初等科國語 六/病院船
星の夜
編集 病室の
少し氣分が惡いので、水で顔を洗つてから、病室の中をまはりました。毛布を脱いでゐる人に、そつと掛けてあげる。いびきをたててゐる人、齒ぎしりをしてゐる人、さうした人々の目をさますまいと、氣をつけて靜かに歩いてゐるのですが、そばへ行くと、ぱつちり目をあける人があつて、時々はつとします。
熱の高い患者の氷が解けてゐるので、冷藏庫から氷を持つて來て、みかんの小箱の中でくだきました。三本足の
深夜の空には、ちりばめたやうに星がかがやいて、船は、黑い
おかあさん
編集 船は、かなりひどく搖れだしました。今まで、船よひに苦しんだことのなかつた私は、船の勤めは話に聞くほど苦しいものでないと思つてゐましたが、今度は、いよいよやつて來たやうです。でも、これくらゐの波に負けるものかと、ともすればころがりさうになるからだを、はめ板や、手すりにつかまつて支へながら、働きました。患者は半數ぐらゐよつて、ところどころに置いてある吸ひがら入れに、吐く音が聞えます。機關の響きのほかに、船腹に當る波の音がものすごく聞え、船内は、何だかさうざうしく、落ち着かなくなつて來ました。よつてはならないと、絶えず思ひ續けて胸をなでおろしてゐないと、つひ患者といつしよになつて、吐いてしまひさうです。
夕方になると、海はますますしけて來て、波や風の音が、
軍醫殿は、すぐ來られましたが、患者はもう口をきく力もありません。ふいてもふいても、全身から汗がにじみ出ます。おほひかぶさつて來る黑いかげでも、拂ひのけようとするやうにもがいてゐるのが、患者の何でもない身振りにも、うかがはれます。ひとしきり、重い靜けさが續きましたが、やがて、
「おかあさん。」
と、かすかな叫びが聞かれました。滿身の力をこめて、出したことばでありませう。それと同時に、全身の氣力は、なくなつてしまひました。
何萬の敵をものともせず、戰ひぬいたこの勇士の頭に、最後にひらめいたのが、二十何年いつくしみ育ててくれた、尊い母の姿であつたのでせう。
あらし
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「しつかりしろ。しつかりしろ。」
と、だれかが耳もとでささやくやうですが、だれもゐるのではありません。とたんに、私の頭の中には、病室で苦しんでゐる患者の顔が浮かんで來ました。
「さうだ。これくらゐのことで──かぎりある身の力ためさん。」
私のからだは、すつくと立ちあがつて、白衣を着てゐました。
内地に着きさへすれば、完全な治療をする病院が、この勇士の患者たちを待つてゐる。それまでの間、どうとでもして看護の手を盡くし、無事に送り屆けてあげなければ──かう思つた私は、もう船の動搖にもよろめかない足取りで、病室へ向かつてゐました。