ、ガエタ(即ち昔のフオルミエ)の別墅に車を停むるならん、今は酒店となりて、眺望好きがために人に知らるといひぬ。
旅の貴婦人
山嶽は秀で、草木は茂れり。車は月桂の街樾を過ぎて客舍の門に抵りぬ。薦巾を肘にしたる房奴は客を迎へて、盆栽花卉もて飾れる闊き階の下に立てり。車を下る客の中に、稍〻肥えたる一夫人あるを見て進み近づき、扶けて下らしめ、ことさらに挨拶す。相識の客なればなるべし。夫人の顏色は太だ美し。その瞳子の漆の如きにて、拿破里うまれの人なるを知りぬ。
われ等の衆人と共に、門口に近き食堂に入る時、夫人は房奴に語りぬ。こたびの道づれは婢一人のみ。例の男仲間は一人だになし。かく膽太く羅馬拿破里の間を往來する女はあらぬならん、奈何などいへり。
夫人は食堂の長椅子に、はたと身を倚せ掛け、いたく倦じたる體にて、圓く肥えたる手もて頬を支へ、目を食單に注げり。「ブロデツトオ、チポレツタ、フアジヲロ」とか。わが汁を嫌ふをば、こゝにても早く知れるならん。否々、わが「アムボンポアン」の「カステロ、デ、ロヲオ」の如くならんは、堪へがたかるべし。「アニメルレ、ドオラテ」に「フイノツキイ」些計あらば足りなん。まことの晩餐をばサンタガタにてしたゝむべし。こゝは早く拿破里の風の吹くが快きなり。「ベルラ、ナポリ」と呼びつゝ、夫人は外套の紐を解き、苑に向へる廊の扉を開き、もろ手を擴げて呼吸したり。(此詞の中には食單の品目に見えたる料理の稱多し。「ブロデツトオ」は卵の※〈[#「穀」の「禾」に代えて「黄」、78-上段-27]〉を入れたる稀き肉羹汁、「チポレツタ」は葱、「フアジヲロ」は豆、「カステロ、デ、ロヲオ」は卵もて製したる菓子、「アニメルレ、ドオラテ」は犢の臟腑の料理、「フイノツキイ」は香料なり。「アムボンポアン」は肥胖、「ベルラ、ナポリ」は美しき拿破里といふ程の事なり。)
われは友を顧みて、拿破里は最早こゝより見ゆるかと問ひしに、友は笑ひて、まだ見えず、されどヘスペリアは見ゆるなり、アルミダの奇しき園は見ゆるなりと答へき。(譯者云。ヘスペリアは希臘語、晩國、西國の義なり。或は伊太利を斥して言ひ、或は西班牙を斥して言ふ。されどこゝには、希臘神話にヘスペリアといふ女神ありて、西方の林檎園を守れるを謂ふならん。アルミダはタツソオが詩中の妖艷なる王女なり。基督教徒を惑はし、丈夫リナルドオをアンチオヒアの園に誘ひて、酒色に溺れしむ。フエデリゴが詞の意は、山水を問ふこと勿れ、彼美人を見よとなり。)
友と廊に出でゝ望むに、その景色の好きこと、想像の能く及ぶ所にあらず。脚の下には柑子、檸檬などの果樹の林あり。黄金いろしたる實の重きがために、枝は殆ど地に低れんとす。丈高き針葉樹の園を限りたるさまは、北伊太利の柳と相似たり。この木立の極めて黒きは、これに接したる末遙なる海原の極めて明ければなり。園の一邊の石垣の方を見れば、寄せ來る波は古の神祠温泉の址を打てり。白帆懸けたる大舟小舟は、徐かに高き家の軒を並べたるガエタの灣に進み入る。(原註。ガエタはカエタより出でたる名なりといふ。是れヰルギリウスが詩の主人公エネエアスが乳媼の名にして、此港を以て其埋骨の地となせるなり。)灣の背後に一山の聳ゆるありて、その嶺には古壘壁を見る。友は左の方を指してヱズヰオの烟を見よといふ。眸を轉じて望めば、火山の輪廓は一抹の輕雲の如く、美しき青海原の上に現れたり。われは小兒の情もて此景物を迎へ、心の裡に名状すべからざる喜を覺えき。
われ等は相携へて果園に下りぬ。われは枝上の果に接吻して、又地に墜ちたるを拾ひ、毬の如くに玩びたり。友の云ふやう。げに伊太利はめでたき國なる哉。北方の故郷に在りし間、常に我懷に往來せしものはこの景なり、この情なり。嘗て夢裡に呑みつる霞は、今うつゝに吸ふ霞なり。故郷の牧を望みては、此橄欖の林を思ひ、故郷の林檎を見ては、此柑子を思ひき。されど北海の緑なる波は、終に地中海の水の藍碧なるに似ず、北國の低き空は、終に伊太利の天の光彩あるに似ざりき。汝はわが伊太利を戀ひし情のいかに切なりしかを知るか。一たび淨土を去りたるものゝ不幸は、嘗て淨土を見ざりしものゝ不幸より甚し。我故郷なる璉馬は美ならざるに非ず。山毛欅の林の鬱として空を限るあり。東海の水の闊くして天に連るあり。されど是れ皆猶人界の美のみ。伊太利は天國なり、淨土なり。かへす/″\も嬉しきは再び斯土に來しことぞと云ふ。友はわれと同じく枝なる果に接吻し、又目に喜の涙を浮べて、我項を抱き我額に接吻せり。
火は火を呼び、情は情を呼ぶ。われは最早此舊相識に對して、胸臆を開き緘嘿を破ることを禁じ得ざりき。われは我が羅馬に在りての遭遇を語りて、高くアヌンチヤタの名を唱へたり。人を傷けて亡命せしこと、身を賊寨に托せしことより、怪しき媼の我を救ひしことまで、一も忌み避くることなかりき。友の手は牢く我手を握りて、友の眼光は深く我眼底を照せり。
忽ち啜泣の聲の背後に起るあり。背後はキケロの温泉の入口にて、月桂朱欒の枝繁りあひたれば、われは始より人あるべしとは思ひ掛けざりしなり。枝推し分けて見れば、彼温泉の入口なる石に踞して泣く女あり。そは前の拿破里の夫人なりき。
夫人は涙の顏を擧げて我に謝して云ふやう。我が無禮なるを恕し給へ。君等の歩み寄り給ひしときは、われ早くこゝに坐して涼を貪り居たり。御物語の祕事と覺しきには、後に心付きしが、せんすべなかりしなり。されど哀れ深き御物語を聞きつとこそ思ひまゐらすれ、人に告ぐべきにはあらねば、惡しく思ひ取り給ふなといふ。われは間の惡さを忍びて夫人に禮を施し、友と共に踵を旋したり。友は我を慰めて云ふやう。彼夫人の期せずして我等と物言ひしは、或は他日我等に利あらんも知るべからず。斯く言へば土耳格人めきたれど、われは運命論者なり。且汝の語りし所は國家の祕密などにはあらず。誰が心中の帳簿にも、此種の暗黒文字數葉なきことはあらざるべし。彼夫人の汝が言を聞きて泣きしは、或は他人の語中より自家の閲歴を聽き出し、他人の杯酒もて自家の磊塊に澆ぎしにはあらずや。涙は己れのために出で易く、人のために出で難きこと、なべての情なればといひき。
我等は再び車に乘り途に上りぬ。四邊の草木はいよ/\茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈を栽ゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝は低れて地に曳かんとせり。
日の夕にガリリヤノの河を渡りぬ。古のミンツルネエ(羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古の眼もて視るときは、是れ猶古のリリス河にして、其水は蘆荻叢間の黄濁流をなし、敗將マリウスが殘忍なるズルラに追躡せられて身を此岸に濳めしも、昨の猶くぞおもはるゝ。(紀元前八十八年ズルラ政柄を得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一内訌是なり。マリウス敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加に避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵を縱ちて殺戮せしむること五日間なりき。)此よりサンタガタまでは、まだ若干の路程あるに、闇は漸く我等の車を罩まんとす。馭者は畜生を連呼して、鞭策亂下せり。拿破里の夫人は心もとながりて、頻りに車窓を覗き、賊の來りて、行李を括り付けたる索を截らんを恐るゝさまなり。われ等は纔に前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾にして車はサンタガタに抵りぬ。
晩餐の間、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心に訝りぬ。翌朝車の出づべき期に迫りて、われは一盞の珈琲を喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなればと云ふ。われは夫人を慰めて、否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず、言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねばと答へき。夫人。さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふ期あらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識になり給はんかた宜しからん。交際は無くて協はぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなりといふ。われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふ諺の虚しからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、兼ねても聞き給ふならん、拿破里は少き人には危き地なりなど云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴも房より出でしかば、物語はこゝに絶えぬ。
我等は又車に乘りたり。今は車中の客も漸く互に打解けて、はかなき世語などしつゝ拿破里の市に近づきぬ。偶〻驢に騎りたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり。紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒には乳房を啣ませ、一人の稍〻年たけたる子をば、腰の邊なる籠の中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の脊に托したりと覺しく、眞中には男騎りて、背後なる妻は臂と頭とを夫の肩に倚せて眠り、子は父の膝の間に介まれて策を手まさぐり居たるあり。いづれもピニエルリが風俗畫の拔け出でたるかと怪まるゝばかりなり。
空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオの山もカプリの島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊との間には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包あり、葡萄酒あり、果あり、最早わが樂しき市と美しき海との見ゆるに程あらじといひぬ。
夕に拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に横はりぬ。(原註。羅馬及ミラノにては大街をコルソオと曰ひ、パレルモにてはカツサロと曰ひ、拿破里にてはトレドと曰ふ。)硝子燈と彩りたる燈籠とを點じたる店相並びて、卓には柑子無花果など堆く積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張り出したるが、男女の群のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭の最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山の坑より熔け出でし石を敷きたる街を馳せ交ひて、間〻馬のその石面の滑なるがために躓くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫のいと心安げにうまいしたるあり。挽くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩なり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴に扣鈕一つ掛けし中單着たる男二人、對ひ居て骨牌を弄べり。風琴、「オルガノ」の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘人、土耳格人、あらゆる外國人の打ち雜りて、且叫び且走る、その熱鬧雜沓の状、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手を拍ち鳴して、拿破里々々々と呼べり。
車はラルゴ、デル、カステルロに曲り入りぬ。(原註。拿破里大街の一にして其末は海岸に達す。)同じ闐溢、同じ喧囂は我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げたり。輕技の家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦は叫び、夫は喇叭吹き、子は背後より長き鞭を揮ひて爺孃を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂を振りて歌へり。是れ即興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランドオ、フリオゾ」を讀めるなり。(譯者云。わが太平記よみの類なるべし。讀む所はアリオストオの詩なり。)
夫人は忽ちヱズヰオと呼びぬ。げに/\廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前に駐まりぬ。店の隣には、小き傀儡場あり。一人ありてその前に立ち、道化役の偶人を踊らせ、且泣き且笑ひ、又可笑しき演説をなさしめたり。衆人は環り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅闊く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方には聽衆いと少し。
僧は目を瞋らして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭ならぬはなし。斯く跳り狂ひ笑み戲れて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。疾く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里訛を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈〻大なれば、偶人の跳ること愈〻忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧に背けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ/\。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石人に敬を起さしめて、四圍の群衆忽ち跪けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。
われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴは夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟き兩臂は俄に我頸を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。
慰籍
友の眠に就きし後、われは猶寖久しく出窓に坐して、外の方を眺め居たり。こゝよりは啻に廣こうぢの隈々迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオの山さへ眞向に見えたり。夢の裡に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易く臥床に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。
ヱズヰオの山の姿は譬ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅なる雲の一群はその木の巓、谷々を流れ下る熔巖はその闊く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導の絲は分明に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍を轉じて福となし給へる迹は掩ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪ひまゐらせき。されど故とならぬ其罪を贖はんとてこそ、車上の貴人は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチアとペツポとのわが身を爭ひて、わが全く寄邊なき身の上となりしは、寔に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニアの曠野に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺を手繰りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタとの上なり。ベルナルドオが姫を得んと欲せしは卑陋なる色慾にして、縱ひ渠一たびその願の成らざるを憂ふとも、渠は月日を費すことなくして、その失望を慰めその遺憾を忘れしならん。わが情はいと高くいと深くして、われ若し姫を獲たらんには、此世の中には最早何の欲望をも殘さゞりしならん。さるを姫は我を棄てゝ渠を取りたり。我黄金なす夢は一旦にして塵芥となり畢ぬ。こはそもいかなる故ぞや。此煩惱の間、我は忽ち「キタルラ」の音の街上に起るを聞く。見下せば肩に輕く一領の外套を纏ひて、手に樂器を把り、戀の歌の一曲を試みんとする男あり。未だ數彈ならざるに、對ひの家の扉は響なくして開き、男の姿は戸に隱れぬ。想ふに此人を待つものは、優しき接吻と囘抱となるべし。われは星斗のきらめける空を仰ぎ、又熔巖の影處々に紅を印したる青海原を見遣りたり。好し々々、我は我戀人を獲たり。我戀人は自然なり。自然よ。汝はわがためにその霽やかなる天を打明けて何の隱すところもなし。汝はそよ吹く風の優しきを送りて、我額我唇に觸るゝことを嫌はず。我は汝が美しさを歌はん、汝が我心を動す所以を歌はん。言ふこと莫れ、汝が心の痍は尚血を瀝らすと。針に貫かれたる蝶の猶その五彩の翼を揮ふを見ずや。落ちたぎつ瀧の水の沫と散りて猶麗しきを見ずや。これはこれ詩人の使命なり。この世は束の間の夢なり。あの世に到らんには、アヌンチヤタも我も淨き魂にて、淨き魂は必ず相愛し相憐み、手に手を取りて神のみまへに飛び行かむ。
氣力と希望とは再び我胸に入り來れり。わが此より即興詩人として世に立たんは、なか/\に樂しかるべき事ぞと思ひ返されぬ。只だ猶心に懸るは、恩人なる貴人の思ひ給はん程奈何なるべきといふ事なり。彼人はわれ舊に依りて羅馬にありて書を讀めりとおもひ給ふならん。彼人のわが都を逃れしさまと我新境界とを聞き知り給はんには、果して何とか言はるべき。われは今宵を過ごさで書を裁して、人々に我未來の事を認め許されんことを請ふことゝなしたり。我書には、子の母に言はんが如く、些の繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絶望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末を敍して、さて人々の憐を垂れてわが即興詩人となることを許されんを願ひぬ。われはその答を得ん日までは、敢て公衆のために歌はざるべしと誓へり。これを書く時、涙は紙上に墜ちて斑をなし、われは心の中に答書の至らんこと一月の間にあらんことを祈るのみなりき。書き畢りて、われは久し振にて心安く眠に就きぬ。
翌日フエデリゴはとある横町なる賃房に移り、己れは猶さきの獨逸宿屋なる、珍らしき山と海との眺ある一間に留まりぬ。われは聚珍館(ムゼオ、ボルボニイコ)、劇場、公苑など尋ねめぐりて、未だ三日ならぬに、早く此都會の風俗のおほかたを知ることを得たり。
考古學士の家
或日房奴は我に一封の書をわたしたり。披きて讀めば、博士マレツチイと夫人サンタとの案内状にして、フエデリゴ君をも伴ひて來ませとあり。初めはわれこは屆先を誤りたる書ならずやと疑ひぬ。宿屋の人に博士はいかなる人ぞと問ふに、いと名高き學者にて、考古學とやらんに長け給ふと聞ゆ、その夫人近きころ羅馬より歸り給ひしなれば、客人は途上にて相識になり給ひしにはあらずやといふ。嗚呼、われこれを獲たり。これこそ前の拿破里の貴婦人なるらめ。
夕暮にフエデリゴを誘ひて往きぬ。いと廣き間に客あまた集へり。滑なる大理石の床は、蝋燭の光を反射し、鐵の格子を繞らしたる火鉢(スカルヂノ)は、程好き煖さを一間の内に頒てり。
サンタと名告れる夫人は、嬉しげに我等二人を迎へて、一坐の客達に引合せ、又我等に、毫しも心をおかで家に在る如く振舞はんことを勸めたり。夫人は今宵空色の衣を着たるが、いと善く似合ひたり。我等は若し此人をして少し痩せしめば、第一流の美人たるべきものをとさゝやきたり。
我等は夫人に促されて坐せり。此時一少女ありて「ピアノ」に對ひ、短歌を唱ひ出せり。その曲は偶〻アヌンチヤタがヂドに扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人を動す深淺とは、固より日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところに傚ひて、共に拍手したるのみ。少女は又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客の三人四人は、急に傍なる婦人を誘ひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窓龕に躱れたり。
初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、忙しげに此間に出入するを見たり。この男わが窓龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃なる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、姑く共に語らばやとおもひて、ヱズヰオの山の噴火の事を説き、その熔巖の流れ下る状など、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう。否。今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウスの書に見えたる九十六年の破裂は奈何なりけん。灰はコンスタンチノポリスにさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、均しく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリスに降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘羅馬の世に及ばずと知り給へ。澆季の世は古に復さんよしもなしと、かこち顏なり。われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピスの車に遡りて、(世に傳ふ、テスピスは前五四〇年頃の雅典人にして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと)希臘俳優の被りぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃禁軍の檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア歩兵の方陣の操錬を細敍すること目撃の状の如くなり。既にして彼は我に考古學又は美術史を研究し給ふやと問ひぬ。われ答へて、己れは専門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我研究の資料ならぬはなし、己れは詩人たらんと心掛くるなりと云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウスが句を朗誦し、我琴を以てヨヰスの神の龜甲琴に比したり。
忽ちサンタ我前に來て云ふやう。さては終に生捕られ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス時代の事なるべし。(希臘傳説に見えたる埃及王の名なり。前十四五紀の間の名ある王二人の上を混じて説けり。)客人には現世の用事あり。かしこに少き貴婦人の敵手なくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の群に入り給へとなり。われ逡巡して、否われは舞ふこと能はず、曾て舞ひしことなしと答ふれば、サンタ重ねて、家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何といふ。われ。まことに濟まぬ事ながら、われ若し強ひて踊り出でば、おのれ一人跌き轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへ拉き倒すならん。夫人打ち笑ひて、そは好き見ものなるべしといひつゝ、フエデリゴの方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の群に入りぬ。小男は我を顧みて、氣輕なる女なり、されど貌は醜からず、さは思ひ給はずやといふに、我はまことに