315●堅振とは何でありますか
▲堅振とは信者の信仰を堅める爲に、聖霊と其賜とを龥下す秘跡であります。
[下段]
堅振の字は堅く振ふとの意味であって、堅振其ものは
信者の信仰を堅める
目的であるが信者とあれば、既に洗礼を受けた者でなければならず、信仰を堅めるとは、弱い信者たるに止らず、信仰堅固にして完全な信者に成らせる事である。
聖靈と其賜とを龥下す。
是聖靈は何處にも在せば在さぬ処に呼奉るのではない、信者と共に在す事をば其賜を下して著しく顕し給ふ事を願ふのである。
堅振が秘蹟である事は、イエズス、キリストの聖靈を賜ふとの御約束に基き秘蹟に要する三要件を備へてあるからである。
(註)堅振の秘蹟は、使徒等が聖靈降臨を蒙った事と、全く同じものである。唯其時の如く方言即ち異國の語に通ずる恩惠や奇蹟を行ふ力は受けないけれども、信仰を強める等の結果に於ては、天主の思召と之を授かる信者の志と、入用に応じて与へらるゝことは変がない。
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316◯聖靈の賜は幾つありますか
△聖靈の賜は七あります、即ち上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、考愛、敬畏であります。
上智
とは、専ら天主のことを重んじ味はせる御恩恵。
聡明
とは、教を悟らせ、これを心に浸み込ませる御恩恵。
賢慮
とは、天主の御光栄と自分の救霊とのためになることを選ばせる御恩恵。
剛毅
とは、強い〱と云ふ字で、救霊の障碍物に打勝つ勇気
知識
とは、知る力と云ふ字で、救霊の道に於て善悪を見分け、危険をも覚る賜。
考愛
とは、考の愛と云ふ字で最上の父に孝行を尽す心。
敬畏
とは、敬ひ畏ると云ふ字で、天主を敬ひ、御心に背く事を専ら恐れる賜。
317◯堅振の秘跡を授けるのは誰でありますか
[下段]
△堅振の秘跡を授けるのは司教であります。
公教会の初代から、
堅振の秘跡を授けるのは
十二使徒であった、即ち使徒行録(八。十四)にフィリッポと云へる助祭が多くの人に洗礼を授けたに、聖ペトロと聖ヨハネは態々遣されて聖霊を蒙らせる為に往ったと明かに書いてある。今も堅振の秘跡を授けるのは十二使徒の相続者たる
司教である。
人を完全な信者と成らせるには、叉完全な司祭職を帯びて居る方が適当であるからである。
318◯如何して堅信の秘跡を授けますか
△堅振の秘跡を授けるには、司教は本人に掩手し、聖霊とその賜とを祈り求め、聖香油を以て其額に十字架を記しながら「我れ聖父と聖子と聖霊との御名に因て汝に十字架を記し救霊の聖香油を以て汝を堅固にす」と誦へ、其頬を軽く打ちながら「汝に平安あれ」と申します。
掩手する
とは、手を掩ふ事であって、使徒等が聖霊を蒙
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らせる為に信者に上に行った式であるが、是を按手禮と云ふ、、力を譲渡すとの印である。その間は信者の為、
聖霊の
七つの
賜物
を偏に
祈る。
聖香油
とは、香を和ぜた聖油であるが、油は能く染込み、廣り、燈火と成り、力にも成るものなれば、聖靈の惠が斯く爲す事を示す、聖パウロの言に「我等はキリストの香しき薰である」とあるが如し。
俺手礼と聖香油を塗る事と司教が其時に誦へる言とは、堅振に於る記號である。
額に十字架を記す
のは、恰も額に十字架の見えるが如くに耻ぢる事なくキリストの教を奉すべき事を示す。
頬を輕く打つ
のは、キリストの爲に如何なる侮辱や苦にも耐ゆべき事を示す。
319○堅振の秘蹟を授かるには如何な準備が
[下段]
要りますか
△堅振の秘蹟を授かるには、公教の主なる信仰箇條殊に堅振の秘蹟の事を辨(弁)へ、且聖靈の賜を熱心に乞ひ求め、告白を以て靈魂を清める等の準備が要ります。完全な信者と爲られる秘蹟なれば、能く教を心得る筈、
殊に堅振の秘蹟の事を辨(弁)へ
なければ之を受ける事は出來ぬ。
聖靈の賜を熱心に乞ひ求める
とは、自ら心を動し、精神を籠めて、祈禱を爲る事である。
告白
するのは、堅振は所謂生者の秘蹟であるから(第三百〇三の問の註を看よ)大罪の気掛を以て受けてはならぬからである。
尚詳しき事は「堅振の秘蹟」と題せる書に在る。叉「基督信者寶鑑」三版の七百五十頁にもある。
(注意)堅振の秘蹟を授かる時、洗礼の名の叉他の名を付ける事は法則ではない、若し靈名として付けられた名が耻に成るとか、信者に似合はぬとか云ふものなら、堅振の時に
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他の名を取れとの規則あるばかりである。