とは、前書と云って、本文の前に書添へたものである。
1●人に何より大切なものは何であるか
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▲人に何より大切なものは宗教であります。
大切とは、無くては済まぬもの。
とは、外の凡てのものよりも尚大切と云ふ意味である。
人に大切なものは多い、例へば身体には衣食 住 金銭等、霊魂には教育、徳学問等、殆ど数へきれぬ程ある。偖て宗
[下段]
教が外のものより大切と云はれるのは、外のものは皆此世限であるのに、宗教ばかりは此世後世共に益するからである。
(註)日本に宗教の多いのと、世界中無宗教の国の無いのは、宗教が大切であるといふ証拠に成る。又無宗教者でも葬式を宗教に頼むのは、宗教が後世に益するといふ事の証拠に成る。
△宗教とは天主に対する人の道であります。
とは、人間皆是非守らねばならぬもの、離れてはならぬものを云ふ。
昔からの金言に「道は片時も離るべからず、離るべきは道にあらず」と云はれた通。
親に対する道は孝行と云ひ、君に対する道は忠義と云ひ、天主に対する道は宗教と云ふ。道を守らぬならば人間に似合はぬものと成るから、是非道を守るべき事は良心を以て責められる。
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(註) 道は凡て出処と行先とによって定る、例へば何処から何処までの道、叉行先なければ道が要らぬ。偖て人間は何処から出たかと云ふに、身体は親から、霊魂、生命、知恵、能力等は天主から得たのである。其で世間でも天禀、天才、天性等と云って居る。又何処に行くかと云ふに、親から得た身体は遺族に遺して墓で腐り、天主から得た霊魂は呼出されて天主に帰る。出処は天主行先は天主なれば道も天主による筈である。金言に「死、生、命あり」とあるが、死ぬ事と生れる事とが天主の命によるものなれば、両端ばかりでなく、生涯も天主の命によらねばならぬ。
3●何故宗教は何より大切であるか
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此問は何故宗教が要るかと云ふ問とは違ふ。何故宗教が要るかと云はゞ、唯天主があるからである。恰ど親があるから孝行が要る、君があるから忠義が要るのと同じ道理である。若し親や君がなかったなら孝行や忠義は要るまい。其如く天主がないならば宗教は要るまい。併し親あって人が出来る如く、天主あってこそ人も何も角も出來るのである
[下段]
から、人は恩を知らぬ者と成らず、是非天主を認めて之を有がたがり拝み、其命を守らねばならぬ。之ぞ宗教であって、宗教が必ず要る訳である。
(註)宗教の要るのは、安心立命の為と云ふ人あれど、安心は必ず道理に基かねばならぬ、天主が無いなら無いので安心するのが本当である、無いのに有るが如く宗教を守るのは、却って不安心に成る。
宗教が何より大切であるのは
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宗教によらねば人の道を全うする事出来ず、叉真の幸福を得る事が出来ぬからであります。
とは、人間の道を全く、欠なく、守るとの意味。
宗教は何より大切であるとの訳を云へば、主に二ある。即ち第一宗教は人の道の一部分であって、之を守らねば道に欠ける。第二宗教は幸福を得る道であって、真の幸福を得たいと思ふならば、宗教を守らねばならぬからである。此二の訳は次の問を以て明かにする。
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4●何故人の道を全うするには宗教が要るか
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△人は何程学者であっても、霊魂上の道理を知らねば足らず、何程五倫の道を守っても、天主に対する務を怠らば、人の道に欠けるからであります。
とは、物知で、科学を修めて学問の博い人。
とは、霊魂の出処、行先、行道等の事
とは、人の最も親しい五の続合、即ち君臣、父子、夫婦、長、幼、朋友の間柄。
とは、五常と云って、人の常に守るべき五の義理、即ち君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。教育勅語に「我が臣民克く忠に………父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」とあるが如し。
道を全うするには、先づ(一)之を知って而して(二)守らねばならぬが、宗教も之を知る事と守る事との両方が要る、之を知るのは学問に属し、守るのは実行に当る。宗教を知
[下段]
らぬならば学問が足らず、守らぬならば人の道に欠けるのである。
(一)知ること。世の学問では種々の事を学ぶ、例へば動物学では鳥獣の事、植物学では木草の事、星学即ち天文学では日月星の事、歴史では昔からの出来事、地理学では国々の状態等、学科はなかゝゝ多い、叉広い。然りながら凡そ皆他所の事を学ぶ計で、自分は何の為に此世に在るか、何処から出て何処へ行くか、行くべき道は如何かと云ふ事に就いては更に教へぬ。宗敎によってばかり之が知れるものである。幾程学者でも霊魂上の道理を知らぬならば、なかゝゝ足る筈はない、他所の事を知っても、己の上を知らぬからである。
(二)守ること。世間では、五倫の道を守りさへすれば宜いと云ふ人多けれど如何せん、外に一番の親なる天主のあるのを。万物の出来たのと、我々の世に生存へるのは、親の計であろうか、否是こそ天主の摂理である。又親は無くなっても、天主は無くなるものではない、之に対する務
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を怠っては人の道に欠ける、人の道を全うしたとは云はれぬ。其で道を全うするに、即ち能く知るのにも、能く守るにも是非宗教が要る。
5●何故真の幸福を得るに宗教が要るか
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△宗教の外に、罪を赦される道、又未来の幸福を得る道はないからであります。
とは、何処までも満足する事、此世では却々稀である。
とは、死んでからの終なき幸福である。
人間は頻に幸福を望むが、之は無理でない、固より幸福を受ける為に造られた人だもの、又大抵の幸福では足らず、真の幸福でなければ満足されぬ。偖て真の幸福は浮世の宝や楽にあるのでない、心にある。即ち人の道を能く守って、気に掛る事なく、立派に安心する事に極る。又此世の一時の幸福でも足らず、未来の幸福、即ち後世の終なき幸福もなければ、真の幸福とは云はれぬ。此世の幸福を得たと思っても、必竟後世の幸福を得ぬならば何にも成らぬ。
[下段]
主に真の幸[幸:福]を妨げるものは、道を破り、天主に反く事、即ち罪を犯す事である。罪の気掛あらば安心ならず、早かれ晩かれ其罸は来る筈、而して大に道を破れば、地獄の外に行先がない。
罪の赦を受けるには、金でも他の物でも足らず、天主に反いた事なれば、宗教を以て、天主に立帰る外に、赦される道はない。又後世の幸福は、金や位や学力を以て得られるものでない、天主が道を守った人に報酬として、家督として、約束し給ふたものなれば、神に対する道を守るの外に、後世の幸福を受ける道はない。乃で宗教の外に、罪を赦される道、又未来の幸福を得る道はないのである。