半七捕物帳 第三巻/あま酒売

あま酒売

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「また怪談ですかえ」と、半七老人は笑った。「時節は秋で、今夜は雨がふる。まったくあつらえ向きに出来ているんですが、こっちにどうもあつらえ向きの種がないんですよ。なるほど、今とちがって江戸時代には怪談が沢山(たくさん)ありました。わたくしもいろいろの話をきいていますが、商売の方で手がけた事件に怪談と云うものは少ないものです。いつかお話をした『津の国屋』だって、大詰へ行くとあれです」
「しかしあの話は面白うござんしたよ」と、わたしは云った。「あんな話はありませんか」
「さあ」と、老人は首をかしげて考えていた。「あれとはまた、すこし行き方が違いますがね。こんな変な話がありましたよ。これはわたくしにも本当のことがよく判らないんですがね」
「それはどんなことでした」と、わたしは催促するように云った。
「まあ、待ってください。あなたはどうも気がみじかい」
老人は人を焦らすように悠々と茶をのみはじめた。秋の雨はびしゃびしゃと云うような音をたてて降っていた。
「よく降りますね」
外の雨に耳をかたむけて、あたまの上の電燈をちょっと仰いで、老人はやがて口を切った。
「安政(あんせい)四年の正月から三月にかけて可怪(おかし)なことを云い触らすものが出来たんです。それはどういう事件かと云うと、毎日暮れ六ツ(午後六時)――俗にいう『逢魔(おうま)が時(とき)』の刻限から、ひとりの婆さんが甘酒を売りに出る。女のことですから天秤(てんびん)をかつぐのじゃありません。きたない風呂敷につつんだ箱に引っかけえ、あま酒の固練(かたね)りと云って売りあるく。それだけならば別に不思議はないんですが、この婆さんは決して昼は出て来ない。いつでも日が暮れて、寺々のゆう六ツの鐘が鳴り出すと、丁度それを合図のようにどこからかふらふらと出て来る。いや、それだけならまだ不思議という段には至らないんですが、うっかりその婆さんのそばへ寄ると、きっと病人になって、軽いので七日(なぬか)や十日(とおか)は寝る。ひどいには死んでしまう。実におそろしい話です。その噂󠄀(うわさ)がそれからそれへと伝わって、気の弱いものは逢魔が時を過ぎると銭湯(せんとう)へも行かないという始末。今日(こんにち)の人たちはそんな馬鹿な事があるものかとひと口に云ってしまうでしょうが、その頃の人間はみんな正直ですから、そんな噂󠄀を聞くと竦毛(おぞけ)をふるって怖がります。しかも論より証拠、その婆さんに出逢って煩(わずら)いついた者が幾人(いくたり)もあるんだから仕方がありません。あなたがたはそれをどう思います」
私にはすぐ返事が出来ないので、ただ黙って相手の顔を見つめていると、老人はさもこそと云ったような顔をして、しずかにその怪談を説きはじめた。


その怪しい婆さんを見た者の説明によると、彼女(かれ)はもう七十を越えているらしい。麻のように白く黄いろい髪を手拭(てぬぐ)いにつつんで、頭のうしろでしっかりと結んでいた。筒袖(つつそで)かとも思われるような袂(たもと)のせまい袷(あわせ)の上に、手織り縞のような綿入れの袖無し半纏(はんてん)をきて、片褄(かたづま)を端折(はしょ)って藁草履(わらぞうり)をはいているが、その草履の音がいやにびしゃびしゃと響くと云うことであった。しかし、その人相をよく見識っている者がいない。彼女に一度出逢った者も、うす暗いなかに浮き出している梟(ふくろう)のような大きい眼、鳶(とんび)の口嘴(くちばし)のような尖った鼻、骸骨のように白く黄いろい歯、それを別々に記憶しているばかりで、それを一つにまとめて人間らしい者の顔をかんがえ出すことは出来なかった。
彼女は唯(ただ)ふらふらと迷い歩いているのではない、あま酒を売っているのである。なんにも知らずにその甘酒を買った客も沢山あったが、その甘酒に中毒したものはなかった。又その甘酒を買った者がことごとく病みついたと云うわけでもなかった。往来でうっかり出逢った者のうちでも、なんの祟(たた)りも無しに済んだものもあった。つまりめいめいの運次第で、ある者は祟(たた)られ、ある者は無難であった。いずれにしても婆さんの方は何事を仕向けるのでもない。ただ黙ってゆき違うばかりで、不運の者はその一刹那におそろしい災難に付きまとわれるのであった。
眼に見えないその怪異に取憑(とりつ)かれたものは、最初に一種の瘧疾(おこり)にかかったように、時どきにひどい悪寒(さむけ)がして苦しみ悩むのである。それが三日四日を過ぎると更に怪しい症状をあらわして来て、病人はうつむいて両足を長くのばし、両手を腰の方へ長く垂れて、さながら魚の泳ぐような、蛇の蜿(のた)くるような奇怪な形をして這いまわる。さりとて家中(うちじゅう)を這いまわるのでもない。大抵は敷蒲団の上を境として、その上を前へうしろへ、右へ左へ蜿(のた)うつのである。それが魚というよりむしろ蛇に近いので、看病の人たちは皆うす気味悪がった。思いなしか病人の眼は蛇のように忌(いや)らしくみえて、口からは時どきに紅い舌をへらへらと吐く。こうした気味の悪い病症を三日五日も続けた後に、病人の熱は忘れたように冷めてけろりと本復するが、病中のことはなんにも記憶していない。なにを訊(き)いても知らないと云う。しかしそれらは軽い方で、重いのになるとその奇怪の症状を幾日も続けているうちに、とうとう病み疲れて藻掻き死にの浅ましい終りを遂げる者もあった。それが僅かに一人や二人であったならば、蛇を殺した祟りとでも云われそうなことであったが、なにを云うにも大勢であるために、その病人をことごとく蛇を殺した人間と認めるわけにも行かなかった。殊(こと)にそのなかには蛇を殺すどころか、絵に描いた十二支(じゅうにし)の蛇を見てさえも身をすくめるような若い娘たちもあったので、蛇の祟りと決めてしまうことは出来なかった。
「と云っても、あの蜿くる姿はどうしても蛇だ」
こっちに祟られるような覚えがなくても、向うから祟るのであろ。蛇に魅(み)こまれるという伝説は昔からたくさんある。どう考えてもあの婆さんはやはり蛇の化身(けしん)で、なにかの意味で或る男や或る女を魅こむに相違ない。この説が結局は勝を占めて、怪しい老婆の正体は蛇であると決められてしまった。それが更に尾鰭(おひれ)を添えて、ある剛胆な男がそっと彼(か)の婆さんのあとをつけて行くと、彼女は不忍池(しのばずいけ)の水を渡ってどこかへ姿を隠したなどと、見て来たように吹聴(ふいちょう)する者もあらわれて来た。不忍の弁天に参詣して巳(み)の日の御守(おまもり)をうけて来た者は、その禍(わざわ)いを逃れることが出来るなどと、まことしやかに説明する者もあらわれた。
それが町方(まちかた)の耳にはいると、役人たちも打っちゃて置くわけには行かなくなった。由来、かような怪しい風説を流布(るふ)して世間をさわがす者は、それぞれ処罰されるのが此の時代の掟(おきて)であったが、それが途方もない風説とのみ認められないので、まずその本人のあま酒売りをお詮議(せんぎ)することになった。しかし彼女の立廻る場所がどの方面とも限られていないので、江戸じゅうの岡っ引一同に対して彼女(かれ)の素性(すじょう)あらためを命ぜられ、次第によっては即座に召捕って来苦しからずと云うことであった。
八丁堀同心伊丹文五郎(いたみぶんごろう)は半七を呼んでささやいた。
「今度の一件を貴様はどう思うか知らねえが、悪くすると磔刑(はりつけ)のお仕置ものだぞ。その積りでしっかりやってくれ」
「クルスでございますかえ」
半七は一差し指で十字の形を空に書いてみせると、文五郎はうなずいた。
「さすがに貴様は眼が高い。蛇の祟りなんぞはどうも真に受けられねえ。ひょっとすると切支丹(きりしたん)だ。奴らがなにか邪法を行なうのかも知れねえから、そこへ見当をつけて穿鑿(せんさく)してみろ」
こっちも内々(ないない)それに目星をつけたので、半七はすぐに請合(うけあ)って帰った。しかしどこからまず手を着けていいのか、彼もさずがに方角が立たないので、家(うち)へ帰ってからも眼をとじて考えていたが、やがて台所の方にむかって声をかけた。
「おい、誰かどこにいるか」
「あい」
台所につづいた六畳の間に、大きい火鉢を取りまいていた善八(ぜんぱち)と幸次郎(こうじろう)とがばらばらと起(た)って来た。
「おめえたちはあま酒売りの婆さんを知っているか」と、半七は訊いた。
「出っ喰わしたことはありませんが、噂󠄀だけは聞いています」と、善八は答えた。
「伊丹の旦那からのお指図だ。どうにかしにゃあならねえ。この一件は俺ばかりじゃあねえ、みんなも総がかりでやる仕事だからなんでも早いがちだ。そこであんまり知恵のねえ話だが、まあお定まりの段取りで仕方がねえ。おめえたちはこれから手わけをして、甘酒の卸売(おろしう)りをする問屋をみんな探してくれ。婆だって自分の家であま酒を作るわけじゃあるめえ。きっとどこかで毎日仕入れて来るんだろうから、そういう変な婆が来るか来ねえか、方々の店で聞き合せてくれ。こんなことは誰もがみんな手をつけることだろうが、こっちも心得のために一応は念をついて置かにゃあならねえ」
ふたりの子分を出してやって、半七は午飯(ひるめし)を食ってしまうと、三月末の春の日はうららかに晴れていた。家にぼんやりと坐ってもいられないので、半七はどこをあてとも無しに神田の家を出て、百本杭(ひゃっぽんぐい)から吾妻橋(あずまばし)の方角へ、大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らないので、遅い花見らしい男や女の群れが時どきに通った。その賑かな群れのあいだを苦労ありそうにしょんぼりと俯向きがちに歩いている一人の若い男が、その蒼ざめた顔をあげて半七の姿をふと見付けると、なんだが臆病らしい眼をしながら彼のあとをそっと尾(つ)けて来るらしかった。
最初は素知らぬ顔をしていたが、こっちの横顔をぬすむように窺いながら三、四間ほども付いて来るので、半七も勃然(むっ)として立停(たちど)まった。
「おい、大哥(あにい)。わっしになにか用でもあるのかえ。花見どきに人の腰を狙ってくると、巾着切(きんちゃっき)りと間違げえられるぜ」
睨(にら)み付けられて男はいよいよ怯(おび)えたらしい低い声で、ごめんなさいと丁寧に挨拶して、そのままそこに立竦(たちすく)んでしまった。気障(きざ)な野郎だと思いながら、半七もそのまま通り過ぎたが、よほど行き過ぎてから彼はふと考えた。あの若い男の人相や風体は巾着切りなどではないらしい。勿論こっちで見覚えのない男であるが、あるいは向うではこっちの顔を見知っていて、なにか話し掛けようとしながらも、つい気怯(きおく)れがしてそのままに云いそびれてしまったのではあるまいか。もしそうならば暴(あら)い詞(ことば)をかけるのではなかったと、半七は少し気の毒になって元来た方をふり返ると、男の姿はもう見えなかった。
それから二日目の七ツ下(さが)り(午後四時過ぎ)に、善八と幸次郎が半七の長火鉢のまえに鼻をそろえた。二人はほかの子分たちとも申合せて、江戸じゅうの問屋を片っ端から調べてあるいたが、その怪しい婆さんは毎日おなじ家へ仕入れには来ないらしい。最初のうちは本所(ほんじょ)四(よ)ツ目(め)の大阪屋(おおさかや)という店へ半月以上もつづけて来たが、その後ばったりと来なくなった。近頃ではやはり四ツ目の水戸屋(みとや)という店へ三日ほどつづいて来たが、水戸屋では彼女(かれ)の噂󠄀を知っているので、若い者のひとりが見えがくれにそのあとを尾(つ)けると、彼女は浅草の方角に向って遅々(のろのろ)とたどって行った。しかしどこまで行っても際限がないので、こっちもしまいには根負(こんま)けして途中から虚しく引返して来た。こういう訳で、彼女の居どころはたしかに突き留められなかった。こっちに尾けられたことを彼女はおそらく覚ったのであろう、そのあくる日から彼女はその痩(や)せた姿を水戸屋の店先に見せなくなった。それは三月初めのことで、その後はどこの問屋を立ちまわっているか、誰も知っている者はないとのことであった。
「ところで、親分。ついでに妙なことを聞き出して来たんですがね」と、善八は云った。「やっぱりその婆に係り合いのあることなんですが、なんでも五、六日まえの午過ぎだそうです。浅草(あさくさ)の馬道(うまみち)に河内屋(かわちや)という質屋があります。そっこの女中のお熊(くま)というのが近所へ使いに出ると、やがて真蒼(まっさお)になって内へかけ込んで来て、自分の三畳の部屋をぴしゃりと閉め切ってしまって、小さくなって竦(すく)んでいたそうです。なんだか変だと思っていると、誰が見つけたか知らねえが、河内屋の裏口に変な婆が来てそっと内をのぞいていると云うので、番頭や小僧が行って見ると、なるほど忌(いや)に影のうすい婆が突っ立っている。変だとは思ったが、真っ昼間のことだから大きな声で呶鳴り付けると、婆は忌(いや)な眼をしてこっちをじっと見たばかりで、素直に何処へか行ってしまった。行ってしまったのはいいが、その晩から番頭ひとりと小僧一人が瘧疾(おこり)のように急にふるえだして、熱が高くなる、蒲団の上を蜿(のた)くる。医者にみせても容態はわからない。相手が変な婆であったもんだから、それもきっと例のあま酒婆だったと云うことで、家(うち)じゅうのものは竦毛(おぞげ)をふるっているそうです。その時に出てみたのは、番頭ふたりと小僧一人だったんですが、ひとりの番頭だけは運よく助かったとみえて、今になんにも祟りがなく、ほかの二人が人身御供(ひとみごくう)にあがった訳なんですが、妙なこともあるじゃありませんかしてみると、その婆は夜ばかりでなく、昼間でもそこらにうろついているに相違ねえと云うんで近所の者もみんな蒼くなっているんですよ」
「そうして、その熊という女はどうした。それには別条ねえのか」
「その女中にはなんにも変ったことはないそうです。なんでも使いに行って帰ってくると、その途中から変な婆がつけて来て、薄っ気味が悪くって堪らねえので、一所懸命逃げて来たんだということです」
「おめえはその女を見たのか」
「見ません。なんでも河内屋へ出入りの小間物屋(こまものや)の世話で住み込んだ女で、年は十九(つづ)か二十歳(はたち)ぐらいだが、台所働きにはちっと惜しいような代物(しろもの)だそうですよ」
「その小間物屋というのは何という奴だ」と、半七はまた訊(き)いた。
「その小間物屋はわっしが識(し)っています」と、幸次郎が代って答えた。「徳(とく)という野郎で、徳三郎か徳兵衛か知りませんが、まだ二十二三の生(なま)っ白(ちろ)い奴です。道楽者で江戸にもいられねえんで、小間物かついで旅あきないをしていたんですが、去年の七、八月ごろから江戸へまた舞い戻って来て、どこかの二階借りをして相変らず小間物の荷を担(かつ)ぎあるいているようです」
「そうか。よし、判った。じゃあ、おめえはその徳という野郎の居どころをさがして引っ張って来てくれ。おれはその馬道の質屋へ行って、もう少し種を洗ってくるから」
「わっしも行きましょうか」と、善八は顔をつき出した。
「そうよ。又どんな用がねえとも限らねえ。一緒にあゆんでくれ」
「ようがす」
善八を案内者につれて、半七が馬道へゆき着いた頃には、このごろの長い日ももう暮れかかって、聖天(しょうでん)の森の影もどんよりと陰(くも)っていた。
「なんだか忌(いや)な空合いになって来ましたね」と、善八は空を仰ぎながら云った。
「むむ。まったくいやな空だ。今夜は一つ降るかも知れねえ」
旋風(つむじかぜ)のような風が俄かにどっと吹出して、往来にはまっ白な砂けむりが渦をまいて転げまわった。ふたりは片袖で顔を掩(おお)いながら、町家(まちや)の軒下を伝(つた)って歩いていると、夕ぐれの色はいよいよ黒くなって来て、どこかで雷(かみなり)の声がきこえた。
「おや、雷(らい)が鳴る。妙な陽気だな」
そのうちに、ふたりはもう河内屋の暖簾(のれん)の前に来たので、善八はすぐに格子をくぐって、帳場にいる番頭に声をかけた。
「もし、番頭さん。親分が少し用があるんだ。此処(ここ)じゃあいけねえから、表までちょいと顔を貸してくんねえ」
「はい、はい」
四十五六の番頭が帳場を出て来て、暖簾の外に立っている半七に挨拶した。
「お前さんがここの番頭さんかえ」と、半七は手拭で顔の砂をはらいながら訊いた。
「さようでございます。利八(りはち)と申して河内屋に三十四年勤めて居ります。どうぞお見識り置きを……」
「そこで利八さん。早速だがお前さんにちっと訊きたいことがある。この間、こっちの裏口を変な婆さんが覗(のぞ)いていたとか云うじゃありませんか」
「はい。とんだ災難で、番頭ひとりと小僧一人が今にどっと寝付いて居ります」
利八の話によると、番頭と小僧はきょうまで熱が下がらないで、生殺(なまごろ)しの蛇のように蜿(のた)うひ廻っている。奉公人どもは気味を悪がって誰も寄り付かないので、主人と自分とが代るがわるに看病しているが、なかなか三日や四日では癒(なお)りそうもない。世間の噂󠄀を綜合してかんがえると、その時の怪しい婆さんはどうも彼(か)のあま酒売りらしく思われる。実はきのうの午(ひる)過ぎにも、その婆さんらしい女が店の前をうろ付いているのを近所のものが認めたとか云うので、この上にも重ねてどんな禍いがあろうかと、自分たちも内々恐れていると、彼は小声で半七に訴えた。
「それから、お前さんの家(うち)にお熊という女がいるそうですね」
「はい、西国(さいこく)生れだそうで、年は明けて十九でございます。ちょうど去年の九月、今までの奉公人が急病で暇をとりまして、出代(でがわ)り時でもないもんですから、差当りその代りの女に困って居りますところへ、てまえ方へ質(しち)を置きにまいります徳三郎(とくさぶろう)という小間物屋さんが、時にこんな女があるから使ってくれないかと申しますので、ちょうど幸いと存じて雇い入れましたような訳でございますが、人柄も悪くなし、人間も正直でよく働きます。で、これはよい奉公人を置きあてたと申して、主人を始めわたくしどもも喜んで居ります」
「こっちに親戚でもあるんですかえ」
「なんでも芝(しば)の方のお屋敷の足軽を頼ってまいったのだそうでございます。と申しますと、まことに不念(ぶねん)のようで恐れ入りますが、なにぶん手前どもでも困っている矢先でもあり、徳さんが万事を引受けると申しますものですから、その上にくわしくも詮議いたしませんで……」と、利八は小鬢(こびん)をかきながら答えた。
「その後、そのお熊になにも変った様子はないんですね」
「別に変ったこともございませんが、一度その婆さんにあとを尾(つ)けられてから、表へ出るのをひどく忌(いや)がるので困ります。もっとも、それは無理もありませんので、大抵に使いにはほかの小僧を出して居りますが、当人も別に病気というわけでもございませんから、家の内ではいつもの通りに働いて居ります。御用があるなら唯今呼んでまいりましょうか」
「いや、呼んじゃあまずい」と、半七は首を振った。「裏口へ廻って、そっと覗(のぞ)くわけにゃあ行きませんか」
「よろしゅうございます。ちょうど夕方でございますから、台所ではたらいて居ります筈です。どうぞ隣りの露路からおはいりください」
利八に教えられて、半七はせまい露地の溝板(どぶいた)を踏んでゆくと、この二、三日なまあたたかい天気がつづいたので、そこらではもう早い蚊の唸(うな)る声がきこえた。半七は手拭を取って頰かむりをして、草履の跫音(あしおと)を忍ばせながら、河内屋の水口(みずぐち)に身をよせていると、ひとりの若い女が手桶をさげて来た。うす暗い夕闇のなかにもその白い顔だけは浮き出してみえた。と思うと檐に、彼女(かれ)はそこに忍んでいる半七の姿を見付けてあわただしく小声で訊いた。
「徳さんかえ」
徳さんという男の地声(じごえ)を知らないので、半七は早速に作り声をするわけにも行かなかった。彼は頰かむりのままで無言にうなずくと、若い女は摺り寄って来た。
「おまえさん、この頃どうして来てくれないの。あれほど約束したのを忘れたのかえ」
こっちがやはり黙っているので、女はすこし可怪(おかし)く思ったらしい。だしぬけに片手をのばして半七の頰かむりを引きめくた。うす暗いなかでもその人違いをすぐに発見したらしく、彼女はあれっと叫びながら手桶をほうり出して内へ逃げ込んだ。
手拭を一緒にほうり出されたので、半七はそれを拾って泥をはたいていると、その頭の上を大きい雷ががらがらと鳴って通った。
表へ出ると、利八と善八が待っていた。今鳴った雷の音につれて、雹(ひょう)のような大粒の雨がばらばらと落ちて来たので、利八はしばらく雨やどりをして行けと勧めたが、半七はそれを断わって、そのかわりに番傘を一本借りて出た。
「親分、相合傘(あいあいがさ)じゃあ凌(しの)げそうもありませんぜ」と、善八は云った。
「まあ、仕方がねえ。尻でも端折(はしょ)れ」
雷はだんだん烈しくなって、傘をたたき破るかと思うような大雨がどうどうと降りそそいで来た。ふたりの鼻のさきに青い稲妻が走った。
「親分、いけねえ。意気地(いくじ)がねえようだが、もう歩かれねえ」
善八がひどく雷を嫌うことを半七もかねて知っているのと、時刻も丁度暮れ六ツ頃であるとで、彼は雨宿りながらそこらの小料理屋へはいって、ともかくも夕飯を食うことにしたが、雷はそれから小一時(こいっとき)も鳴りつづいたので、善八は口唇(くちびる)の色をかえて縮み上がってしまった。彼は眼の前にならんでいる膳を見ながら、好きな酒の猪口(ちょこ)をも取らなかった。話を仕掛けても碌々(ろくろく)に返事もしなかった。
小間物屋の徳三郎とお熊との関係はもう判った。徳三郎は旅商いに出ているあいだに、どこかでお熊と馴染(なじみ)になって、彼女を誘い出して江戸へ帰って来たが、差当りは女の始末に困って、河内屋へ奉公に住み込ませたに相違ない。それと同時に、このあいだ大川端で自分に声をかけようとした若い男は、その徳三郎であったらしくも思われて来た。彼は蒼ざめた顔をして、自分に何事を訴えようとしたのか、半七はいろいろに想像を描いていると、雷の音もだんだんに遠ざかって、善八は生き返ったように元気が出た。
「親分、すまねえ。まずこれでほっとしやした。まだ移(うつ)り替(がえ)もしねえうちから酷(ひど)い目に逢いましたよ」
「いい塩梅(あんばい)に小降りになったようだ。早く飯を食ってしまえ」
早々に飯を食ってそこを出ると、夜は五ツ(午後八時)を過ぎているらしかった。雨はもう小降りになっていたが、弱い稲妻はまだ善八を脅(おど)かすように時どきにふたりの傘の上をすべって通った。雷門の方へ爪先(つまさき)を向けた半七は急に立停まった。
「おい、もう一度河内屋へ行ってみようじゃねえか。考えると、どうも少し気になることがある。もう雨もやんだから、この傘を返しながらお熊という女はどうしているか訊(き)いてくれ」
二人はまた引返して河内屋へ行った。善八だけが内にはいって、お熊はどうしているかと番頭に訊くと、利八はやはり台所にいる筈だと答えた。しかし念のために見て来ましょうと云って、彼は帳場から起(た)って行ったが、やがてあわただしく戻って来て、お熊の姿はどこにも見えないと云った。善八もおどろいて、すぐに表へ飛出して注進(ちゅうしん)すると、半七は舌打ちをした。
「まずいことをしたな。どうもあの女がおかしいと思ったんだ。いっそあの時すぐに引挙げてしまえばよかった。畜生、どこへ行ったろう」
どっちへ行ったかその方角が立たないので、二人はぼんやりと門口(かどぐち)に突っ立っていると、どこかで女の声がきこえた。
「甘酒や、あま酒の固練り……」
物に魘(おそ)われたように二人はぎょっとした。そううして、その声のする方角を一度透かしてみると、今の強い雨でどこの店も大戸(おおど)を半分ぶらいは閉めてしまったが、そのあいだから流れ出して来る灯のひかりは往来のぬかるみを薄白く照らして、雷門の方から跣足(はだし)でびしゃびしゃとあるいて来る女の黒い影がまぼろしのように浮いてみえた。世間にあま酒を売ってあるく者は幾人もある。殊にその声があまり若々しく冴えてひびくので、半七は少し躊躇(ちゅうちょ)したが、ともかくも善八を促(うなが)して路ばたの軒下に身をひそめていると、声の主(ぬし)はだんだんに近寄って来た。彼女(かれ)はあま酒の箱を肩にかけて、びしょ濡れになっているらしかった。二人は呼吸(いき)をのんで窺(うかが)っていると、彼女は河内屋のまえに来て吸い付けられたように俄かに立停まった。声は若々しいのに似合わず、彼女がたしかに老女であることを知ったときに半七の胸は波を打った。
彼女はまず河内屋の表をうかがって、更に露路口の方へまわった。半七もそっと軒下をぬけ出して露路の口からのぞいて見ると、彼女は河内屋の水口にたたずんで、しばらく内を窺っているらしかったが、やがてまた引返して表へ出て来た。ここですぐに取押さえようか、もうちっと放し飼いにして置いてその成行きを見とどけようかと、半七はちょっと思案したが、結局黙ってそのあとを尾(つ)けてゆくことにした。善八もつづいて歩き出した。二人はさっつきから跣足(はだし)になっているので、雨あがりのうかるみを踏んでゆく跫音が相手に注意をひくのを恐れて、わざと五、六間も引きさがって忍んで行った。
河内屋の露路を出てから、彼女はあま酒の固練りを呼ばなくなった。彼女は往来のまん中を黙って俯向いてゆくらしかった。
「親分。たしかに彼女(あいつ)でしょうね」と、善八は囁(ささや)いた。
「河内屋を覗いて行ったんだから、あの婆(ばばあ)に相違ねえ」
云ううちに彼女の姿は消えるように隠れてしまったので、ふたりは又おどろいた。善八は少し怖気(おじけ)が付いたように立ちすくんだ。吉原へ行くらしい駕籠が二挺(にちょう)つづいて飛ぶように此処を駈けぬけて通ると、その提灯の灯(ひ)に照らされて、彼女の痩せた姿は又ぼんやりと暗闇(くらやみ)の底から浮き出した。その途端に、彼女は思い出したようにひと声呼んだ。
「あま酒の固練り……」
この声がしずかな夜の往来に冴えてひびくと、通りぬけた駕籠の一挺が俄かに停まった。ひとりの武士(さむらい)らしい男が垂簾(たれ)をはねて、彼女のそばへつかつかと進み寄った。。そうしてなにか小声でふた言三言押問答をしているかと思うと、白い刃のひかりが提灯の灯にきらりと映って、婆は抜打ちに斬り倒された。彼女は声も立てないで、枯木を倒したように泥濘(ぬかるみ)のなかに横たわった。武士は刀を納めてふたたび駕籠に乗ろうとするところへ、半七は駈け寄ってその棒鼻をさえぎった。
「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは町方(まちかた)の者でございます。唯今のは試斬(ためしぎ)りでございますか、それとも何か仔細がございますか」
たといそれが武士であろうとも、みだりに試斬りなどをすれば立派な罪人である。次第によっては、彼も切腹の罪科(つみとが)を免かれない。相手を斬ってうまく逃げおおせればいいが、それが町方の眼にとまったりすると、甚だ面倒になる。飛んだところを見つけられて、武士はひどく迷惑したらしく、しばらくは口籠(くちごも)って躊躇していると、まえの駕籠からも一人の武士が出て来た。どちらも若い武士であったが、新しく出て来た一人は幾らか物慣れているらしく、半七にむかって我々は決して試斬りではないと弁解した。しかし、その仔細を云うわけには行かない。屋敷の名を明かすわけにも行かない。どうかこのまま見逃(みのが)してくれと彼はしきりに頼んだが、半七は素直に承知しなかった。いったん自分の眼にとまった以上、見すみすの人殺しを見逃すことは出来ないと云い張った。それは勿論正当の理窟であったが、もう一つには折角ここまで追いつめて来た大事の捕物を、横合いから不意に出て来て玉無しにされてしまったという業腹(ごうはら)がまじって、半七はあくまでも意地悪くこの武士を窘(いじ)めにかかった。
窘められて、相手はいよいよ困ったらしく、結局は金ずくで内済にしたいようなことまで云い出したが、半七はどうしても肯(き)かないで、とうとうかれら二人をふたたび駕籠にのせて、無理無体に近所の自身番へ引摺って行った。婆を斬った若い武士はもう覚悟を決めているらしかった。
「たといなんと申されても屋敷の名を明かすわけにはまいらぬ。たって役人に引渡すとあれば、手前これにて切腹いたす」
こうなると、半七もなんだか可哀そうにもなって来て、いつまでもかれらを窘めていられなくなった。彼はほかの武士を表へ呼び出して、諭(さと)すように囁(ささや)いた。
「あなた方が辻斬りでないことはわたくしも大抵察しています。ふたり連れで駕籠にのって、辻斬りをしてあるくのは珍らしい。それにさっき見ていると、あの婆さんの甘酒の固練りという声を聞くと、急に駕籠を停めさせてあっちのお武家が出て行った。それはなにか訳があるらしい。あなた方はあの婆さんをご存じなんですかえ。ご存じならば話してください。その訳さえわかれば、なにも無理に屋敷の名を聞くにも及びません。実を云うと、わたくしはこの間からこの婆さんを尾(つ)けているんです。それを横合いからだしぬけにばっさりとやられてしまっちゃあ、わたくしも役目が立ちません。それを察して正直に話してください。くどくも云うようだが、訳さえわかれば決してご迷惑はかけませんから」
武士はそれでもまだ渋っていたが、半七からいろいろに説きすかされて、彼もようよう納得(なっとく)したらしく、内に引返して一方の武士と何かしばらく囁き合っていたが、結局思い切ってその事情を打明けることになった。
「では、屋敷の名は申さんでも宜(よろ)しゅうござるな」
「よろしゅうございます」
なんとかして、かれらに口を明かせなければならないので、その白状を聞かないまえに半七は安請合いに請合ってしまった。そうして、これからかれらがどんな秘密を打明けるかと、両方の耳を引立てていると、あたかもそこへ足早に駈け込んで来た者があった。
「ああ、親分。いいところへ来てくんなすった。小間物屋の野郎、とんだことをしゃあがって……女を殺しやがった」
それは小間物屋の居どころをさがしに行った幸次郎であった。


幸次郎は小間物屋の徳三郎の居どころを探しあてて、田町(たまち)に近い荒物屋の二階へたずねてゆくと、彼はあいにく留守であった。また出直して来(こ)ようと思って表へ出ると、あたかもかの雷雨が襲って来たので、近所の知人の家へ駈けこんで雨やどりをして、小降りになるのを待ってふたたびたずねてゆくと、下の婆さんはいなかった。そっと窺うと、二階には微かに人の唸(うな)るような声がきこえたので、彼は猶予なしに駈けあがると、うす暗い行燈(あんどん)のまえに若い女が血みどろになって俯向きに倒れていた。そのそばには徳三郎が血に染めた短刀を握って、喪心(そうしん)したようにぼんやりと坐っていた。どう見ても、彼が女を殺したとしか思えないので、幸次郎はその刃物をたたき落してすぐに縄をかけた。徳三郎は別に抵抗もしなかった。
倒れている女をあらためると、まだ微かに息が通(かよ)っているらしかったので、幸次郎は近所の者を呼びあつめて医者を迎いにやったが、その医者の来ないうちに女は息が絶えてしまった。その出来事を報告するために、幸次郎は縄付きの徳三郎を近所のものに張番させて、とりあえずここへ駈け付けて来たのであった。
婆殺しと女殺しと二つの事件が同時に出来(しゅったい)して、しかもそれが何かの糸を引いているらしく思われたので、半七はすぐに徳三郎を自身番へひき出させた。真蒼になって牽(ひ)かれて来た徳三郎は、たしかに大川端で出逢った若い男であった。
「おい、徳三郎。おれの顔を識っているか」
徳三郎は無言で頭を下げた。
「おれはまだ見ねえが、殺した女は河内屋のお熊だろう。とんでもねえことを仕出来(しでか)しやがった。てめえ、なんで女を殺した。素直に申立てろ」
「親分さん。それはお目違いでございます」と、徳三郎は喘(あえ)ぐように云った。「わたくしは決して女を殺しは致しません。お熊は自分で乳の下を突きましたのでございます。わたくしが慌てて刃物をもぎ取りましたけれど、もう間に合いませんでございました」
「その短刀は女が持っていたのか」
「いえ、わたくしの品……」と、徳三郎は云いよどんだ。
「はっきり云え」と、半七は叱った。「てめえの短刀をどうして女に渡したんだ。てめえもまた商売柄に似合わねえ、なんで短刀なんぞを持っているんだ」
「はい」
「何がはいだ。はいや炭団(たどん)じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上(のぼ)せを下げた上でおちついて申立てろ。いいか」
善八が持って来た茶碗の水を飲みのして、徳三郎は初めて一切の事情を跡切(とぎ)れとぎれに申立てた。彼は浅草で相当な小間物屋の忰(せがれ)に生れたが、放蕩(ほうとう)のために身代をつぶして、いつたんは江戸を立退くこととなった。やはり小間物の荷をかついで、旅あきないに諸国を流れ渡っているうちに、彼は京大坂から中国を経て九州路まで踏み込んだ。そうして、ある城下町にしばらく足を止めているあいだに、彼はその城下から一里ばかり距(はな)れた小さい村の女と親しくなった。女はかのお熊であった。お熊はお綱(つな)という老婆と二人暮しであったが、この村の習いとしてほかの土地の者とは決して婚姻を許さない掟(おきて)になっているので、お熊は母を捨てて逃げた。徳三郎もはじめは旅先のいたずらに過ぎない色事(いろごと)で、その女を連れ出して逃げるほどの執心もなかったのであるが、彼女に魅(み)こまれたが最後、もうどうしても逃げることの出来ない因果にまつわられていた。お熊はこの土地でいう蛇神(へびがみ)の血統であった。
ここらには蛇神という怖ろしい血統があった。その血をうけて生れた者は一種微妙の魔力をもっていて、かれらの眼に強く睨まれるとその相手はたちまち大熱に侵(おか)される。単にそればかりでなく、熱に悶(もだ)えて苦しんでさながら蛇のように蜿(のた)うちまわる。蛇神の名はそれから起ったのである。しかし、かれらはいかに眼を大きくして睨んだからといって、それだけでは決して相手を感応させるわけには行かない。それにはかならず、強い感情が伴わなければならない。妬(ねた)む、憎む、怨む、羨(うらや)む、呪う、慕う、哀む、喜ぶ、懼(おそ)れる。そうした喜怒哀楽の強い感情がみなぎったときに、かれらの眼のひかりは怖るべき魔力を以(もっ)て初めて相手を魅することが出来るのである。したがって、かれら自身も故意にその魔力を応用することが出来ない。あいつを一つ苦しめてやろうなどと悪戯(いたずら)半分に睨んだところで、決してその効果はあらわれない。要するにそれは彼の心の奥から湧き出してくる自然の作用で、自分自身にも無理に抑(おさ)えることも出来ず、無理に働かせることも出来ず、ただその自然にまかせるほかはないのである。この村の者がほかの土地の者とも結婚しないのも、この不思議な血統が主(おも)なる原因であった。
徳三郎も初めてお熊に逢ったときに、この怪しい熱病に苦しめられて、お熊の手あつい看病をうけた。病いが癒ってからその秘密を発見したが、今更どうするころも出来なかった。捨てて逃げようとしても、お熊はどうしても離れない。それを無理にふり放そうとすれば、お熊の睨む眼が怖ろしかった。もう一つには女が蛇神の血統であることを自分から正直に打明けて、どうぞ見捨ててくれるなと泣いて口説かれた時に、彼の心も弱くなった。所詮(しょせん)はこれも因果とあきらめて、徳三郎はお熊を連れて逃げることを決心した。
彼の決心を強めたほかの動機は、かの怖ろしい蛇神も箱根を越せば唯(ただ)の人間になってしまって、なんの不思議を見せることも出来ないという伝説を、土地の老人から聞き知った為であった。それならばさのみ恐れることもないと幾分か安心して、彼はお熊と共に江戸へ帰った。九州の蛇神も江戸の土を踏めば唯の女になったらしく気のせいか彼女の瞳のひかりも柔らかになった。お熊は容貌(きりょう)のよい情の深い女で、ほかに頼りのない身の上を投げかけて、彼ひとりを杖とも柱とも取縋(とりすが)っているのを徳三郎は惨(いじ)らしくも思った。こうして二人の愛情はいよいよ濃(こま)やかになったが、なにぶんにも小間物の担ぎ商いをしている現在の男の痩腕では、江戸のまん中で女と二人の口を養ってゆくのがむずかしいので、相談ずくの上でしばらく分れわかれに働くことになって、お熊は男の口入れで河内屋に住み込んだ。幸いにその奉公先と徳三郎の宿とが遠くないので、お熊は主人の用の間をぬすんで時どきに男のところをたずねていた。
それで小半年はまず無事にすごしたが、ことしの春になって若い二人の魂をおびやかすような事件が突然出来(しゅったい)した。二月のなかばの夕方に徳三郎が商売から帰る途中、浅草の広徳寺(こうとくじ)前でひとりの婆さんが甘酒の固練りを売っていたが、それはたしかにお熊の母のお綱であった。彼女は眼ざとく徳三郎を見つけて、つかつかよ寄ってその袂を引っ摑んで、娘はどこにいるか直ぐに返せと叫んだ。徳三郎は死神(しにがみ)に出会ったよりも怖ろしくなって、ほとんど夢中で彼女を突き倒して逃げた。その晩から彼は大熱を発して、十日ばかりも蛇のように蜿うち廻って苦しんだ。
箱根を越せば蛇神の祟りはないというのも的(あて)にはならなかった。お綱はわが娘のゆくえを尋ねて、九州から江戸まで遥々(はるばる)と追って来たのであろう。その強い執着心を思いやると、徳三郎はいよいよ怖ろしくなって来たので、彼はお熊に因果をふくめて娘を母の手に戻そうと覚悟したが、お熊はどうしても肯(き)かなかった。男に分れて国へ帰るほどならば、いっそ死んでしまうと泣き狂うので、徳三郎も持て余した。そのうちに怪しい甘酒売の噂󠄀はだんだんに高くなって、それはお綱であることを徳三郎とお熊だけは知っていた。お熊は母に見付けられないようにその出入りを注意していたが、徳三郎はどうかんがえても不安に堪えなかった。世間の評判が高く彼の恐怖はいよいよ強くなって、ふたたびお綱に見つけられたが最後、今度こそはおそらく自分の命を奪(と)られるであろうと恐れられた。彼は実に生きている空もなかった。
こうした不安の日を送るうちに、彼は大川端で偶然に半七に出逢った。半七の方では彼を識らなかったが、徳三郎の方ではその顔を見識っていたので、いっそ此の事情を何もかも打明けて彼の救いを求めようかと思ったが、やはり気怯(きおく)れがしてとうとう云いそびれてしまった。しかし運命はだんだんに迫って来た。お綱は根(こん)よく江戸じゅうを探しまわっているうちに、娘が河内屋に忍んでいることを此の頃いよいよ覚ったらしく、そこらにたびたびさまよっているばかりか、現に河内屋の番頭や小僧が蛇神の祟りを受けたという事実を見せつけられて、徳三郎の恐怖はもう絶頂に達した。彼は身のおそろしさの余りに、更に怖ろしい決心をかためて、今度お綱に出逢ったならば、いっそ彼女を殺してしまおうと思いつめた。徳三郎は短刀を買って、それをふところにして毎日商(あきな)いに出あるいていた。
彼が借りている荒物屋の二階へ今夜もお熊が忍んで来て、二人にとっては重大の問題がまた繰返された。徳三郎は短刀を女に見せて、自分の最後の決心を打明けた。しかし自分も好んでそんなことをしたくない。人を殺したことが露顕(ろけん)すれば自分も命を奪(と)られなければならない。ここでお前がわたしのことを思い切って、すなおに母の手に戻ってくれれば三方が無事に済むのである。どうぞこれまでの縁とあきらめてくれと、彼はいろいろにお熊を説きなだめたが、女は強情に承知しなかった。彼女は泣いてないて、ものすごいほどに狂い立って、いきなり男の短刀を奪(うば)い取って、自分の乳の下を深く突き刺したのである。蛇神の血をひいた若い女はこうして悲惨の死を遂げた。
「さりとは残念なこと。もう少し早くば、その娘だけは助けられたものを……」と、ふたりの武士はこの悲しい恋物語を聞き終って嘆息した。「この上はなにを隠そう、われわれはその蛇神の女と同国の者でござる」
かれらもやはり西国の或る藩士で、蛇神のことはかねて知っていた。このごろ江戸じゅうをさわがす怪しい甘酒売りの女は、どうしても彼(か)の蛇神に相違あるまいと江戸屋敷の者もみな鑑定していた。ついては早晩(そうばん)その女が捕われ、なにがし藩の領分内にはそんな奇怪な人種が棲んでいるなどと云い伝えられては、結局当屋敷の外聞にもかかわることであるから、見つけ次第に討ち果せと重役から若侍一同に対して内密に云い渡されていたので、かれら二人は今夜その使命を果したのであった。しかし半七に対して、あからさまにその事情を説明するときは、自然に屋敷の名を出さなければならないのと、もう一つには時と場所が悪い。かれらは吉原へ遊びにゆく途中であった。武士気質(かたぎ)の強いかれらの屋敷では、遊里に立ち入ることを厳禁されていた。かれらは半七に意地わるく窘められて、屋敷の名前や時分たちの身分を明かすよりも、むしろ死を択(えら)ぼうと覚悟したのであった。


「これでこの一件も落着(らくちゃく)しました」と、半七老人はひと息ついた。「こう訳が判ってみると、誰が科人(とがにん)というのでもありません。その時代の習い、武士もこういう事情で斬ったと云うことであれば、やかましく云うわけにも行きません。わたくしもその事情を察して内分にすることにしましたが、八丁堀の旦那にだけはひと通りを報告して置きました。徳三郎はこれぞという科(とが)もないんですが、なにしろこいつが女を引っ張り出して来たのがもとで、こんな騒ぎを仕出来(しでか)したんですから、遠島にもなるべきところを江戸払いで軽く済みました。そうして、もう一度旅へ出るつもりで江戸をはなれますと、神奈川に泊った晩からまた俄かに大熱を発して、とうとうその宿で藻掻(もが)き死にに死んでしまったそうです。とんだ因果で可哀そうなことをしました。
それでも徳三郎は本人ですから仕方がないとして、ほかの人たちがなぜ祟られたのか判りません。おそらく前にも云ったような理窟で、ふと摺れ違ったりした時に、向うで何か羨ましいとか小癪(こしゃく)にさわるとか思って、じっと見つめると、すぐにこっちへ感じてしまうので、向うでは別に祟るというほどの考えはなくとも、自然にこっちが祟られるような事になってしまったのでしょう。なんだか薄気味の悪い話です。一体(いったい)その蛇神というのはどういうものかよく判りませんが、わたくしの懇意な者に九州の人がありましてその人の話によりますと、四国の犬神、九州の蛇神、それは昔から名高いものだそうです。嘘のようなお話ですが、彼地(かのち)にはまったくこういう不思議の家筋の者があって、ほかの家では決してその家筋のものと縁組などをしなかったと云います。それについてまだいろいろな不思議のお話もありますが、まあこのくらいにして置きましょう。むかしはどこの国にもこういう不思議な伝説がたくさんあったのですが、今日(こんにち)ではこんな噂󠄀もまったく絶えてしまいました。学者がたに聞かせたら、それも一種の催眠術だとでも云うかも知れませんね」
 

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