豫 備
〇公敎会は天主樣の敎を伝へる時、謬り得ますか?…何故、謬り得ないのですか?…イエズス・キリスト樣は何とお約束になりましたか?…聖霊がお導き下さいますか?…
[目的指示]、今日は敎皇が敎に就て謬り得ないことをお話し致します。
提 示
〇全世界の司敎等が敎皇と一致を保ち、天主樣の敎を伝へる時は、謬り得ないのですね。然し全世界の司敎が始終集って公議會を開いて居る訳には行きますまい。左らばとて各敎區に散々になって居るのに、毎度、書面や電報を以て意見を求めることも出來ますまい。其んなに悠長なことをして居ては、迚も急な間に合ひやしません。何うしたら可いでせうか。
△全敎会の元首たる敎皇が謬ることが出來なければ夫で可いのです。
〇だからイエズス・キリスト樣は聖ペトロを敎会の基礎に立て、『汝は磐である、我この磐の上に我敎會を立てませう。斯くて地獄の門は之に勝つことが出來ますまい』(マ テ オ一六ノ一八)と仰有ったのです。敎會会は信仰の上に据わって居る。若しその基礎たる聖ペトロが、信仰に就て謬り得るとすれば、その敎会は砂の上に建った家です。倒れずに居りますでせうか。
△屹っと倒れて了ひます。
〇倒れたら、地獄の門に負かされたのでせう。イエズス・キリスト樣の御約束は如何なります
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か。
△反古になって了ひます。
〇其んなことが有るべき筈ではありますまい。次にイエズス・キリスト樣は、御死去の前晩、聖ペトロに向ひ、『シモン、シモン、看なさい、サタンが麥の如くに篩に掛けようと、汝等を求めました。然し私は汝の爲、汝の信仰の絶えない樣に祈りました。汝は何時か立歸って、汝の兄弟を堅めなさい』(ル カ二二ノ三一)と仰せられました。聖ペトロが罪を犯さない樣に祈られたのではない。たゞ信仰の絶えない樣に祈られた。よし罪を犯す樣なことがあっても、一度は立歸って、兄弟たる司敎や、信者等を堅めよ、と仰有ったのである。若し聖ペトロ自身の信仰が絶えたり、謬ったりするならば、其んなに他の信仰を堅め、之を導くことが出來ますでせうか。
△迚も出來ません。
〇終にイエズス・キリスト樣は御復活後、聖ペトロに現れて、『汝、我羔を牧せよ、我羊を牧せよ』と命じなさいました。萬一聖ペトロが謬ること出來るとするならば、信者に謬の芻を喰ませる訳になる。夫ではキリスト樣の羔や羊を牧すると申されませうか。
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〇そして聖ペトロは何時迄も何時迄も存命へること出來やしませんでせう。然し敎會は世の終までも続かなければならぬ。だから聖ペトロに與へられた特典が、たゞ聖ペトロ一代に止ってその後繼者たる敎皇にも伝はらないならば如何なりますでせう?
△夫こそ何にもなりません。
〇だから敎皇も聖ペトロと同じく、敎に就て謬り得ない特典を戴いて居なければならぬ。然し思ひ違をしては可けません。敎皇は何時でも、何事に就ても謬り得ないと云ふ訳のものではない。敎皇が謬り能はぬのは、
一、敎皇の資格を以て敎へる時です。卽ち一個の學者としてゞはなく、聖ペトロの相続者、全敎會の元首、信者の總牧者、と云ふ資格で以て敎を説く時に限ります。
二、信仰道德の問題に就て敎へる時、例へば聖母マリアは原罪の汚れなく孕され給うた、と云ふ信仰問題、キリスト信者たるものは絶對に離婚すること出來ないとか、某は確に聖人である、之を尊敬し、その御伝達を頼んでも可い、と云ふ樣な道徳上の問題に就て敎へる時です。
三、一個人や一ヶ所の爲ではなく、全敎會の信者が等しく信じたり、守ったりすべき事に就て
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す。
四、而も敎を定める時、必ず斯う信ぜねばならぬ、彼あ守らねばならぬ、と定義を下し、最後の決定をなす時に限るのです。……分りましたか。敎皇は何んな場合に謬り得ないと云ふのですか。
△敎皇が敎皇として、信仰や道徳上の問題につき、全敎会の守るべき敎を取定める時に限って、謬り得ないのです。
〇よろしい。斯る場合に限って、敎皇はイエズス・キリスト樣の御約束と、聖靈の御導とによって謬り得ないのですね。左すれば敎皇が一個の神學者として、何かの問題を論ずる時或は政治や、科學や、歷史や等に關する書を著す時、若くば一個人なり、一ヶ所なりに何かを命じたり、守らしたりする時、謬が無いと申されませうか。
△其んな時は謬ることも出來ます。
〇左すれば敎皇が謬り能はぬのは、學問が博くて、研究が深く亘って居るから、多くの學者を顧問として、其意見を求めて居るから、と云ふのでせうか。
△否、敎皇の謬り能はぬのは、イエズス・キリスト樣の御約束と、聖霊の御導とによるので
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あります。
〇猶ほこの事は千八百七十年ワチカンの公議会に於て決定せられ、信仰個條の一に加へられました。然し夫迄の人が全く知らなかった新しい敎だ、と思ってはなりません。聖会の初から人は皆な然う信じて居たのです。信仰上に就て何か六ヶしい問題が起って、地方の司敎で之が解決を付け得ない塲合には、必ずローマに持出して、敎皇の裁決を仰ぐのでした。そして一たび敎皇が裁決を下してからは、誰しも首を垂れて之に服従したものであります。聖アウグスチノの如きは、『ローマが口を利いた。事件は終結した』とさへ叫んで居られます。
△すると敎皇が謬り得ないのは、罪を犯さないと云ふ意味ぢゃないんですね。
〇何うしてどうして、其んな意味ぢゃ決してありません。見なさい、聖ペトロでさへ罪を犯しました。敎皇だって罪を犯さぬにも限りません。唯だ前に申しました場合に限って、謬り得ない、間違ったことを敎へ得ない、と云ふ迄に過ぎないのです。
〇敎皇は敎に就きて謬り得るか。
△敎皇が敎皇の資格を以て、信仰道德の問題に就き、全敎会の守るべき
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敎を定むる時、謬り得ざるなり。
整 理
〇人を天國へ導くには、全世界の司敎が謬り得ないだけで足りますか△足りません。
〇何故足りませんか△全世界の司敎が始終一つに集って、議会を開く訳には行きません。
〇書面や電報で意見を求めたら可いぢゃありませんか△そんな悠長なことをして居ては、急な間に遭ひません。
〇然らば如何すれば可いのですか△全敎会の元首たる敎皇が、謬ること出來ない特典を持って居れば、夫で可いのです。
〇だからイエズス・キリスト樣は何うして下さいましたか△聖ペトロにそんな特典をお與へになりました。
〇何時?△聖ペトロを敎会の基礎とお立てになった時です。
〇その時、何と仰有いましたか△『汝は磐である、私はこの磐の上に我敎会を建てませう。地獄の門は之に勝つことが出來ますまい』と仰有いました。
〇磐の上に敎会を建てるとは何の意味ですか△ペトロが磐の如くなって、何時までも敎会を支
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持へて行くと云ふ意味です。
〇若しや聖ペトロが敎に就て謬りましたら?△その時は決して磐ぢゃありません。地獄の門に負かされたのです。
〇キリスト樣の御約束は?△反古になって了ひます。
〇キリスト樣は御死去の前晩にも何とか仰有らぬでしたか△聖ペトロの信仰が絶えない樣に祈った、と仰有いました。
〇そんなに祈って戴いた聖ペトロは、何を爲ねばならぬでしたか△たとへ罪を犯しても、一度は立歸って、兄弟を堅めねばならぬのでした。
〇然し聖ペトロ自身の信仰が絶えたり、謬ったりしたら如何でせう?△迚も他の信仰を堅めてやること出來やしません。
〇御復活後にも何とか仰有らぬでしたか△『汝、我羔を牧せよ、我羊を牧せよ』と命じなさいました。
〇若し聖ペトロが敎に就て謬り得るとしたら如何でせう?△夫こそ羊を牧するのではなく、之を害するのです。
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〇聖ペトロがその敎会の基礎となり、兄弟を堅め、羔や羊を牧するのは、その一代に限るのでしたか△否、世の終までも及ばねばなりません。
〇だって聖ペトロが其んなに永く生存へること出來ますか△後繼者たる敎皇によって、其使命を続けて行けるのです。
〇すると敎皇も敎に就て謬り得ないのですか△ハイ、聖ペトロと同じく謬り得ないのです。
〇何んな場合にでもですか△否、敎皇が敎皇の資格を以て、即ち聖ペトロの後繼者、全敎会の元首、信者の總牧者として敎を説く場合に限るのです。
〇何んな問題に就てもですか△違ひます。たゞ信仰・道德の問題に就てのみです。
〇信仰問題とは?△例へば聖母マリアが原罪の汚なく孕され給うたか否か、と云ふ樣な問題です。
〇道徳問題とは?△キリスト信者たる者は、絶對に離婚すること出來ないとか、某は確に聖人である、之を尊敬し、その伝達を頼んでも可いとか云ふ樣な問題です。
〇一個人や一二ヶ所に何かの指導を與へる時もですか△否、全敎会の信者が等しく信じたり守ったりすべき事を指導する時です。
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〇そんなに信ずべく守るべき敎を如何する時、謬り得ないと云ふのですか△その敎を定める時即ち定義を下し、最後の決定をなす時に謬り得ないのです。
〇すると敎皇が一個の神學者として、何かの問題を論ずる時は如何でせう△謬らぬにも限りません。
〇政治や、科學や、歷史やに關する書を著す時は?△謬らぬにも限りません
〇一個人なり、一ヶ所なりに何かを勸めたり命じたりする時は?△謬らぬにも限りません。
〇さすれば敎皇が謬り得ないのは學者だからと云ふ訳ではないのですね△敎皇が謬り得ないのは、イエズス・キリスト樣の御約束と聖霊の御導とによるのです。學問が有る無しには關係しません。
〇敎皇が謬り得ないと云ふことは、千八百七十年に確定ったのぢゃありませんか△ハイ、其時信仰個條の中に加へられました。
〇夫までの人は、敎皇も謬り得ると思って居たのですか△さうぢゃありません。聖会の初から敎皇は敎に就て謬り得ないものと信じて居ました。
〇その證據(証拠)がありますか△信仰上に就て何か面倒な問題が起った時は、必ず敎皇の裁決を仰い
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だものでありました。
〇夫に就て聖アウグスチノは何と仰有いましたか△『ローマが口を利いた。事件は終結した』と仰有いました。
〇すると敎皇が謬り得ないのは、罪を犯し得ないと云ふ意味ぢゃないんですね△決してそんな意味ぢゃありません。聖ペトロでさへ罪を犯した覺えがあります。
[實例]
- フェネロンと云へば、佛国でも有名な大司敎でしたが、『聖人等の格言註解』と題する書を著しました。其の説いて居る所に誤謬があったので、敎皇インノセント十二世は之を處分しました。大司敎は早速説敎壇に立って、無條件に、絶對的に、何等制限の影すらなく、敎皇の處分に服從すべき旨を公にし、廻狀を認めて、洽く敎區内の信者に之を通知しました。信者は大司敎の謙遜に感心し、孰れも涙を止め得なかった位でした。然しフェネロンは夫にも滿足しませんでした。その觀示臺は、二位の天使が之を左右から捧げ、足の下には多くの異端書を踏み付けて居るのでしたが、その異端書の中には『聖人等の格言註解』の名を刻んだものが一つ
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- ありました。