豫 備
〇教へる教会とは何を云ふのですか?…司教は其教に就て謬り得ますか?…教皇は如何ですか?…何時謬り得ないのですか?…如何なる問題に就てゞすか?…学者だから、深く研究して居るから、謬り得ないのですか?…
[目的指示]、今日は公教信者に就てお話し致します。
提 示
〇カトリック教会・公教会の教へる所を信じ、その命ずる所を忠実に守って行く人を何と申しますか。
△公教信者と申します。
〇公教信者と基督信者とは意味が同じですか、違ひますか。
△違ひません。
〇然う、キリスト信者はキリスト様の教を信じ、その聖範に倣って行く人で、公教信者もや
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はりキリスト様が公教会に授け給うた教を信じて行く者ですね。違ふべき筈はないのです。だから昔の信者は切支丹(クリスチァン)、即ちキリスト信者と自ら稱して居ました。然ながらプロテスタント教徒や、ギリシァ教徒の如く、キリスト樣のお授けになった教をば悉くは信じもしなければ、行ひもしないながら、やはり自らキリスト信者と稱して居る人が世には随分多い。だから其んな人々を区別するが為に、カトリック、即ち公教信者と呼ぶのであります。だから公教信者は皆なキリスト信者です然しキリスト信者は皆な公教信者でせうか。
△否、キリスト信者と云ふ中には新教信者やギリシャ教信者も居ります。
〇よく答へました。さてカトリック教会・公教会に入るカトリック・公教信者となりますには、何をせねばなりませんか。
△カトリック教会・公敎会の教を信じ、洗礼を授からねばなりません。
〇然[:で]す、洗礼はカトリック教会・公敎会に入るの門であります。たとへ公教信者の親から生れても、夫だけでは決して公教信者ではない。公教信者となるためには、是非とも洗礼の門を潜らなければなりません…さて洗礼の門は潜った、公教信者になったと云ふならば、何んな身の上となるのですか。
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〇罪を赦されて、天主様の子女となるのです。
△大した名誉ぢゃありませんか。貧しい乞食の忰が、王様の子供に養はれたと云ふよりも、ズッとゝゝゝ大きな名誉です。幾ら感謝しても足りません。然るに信者の中には、この公教信者と云ふ名誉を耻しく思って、成るべく隠さう、隠さうと務める人があります。若し日本に生れながら、非常に名誉な日本人でありながら、夫を耻しがる、日本人とは見られたか無いものだ、何うしたらば、その日本人たることを隠すことが出來ようか、と工夫する様な不心得な人間を見たら、人は何と申しますでせうか。
△迚も大和魂を有った人間だとは申しますまい。
〇公教信者たることを耻しがる様な人も、そんなものです。御注意なさい……さて洗礼を授かって、公教信者になったと云ふならば、その記号が何かありませんでせうか。皆さんが語の全く通じない外国へ御出になった時、何んな記号を以て、我身の公教信者たることを表しますか。
△十字架の記号をなします。
〇よろしい。我身の公教信者たることを表すには、十字架の記号を為すに限る。先づ新教信
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者は十字架の記号を致しません。ギリシァ教では、十字架のしるしを致しますが、その致し方が私等のとは違ひ、右の肩から左の肩へ引きます。だから正式に十字架の記号を為しさへすれば、直に『此人は公教信者だな』と分ります……今ま十字架の記号は何んな様に致しますか。
〇『聖父と聖子と聖霊の御名によって、アメン』と唱へながら、右の手を額にあて、胸に下し、左の肩から右の肩に引きます。
〇我身に十字架を描く時は然う致しますね。然し其他にも、
一、司教司祭等が祝福を与へる時の如く、人や物に向って右の手を伸べ、空中に十字架を描くことがあります。
二、体や何かの上に拇指を以て、小く十字架を描くこともあります。ミサ聖祭中、聖福音を読む時、司祭はその聖福音と、自分の額、口、胸とにさう云ふ小な十字架をなしますでせう。兎に角、十字架の記号は幾様にもされますが、是は何の為にするのですか……先づ十字架とは何んなものですか。
△イエズス・キリスト様が、人を救はんが為に磔けられなすった死刑の道具です。
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〇つまり十字架は私等の救霊の道具となったものですね。だから之が姿を描くのは、その十字架を以て救はれたことを感謝し、ますゝゝ救の御恵を呼び下すが為です……然し十字架の記号を為すと共に、何故、聖三位の御名を唱へますか。
△聖三位の恩寵を求めんが為です。
〇先ず聖三位に対する信仰を表白すのですね。夫から聖三位はすべての恩寵の源にて在すのだから、その聖名を唱へて恩寵を御願ひ申すのは、最も道理に適った遣り方である、と云はなければなりません。つまり十字架の記号は使徒信経を略した様なものです。是を為す毎に、我身は公教信者である、天主が三位にして一体に在す、第二位は私等の爲に人と生れ、十字架に釘けられて、御死去遊ばしたことを信ずる、と云ふ意を公に表すのです。すると十字架の記号は何時せねばなりませんか。
△屢々せねばなりません。
〇朝起きる時、夜寢む時、重なる業の前、食事の前後、誘惑に遭った時など、信心を以て十字架の記号を為せば、天主様の御恵を呼下し、悪魔を退け、誘惑を防ぐのに、著しい効果があります。十字架によって悪魔の勢力は挫かれ、人類は救はれたのですから、今でも悪魔は大
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層十字架の記号を恐れます。兎に角、十字架の記号をなすのは善い事です。然し之をなさらないからって罪になりますでせうか。
△罪になります。
〇天主の十誡か聖会の制定の中に、十字架の記号をなせ、と云ってありますか。そんなことは無いでせう。之をなすのは善い事だが、なさらないからって罪になりません。時によっては、拇指で以て人知れずなしても差支ないのです。たゞ信者たることを耻ぢて之を為ないならば、その耻しいと云ふ所から罪になります。よくゝゝ御注意なさい。分りましたか。
△ハイ、分りました。
〇何を以て公教会に入るか。
△洗礼を受るを以て入るなり
〇信者の記号あらざるか。
△あり、十字架の記号是なり。
〇如何にして十字架の記号を為すか。
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△「聖父と、聖子と、聖霊の御名によりて、アメン」と唱へながら、右の手を額に当て、胸の下に下し、左の肩より右の肩へ引くなり。
〇何の為に十字架の記号を為すか。
〇イエズス・キリストの十字架を以て救はれたるを謝し、三位一神の恩寵を求めん為なり。
[後略]
[実例]
- 昔し伊太利に住んで居るユデア人が、山路に行暮れて、何うすることも出來ず、路傍にあったアポロ神の空寺に入って、一夜を明すことゝしました。然し異教の神の寺に入っては身が汚れる、何んな天罰を蒙るかも知れぬと思へば、恐ろしくて堪らない。十字架の功徳は信じないながらも、悲しい時の神頼み、之が記号を為して寢みました。人里離れた空寺のことですから薄気味が惡くて、まんじりともせずに小くなって居ると、果して深夜にサタンの奴が沢山の惡魔連を率きつれてやって來た。そして寺の中央に据わって一匹づゝの働き振を尋ねて居たが、突然部下の惡魔等に、『オイ、俺の寺に這入って寢んで居る横着者が居るぞ。何奴だか往って調べて見い』と命じた。惡魔は近いて、注意深く之を眺めて居たが、十字架の
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- 記号が付いて居ると見るや、皆な喫驚して、『オヤゝゝ器は空虛だが、記号が付いているよ』と云ふが早いか、その惡魔連は忽ちパッと消え失せて了ひました。見なさい、惡魔は十字架の記号を斯んなに怖れるのです。今から誘惑に遭ったと見るや、直にこの記号を為しなさい。屹っと惡魔は怖れて逃げ失せます。