九州のみちの記

九州のみちの記

豐臣勝俊朝臣


大相國もろこしかたむけさせたまはむとて。天正のすゑつかた筑紫に御出有べきよし事さだまりにければ。日の本の兵のこらず供奉す。みづからも。む月の中の五日頃に京をおもひ立なむとしはべりけるに。人のもとよりおむぞ調じて給ふとて此二首をなむくはへられたりける。

 玉鉾のみちの山かせ寒からはかたみかてらにきなむとそ思

 あまたにはぬひかさねゝと唐衣思ふ心はちへにそ有ける

彼おむぞ。えならぬものがたりのこゝろを筆のかぎりうつくしくかきて。とる手もくゆるばかりにほひたきしめられたり。かへし。

 きみならて道の山風さむしとも誰かいとはむ旅の空まて

 心さし深きいろかのから衣かへすもかたみとやみむ

かゝる情のありがたさよと。あるはなみだのふるきわざまでおもひよせられ侍る。さて須磨明石の月をながめつゝ。はりまの國にしるよしししてまかりて。廿日あまりとゞまりぬ。そこにしたしかりける人のもとへ。おもしろかりけるさくらにさして。

 いてゝ行あとなくさめよ櫻花われこそ旅に思ひ立とも

かくよみをきて。日かずをへつゝゆくまゝに。備中のくにきびの中山につきぬ。つれさのあまり。こゝかしこ見ありきはベりて。彼ほそ谷川の邊にいたりて。

 けふそみるほそ谷川のをとにのみ聞わたりにしきひの中山

その水上にのぼりてみれば。ちいさき池のなかよりたえ出る淸水なりけり。かのしみづみな月のころほひもたゆることなしとなむいへり。その谷川のひろさ篳篥といふもののながさばかりなむ有ける。其夜は神主のいへにとまりぬ。翌日は雨そぼふりければゆきもやらず。其所に宮づくりし給ふはすなはちきびつ大明神と申奉る。火たき屋に釜ふたつをならべすへをきたりける。其かまひとつ神供をとゝのふる每におびたゞしくなりどよむよしをきゝてのぞみはべりける。まことにいかづちなどのやうにしばしとゞろきてきこえけり。これぞ此神祕となむいひつたへし。それより備後のともといふ浦ちかきわたりに十日あまりとゞまりぬ。そのほどかのうら見にまかりぬ。そこに一夜侍りて。明方の浦の景氣をみやれば。近きわたりの嶋どもうすがすみ。こぎくるふねもよしあるさまなり。

 忘れめや霞のひまの磯つたひ漕出る舟のとものうら波

さる歌よみたるよし主にかたりければ。感じてこれをかきとめける。さてみしとものうらのむろの木はとこよにあれととよめるはいづこぞとたづねはベりければ。むかしはこの浦に有つといひつたへたれど。今はあとかたもはべらねばさだかにしる人もさぶらはず。されどあの磯にありしなどふるき人は申をきたりける。いざさせたまへをしへたてまつらんといふ程にまかりたれど。ことなるみどころもなく。たゞ波のよせくるのみにてぞ有ける。かく名ある木もあとかたなく。何事もむかしにかはりゆくこそもの每に悲しくははべれ。其かへさにしる人ありければ。かしまといふ所にたちよりけり。主さまにもてはやし。いざ此あたりにしかるべきかゝりあり。鞠なむつかうまつれとしゐて申けるほどにさりがたくおぼえて。裝束などとりよせ。日暮るまでまりけなどしてあそびける。其あたりなる男女どもみなあつまりきゐて見けり。田舍にはかゝることもめづらかにやおぼえけむ。さて月の山のはを澄のぼりてさやかなるに。故鄕人もかくやながむらんとおもひいでて歸にけり。玉ぼこのみちもはるかならねば。いくばくもあらぬに來つきぬれど。內に入るベくもおぼえで。爰のまへなりける辻堂のこぼれかゝりたるいたじきのうへに夜ふくるまでたちて。月やあらぬはるやむかしとひとりごち居て侍りけり。あくればふるさとへ文つかはす。したしかりけるともたちのもとに。かくなむ。

 思ひきや同し此世にありなからまた返りこぬ分れせむとは

おなじ國おのみちといふ所より船にのりて。おもしろき浦々にこゝろをなぐさめて。すこしふるさともわすれぬべきこゝちしてなむくだりけるに。春の物とて雨そゝぎしけるに。日もやう暮なむとすれば。人住所にもあらぬわづかなる沖の小嶋に舟よせて一夜寢にけり。たぐひなくものこゝろぼそう。うきねのあはれも身にしられて。まどろむとしもなくなみだのおりしりがほなるに。ときしもあれ。蓬もる雫のたもとにくはゝりけるをみて。

 夜もすから蓬もりあかす春雨にうきねの袂なをしほるなり

 見もはてぬうきねの夢の行末をさそひてかへる波の音かな

なみぢはるかに分過つゝ。いかゞ有けむ。此ほどのつかれにや。眉のうへおもくなり。心むすぼほれ。たゆたふ舟のうちもいぶせくうるさかりければ。すこしこゝろやすめむと。童ひとりぐしあたりの嶋にあがりて。こなたかなたみありきけれど。稀にも人のゆきかよひける跡さへなかりけり。波のをとのみすごう聞えて。いとゞ袖のうへもしほれがちなるに。むかしいかなるものゝわざにか有けむ。五丈ばかりありける石の面に。月淸下なり雲に集つらなる浪のうへにしらぬ舟路を風にまかせてといふ歌をぞかきつけける。また入もまどひきて。かゝる所のあはれを身にしりけるよといとかなしうをしはかられぬ。其はまにおりゐて手ずさみながらちいさくうつくしき貝どものおほくあるをひろひもちて。やうもとの船にきけり。隣イの國安藝のいつくしまに詣で。一とせ筑紫にくだりしときやどりける坊の主をたづね侍りければ。をとゝし身まかりぬと弟子なりける法しのかたりける。今おもへば其頃七そぢばかりになむみえつる。うらむベきよはひならねど。またかへりこぬ道はいと悲しうなむ。あひみてものがたりなどせし程は六とせにぞなりにける。なに事もはかなき夢とのみ成はてゝ。みなかへらぬむかしと成にけり。彼坊の泉水こゝろをつくし。草木などうへをきたり。

 なき人の手つから植し草木ゆへ庭もまかきもむつましき哉

とよみければ。みな人袖をなむぬらしける。其庭の內にをのづからいと大きなる石あり。こけむし物ふりたるうへにいとおもしろき松ひとりたてり。つくりなさば此外のことはさもありなむ。是にはいかならむたくみの人もえをよぶまじかりける。程しあれば岩にもやとながめられし。それよりまた舟にのりてくだりけるに。あさがすみふかくたちこもりて。わが友舟もありやなしやとおぼつかなきまでたどるに。霞のうちより鴈の聲かと聞えて。から櫓のをとしたるもおかしきに。船人のこゑたかくひきながめて。何事とえもきゝわかぬうたうたひつゝ漕くるもめざむるこゝちす。霞やう晴渡りて。詠やれば。遙なる沖にうかぶ船も。かもめ千鳥などのやうにちいさくみえて。よそめ計やといへるさることぞかし。その日暮にければ。ある浦に舟をよせて。今夜は月のいでしほに湊こぎいでむと艤ひしけるほどに。自は濱にあがりて。淸き礒まにたゞずみければ。ほどちかく海士のいさりする火みえたり。さてはあのわたりや浦人の里ならんと尋まかりけるに。家もはかしき柱は立て作らず。から櫓かぢなどいふ物をうちわたし。たゞひとへにまばらなる篷をひきかけ。岩のかどを耳にあて。身をも眞砂につけてぞふしにける。かれが身に生れたらましかばいかゞせむ。をのれは住家とおもへば。さまでうからぬにこそ。やう月もすみのぼりて。渺々たる眞砂にひかりあひぬれば。玉をしきたらむやうにみえける。ある人海邊の月といふ事をよめと云。

 をく網の中にしつめる月影ををのかものとやあまの引らむ

とよみて。あまたたびの波まくら楫枕。しほれこし袂ほすまも覺えで。あくがれ行に。もじの關にもなりぬ。さのみ船のうち波の上もたへがたくて。あかまが關にあがりにけり。ある寺に先帝のみかたち幷一門の公卿殿上人。局內侍以下まで。はかなき筆のあとにのみうつしをきたり。世へだたりたる事とおもへど。其時のこゝろうさ。しづみ給しありさままで。かずかずに思ひ出られて。かなしくおぼえければ。

 所せく袖そぬれけるこの海のむかしをかけし波の名殘に

それより陸路を駒の足にまかせていそぎける程に。豐前の國きくの高はまにとまり侍りしに海ちかき所なれば。おりふし波風はげしう。よもすがらうちもふされず侍しかば。

 夢にたに宮古のつてはさもあらて波の音のみきくの高はま

幷の國筑前はこざきの松原。きゝしより見るはなを景氣ことなり。彼社頭は西おもて海邊に向はせ給ふ。戒定惠の箱うづまれてしるしに植られけむ松神さび。申もをろかにぞ侍る。愚詠一首つけまほしく覺えはベりしかど。所のありさまにけをされて。本意なくやみにけり。それより程ちかき博多といふ所に四五日ありけるうちに。そでの湊とことしくいはれたるはいづくぞ尋見ばやと申ければ。あるじこゝろある人にてしるべしけるに。あるじのいはく。今こそしほのさしきて水も少はベれ。常は無下にいふがひなくさぶらふものをとぞ申ける。まことにもろこし舟よせつベき浦ともおぼえず。又营原のおとゞ住給ひし宰府といふ所やちかくさぶらふと問はベりければ。これより三里あまりやあるらむと申す。さらばよき程なりおがみ奉らむと詣でて。こなたかなた名所どもみありきしに。なりひらの色になるてふとよみし染川も其かたなく。水さへかれはてゝ。むかしのあとといふばかり也。思ひ川これもきゝしばかりにはあらねど見所おほかり。彼いせが。おもひ川とよみたりしも。水なくあせなばくちおしかるべきを。絕ずながるゝこそ人の言葉のまこともあらはれてゆうにははベれ。さてかへりくるみちに。朝倉山のほとりにて。

 むかしをや忘れはてけむ郭公きけとなのらぬあさくらの山

道の行てにひとりかく思ひつゞけける。一日二日ありて名護屋にまかりけるに。みちすがらの名所どもたづねとはせければ。是ぞいきの松ばらと申すといふ。さる事あり。太宰帥隆家筑紫にくだりける時。扇たまはせ給ふとて。枇杷大后宮。凉しさはいきの松ばらとよみしところにぞあなるか。まことに歌人はゆかずして名所をしるとことわざにいへるがごとく。松原の景氣海にちかく。ちとさしあがり。たかきところなれば。すゞしかるベき境地なり。玉嶋川。松浦川。何もやがて海にながれいでてぞ侍る。松浦川は七瀨の淀とよめるにたがはずいと大きなる川にてぞありける。彼松浦さよひめがひれふりしより名にいはれけむ山も。けぢかき程にみえていとおかしきさまなり。鏡の神にといへるも。都にておもひおこせしほどは。いとはるかにて。いかなりけむ宮居ぞなどこゝろあてにせしことも。おもかげうかびたるやうに覺えて。いとすぐれたりける。其日なごやにいたりて。草まくらむすびさだむるほどもはベらぬに。ほとゝぎす一こゑをとづれて過ければ。

 郭公はつ音きくにはなくさまて出し故鄉なをそ忘れぬ

なれもかへらむにはしかじとなけば成べし。ふるさとのたよりもとめてかくなむいひつかはしける。

 あまさかる ひなのなかちに おとろへて 心つくしの

 旅のそら 草葉を分る たもとより をくるゝ跡の

 なみたのみ かゝる袖こそ わひしけれ けふてをゝりて

 かそふれは をのかふる里 立いてし 日數の程も

 いまははや とをとてむつに なりにけり たのむこととは

 むはたまの 夜の衣も かへしつゝ 夢のたゝちの

 あふことを 玉のをにして すくれとも それさへうとく

 なりゆけは 何によりてか さゝかにの 命をしはし

 かけもせむ なをもみまくの ほしかるは また二葉なる

 なてしこの 花のうへなる ゆふつゆの 思ひをくにも

 いとゝしく こゝろの闇の はれやらぬかな

 別れつゝ 幾としふとも 命たに あらはふたゝひ 歸らさらめや

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。