佐久間信盛折檻状

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一、父子五ヶ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、世間の不審余儀なく、我も思ひあたり、言葉にも述べがたき事。

一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇にも構へず、調儀・調略の道にも立ち入らず、たゞ、居城の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り候へば、彼の相手、長袖の事に候間、行くは、信長威光を以て、退くべく候条、さて、遠慮を加へ候か。但し、武者道の儀は、各別たるべし。か様の折節、勝ちまけを分別せしめ、一戦を遂ぐれば、信長のため、且つは父子のため、諸卒苦労をも遁れ、誠に本意たるべきに、一篇に存じ詰むる事、分別もなく、未練疑ひなき事。

一、丹波国、日向守働き、天下の面目をほどこし候。次に、羽柴藤吉郎、数ヶ国比類なし。然うして、池田勝三郎小身といひ、程なく花熊申し付け、是れ又、天下の覚えを取る。爰を以て我が心を発し、一廉の働きこれあるべき事。

一、柴田修理亮、右の働き聞き及び、一国を存知ながら、天下の取沙汰迷惑に付きて、此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付くる事。

一、武篇道ふがひなきにおいては、属託を以て、調略をも仕り、相たらはぬ所をば、我等にきかせ、相済ますのところ、五ヶ年一度も申し越さざる儀、由断、曲事の事。

一、やす田の儀、先書注進、彼の一揆攻め崩すにおいては、残る小城ども大略退散致すべきの由、紙面に載せ、父子連判候。然るところ、一旦の届けこれなく、送り遣はす事、手前の迷惑これを遁るべしと、事を左右に寄せ、彼是、存分申すやの事。

一、信長家中にては、進退各別に候か。三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、河内にも与力、和泉にも与力、根来寺衆申し付け候へば、紀州にも与力、少分の者どもに候へども、七ヶ国の与力、其の上、自分の人数相加へ、働くにおいては、何たる一戦を遂げ候とも、さのみ越度を取るべからざるの事。

一、小河かり屋跡職申し付け候ところ、先々より人数もこれあるべしと、思ひ候ところ、其の廉もなく、剰へ、先方の者どもをば、多分に追ひ出だし、然りといへども、其の跡目を求め置き候へば、各同前の事候に、一人も拘へず候時は、蔵納とりこみ、金銀になし候事、言語道断の題目の事。

一、山崎申し付け候に、信長詞をもかけ候者ども、程なく追失せ候儀、是れも最前の如く、小河かりやの取り扱い紛れなき事。

一、先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事。

一、先年、朝倉破軍の刻、見合せ、曲事と申すところ、迷惑と存ぜず、結句、身ふいちやうを申し、剰へ、座敷を立ち破る事、時にあたつて、信長面目を失ふ。その口程もなく、永々此の面にこれあり、比興の働き、前代未聞の事。

一、甚九郎覚悟の条々、書き並べ候へば、筆にも墨にも述べがたき事。

一、大まはしに、つもり候へば、第一、欲ふかく、気むさく、よき人をも拘へず、其の上、油断の様に取沙汰候へば、畢竟する所は、父子とも武篇道たらはず候によつて、かくの如き事。

一、与力を専とし、余人の取次にも構ひ候時は、是れを以て、軍役を勤め、自分の侍相拘へず、領中を徒になし、比興を構へ候事。

一、右衛門与力・被官等に至るまで、斟酌候の事、たゞ別条にてこれなし。其の身、分別に自慢し、うつくしげなるふりをして、綿の中にしまはりをたてたる上を、さぐる様なるこはき扱ひに付いて、かくの如き事。

一、信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事。

一、一世の内、勝利を失はざるの処、先年、遠江へ人数遣し候刻、互に勝負ありつる習、紛れなく候。然りといふとも、家康使をもこれある条、をくれの上にも、兄弟を討死させ、又は、然るべき内の者打死させ候へば、その身、時の仕合に依て遁れ候かと、人も不審を立つべきに、一人も殺さず、剰へ、平手を捨て殺し、世にありげなる面をむけ候儀、爰を以て、条々無分別の通り、紛れあるべからずの事。

一、此の上は、いづかたの敵をたいらげ、会稽を雪ぎ、一度帰参致し、又は討死する物かの事。

一、父子かしらをこそげ、高野の栖を遂げ、連々を以て、赦免然るべきやの事。

右、数年の内、一廉の働きなき者、未練の子細、今度、保田において思ひ当り候。抑も天下を申しつくる信長に口答申す輩、前代に始り候条、爰を以て、当末二ヶ条を致すべし。請けなきにおいては、二度天下の赦免これあるまじきものなり。

天正八年八月 日

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