半七捕物帳 第四巻/柳原堤の女

柳原堤(やなぎわらどて)の女

編集
なにかの話から、神田の柳原の噂󠄀(うわさ)が出たときに、老人はこう語った。
「柳原の堤が切りくずされたのは明治七、八年の頃だと思います。今でも柳原河岸の名は残っていて、神田川の岸に型ばかりの柳が植えてあるようですが、江戸時代には筋違橋(すじかいばし)から浅草橋(あさくさばし)までおよそ十町のあいだに高い堤が続いていて、それには大きい柳が植え付けてありましたから、春先の眺めはなかなかよかったものです。柳原の柳はなくなる、向島(むこうじま)の桜はだんだん影が薄くなる、文明開化の東京はどうも殺風景になり過ぎたようですね。いや、むかし者の愚痴ばかりでなく、これはまったくのことですよ。今のお若い方はおそらくご承知ないでしょうが、あの堤に清水山(しみずやま)という小さい岡のようなものがありました。場所は筋違橋と柳(やなぎ)の森(もり)神社とのあいだで、神田川の方にむかった岡の裾に一つの洞穴(ほらあな)があって、その穴から絶えず清水をふき出すので、清水山という名が出来たのだそうです。それだけのことならば別に仔細はないのですが、むかしからの云いならわしで、この清水山にはいろいろの怪異があって、迂闊(うかつ)にはいると禍(わざわ)いがあると云うことになっているので、長い堤のあいだでも、ここだけは誰も近寄るものがない。一体(いったい)この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬(かいば)の料を刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋(いずみばし)のあたりは市橋壱岐守(いちはしいきのかみ)と富田帯刀(とみたたてわき)の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、そのあいだには例の清水山があるので、どっちも恐れて鎌を入れない。つまり筋違橋と和泉橋との両方の端(はし)から刈り込んで来て、まん中の清水山だけを残しておくので、わずか三間か四間のところですけれども、そこだけは上から下まで、いつも高い草が茫々(ぼうぼう)と生いしげっていて、気のせいか何だか物凄(ものすご)いように見える。そこに一つの事件が出来(しゅったい)したんです」


慶応(けいおう)初年の八月初めである。ここらで怪しい噂󠄀が立った。誰が云い出したのか知らないが、日が暮れてから一人の女が、この柳原堤の清水山のあたりにあらわれると云うのである。正目(まとも)にその女の顔をみた者もないが、どうも若い女であるらしい。旧暦のこの頃では夜はもう薄ら寒そうな白地の浴衣(ゆかた)をきて、手拭(てぬぐい)をかぶって、まぼろしのように姿をあらわすと云うだけのことで、その以上のことは何も判(わか)らないのであるが、場所が場所だけに、それだけの噂󠄀でも近所の女子供の弱い魂(たましい)をおびやかすには十分であった。
「なに、夜鷹(よたか)だろう」
気の強い者は笑っていた。柳原通りの筋違から和泉橋へむかった南側には、むかしは武家屋敷が続いていたのであるが、その後に取払われて町家(まちや)となった。しかもその多くは床店(とこみせ)のようなもので、日が暮れると店をしまって帰るので、あとは俄かにさびしくなって、人家の灯のかげもまばらになる。そのさびしいのを付け目にして、かの夜鷹という一種の淫売婦があらわれて来る。彼女(かれ)は手拭に顔をつつんで、あたかも幽霊のように柳の下蔭にたたずんでいるのである。それを見なれているここらの人たちが、清水山附近に立迷う怪しい女のかげを、おそらく例の夜鷹であろうと判断するのも無理はなかった。
しかしそれがほんとうの夜鷹でないことは、夜鷹自身がその女に脅(おびや)かされたという事実によって証明された。本所(ほんじょう)の方から出て来るおたきという若い夜鷹は、ふた晩ほどその女に摺(す)れ違ったが、なんとも云えない一種の物凄さを感じて、その以来は自分のかせぎ場所を換えることにしたと云うのである。その女は決して自分たちの仲間ではないと、おたきは云った。また飯田町(いいだまち)辺のある旗本屋敷の中間(ちゅうげん)は一杯機嫌でそこを通りかかって、白い手拭をかぶった女にゆき違ったので、これも例の夜鷹であろうと早合点して、もし姐(ねえ)さんと戯(からか)い半分に声をかけると、女はだまって行き過ぎようとしたので、あとを追いかけて又呼びながら、しつこくその袂を捉(とら)えようとすると、女はやはり黙って振返った。白い手拭の下からあらわれた女の顔は青い鬼であったので、酔っている中間はぎょっとした。さすがにその場で気絶するほどでもなかったが、小半町ほど逃げ出して、道ばたの小石につまじて倒れたまま暫(しばら)くは起きることも出来なかった。彼はその晩から大熱を発して苦しんだ。
こういう噂󠄀がそれからそれへと伝えられて、このごろ清水山のあたりにあらわれる女は夜鷹のたぐいではない、まったく何かの怪異に相違ないと云うことになった。前にも云う通り、元来が一種の魔所のように恐れられている場所だけに、それが容易に諸人にも信じられて、近所の湯屋(ゆうや)や髪結床(かみいどこ)では毎日その噂󠄀が繰返された。それに又いろいろの作り話も加わって、彼女(かれ)は清水山の洞穴に年ひさしく棲(す)む大蛇(だいじゃ)の精であるなどと云いふらす者も出て来た。いや、大蛇であない、堤に年ふる柳の精であるなどと、三十三間堂の浄瑠璃(じょうるり)からでも思いついたようなことを、まざまざしく説明する者もあらわれて来た。
こんにちと違って、江戸時代に妖怪の探索などと云うことはなかった。その妖怪がよほど特別の禍いをなさない限りは、いっさい不問に付しておくのが習いで、そのころの江戸市中には化物(ばけもの)が出ると云い伝えられている場所はたくさんあった。現に牛込矢来下(うしごめやらいした)の酒井(さかい)の屋敷の横手には樅(もみ)の大樹の並木があって、そこには種々の化物が出る。化物がみたければ矢来の樅並木へゆけと云われたくらいであるが、誰もそれを探索に行ったと云う話もきこえない。町奉行所でも人間の取締りはするが、化物の取締りは自分たちの責任でないと云うのであろう。ただの一度も妖怪退治や妖怪探索に着手したことはないらしく、かれらの跋扈跳梁(ばっこちょうりょう)に任しておいた形がある。したがって、今度の柳原一件に対しても、町奉行所ではなんらの取締りの方法を取ろうとはしなかったので、その噂󠄀は日ましに拡(ひろ)がって行くばかりであった。
神田岩井町(いわいちょう)の山卯(やまう)という材木屋の雇人に喜平(きへい)という若者があった。両国(りょうごく)の野天講釈(のてんこうしゃく)や祭文(さいもん)で聞きおぼえた宮本無三四(みやもとむさし)や岩見重太郎(いわみじゅうたろう)や、それらの武勇譚(ぶゆうだん)が彼の若い血を燃やして、清水山の妖怪探索を思い立たせた。しかし自分ひとりではさすがに不安でもあるので、喜平は自分の店へ出入りの銀蔵(ぎんぞう)という木挽(こびき)の職人を味方にひき込もうとすると、銀蔵も年が若いので面白半分に同意した。二人の勇士は九月なかばの陰(くも)った日に、石町(こくちょう)の暮れ六ツの鐘を聞きながら、岩井町から遠くもない柳原堤へ出かけて行った。
「旗本屋敷の中間は臆病(おくびょう)だからよ。青鬼なんぞがあるものか。その女はきっと仮面(めん)をかぶっているんだぜ」と、銀蔵はあるきながら云った。
「そうかも知れねえ」と、喜平も笑った。
これは誰でも考えそうなことで、現にその時もそんな説を唱える者もあったのである。しかしそれが中ごろから青い鬼ではなく実は青い蛇であったように伝えられて、それから大蛇の精などという噂󠄀も生み出されたのであった。そういうわけで、銀蔵は清水山の怪異が果して真の妖怪であるや否やを疑っている一人であった。おなじように調子をあわせていながらも、喜平はあくまでもそれを一種の怪物であると信じていた。
二人はめいめいに違った心持をいだいて、同じ目的地に到着した頃には、秋の日はすっかり暮れ切っていた。その怪しい女があらわれるという時刻は一定していないのである。ある者は宵の口に見たと云い、ある者は夜ふけに出逢ったと云うのであるから、その探索に出向いて来た以上、どうでも宵から夜なかまでここらに見張っていなければならないので、二人は堤の下を根(こん)よく往きつ戻りつして、彼女(かれ)のあらわれて来るのを今か今かと待ちもうけていた。
宵を過ぎると、柳原の通りにも往来の人影はだんだんに薄くなった。例の夜鷹の群れも妖怪のうわさに恐れて、この頃は和泉橋よりも東の堤寄りに巣を換えてしまったので、二人はからかっている相手もなかった。喜平ほどの熱心家でもない銀蔵はすこし退屈して来たところへ、五ツ(午後八時)を過ぎる頃から細かい雨がほろほろと落ちて来た。
「あ、降って来た。こりゃあいけねえ」と、銀蔵は空をあおいだ。
この企(くわだ)ては今夜に限ったことでもない。近所のことであるから、あしたの晩また出直そうではないかと、彼は丁度幸いのように云い出した。
「なに、たいしたこともあるまい。折角出かけて来たもんだから、もう少し我慢してみようじゃあないか。強く降って来たら、駈け出して帰る分(ぶん)のことだ」
喜平は強情に主張するので、銀蔵は渋しぶながら附合っていると、雨はさのみ強く振らないで、やがて大銀杏(おおいちょう)のこずえに月がぼんやりと顔を出した。
「それ見ねえ。すぐ歇(や)んだ」
「だが、いやに薄ら寒くなって来たな」と、銀蔵は肩をすくめた。「夜が更(ふ)けると往来なかはやりきれねえ。そこらの軒下に行こうじゃねえか」
ふたりは大通りを横切って、戸をおろしてある床店の暗い軒下にはいろうとすると、店と店とのあいだから一つの黒い影があらわれた。不意を喰(くら)って、ふたりは思わずためらっていると、その黒い影は静かに動き出した。それが彼女であるか、あるいは他人であるかと、喜平も銀蔵も息を殺してうかがっていた。


銀蔵は勿論、発頭人(ほっとうにん)の喜平とても、妖怪の正体を見とどけに出かけて来たものの、さてその妖怪に出逢ったらばどうするか。単にそのゆくえを突きとめるに止(とど)めて置くのか、あるいはその正体を見あらわす必要上、腕ずくでもそれを取押さえるつもりか、それらについては最初からきまった覚悟をもっているのではなかった。勿論、その妖怪と闘うような武器も用意して来なかったのである。かれらはやはりほんとうの岩見重太郎や宮本無三四ではなかった。それでも一種の好奇心に駆られて、ふたりは今ここに突然あらわれた黒い影のあとをそっと尾(つ)けてゆくと、その影は往来のまん中でしばらく立停(たちど)まった。
「白い浴衣を着ていねえじゃねえか」と、銀蔵は小声でささやいた。
「そりゃあ九月だもの」と、喜平は云った。
「化物なら時候によって着物を着換えやしめえ。こりゃあ違うだろう」と、銀蔵はまた云った。
「なにしろ、もうちっと正体を見とどけよう」
ふたりは薄月のひかりを頼りに、その黒い影のいかに動くかを窺(うかが)っていると、それは頰かむりをしている男であるらしいので、銀蔵はまた失望した。
「おい、男だぜ」
「まあ、いいから黙っていろ」
喜平はあくまでも熱心に窺っていると、その影は往来のまん中に立停まったかと思うと、又徐(しず)かに歩き出して、かの清水山の堤の裾に近寄った。それ見ろと、喜平は銀蔵にささやいて、なおも抜足をしてそのあとを尾(つ)けようとする時、突然にどこからか大きな手のようなものが現われて、ふたりの横っ面を眼がくらむほどに強く引っぱたいたので、あっと叫んで銀蔵は倒れた。喜平は顔をかかえて立竦(たちすく)んだ。やがて気がついて見まわすと、かの黒い影はどこへか消えていた。大きな手の持主は勿論わからなかった。
「畜生」と、ふたりは同時に罵(ののし)った。
しかしこれで妖怪の正体は大抵わかったように思われた。黒い影は妖怪ではない。普通の人間であるらしい。なにかの秘密があって、その一人が清水山へ忍んで行くところを、喜平らが見つけてそのあとを尾(つ)けたので、ほかの仲間がどこからか現われて来て、不意にかれらふたりを撲(なぐ)りつけたのであろう。こう考えて来ると喜平らは急に腹立たしくもなった。
「奴(やつ)らはきっと泥つくだぜ」と、銀蔵は着物の泥をはたきながら云った。「さもなけりゃあ博奕(ばくち)打ちだ」
清水山が魔所と恐れられているのを幸いに、一団の賊がそこを隠家(かくれが)にしているか。あるいは博奕打ちの仲間がそこに入り込んで、ひそかに賭場(とば)を開いているのか。二つに一つであろうとかれらが判断したのも無理はなかった。
「そう判ったら構うことはねえ。押掛けて行ってやろうじゃねえか」と、喜平はなぐられて頰を撫でながら息巻(いきま)いた。
「むむ、だが、向うが大勢だと剣呑(けんのん)だぜ」
銀蔵はまた二の足を踏んだ。かれらの仲間が二人いることは確かである。まだそのほかにも幾人(いくたり)かの仲間が潜(ひそ)んでいるかも知れない。そこへ自分たち二人が空手(からて)でうかうかと踏み込むのは危険ではあるまいかと、彼は云った。それを聞いて、喜平もすこし不安になって来た。こうなると化物よりも人間の方が却っておそろしくなる。泥坊にしろ、博奕打ちにしろ、相手が大勢で袋叩きにでもされるか、あるいは後日(ごじつ)の難儀を恐れて、その口をふさぐために息の根を止められるようなことが無いとも限らない。なぐられ損で忌々(いまいま)しいとは思いながらも、彼は銀蔵にうながされて、すごすごと此処(ここ)を引揚げることになった。
店へ帰って、その晩は無事に寝たが、喜平は口惜(くやし)くてならなかった。化物ならば格別、どうも人間らしい奴の大きい手で、眼がら火の出るほどに撲り付けられたことが忌々しくて堪(た)まらなかった。彼は明くる日の午(ひる)過ぎに、裏手の材木置場に出てゆくと、そこには切組みをしている五、六人の大工が食休(しょくやす)みの煙草を吸っていた。おなじ店の若い者や、河岸(かし)の荷あげの軽子(かるこ)なども四、五人打ちまじって、何か賑やかにしゃべっていた。喜平もその群れにはいつてゆうべの失敗ばなしをはじめた。
「おらあ口惜くってならなかったが、銀の奴が弱いもんだからとうとう詰まらなく引揚げて来てしまった。なんとか意趣がえしのしようはあるめえかしら」
大勢(おおぜい)は好奇の眼をかがやかして、息もつかずにその話を聞きすましていたが、そのなかでも勝次郎(かつじろう)という若い大工はそれに特別の興味をもったらしく、ひたいの鉢巻を締め直しながら云った。
「おい、喜平さん。まったくそのままで済ませるのは詰まらねえ。今夜わたしが一緒に行こう」
「おまえが行ってくれるか」
「むむ、行こう。中途で引っ返して来ちゃあいけねえ。なんでも強情に正体を見とどけて来るんだ」
新しい味方をみつけ出して、喜平は新しい勇気が出た。
「じゃあ、勝さん。ほんとうに行くかえ」
「きっと行くよ。嘘は云わねえ」
その詞(ことば)のまだ終らないうちに、二人のうしろに立てかけてあった大きい材木が不意にかれらの上に倒れて来た。それに頭を撃(ぶ)たれれば勿論、背中や腰を撃たれても定めて大怪我をするのであったが、さすがに商売であるだけに、喜平も勝次郎も危(あやう)いところで身をかわした。ほかの者もおどろいて一度に飛び退(の)いた。
「どうしてこの丸太が倒れたろう」
人びとは顔を見あわせた。しかもその材木が偶然かも知れないが、あたかも今夜ふたたび清水山へ探索にゆこうと相談している二人の上に倒れかかって来たと云うことが、大勢の胸に云い知れない恐怖を感じさせた。今まで強がっていた勝次郎の顔は俄かに蒼くなった。喜平もしばらく黙っていた。
「さあ、そろそろ仕事に取りかかろうか」と、そのなかで一番年上の大工は煙管(きせる)をしまい始めた。
「喜平さんも勝公も、まあ詰まらねえ相談は止(よ)した方がいいぜ」
どの人もそれぎり黙って、めいめいの仕事にとりかかった。夕方に仕事をしまって大工たちがみな帰ったときに、勝次郎も消えるように姿を隠した。また出直して来るのかと、喜平はいつまでも待っていたが、勝次郎は夜のふけるまで姿をみせなかった。材木の倒れて来たのに脅(おびや)かされたか、また他の大工に意見されたか、それらのことで彼は俄かに変心したらしく思われた。あいつもやっぱり弱い奴だと、喜平はひそかに舌打ちしたが、さりとて自分もひとりで踏み出すほどの勇気はないので、その晩は残念ながらおとなしく寝てしまった。
あくる日、仕事場で勝次郎に逢うと、彼は喜平にむかって頻(しき)りに違約の云い訳をしていた。家(うち)へ帰って夕食を食って、それから出直して来ようと思っていると、あいにく相長屋(あいながや)に急病人が出たので、その方にかかり合っていて、いつか夜が更けてしまったと、彼はきまり悪そうに説明していたが、喜平はそれを信用しなかった。
「そこで、おまえは今夜も行くのかえ」と、勝次郎は訊(き)いた。
「いや、もう止そうよ。また丸太が倒れて来ると怖いからな」と、喜平は皮肉らしく云った。
勝次郎は黙っていた。
喜平はもう彼を見かぎっていた。一時の付け元気で一緒に行こうなどと云ったものの、彼は確かに中途で変心したに相違ない。そんな弱虫はこっちでも頼まないと、喜平は腹の底で彼の臆病をあざけり笑っていた。その日の午(ひる)過ぎにかの木挽の銀蔵が来たので、喜平はもう一度彼を道連れにしようと誘いかけてみたが、銀蔵もなんだかあいまいな返事をしているばかりで、いつの間にかふいと立去ってしまった。
銀蔵といい、勝次郎といい、所詮(しょせん)自分の道連れにはなりそうもないので、喜平も一旦(いったん)はあきらめたが、まだどうもほんとうに思い切れなかった。しかし自分ひとりで踏み込むのは何分にも不安でるのと、もう一つには、なにかの場合に自分ひとりの云うことでは他人(たにん)が信用してくれない虞(おそ)れがあるのとで、どうしても証人として誰かを連れてゆかねばならない。その味方を見つけ出すのに喜平は苦しんだ。
「誰かないかな」
彼は強情にかんがえた末に、同町内の和泉(いずみ)という道具屋の若い職人を誘い出すことにした。職人は茂八(もはち)といって、ことしの夏は根津(ねづ)神社の境内で素人相撲をとりに行った男である。彼は喜平の相談をうけて、一も二もなく承知した。
「そう云うことなら早くおれに相談してくれればいいのに……。実はおれもやってみようかと思っていたところだ」
案外に話が早く纏まって、二人が柳原へ出かけたのは、最初の晩から四日目の暮れ六ツ過ぎであったが、このごろの日脚(ひあし)はめっきり詰まったので、あたりはもう真っ暗な夜の景色になっていた。今夜は二人とも武器を用意して、茂八は商売用の小さい鑿(のみ)をふところに呑んでいた。喜平も小刀をかくし持っていた。
宵闇ではあったが、今夜の大空には無数の星がきらめいていた。その星あかりの下(もと)に、この頃はもう散りはじめた堤の柳が夜風に乱れなびいているのも、素袷(すあわせ)のふたりを肌寒くさせた。五ツ(午後八時)を過ぎ、四ツ(午後十時)を過ぎても、今夜はそこに何の不思議も見いださないので、かれらは少し退屈して来た。
「どうだい、いっそ山のなかへ這入(はい)ってみようか」と、茂八は云い出した。
「はいろうか」
ふたりは思い切って、この暗い夜の清水山へ踏み込むことになった。もとより深い山ではないが、前にもいったような事情で久しく鎌を入れたことがないので、ここには灌木(かんぼく)や秋草が一面に生い茂って、闇の底から白い芒(すすき)の穂が浮き出したように揺(ゆ)らめいているのも、場所が場所だけになんとなく薄気味悪くも思われた。二人は着物の裾をからげて、用意の武器をとり出して、息を殺してその薄(すすき)のなかを掻きわけて行くと、その響きにおどろかされたのか、忽(たちま)ちがさがさという音がして、一匹の獸(けもの)のようなものが草の奥から飛び出して来たので、喜平も茂八もぎょっとして立竦んだ。


「おい、何かでたぜ」
ふたりは小声でたがいに注意した。
なにぶんにも草が深いので、今だしぬけに現われて来た獸の正体を、星明かりぐらいではとても判然(はっきり)と見定めることは出来なかったが、それは何だが狐の大きいようなものであるらしかった。その動作は非常に活潑で、ふたりに向ってまっしぐらに飛びかかって来たので、喜平も茂八も狼狽(ろうばい)した。
ふたりは手に武器を持っていたが、鑿や小刀のような小さい刃物では、足もとへ低く飛び込んで来る敵を撃ちはらうには甚だ不便であった。殊(こと)に相手の正体がわからないので、ふたりは一種の恐怖に襲われて、茂八はふだんのの力自慢にも似あわず、まず引返して逃げ出した。その臆病風に誘われて、喜平もつづいて逃げた。堤をころげ降りて往来へ出ると、敵はそこまで追ってこないらしいので、ふたりは立停まって顔を見あわせた。
「狐だろうか」と、茂八はあとを見かえりながらひと息ついた。
「狐にしちゃあ大き過ぎるようだ」と、喜平は首をひねった。
「それじゃあ鼬(いたち)かしら」
「それとも河岸の方から河獺(かわうそ)でもまぎれ込んで来たんじゃないかな」
狐か鼬か河獺か。ふたりは往来に立ってその評定(ひょうじょう)にしばらく時を移したが、なにぶんにも暗い中の出来事で相手のすがたを見届けていなのであるから、いつまで論じあっていても決着のつく筈がなかった。喜平はもう一度引返して、その正体を見届けようかとも云ったが、茂八は少し躊躇した。それが果して狐か鼬ならば、さのみ恐れるほどのこともないが、万一それが清水山にひさしく住む一種の怪獣であるとすると、迂闊(うかつ)に立ち向ってどんな怖ろしい禍いを受けるようなことがないとも限らない。なにしろ今夜のような暗やみではどうすることも出来ないから、明るい時にまた出直して来ようと云うのである。そう云われると、喜平も勇気をくじかれて、とうとう今夜も空しく引揚げることになった。
銀蔵といい、茂八といい、味方は揃いも揃って口ほどにもない弱虫であるのが、喜平には腹立たしく思われてならなかった。さりとて自分ひとりで実行するほどの勇気もないので、更に頼もしい味方を新しく見つけ出そうと考えているうちに、かの茂八が尾鰭(おひれ)をそえて大袈裟(おおげさ)に吹聴(ふいちょう)したとみえて、柳原の清水山には怪獣が棲んでいるという噂󠄀がたちまち近所にひろまった。銀蔵も何かしゃべたらしい。仕事場で喜平の話をきいた大工や軽子どもも世間に吹聴したらしい。それやこれやが八方に伝わって、初めの夜には喜平と銀蔵が大入道に襟首をつかんで投げ出され、その後の夜には喜平と茂八が九尾(きゅうび)の狐に食われかかったなどと、途方もないことを見て来たように云い触らす者も出来た。
それが主人の耳にはいって、茂八は和泉屋の主人から叱られた。とりわけて喜平はその発頭人であると云うので、山卯の主人や番頭からきびしく叱られた。何かのことに係り合って、詰まらない噂󠄀を立てられるのを、その時代の人はひどく嫌っていたので、喜平は銭湯(せんとう)へゆくほかには、日が暮れてから外出することを当分さし止められてしまった。かれらに代って、大入道や九尾の狐の正体を見とどけに出かけてゆく勇士も現われなかった。
問題の白い浴衣も寒空にむかっては姿をあらわさないとみえて、その方の噂󠄀はだんだんに消えて行ったが、喜平らによって新しく生み出された大入道と九尾の狐の噂󠄀は容易に消滅しないばかりか、それを瓦版(かわらばん)にして売りあるく者さえ出来たので、八丁堀(はっちょうぼり)同心たちももう棄てておかれなくなった。前にも云ったようなわけで、町奉行所では大入道や九尾の狐を問題にはしなかったが、八丁堀の人びとはともかくも一応は念のために、その噂󠄀の実否(じっぴ)を取調べておく必要をみとめた。場所が神田にあるので、三河町の半七が八丁堀の猪上金太夫(いがみきんだゆう)の屋敷へ呼ばれた。
「半七。お前の縄張り内に大入道と九尾の狐が巣をつくっているそうだ。どうも大変なことだな」と、金太夫は笑った。「あんまりばかばかしいと思うものの、世間を騒がせることはよくねえことだ。わざわざお前が汗をかくほどの仕事でもあるめえが、縄張り内に起ったのがお前の不詳(ふしょう)だ。誰か若い奴等らでもやって、ひと通りは詮議させてくれ」
半七ほどの御用聞(ごようきき)に対して、いかに役目でもこんな仕事を直接に働けとは云いにくいので、子分の若い者どもに勤めさせろと云いつけたのである。それは半七も呑み込んでいるので、こころよく承知した。
「自分の鼻の先のことをお指図で恐れ入りました。実は若い奴らからそんな話を聞かないでもなかったのですが、ほかの御用に取りまぎれて居りまして……」
「いや、忙がしくなくっても、こんなべらぼうな仕事は立派な男の勤める役じゃあねえ」と、金太夫はまた笑った。「清水山というと大層らしいが、堤の幅にしてみたら多寡(たか)が三、四間、おそらく五間とはあるめえ。高さだって知れたもので、足長島(あしながじま)の人間ならばひとまたぎというくらいだ。そんなところに鬼が棲(す)むか、蛇(じゃ)が棲むか、大抵はわかり切っているわけだが、昔から忌(いや)な噂󠄀のあるところだけに、世間の騒ぎは大きいのだろう。もっとも、江戸というところは油断は出来ねえ。灰吹(はいふき)からも大蛇(だいじゃ)が出るからな」
「ごもっともでございます」と、半七も笑った。「まったく油断は出来ません。では、早速に調べあげてまいります」
半七は家へ帰って、すぐに子分の幸次郎(こうじろう)と善八(ぜんぱち)を呼んだ。
「ほかじゃあねえが、清水山の一件だ。おれは馬鹿にしてかかっていたので、旦那の方から声をかけられてしまった。もう打っちゃって置かれねえ。ひと通り調べてきてくれ。だが、おれの指図するまでは現場の方へはむやみに手をつけるなよ」
「あい。ようがす」
二人はすぐに出て行った。今までは初めから馬鹿にし切って、ほとんど問題にもしていなかったのであるが、さてそれが一つの仕事となると、半七の神経はだんだんに鋭くなって来て、なんだか子分どもばかりに任せておかれないような気にもなったので、彼も午(ひる)過ぎから家を出た。それは喜平らが最後の探検からひと月あまりを過ぎた頃で、十月ももう近い薄陰(うすぐも)りの日であった。
「なんだか時雨(しぐ)れて来そうだな」と、半七は低い大空を見あげながら歩き出した。
どこという的(あて)もないが、ともかくもその場所をよく見届けて置く必要があるので、半七はまず柳原堤の方へ足をむけた。神田に多年住んでいて、ここらは眼をつぶっても歩かれるくらいによく知っているのではあるが、こういう問題が新しく湧き出して来ると、やはり一応は念入りに調べてみなければならないので、半七は筋違(すじかい)から和泉橋の方をさして堤づたいにぶらぶらたどってゆくと、長い堤の果てまでが二百何十本とかいう一列の柳は、このごろの霜や風にその葉をふるい尽くして、骨ばかりに痩せた姿をさびしく晒(さら)していた。清水山に近い大きい木には、一羽の烏が寒そうに鳴いているのを、半七は立停まって見あげた。
金太夫も云う通り、山というのは名ばかりで、足の長いものならばまたぎ越えられるぐらいの小さい高地で、全体の地坪から見ても三四十坪を過ぎまいと思われるのであるが、昔から奇怪な伝説の付き纏っているところだけに、生い茂った灌木のあいだには高い枯草がおおいかかって、どこから吹き寄せたとも知れない落葉がまたその上をうずめていた。気のせいか何となく物凄い場所ではあるが、これが山の手の奥とか、下町(したまち)でも場末のさびしい場所ともあることか、神田の柳原の大通りのむかっていて、うしろには神田川の流れを控えている。夜はともあれ、昼は往来の人影は絶えず、水にも上(のぼ)り下(くだ)りの船の浮かんでいない時はない。その繁華な土地のまん中に小さく盛り上がっているこの山が、一体どんな秘密をつつんでいるのか。この山にふみ込むと一種の怪異に出逢うなどと、一体誰が云い出したのか。まったくそんな例があるのか。半七は立停まったままで暫く考えていると、うしろから不意に声をかける者があった。
「親分さん。どちらへ」
気がついて見かえると、それはこの堤下に髪結床(かみいどこ)の店を出している甚五郎(じんごろう)という男であった。甚五郎はもう四十を二つ三つも越えたらしい、顔に薄あばたのある男で、誰に対しても遠慮なしに冗談を云う愛嬌者として知られていた。その冗談が売り物になって、彼の店はいつも繁昌していた。
「やあ。親方。寒いね」と、半七も挨拶した。
「寒いにも何も……。わたしはこの冬になって、もう三度も風邪(かぜ)をひきました。この分じゃあ今年は江戸から越後(えちご)へ出稼(でかせ)ぎに行くようになるかも知れませんぜ。おそろしい」
「世のなかは逆になったからな。やがてそうなるかも知れねえ」と、半七も笑った。「いや、怖ろしいといえば、この頃この山が物騒(ぶっそう)だと云うじゃあねえか」
「まったくおお物騒。馬鹿に世間がそうぞうしいので驚きますよ。山卯の若い衆が大宅太郎(おおやのたろう)を気どって出かけると、蝦蟇(がま)の妖術より怖ろしいのに出逢って、命からがら逃げて帰るという始末。ご存じかも知れませんが、瓦版まで出ましたからね」
諸人が毎日寄りあつまる髪結床の亭主だけに、甚五郎は清水山の出来事については何からなにまでくわしく知っていた。勿論、例の冗談も幾らかまじつているらしかったが、その関係者の喜平、銀蔵、茂八のことから、大入道や九尾の狐の怪談まで、彼は半七に問われるままにいちいち説明した。
「主人や番頭に膏(あぶら)をとられたので、山卯の組はみんな引っ込んでしまったんですが、世間は広いもので、また新手(あらて)が出て来ましたよ」
「今度は誰が出て来たんだ」と、半七は訊いた。
「今度のは飯田町の池崎(いけざき)さまの中間たちです」
池崎弥五郎(やごろう)は麹町(こうじまち)の飯田町に屋敷をかまえている千二百石の旗本である。その中間のひとりがこの八月に清水山の下を通っている白い浴衣の女をからかって、青鬼のような顔をみせられて、気が遠くなって倒れた。その当時にも大部屋の中間どもが清水山探検に押出そうとしたのであるが、余り騒ぎ立てるのもよくあるまいと云う部屋頭(がしら)の意見で、一旦はそのままに鎮まったが、大入道や九尾の狐の噂󠄀がだんだんに高くなったので、かれらはもう堪まらなくなった。かれらは五人連れで、きょうの午前(ひるまえ)にここへ押出して来た。
「そりゃあちっとも知らなかった」と、半七はその話に耳を傾けた。「そうして、どうしたえ」
「なにしろ大部屋の連中ですからね、大きな犬を一匹連れて来たんです。人を化かす古狐がこの山に棲んでいるに相違ないから、犬を入れて狐狩りをすると云うわけで……」
「そこで狐が出たかえ」
「狐は出ませんが、妙なものが出ましたよ」
甚五郎は顔をしかめてみせた。


自分がこれから手を着けようとするところへ、素人がむやみに踏み込んで荒らされて困ると、半七は肚(はら)のなかで舌打ちしながら聞いていたのであるが、池崎の屋敷の中間どもが何か妙なものを発見したという甚五郎の報告は、俄かに彼の興味をそそった。
「妙なものとはなんだえ。まさか人間の首でもあるめえ」
「首じゃあありませんが、まんざら首に縁のねえこともねえんで……」と、甚五郎は笑いながら答えた。「わたしは見たわけじゃありませんが、なんでも白木の箱が出たそうですよ。その犬がくわえて出して来たんです。箱は雨露にさらされているが、そんな古いものじゃ無さそうだと云うことでした」
「犬が啣(くわ)えて来るじゃあ大きなものではあるめえね」と、半七は訊いた。
「それでも長さは小一尺ほどもある長細い箱で、はて何だろうとすぐに打毀(うちこわ)してみると、なかには藁(わら)
人形……。おれはまあ有りそうなことですが、ねえ、親分、凄いじゃあありませんか。藁人形には小さい蛇をまきつけて、その蛇のからだを太い竹釘で人形に打ちつけてある。蛇はまだ死なねえとみえて、びくびく動いている。さすがの中間どももわあっと云って、おもわずその箱をほうり出したそうですよ。それでも気の強い奴があって、よくよくあらためて見ると、また驚いた。と云うのは、蛇ばかりでなく、人形の腹には壁虎(やもり)が一匹、やっぱり釘づけになって生きている。よっぽど執念ぶかい奴の仕業(しわざ)に相違ありませんね」
「それから、その箱をどうした」
「中間たちも薄気味悪くなったんでしょう。こんなものはしようがねえと云うんで、川へほうり込んでしまったそうですよ」
半七はまた舌打ちした。その怪しい箱が何かの手がかりになろうものを、神田川へほうり込んでしまわれてはどうにもならない。それだから素人には困ると思いながら、それからどうしたと更にたずねると、中間どもはその上にまだ何かの獲物があるかと思って、ふたたび犬を追込んでみたが、犬は空しく引返して来たので、もう仕方がないとあきらめたらしく、そのまま引揚げてしまったとのことであった。
「じゃあ誰もはいつては見なかったんだな」と、半七は念を押した。
「誰もはいった者はなかったようです。なんのかのと云っても、やっぱり気味がよくねえんでしょう」と、甚五郎はまた笑った。
かれらに踏み荒らされないのが、せめてもの仕合せであったと半七は思った。甚五郎にわかれて、半七はこれからともかくも山卯の材木店へ行ってみようかと、岩井町の方へふみ出すと、ちょうど幸次郎の来るのに出逢った。彼は親分の顔を見て駈けて来た。
「とりあえず山卯へ行って、発頭人の喜平を調べて来ました。それから建具屋の茂八もひと通りは調べましたが、どうもこれという手がかりもねえので困りました。木挽の方は善八が出かけて行きましたから、なにかいい種をあげて来るかも知れません」
大入道や九尾の狐は嘘であるが、不意に大きい手があらわれて喜平と銀蔵をなぐり倒したのは事実である。喜平と茂八が得体の知れない獸に追われたのも事実であると、幸次郎はその事情を報告した。山卯の仕事場に大きい丸太が突然倒れて来て大勢をおびやかしたことや、大工の勝次郎がそれに恐れをなして変心したことも話した。半七はだまって聞いていた。
「親分。これからどうしましょう」と、幸次郎は相談するように訊いた。
「そうさなあ」と、半七はかんがえていた。
「やっぱり張込みましょうか」
「むむ。知恵のねえやり方だか、そうするかな」
幸次郎の耳に口をよせて何か云い聞かせると、彼はうなずいて怱々(そうそう)に別れて行った。半七はその足で山卯の店へ行って、番頭にことわって喜平を表へ呼び出した。
たったいま幸次郎に調べられて、又もやその親分の半七が来たというので、喜平は少し落着かないような顔をして出て来たのを、半七は眼で招いて、店の横手に立てかけてある材木のかげへ連れこんだ。
「今しがた家の若い者が来て、ひと通りお前さんを調べて行ったそうだから、おなじ口を幾度も利(き)かせねえ。そこで、わたしの訊きたいのは、番頭さんの話じゃあ、ここの家(うち)に小僧がふたり居るそうだが、なんと云うんですえ」
「利助(りすけ)に藤次郎(とうじろう)と申します」と、喜平は答えた。「御用なら呼んでまいりましょうか」
「まあ、待ってくれ。その利助に藤次郎は幾つだね」
「どっちも同い年で十六でございます」
「どっちがおとなしいね」
「藤次郎の方が素直でおとなしゅうございます。利助の奴はいたずら者で、この夏にもいったん暇を出されたのですが、親元から謝って来まして、まだ使っているようなわけでございます」
「それから大工の勝次郎というのはどんな奴だね。おまえさんと一緒に清水山へ出かける筈で、途中で臆病風に吹かれたとかいう話だが、そいつは博奕でも打つかね」
「小博奕ぐらいは打つようです。家は龍閑町(りゅうかんちょう)の駄菓子屋の裏ですが、なんでも近所の師匠のむすめに熱くなって、毎晩のように張りに行くとかいう事です。そんな奴ですから、わたしの方でも初めから味方にしようとも思っていなかったんですが、向うから頻りに乗気になって是非一緒に出かけようと云うもんだから、わたしもその積りで約束すると、やっぱりいざというと時に寝がえりを打ってしまいました」
「意気地(いくじ)のない奴だな」
「まったく意気地のない奴ですよ」
勝次郎の寝がえりを余ほど忌々(いまいま)しく思っていたとみえて、喜平は彼を扱下(こきおろ)すように云った。
「その勝次郎は、きょうも来ているかえ」と、半七は訊いた。
「いいえ、来ていません。このごろは石町(こくちょう)の油屋へ仕事に行っているそうです」
「そうか。じゃあその利助という小僧を呼んで貰おう。ただ黙って連れて来てくれ」
「はい、はい」
喜平は引返して行こうとして、俄(にわか)に声を尖(とが)らせた。
「やい、この野郎」
その声におどろいて、半七も見かえると、喜平はうしろの材木のかげから一人の小僧を引摺り出して来た。それはかのいたずら小僧であることを半七もすぐ覚った。「親分さん。こいつが利助です。やい、手前(てめえ)はさっきからそこに隠れていて、なにを立聴きしていやあがったんだ」と、喜平は彼の腕を小突きながら半七の前に突き出した。
「まあ小さい者をそう叱るな、喜平どん、一緒にいちゃあ調べるのに都合がわるい。ちっとあっちへ行っていてくれ」
まだ不安らしい眼をして睨(にら)んでいる喜平を追いやって、半七は徐(しず)かに云い出した。
「だが、利助。おまえはどうも評判がよくないようだぞ。子供だといっても、もう十六だ。物事の善い悪いは判っている筈だのに、なぜあんな悪いことをした」
だしぬけに睨みつけられて、利助は呆気(あっけ)にとられたように相手の顔を見あげていると、半七はたたみかけて云った。
「おれは三河町の半七だ。嘘をつくと縛ってしまうぞ。おまえは先月、あの喜平と大工の勝次郎とが清水山へ行く相談をしている時に、誰にたのまれて仕事場の材木を倒した」
さすがのいたずら小僧も俄に顔の色かえて、啞(おし)のように黙ってしまった。
「なぜ黙っている。なぜ返事をしねえ。さあ、誰に頼まれて丸太を倒した。大きい丸太が倒れて来て、人の脳天でもぶち割ったらどうする。貴様はまぎれなしの下手人だぞ。そんな悪い事をなぜしたのだ。なんぼ貴様がいたずらでも、自分ひとりの料簡(りょうけん)でそんなことをしたのじゃあるめえ。だれに頼まれて、そんなことをした。その頼み手を白状しろ」
利助はうつむいたままで、やはり黙っていた。
「論より証拠、自分にうしろ暗いことがないのなら、なぜそんなところに隠れて立聴きをしていたのだ。いくら貴様が強情を張っても、おれはちゃんと知っているぞ」と、半七は笑った。
「そんなに隠すならおれの方から云って聞かせる。あの丸太を倒せと教えたのは、大工の勝次郎だろう。どうだ、まだ隠すか」
いかにいたずらでも強情でも、ことし十六の小僧は半七の敵ではなかった。いちいち図星をさされて、利助はとうとう降参した。彼は半七の問いに落ちて、このあいだ仕事場で材木を倒したのは、自分の仕業に相違ないと白状した。それを頼んだのは確かに大工の勝次郎で、彼から百文の銭(ぜに)をもらって、そっとかの材木を倒したのであると云った。しかし勝次郎は身銭(みぜに)を切って、なぜそんな悪い知恵を授けたのか、それは利助も知らないらしかった。彼は生来(せいらい)のいたずらから、面白半分の人騒がせになんの考えもなく引受けて、小さい身体を材木のかげに潜ませ、不意にその一本を倒しかけたに過ぎないのであった。
その白状を残らず聞いた上で、半七は利助を番頭のとっころへ連れて行った。そうして、あらためてこの小僧を番屋へ呼び出すまでは、決して表へ出してはならないと堅く戒(いまし)めて帰った。


半七は山卯の材木店を出て、ふたたび柳原の通りへ引返してくると、あとから子分の善八が追って来た。
「親分。山卯の店へたずねて行ったら、親分はたった今帰ったと云うので、すぐに追っかけて来ました。番頭の話では、利助という小僧がなにか眼をつけられたそうですね」
「むむ。まあ大抵は見当がついたようだ」と、半七は笑った。「ところで木挽の方はどうした」
「銀蔵の奴は駄目でした。別に手がかりになりそうなこともありませんよ」
善八は自分が調べて来ただけのことを話した。それは幸次郎の報告と大差ないもので、彼自身も失望している通り、別に新しい手がかりになりそうな材料を含んでいなかった。
「まあ、銀蔵も喜八も別に係り合いはなさそうだ。それより大工の勝次郎という若い野郎を引挙げてくれ。こいつは石町の油屋に仕事に行っているそうだから」
「ようがす。すぐに番屋へ引っ張って来ますかえ」
「むむ。おれは先に行って待っている」と、半七は云った。「相手は若けえ奴だ。おまけに大工だと云うから、なにか切れ物を持っているかも知れねえ。気をつけて行け」
善八にわかれて、半七はすぐに町内の自身番へ行こうとしたが、善八が日本橋の石町へ行って本人を引っぱって来るまでには、まだ相当の間(ひま)がかかるだろうと思ったので、更に向きをかえて髪結床へはいると、ちょうど客がなくて、甚五郎は表をながめながら長い煙管(きせる)で煙草をのんでいた。
「やあ、親分。先ほどは……」と、彼は起(た)って挨拶した。「きたないところですが、まあ、お掛けなさい」
自分の店へ髪を結いに来たのでないことは甚五郎も初めから承知しているので、彼は粉炭(こばずみ)を火鉢にすくい込んで、半七の前に押出しながら話しかけた。
「親分も清水山の一件をお調べになるんですかえ」
「世間がそうぞうしいので、まんざら打っちゃっても置かれねえ」と、半七も煙草入れを出しながら云った。
「実はさっきお話しませんでしたが、池崎の屋敷の中間のほかに、こんなことがありましたよ。これはわたしだけが知っていることなんですがね。なんでも八月の中頃からでしょうか、変な男がときどき髪を束(たば)ねに来るんです。ひとりで来る時もあり、二人づれで来る時もありましたが、まあ大抵はひとりで来ました。年頃は三十五六でしょうか、色の黒い、骨太の、なんだか眼付きのよくない男で、めったに口をきいたこともなく、いつも黙って頭をいじらせて、黙って銭をおいて行くんです」
「それがどう変なのだ」
「どうと云うこともありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ」
その男は今でも来るかえ」と、半七は煙草を吸いながら徐(しず)かに訊いた。
「いや、それがまた可笑(おかし)いんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見届けに出かけてから、二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらりとはいって来て、わたしに髭(ひげ)を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂󠄀をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてにやりと忌(いや)な笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身を損(そこ)ねるようなことが出来(しゅったい)する……。と。わたしはそれに相槌(あいづち)を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも変異をしませんでした。そうして、それぎり来なくなってしまったんです」
「それぎり来ねえか」
「それぎり一度も顔をみません。ねえ、親分。なんだか変じゃありませんか。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ」
喜平と銀蔵をなぐり倒した大きい手の持はかの男ではないかと、甚五郎は疑っているらしかった。半七もそう思った。
「そいつは二人連れで来たこともあるんだね」
「ありますよ」と、甚五郎はうなずいた。「もう一人の男は少し若い三十二三ぐらいの、これはずっと小作りの男でした」
「商売の見当はつかないかね」
「さあ」と、甚五郎は首をかしげた。「どうも江戸じゃありませんね。まあ近在のお百姓でしょうかね」
「いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ」
「どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です」
半七はこの店を出て、山卯の町内の自身番へ行ってみると、善八はまだ来ていなかった。定番(じょうばん)を相手に、囲炉裏(いろり)のそばでしばらく話していると、やがて善八は大工の勝次郎をつれて来た。勝次郎はまだ二十一か二で、色の青白い痩形(やせがた)の男で、見たところ、小機転の利いているらしい江戸っ子肌の職人ではあるが、度胸の坐った悪党でもないらしいことは、半七は多年の経験ですぐ察しらえた。
「おい、ご苦労」と、半七は勝次郎に声をかけた。「よくすぐに来てくれたな」
「親分さんの御用だと云うことですから」と、勝次郎はおとなしく答えた。
よく見ると、彼の顔はどことなく窶(やつ)れて、眼のうちも陰(くも)っていた。
「そこで早速だが、おまえは柳原の清水山へ何しに行くんだ」
「いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないので断わりました」
「気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。忌(いや)なものなら黙っていたらよさそうなもんだ。いったん行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけが訊きてえ。正直に云ってくれ」
「へえ」
それに対して何か云い訳をかんがえているらしい勝次郎の頭の上へ、半七はつづけて浴びせかけた。
「一体おめえは妙な知りびとを持っているな。あの三十五六の色の黒い、骨太の男はなんだ」
勝次郎は黙ってうつむいていた。
「それから三十二三の小作りの男……あんな奴らとなぜ附合っているんだ」
勝次郎は真蒼(まっさお)になって顫(ふる)え出した。
「もう何事もお上(かみ)の耳にはいっているんだ。じたばたするな、往生ぎわの悪い野郎だ」
半七に睨まれて、若い大工は骨をぬかれたように平伏(へたば)ってしまった。
「さあ、なんとか返事をしろ。黙っているなら、おれの方からもっと云って聞かしてやろうか。だが、おれに口を利かせれば利かせるほど、貴様の罪が重くなるのだから、その積りでいろ。それともここらで素直に云うか」
再び睨みつけられて、勝次郎はあわてて叫んだ。
「親分、堪忍してください。申上げます、申上げます」
半七は善八に云いつけて、茶碗に水を入れて来て勝次郎の前に置かせた。
「さあ、水をやる。一杯のんで、気をおちつけて、はっきりと申立てろ」
「ありがとうございます」と、勝次郎は顫えながらその水をひと口飲んだ。そうして、板の間に手をついた。「こうなれば何もかも有体(ありてい)に申上げますが、わたくしは決して悪事を働いた覚えはございません」
「うそをつけ」と、半七はまた睨んだ。「どうも強情な奴だな。じゃあ、おれの方からよく云って聞かせる。貴様が初手から清水山へ行く料簡もなし、またなんにも後暗(うしろぐら)いことがねえなら、初めから黙っている筈だ。脛(すね)に疵(きず)を持つ奴の癖で、自分の方からわざと清水山へ行こうなぞと云い出したものの、もともとほんとうに行く気はねえんだから、喜平たちを嚇(おど)かすために、小僧にたのんで丸太を倒させた。それでも喜平が強情に行くと云うので、今度は長屋に急病人が出来たなどといい加減の噓をついて逃げてしまった……。やい、勝次郎。まだおれにしゃべらせるのか。世話を焼かせるのにも程があるぞ」
「恐れ入りました」と、勝次郎は声をふるわせた。「親分のおっしゃることはいちいち図星でございます。しかし親分、わたくしは清水山の一件に係り合いがあるには相違ありませんが、決して悪いことをした覚えはないのでございます。まあ、お聞きください。ことしの七月の末でございました。日が暮れてもなかなか残暑が強いので、涼みながら鼻唄で柳原の堤下を通りました。もうかれこれ五ツ半(午後九時)頃でしたろう。ふいと見ると、うす暗いなかに白地の浴衣を着ているらしい女がぼんやりと突っ立っているんです。時化(しけ)を喰(く)った夜鷹だろうと思って、からかい半分にそばへ寄って、何か冗談を云いかけると、その女はいきなりわたくしの腕をつかまえて、堤の上へ引っ張って行く。こっちも若いもんですから、いよいよ面白くなって付いて行きました。ところが、相手は夜鷹どころか、別れるときに、向うから一分(いちぶ)の金(かね)をわたくしの手に握らせてくれました。そうして、あしたの晩もきっと来てくれと云うんです。いよいよ嬉しくなって、そのあしたの晩も約束通りに出かけて行くと、女はやっぱり待っていました。出逢う所はいつでも清水山で、逢うたびにきっと一分ずつくれるんですから、こんな面白いことはないと思っていると、忘れもしない八月八日の晩でした。その晩はいい月で、女の顔が……。女はいつも手拭を深くかぶっているので、一体どんな女だかよく判らなかったんですが、今夜こそはよく見届けてやろうと思って、月明かりで手拭のなかを覗いてみると、いやどうもおどろきました。その女は両方の眼のまわりから鼻の下まで、まるで仮面(めん)をかぶったような一面の青黒い痣(あざ)で、絵にかいたような鬼女とでも云いそうな人相でしたから、わたくしは気が遠くなる程にびっくりして、あわてて突き放して逃げようとすると、女は袖にしがみついて放しません。まあ、話すことがあるから一緒に来てくれと云って、無理にわたくしを清水山の奥へ引摺って行きました。今まで一分ずつくれていたのですから、ほんとうの化物(ばけもの)でないことは判っていますが、なにしろ化物のような女の正体がわかってみると、なんだか薄気味が悪くなって、お岩(いわ)か累(かさね)にでも執着(とりつ)かれたような心持で、わたくしは怖々(こわごわ)ながら付いて行くと、女はすすり泣きをしながら、どうで一度は知れるに決まっていると覚悟はしていたが、さてこうなると悲しい、情けない。わたしのような者でも不憫(ふびん)と思って、今まで通りに逢ってくれるか、それとも愛想を尽かしてこれぎりにするか、その返事次第でわたしにも料簡があると、こう云うんです。嫌だと云ったら、いきなり喉笛(のどぶえ)にでも啖(くら)いつくか、帯のあいだから剃刀(かみそり)でも持出すか、どの道、唯(ただ)はおかないという権幕ですから、どうにもこうにもしようがなくなって、わたくしも一時のがれの気やすめに、きっと今まで通りに逢うと云う約束をしてしまいました」
彼は茶碗の水を又ひと口のんで、しばらく息を休めていた。


その後の成行きについて勝次郎はこう訴えた。
彼は一時のがれの気やすめを云って、その晩はともかくも化物のような女から放たれたが、色も慾も消えうせて、もう二度と彼女(かれ)に逢う気にもならないので、あくる晩は約束にそむいて清水山へ出かけて行かなかった。しかしなんだか自分の家(うち)も落着いていられないので、彼は近所の女師匠のところへ遊びに行って四ツ(午後十時)を合図に帰ってくると、家のまえには彼女が幽霊のように立っていた。勝次郎は独身者(ひとりもの)で、表の戸をしめて出たので、女はその軒下に停(たたず)んで彼の帰るのを待ちうけていたのである。それをみて、勝次郎は又おどろかされた。こういうことになると知っていたら、迂闊に自分の居どころを明かすのではなかったと今さら悔んでも追っ付かないので、彼はよんどころなくその化物を内へ連れ込むことになったが、女は内へはいらずに帰った。
女は帰るときに堅く念を押して、もし約束を違(たが)えて清水山へ出て来なければ、自分はいつでもここへ押掛けてくると云ったので、勝次郎はいよいよ困った。いっそ宿替えをしようかと思ったが、こんな執念ぶかい女はどこまでも追って来て、どんな祟(たた)りをするかも知れないと思うと、それもまた躊躇した。そして、そのあくる晩からやはり清水山へ通いつづいけていたが、あの以来、彼の心はすっかり変ってしまって、唯むやみに彼女がおそろしくなって来た。逢いはじめてから今日(こんにち)まで、女は自分の身許をはっきりと明かさないで、単に小石川の音羽(おとわ)に住むお勝(かつ)という者だと話しただけであるが、それがどうも疑わしいので、勝次郎は念のために音羽へ探しに行ってみたが、音羽もなかなか広いので、顔に痣のあるお勝という女ぐらいのことでは容易にわからなかった。考えてみると、その居どころは勿論、その名さえもほんとうか噓かわかったものではない。こっちの名が勝次郎というので、それに合わせてお勝などと出たらめのことを云っているのかも知れない。そうなると、勝次郎の不安はいよいよ大きく拡がって、そんな女にかかりあっているのは、どうしても我が身の為にならないように思われてならなかった。
そのうちに、柳原堤に怪しい女が出るという世間の噂がだんだんに高くなて来るので、勝次郎はそれに対してもまた一種の不安を感じはじめて、逢いびきの場所をどこへか換えようと云い出したが、女はなぜか承知しなかった。年の若い勝次郎は清水山が魔所であるという伝説については、今まで余り多くの注意を払っていなかったが、化物のような女がこの清水山に執着しているのを考えると、今更のように又いろいろのことが思いあわされて、彼の恐怖はにちましに募るばかりであった。さりとて、宿替えをすることも出来ない。まさか他国へ逃げてゆく訳にも行かない。いっそ思い切って誰かに打明けて、その知恵を借りようかと思いながら、それもやはり躊躇して日を送るあいだに、かの山卯の喜平の探検がはじまった。
半七が鑑定した通り、脛に疵もつ彼はわざと強そうなことを云って、喜平と一緒に清水山へゆくことを約束したが、勿論そんな気はないので、山卯のいたずら小僧に百文の銭をやって、仕事場の材木を不意に倒しかけて喜平を嚇そうと企てたのであるが、その計略は成就しそうもなかったので、彼は更に他の口実をかまえて、喜平の仲間にはいることを避けたのであった。それにしても、万一かの喜平らのために怪しい女の正体を見あらわされはしまいかと、勝次郎は内心ひやひやしていたが、不思議なことには、かの探検がはじまってから、お勝という女はそこに姿をみせなくなった。勝次郎の家へも尋ねて来なくなった。
喜平らの探検を恐れて、彼女が姿をかくしてしまったのは、勝次郎にとっては勿怪(もっけ)の幸いと云うべきで、彼はまずほっとした。近所の清元の師匠におみよという若い娘があるので、彼はこのごろ毎晩そこへ入り込んで、稽古をかこつけに騒ぎ散らして、つとめて清水山の女のことを忘れようとしていた。彼の申立ては以上の事実にとどまって、何者が喜平らをなぐり倒したのか、どんな獸が喜平らをおびやかしたのか、そんなことは一切(いっさい)知らないと彼は云った。
その申立てに少し疑わしい点がないでもなかったが、半七はその以上に彼を吟味しなかった。それでも念のためにまた訊いた。
「そのお勝とかいう女は、それぎりちっとも音沙汰がないんだな」
「その当時はなんどきまた押掛けて来るかと、内々心配していましたが、もうひと月の余になりますけれども、それぎり影も形もみませんから、もう大丈夫だろうと安心しているのでございます」
「そうか」と、半七はうなずいた。「そこで、おまえはこの六月から七月ごろにかけて、何処(どこ)とどこへ仕事に行った」
勝次郎はこの頃ようよう一人前の職人になったのであるから、自分の得意場などは持っていない。いつも親方に引廻されているのであるが、六月から七月にかけては、深川で一軒、日本橋で二軒、神田で一軒、雑司ヶ谷(ぞうしがや)で一軒、都合五カ所の仕事に出たが、いずれも三日か四日の繕(つくろ)い普請(ぶしん)で、そのなかで少し長かったのは深川の十日と雑司ヶ谷の二十五日であると云った。彼は半七の問いに対して、更にその仕事さきの町名や家号などもいちいち委(くわ)しく答えた。
「よし、わかった。これできょうは帰してやる。御用があって又なんどき呼び出すかも知れねえから、仕事場の出先を大屋(おおや)へいちいち断わって行け」と、半七は云った。
「かしこまりました」
「それからお前に云っておくが、まあ当分は夜あるきをしねえがいいぜ。なるたけ自分の家(うち)におとなしくしていろ」と、半七はまた注意した。
委細承知しましたと云って、勝次郎は早々に立去った。
「親分、どうです」と、善八は彼の姿を見送りながら小声で訊いた。
「幸の奴は清水山に張込ませることになっているから、おめえご苦労でも誰かと手分けをして、あいつの仕事先をいちいち洗って来てくれ」
「どんなことを洗ってくるんです」
「一から十までくわしいほどいいんだが、大体の目安はこうだ」と、半七は子分の耳に口をよせた。
何をささやかれたのか、善八はいちいちうなずいて、これも早々に出て行った。たとい手分けにしたとしても、日本橋と神田と深川を調べて来るのは、右から左にというわけに行かない。殊に雑司ヶ谷などという遠いところもある。所詮(しょせん)きょう一日の仕事には行かないと見て、半七はやがて暮れかかる冬の空を仰ぎながら三河町の家(うち)へ帰った。
あくる朝、菰(こも)をかぶった一人の乞食が半七の家の裏口から顔を出した。彼は子分の幸次郎であった。
「どうもいけません。この姿で清水山に夜通し寝ていましたが、犬ころ一匹出て来ませんでした」と、彼は朝の寒さに顫えながら云った。
「ご苦労、ご苦労。さあ、朝湯へでも飛び込んで泳いで来い」と、半七は幾らかの銭(ぜに)をやった。
「今夜も張込みますかえ」
「まあ、それはもう少し考えてみよう」
幸次郎が着物を着かえて出てゆくと、半七もすぐに朝飯を食って出た。そうして、きのうの通りに清水山の下をひとまわりして、それから山卯の店へ立寄ると、ちょうど店先に立っていた喜平があわただしく駈けて来た。
「親分さん。大工の勝次郎がゆうべから帰らないそうです」
「勝次郎が……。ゆうべから……」
「そうです。ゆうべも町内の師匠のところへ行って、四ツ(午後十時)頃まで呶鳴(どな)って帰ったそうですが、けさになっても家(うち)に帰らないんです。どこへか泊りに行ったのかと思うんですが、長屋の人たちの話では、この頃めったに家をあけたことはないそうです」と、喜平は仔細らしくささやいた。
「それでも若い者のことだ。どこへ転げ込まねえとも限らねえ。まだ夜が明けたばかりだ。今にどこからか出て来るだろう」
「でも、親分。師匠の家(うち)から半町ばかり離れたところに、勝次郎の煙草入れと草履が片足落ちていたそうです」
「そうか」と、半七は眉をよせた。「そいつは打っちゃって置かれねえ」
半七はとりあえず龍閑町の裏長屋へ行って、家主立会いで勝次郎の家を調べると、表の錠はおろしたままであった。その錠をこじあけてはいってみると、狭い家のなかは別に取散らした様子もみえなかった。夜逃げをするならば何か持出しそうなものである。どこへか泊りに行ったならば、往来に煙草入れや草履かた足を落してゆくのもおかしい。更に清元の師匠の家へ行ってきくと、勝次郎はゆうべ酔っていなかったと云うことが判った。こうなると不審は重々である。半七は更に勝次郎の親方の大五郎(だいごろう)という棟梁(とうりょう)をたずねた。大五郎の家は山卯の店から遠くないところで、格子のまえには若い職人二人と小僧一人が突っ立って、事ありげに何かひそひそと話していた。
大五郎はもう五十近い男で、半七を奥へ通して丁寧に挨拶した。
「おたずねの勝次郎のことに付きましては、わたくしも心配して、これから若い者どもを手分けして、心あたりを探させようと思っているところでございます。前夜の様子から考えると、なにか人と喧嘩でもしたのか。男のことですから、まさかに勾引(かどわかし)に逢ったわけでもないだろうと思うんですが……。職人にしてはふだんからおとなしい奴ですから、人から恨みを受けるようなこともない筈ですし、どうも判りません」
「きのう当人から聴いたのじゃあ、この六月から七月にかけて、日本橋に二軒、神田に一軒、深川に一軒、雑司ヶ谷に一軒、仕事に行ったそうですが、そのなかで顔に痣のある娘か女中のいる家はありませんでしたかえ」
「さあ」と、大五郎は首をひねった。「みんなわたくしの出入り場ですが、どうもそんな女のいる家はなかったようですね。もっとも、雑司ヶ谷だけは今度はじめて仕事に行ったんですが、顔に痣のある女……。そんな女は一度も見なかったと思います。それでもまあ念のために若い者にきいてみましょう」
彼は門口(かどぐち)にあつまっている職人や小僧を呼んで、痣の女を詮議したが、だれもそんな女を知らないと云うので、半七は少し失望した。それでも雑司ヶ谷の仕事先について、棟梁や職人たちの知っているだけのことを残らず聞き取って帰った。帰る途中で、半七はきのうからきょうにかけて探りあつめた種々の材料を、胸のなかでいろいろに組みあわせて考えた。そうして、それがどうにか順序よく組み立てられたように思われたので、彼の胸もだんだんに軽くなった。袋の物をつかむと云うまでには行かないでも、彼は爪先にころがっている物を見つけたぐらいの心持になった。


半七が家(うち)へ帰っていると、午(ひる)すぎになって子分の多吉(たきち)が帰って来た。彼は善八と手分けをして、ゆうべから日本橋二軒と深川二軒とを調べあげて来たのである。しかしその報告には、半七の注意をひくほどの材料はなかった。
「いよいよ雑司ヶ谷だな」
こう思って待ちかまえていると、日の暮れる頃に善八が大いそぎで引揚げて来た。彼は神田から雑司ヶ谷へまわったのである。神田の方は訳もなく埒(らち)があいたが、雑司ヶ谷の方は足場が悪いのと、少し面倒であったのとで、思いのほかに暇どれたと彼は云い訳らしく云った。
「そうだろうと思っていた」と、半七は待ちかねたように訊いた。「そこで早速だが、神田の方はあと廻しとして、まずその雑司ヶ谷の方から聞かしてくれ。その家(うち)は穀屋(こくや)で、桝屋(ますや)とか云ったな」
「屋号は桝屋ですが、苗字(みょうじ)は庄司(しょうじ)と云うんだそうで、土地の者はみな庄司と云っています。土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地(でんじ)をたくさん持っている大百姓で、店の右の方に大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。店の方と畑の方とを合わせると、奉公人が四五十人も居ると云うことです」
「奉公人のほかに家内は幾人(いくたり)いる」
「大家内(おおかない)の割合に、家の者は極(ご)く少ないんです」と、善八は答えた。「主人は藤左衛門(とうざえもん)といって、もう六十ぐらいになる。女房は十年ほど前に死ぬ。子供は男二人と女ふたりで、惣領(そうりょう)は奥州(おうしゅう)の方へ行って店を出している。次男は中国(ちゅうごく)の方へ養子にやる。惣領娘は越後の方へ嫁にやる。家に残っているのはお早(はや)という妹娘だけで、これが二十六になるそうですが、なんだか身体が悪いとか云うので、去年あたりから内に閉じこもっていて、誰にも顔をみせないと云うことです」
「そうすると、親子二人ぎりだな。その庄司の家には何か悪い筋でもあるとかいう噂󠄀は聞かねえか」
「さあ、そんな噂󠄀は聞きませんでした。主人は慈悲ぶかい人だそうで、土地では庄司の旦那様といえば、仏さまのように敬(うやま)っているようです。なにを訊いてもいいことばかりで、悪い噂󠄀なんぞする者は一人もありませんよ。どれもこれも無駄らしゅうござんすね」
「いや、無駄でねえ」と、半七はほほえんだ。「もうこれでいよいよ極(き)まった。勝次郎に逢いに来る女は、そのお早という二十六の娘に相違ねえ」
「そうでしょうか」と、善八は疑うように親分の顔をみつめた。
「だって、考えてみろ。それほどの大家(たいけ)でありながら、惣領息子を遠い奥州へ出してやると云うのが解らねえ。次男も遠い中国へやる。惣領むすめも遠い北国へやる。大勢の子供をみんな遠国(おんごく)へ出してしまうと云うのは、なにか仔細がなければならねえ。その家には悪い病気の筋がある。おそらくは癩病(らいびょう)か何かの血筋を引いているのだろう。おやじは幸いに無事でいても、その子供たちは年頃になると悪い病いが出る。そこで、奥州へやったの、北国へやったのと云って、どこか知らねえ田舎に隠しているに相違ねえ。家にのこっているお早という娘が去年から悪いと云うのも、やっぱりそれだ。唯の病気なら誰にも顔を見せねえという筋はねえ。人に見られないように、どっかに隠れて養生しているんだろう。考えてみれば可哀そうなものだ」
「それにしても、そのお早という女が勝次郎に逢いに来たんでしょうか。それがまだわからねえ」
「わからねえことがあるものか」と、半七はまた笑った。「その女は顔に青い痣があると云うじゃあねえか。それはもう病気の発しているのを何かの絵具(えのぐ)で塗りかくして、痣のように誤魔化しているんだ。それだから相手の男をいつも清水山の薄暗いところへ連れ込んでいるんだろう。勝次郎は往来のまん中で不意にその女に出っくわしたように云っているが、どうもそうじゃあねえらし。この六月から七月にかけて小ひと月ほども仕事に行っているあいだに、何かのはずみでお早という娘と出来あったに相違ねえ。女は男が恋しい一心で雑司ヶ谷からわざわざ逢いに来る。それを自分の家へ引摺り込んでは近所となりの手前もある。女の方でも例の一件だから、なるたけ薄暗いところがいい。そこでふたりが話しあって、むかしから人のはいらねえ清水山を出逢い場所にきめたんだろう」」
「勝次郎は一件を知っているんでしょうか」と、善八は顔をしかめた。
「よもや知るめえ」と、半七も溜息をついた。「痣のあることは知っていたろうが、相手は大家(たいけ)の娘だ。あいつも慾に転んで引っかかったんだろう。悪いことは出来ねえもんだ。喜平や銀蔵をなぐった奴も雑司ヶ谷の奉公人だろう。大勢の奉公人のうちには忠義者があって、よそながら主人のむすめの警固に来ているらしい。甚五郎の床店へ髪を束(たば)ねに来たという二人連れの男が確かにそうだ。こう煎じつめて来ると、ゆうべ勝次郎を引っかついで行った奴も大抵わかる筈だ。お早と勝次郎の逢いびきは当人同士の勝手だが、世間を騒がすのはよくねえから、一応は叱って置かなけりゃあならねえ。殊に雑司ヶ谷の奴らが勝次郎をさらって行くなどとはよくねえことだ。科人(とがにん)をこしらえるほどの事でなくっても、これも叱って勝次郎を助けてやらなけりゃあ可哀そうだ」
「じゃあ、すぐに繰出しましょうか」
「これから出かけると、夜がふけて何かの都合が悪かろう。まあ、あしたにしようぜ。世間のうわさがあんまり騒々(そうぞう)しくなったのと、勝次郎の奴がこの頃だんだんぐらつき出したので、向うでも引っかついで行ってしまったんだろうから、なにも命を取るようなこともあるめえ。種さえあがれば、そんなに慌てなくてもいい」
あくる朝、半七は善八をつれて雑司ヶ谷へ出向いた。よもやと思うののの、相手は大家で大勢の奉公人がいると云い、近所の者もみな彼を尊敬しているようでは、どんな邪魔がはいらないとも限らないので、幸次郎と多吉も見え隠れにそのあとを追って行った。庄司の家はなるほど由緒ありげな大きい古屋敷で、門の前にはここらの名物の大きい欅(けやき)が幾本もつづいて高く立ってた。
主人に逢いたいと申込むと、しばらくして二人な門内に通された。庭には大きい池があって、そこには鴨(かも)の降りているのが見えた。池の岸には芒(すすき)の穂が白くそよいでいた。その池をめぐって、更に植込みのあいだを縫ってゆくと、ふたりは離れ家のようになっているひと棟のなかへ案内された。座敷は十畳と八畳ぐらいのふた間つづきになっているらしかった。
ここで半七をおどろかしたのは、かの勝次郎の親方の大五郎が暗い顔をして、線香の煙りのなかに坐っていることであった。自分たちよりも先(せん)を越して、大五郎がここに来ていようとは、さすがに思いもよらなかった。それと向いあっているのが主人の藤左衛門で、服装は質素であるが如何にも大家のあるじらしい上品な人柄で、これも打沈んでうつむいていたが、半七らをみて鄭重(ていちょう)に挨拶した。その挨拶が済むと、半七はまず大五郎に声をかけた。
「いったい親方はどうしてここへ来なすった。わたしたちも鼻を明かされてしまいましたよ」
「どういたしまして……」と、大五郎は小声で答えた。「けさ暗いうちに、こちらからお迎いの駕籠がまいりましたので、何がなにやら判らず参ったのでございます」
それにしても、線香の匂いがどこからか流れて来るのが半七の気になった。
「なんだか忌(いや)な匂いがしますね」
「それでございます。神田の親分さん、どうぞこれをご覧くださいまし」
藤左衛門が起(た)って次の間の襖をあけると、そこには血みどろになった若い男と女の死骸がならべて横たえてあった。
「ごめんください」
半七も起って行って、まずふたりの死骸をあらためた。男は左の頸筋(くびすじ)から喉(のど)へかけて斜めに斬られていた。女も左の喉を突き破られていた。その枕もとには血に染みた一挺の剃刀が置かれてあった。


これで一切は解決した。
半七が想像していた通り、勝次郎の申立てにはよほどの噓がまじっていた。彼はこの夏、親方と一緒にこの家(うち)の仕事に通って来て、母屋(おもや)と台所の繕(つくろ)いをしていた。繕い普請といっても大家の仕事であるから、二十日あまりも通いつづけているあいだに、彼は家の女中たちとも心安くなった。若い職人は若い女中と冗談などを云いあうほどに打ちとけた時、ある日の午(ひる)休みにお兼(かね)という女中が勝次郎を物かげによんで何事をかささやいた。勝次郎はいつの間にか家の娘のお早に見染められたのである。お早は顔や手足に青い痣がああるので、未(いま)だ縁談がきまらないでいる。それを承知で逢ってくれれば、娘から十両の金をくれると云うのであった。年のわかい無分別と、もう一つは慾にころんで、勝次郎はとうとうそれを承知した。彼はお兼の手引きで、はいめてお早という娘に逢った。それは古い土蔵の奥で、昼でも薄暗いところであった。
そのうちに仕事が済んで、勝次郎はもう雑司ヶ谷に通わなくなると、お早の方から追って来た。しかし長屋住居の男の家へ入り込むことを嫌って、いつもかの清水山で逢うことにしていた。それを父の藤左衛門に覚られて、きびしく意見を加えられたが、恋に狂っているお早はどうしても肯(き)かなかった。普通の娘の我がままや放埓(ほうらつ)とは訳が違うので、父には一種の不憫(ふびん)が出て、結局はそのなすがままに任せていたが、娘ひとりを出してやることは何分不安であるので、児飼いからの奉公人ふたりを毎晩見えがくしに付けてやって、よそながらお早の身の上を警固させていた。喜平らを殴り倒してその探検を妨げたのは、勿論かれらの仕業であった。
しかしこういう探検者があらわれて来るからには、迂闊に清水山へ通うのは危険であると、かれらは主人に注意した。お早にも注意した。それでいったんはその通い路を断(た)ったのであるが、お早の執着は容易に断ち切れなかった。彼女(かれ)は男恋しさに物狂おしくなって、あるときは庭の池に身を沈めようとした。あるときは剃刀で喉を突こうとした。これには父も持て余したばかりか、片輪の子ほど可愛さも不憫さも弥増(いやま)して、かの奉公人ふたりと相談の上で、娘の恋しがる男を引っかついで来ることにした。土地の者から仏さまのように敬われている藤左衛門も、わが子の愛には眼がくらんで悪魔の奴(やっこ)となり果てたらしい。忠義の奉公人どもは主人の心を汲み、娘の恋にも同情して、勝次郎が夜ふけて師匠の家から帰る途中を不意に取っておさえて猿轡(さるぐつわ)を食(は)ませ、用意して来た駕籠にぶち込んで、とどこおりなく雑司ヶ谷まで生け捕りにして来たのであった。半分は夢中でぼんやりしている勝次郎は、お早の居間と定められているこの離れ家へかつぎ込まれて、薄暗い行燈(あんどう)のもとで青い痣にいろどられている女と差向いになった。
それから後は、どうしたのか誰も知っている者はない。それでも虫が知らしたとでも云うのか、藤左衛門はなんだか一種の不安をいだいて、夜のあけないうちにそっとその様子をうかがいにゆくと、彼の眼に映ったのは生々(なまなま)しい血潮と二人の亡骸(なきがら)とであった。
ふたりはどうして死んだのか判らないが、前後の事情から考えて、又その模様から判断して、それが普通の心中でないことは半七にも想像された。勝次郎は痣娘にその若い命をちぢめられたらしい。それについて藤左衛門は眼をふきながら云った。
「お役目の方がご覧になりましたなら、何もかもお判りでございましょうから、なまじいに隠し立てはいたしません。娘は思いあまって、こんなことになったのであろうと存じます。これが人並(ひとなみ)の娘でござりましたなら、たといどんな片輪者でござりましょうとも、勝次郎さんにもおく頼んで、なんとか添い遂げるご相談のしようもあるのでござりますが、どうもそれがなりませんので……」
云いさして彼は声を呑んだ。その白い鬢(びん)の毛のかすかに顫えているのも痛ましく見えて、半七も思わず眼をしばたたいた。
「いや、判りました。もう仰しゃるには及びません。何もかもお察し申して居ります。ついては棟梁」と、彼は大五郎を見かえった。「おまえさんも弟子ひとり取られて、さぞ残念には思うだろうが、これも因縁ずくで仕方がねえ。なんにも云わずに、この二人は心中ということにして、こちらの家(うち)の菩提所(ぼだいじょ)へ合葬してやったらどうだね」
「何分よろしくねがいます」と、大五郎も素直に承知した。
藤左衛門の眼からは新しい涙が流れた。半七と大五郎は二つの亡骸のまえに改めて線香をそえた。


雑司ヶ谷心中と世間にうたわれて、庄司の家から程遠くない寺内にお早と勝次郎とが葬られた後、しぐれ雲のゆきかいする寒い日が幾日もつづいた。十一月のなかばになって、清水山で一匹の獸が生け捕られた。それは山卯の喜平と建具屋の茂八の罠(わな)にかかったのである。
喜平は番頭に叱られ、茂八は主人に叱られたのであるが、それが近所にも知れ渡って、自分たちが弱虫であるように云いはやされるのが、いかにも残念でならないので、どうかして自分たちをおびやかした獸の正体を見あらわしてくれようと、二人は相談の上でまた懲(こ)りずまに清水山探検を試みた。今度は獸を捕えるのが目的であるので、かれらは魚と鼠を餌(えさ)にして、灌木と枯れすすきのあいだへ罠をかけておくと、三日目の夜に果して四尺あまりの獸がその罠にかかった。獸は鼬(いたち)によく似たもので、黄いろい毛と長い尾を持っていた。おそらくは貂(てん)であろうと判断されたが、それほどの大きい貂は滅多にあるものではないと云うので、所詮は得体のわからない一種の怪獣と見なされてしまった。そうして、清水山に怪異があるというのは、こんな怪獣が棲んでいる為であろうと云うことになった。その正体を見届けた喜平らは岩見重太郎の二代目とまでは行かなかったが、ともかくも弱虫の汚名をすすぐことが出来たので、大手を振って町内を押しあるいた。怪獣のゆく末は説明するまでもない。かれは両国の見世物小屋に晒され、柳原の清水山に年を経たる九尾の怪獣の正体はこれでございと囃(はや)し立てられて、興行師のふところを余程ふくらませた。
ただ、ここに一つの疑問として残されているのは、池崎の中間どもが清水山に犬を入れて啣(くわ)え出させたという、かの怪しい箱の出所(しゅっしょ)である。これも恐らくはお早の仕業であろうかと察しられるが、何分にもその実物をみないので何とも云えないと、半七老人はわたしに話した。かの貂に似た獸は昔からここに棲んでいたのか、それとも他から入り込んで来たのか、それも判らない。中間どもの放した犬がこの怪しい獸を狩り出さないで、ほかの怪しい箱を啣え出して来たのも、不思議といえば不思議であった。
 

この著作物は、1939年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。