第十七課 聖霊降臨
100●イエズス、キリスト御昇天の後十日目に何事がありましたか
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△イエズス、キリストは御約束の如く使徒等に聖霊を遣し給ふた、是を聖霊降臨と申します。
使徒等は(一)イエズスの教を能く悟らず、(二)其味を身に覚えず、(三)剰に忘れた事もあり、(四)聞き切らぬ事さへもあるのに、(五)叉彼なに臆病極った者なれば、何うして御教を全世界に弘める事出来ようか。是は人の力でなく天主の御力の業を知らせる為に、イエズス殊更に
聖霊を遣し、
以て使徒等の不十分な所を補ひ、専ら導き給ふとの御約束を度々為し給ふた。特に御昇天の時、「力を天より戴く迄ヱルザレムを離れるな」と命じ給ふたれば、弟子等大勢聖母マリアと共に集れて、日々頻に祈って居った所、
御昇天後十日目に
聖霊を賜りました。
是を聖霊降臨と申します
然りながら間違ってはならぬ、天地に在さぬ所なき聖霊なれば、之を遣すと云はれても、何処にか送るとの訳ではない、聖父及び聖子より出で給ふによって、聖父と聖子より
[下段]
殊更に賜ると云ふ訳であります。叉降臨とは、降り臨むとの意味であっても、聖霊が実際御降に成ったと云ふ訳ではなく、形を以て此世に現れ、賜を下し給ふたとの意味であります。
其次第を話せば、使徒等の集って居った処に烈しい風の如き音がして、舌のやうな焔が現れ、各の上に止ったのは、聖霊降臨の徴に成りました。烈しい風のやうに聞えたのは、先づ聖霊と風とは彼方で一つ語であって、恰ど風が見えぬながら抵抗されぬ烈しい勢を以て、大木を折ったり、根扱したり、大きな建物でも倒したりして、全然と空気を入替へるが如く、聖霊は見え給はぬでも弱い使徒の身に於て非常な力を顕し、異教を根扱し、盛な建物でも倒し、精神上の空気を新にし給ふとの徴であった。叉焔は火であれば照し、煖め、焼尽す事あるが如く、聖霊は全世界を照し、人を熱心ならしめ、迷を焼尽し給ふ事を徴し、殊に舌の形は、其珍しい出来事は使徒等の舌、即ち語を以て全世界に広がる事を徴したものであります。
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101●使徒等は聖霊を蒙って後如何しましたか
△使徒等は聖霊を蒙って後、国々に派れ行き、イエズス、キリストの教を弘め、遂に皆教の為に生命を棄てました。使徒等は聖霊を蒙るや、生変ったやうに、(一)今まで悟誤ったイエズスの教を能く合点し、(二)其味身に染込み、(三)御受難の時に逃げた臆病は、却て何処までも教を弘めたいとの勇気に変り、(四)困難を否がったのは、却て苦労耻辱を喜ぶやうに成って、何処までもイエズスの為に尽したいものに成った。乃で当時国々から祝日に来て居った人は彼の音等の為に集って来たればペトロ憚らず、イエズス、キリストの復活を証し、之を信仰して罪を赦される必要を述べたに、皆面々の故郷の語で云はるゝやうに感じ、三千人ほど其場で洗礼を願ひました。使徒等は先づ当分はヱルザレムの近傍で働き、其から追々異国に手を延し、遂にペトロは羅馬に至り、アンデレアはシチアに、フヰリッポはフリジアに、トマはバルト叉は印度に、シモンはシリアに
[下段]
バルトロメオは印度まで布教を致しました。
然てイエズス、キリストの教を弘める為に身を尽す奮発と勇気と共に、特に聖霊から二の賜を蒙りました、一は「方言の賜」とて、外国語に通ずるか、外国人に曉られるかの恵を戴き、叉奇跡を行ふ事を得た。例へば聖ペトロは御堂に上る時に、三十年前から其処に施を乞ひ居った跛者をイエズス、キリストの御名によって歩ませたれば、五千人余信者が出来た。他の処に死人を蘇らせた事もありました。聖書に斯う書いてある、「数多の徴と不思議とは使徒等の手によって民間に行はれ……主を信ずる男女の群衆益す増加し、遂には人々病人を衢に舁出し、ペトロの来た時一人にもあれ、其蔭になりとも覆はれて病を医される為に、寝台若くは舁台に之を戴置くに至り、叉近傍の町々より病人、或は悪魔に悩まされる者等を携へて、人々夥しくヱルザレムに馳集り居ったが、彼等悉く医されつゝあった」と(使徒行録五。十二以下)。終に使徒等は方々で種々に苦められて生命を惜まず、キリストの為に或は石を投付けて殺
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された者もあり、或はキリストの如く十字架に磔けられた者もある。殊にペトロは羅馬に於て其死刑に処せられたれば、謙遜してイエズス、キリストの如くに成るのは勿体ないとて、逆磔に為られる事を求めた。兎も角も使徒等は曾て逃げたのに、残らずイエズスの為に
生命を棄て
たのは、其教の真なる証拠であります。
- 第九条の一 聖公会