万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第十
春の
雑歌
1812 久かたの天の香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも
1813
1814
1815 子らが手を巻向山に春されば木の葉しぬぎて霞たなびく
1816
1817 今朝ゆきて明日は
1818 子らが名に懸けのよろしき朝妻の片山
右ノ七首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
鳥を詠める
1888 白雪の降り敷く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく
1819 打ち靡く春立ちぬらし我が門の柳の
1820 梅の花咲ける岡辺に家
1821 春霞流るるなべに青柳の枝くひ持ちて鴬鳴くも
1822 我が背子を
1823 朝戸出に来鳴く
1824 冬こもり春さり来らしあしひきの山にも野にも鴬鳴くも
1825 むらさきの根
1826 春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな
1827 春日なる羽がひの山よ佐保の内へ鳴き行くなるは
1828 答へぬにな呼び
1829 梓弓春山近く家
1830 打ち靡く春さり来れば
1831 朝霧にしぬぬに濡れて呼子鳥三船の山よ鳴き渡る見ゆ
雪を詠める
1832 打ち靡く春さり来ればしかすがに天雲
1833 梅の花降り覆ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば
1834 梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に降りしきりつつ
1835 今さらに雪降らめやも
1836 風まじり雪は降りつつしかすがに霞たなびき春さりにけり
1837 山の
1838
右ノ一首ハ、筑波山ニテ
1839 君がため山田の沢にゑぐ摘むと
1840 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る
1841 山
1842 雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山片つきて家居らす君
右ノ二首ハ、問答。
霞を詠める
1843 昨日こそ年は果てしか春霞春日の山に早立ちにけり
1844 冬過ぎて春来たるらし朝日さす春日の山に霞たなびく
1845 鴬の春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども
柳を詠める
1846 霜枯れし冬の柳は宮人のかづらにすべく萌えにけるかも
1847 浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも
1848 山の際に雪は降りつつしかすがにこの
1849 山の際の雪は消ざるを
1850 朝な
1851 青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも
1852 百敷の大宮人のかづらける
1853 梅の花取り持ち見れば我が屋戸の柳の
花を詠める
1887 春日なる三笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく 旋頭歌
1854 鴬の
1855 桜花時は過ぎねど見る人の恋の盛りと今し散るらむ
1856
1857
1858 うつたへに鳥は
1859 おしなべて高き山辺を白妙ににほはせたるは桜花かも
1860 花咲きて実はならねども長き
1861 能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも
1862 雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ
1863
1864 あしひきの
1865 打ち靡く春さり来らし山の際の遠き
1866
1867 阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらむ見る人なしに
1868 かはづ鳴く吉野の川の
1869 春雨に争ひかねて我が屋戸の桜の花は咲きそめにけり
1870 春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
1871 春されば散らまく惜しき桜花しましは咲かず
1872 見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
1873 いつしかもこの夜の明けむ鴬の木伝ひ散らす梅の花見む
月を詠める
1874 春霞たなびく今日の
1875 春されば
1876 朝霞春日の暮れば木の間より移ろふ月をいつとか待たむ
雨を詠める
1877 春の雨にありけるものを立ち隠り妹が家道にこの日暮らしつ
河を詠める
1878 今ゆきて聞くものにもが明日香川春雨降りて
1879 春日野に煙立つ見ゆ
野の遊び
1880 春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶこの日の忘らえめやも
1881 春霞立つ春日野を往き還り
1882 春の野に心やらむと思ふどち来し今日の日は暮れずもあらぬか
1883 百敷の大宮人は
1884 冬過ぎて春し来たれば年月は改れども人は古りゆく
1885 物皆は
逢へるを
1886
1889 我が屋戸の毛桃の下に月夜さし下悩ましもうたてこの頃
春の
相聞
1890 春日野に鳴く鴬の泣き別れ帰ります間も思ほせ
1891 冬こもり春咲く花を手折り持ち千たびの限り恋ひ渡るかも
1892 春山の霧に惑へる鴬も
1893 出でて見る向ひの岡に本繁く咲ける毛桃のならずはやまじ
1894 霞立つ永き春日を恋ひ暮らし夜も更けゆきて妹に逢へるかも
1895 春さればまづ
1896 春されば
右ノ七首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
鳥に寄す
1897 春さればもずの草
1898
花に寄す
1899 春されば卯の花くたし
1900 梅の花咲き散る園に
1901 藤波の咲ける春野に延ふ
1902 春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
1903 我が背子に
1904 梅の花しだり柳に折りまじへ花に手向けば君に逢はむかも
1905 をみなへし佐紀野に生ふる白つつじ知らぬこともち言はれし我が背
1906 梅の花
1907 ことならばいかで植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく
霜に寄す
1908 春されば
霞に寄す
1909 春山に霞たなびきおほほしく妹を相見て後恋ひむかも
1910 春霞立ちにし日より今日までに
1911 さ
1912 玉きはる我が山の
1913 見渡せば春日の野辺に立つ霞見まくの欲しき君が姿か
1914 恋ひつつも今日は暮らしつ霞立つ明日の春日をいかで暮らさむ
雨に寄す
1915
1916 今さらに
1917 春雨に衣はいたく通らめや
1918 梅の花散らす春雨しきて降る旅にや君が廬りせるらむ
草に寄す
1919
1920 春草の繁き
1921 おほほしく君を相見て菅の根の長き春日を恋ひ渡るかも
松に寄す
1922 梅の花咲きて散りなば我妹子を来むか来じかと
雲に寄す
1923 白真弓今春山にゆく雲の行きや別れむ恋しきものを
1924
別れを悲しむ
1925 朝戸出の君が姿をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ
1926 春山の馬酔木の花の悪しからぬ君にはしゑや寄せぬともよし
1927
1928
1929 狭野方は実になりにしを今更に春雨降りて花咲かめやも
1930 梓弓引津の
1931
1932 春雨のやまず降る降る
1933 我妹子に恋ひつつ居れば春雨の彼も知るごとやまず降りつつ
1934 相思はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ
或
1936 相思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒の長き春日を思ひ暮らさく
1935 春さればまづ鳴く鳥の鴬の言先立てし君をし待たむ
夏の
鳥を詠める
1937
明けくれば
里人の 聞き恋ふるまで 山彦の 相
1938 旅にして妻恋すらし霍公鳥神奈備山にさ夜更けて鳴く
右ノ二首ハ、古歌集ノ中ニ出ヅ。
1939 霍公鳥
1940 朝霞たなびく野辺にあしひきの山霍公鳥いつか来鳴かむ
1941 朝霞八重山越えて呼子鳥呼びや汝が来る屋戸もあらなくに
1942 霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く乙女
1943 月夜よみ鳴く霍公鳥見が欲れば今草取れり見む人もがも
1944 藤波の散らまく惜しみ霍公鳥
1945 朝霞八重山越えて霍公鳥卯の
1946 木高くはかつて木植ゑじ霍公鳥来鳴き響めて恋まさらしむ
1947 逢ひがたき君に逢へる夜霍公鳥
1948 木の
1949 霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは君聞きけむか
1950 霍公鳥花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ
1951 うれたきや
1952 この夜らのおほつかなきに霍公鳥鳴くなる声の音の遥けさ
1953 五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
1954 霍公鳥来居も鳴かぬか我が屋戸の花橘の土に散るも見む
1955 霍公鳥いとふ時なし菖蒲草かづらにせむ日こよ鳴き渡れ
1956 大和には鳴きてか来らむ霍公鳥汝が鳴くごとに亡き人思ほゆ
1957 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出山に
1958 橘の林を植ゑむ霍公鳥常に冬まで住みわたるがね
1959 雨晴れし雲にたぐひて霍公鳥
1960 物
1961 我が
1962 本つ人霍公鳥をやめづらしく今や汝が来る恋ひつつ居れば
1963 かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ
1964
1965 思ふ子が衣摺らむににほひこそ島の榛原秋立たずとも
花を詠める
1966 風に散る花橘を袖に受けて君がみ為と偲ひつるかも
1967 かぐはしき花橘を玉に貫きおこせむ妹は
1968 霍公鳥来鳴き響もす橘の花散る庭を見む人や誰
1969 我が屋戸の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも
1970 見渡せば向ひの野辺の撫子の散らまく惜しも雨な降りそね
1971
1972 野辺見れば撫子の花咲きにけり
1973 我妹子に
1974 春日野の藤は散りにき何をかも御狩の人の折りて
1975 時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しかるべみ
問答
1976 卯の花の咲き散る岡よ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや
1977 聞きつやと君が問はせる霍公鳥しぬぬに濡れてこよ鳴き渡る
譬喩歌
1978 橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも
夏の
鳥に寄す
1979 春さればすがるなす野の霍公鳥ほとほと妹に逢はず来にけり
1980 五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも
1981 霍公鳥来鳴く五月の短夜も独りし
1982 ひぐらしは時と鳴けども物恋ふる
草に寄す
1983 人言は夏野の草の繁くとも妹と
1984 この頃の恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひ
1985 真葛延ふ夏野の繁くかく恋ひば
1986
花に寄す
1987
1988 鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ
1989 卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ
1990
1991 霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる藤波見には君は来じとや
1992
1993 よそのみに見つつを恋ひむ紅の
露に寄す
1994 夏草の露分け衣
日に寄す
1995
秋の
1996 天の川水底さへにひかる舟泊てし舟人妹と見えきや
1997 久かたの天の
1998
1999 赤らびく
2000 天の川安の渡りに船浮けて
2001
2002
2003
2004 己が
2005
2006 彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ
2007 久かたの
2008 ぬば玉の夜霧
2009 汝が恋ふる妹の
2010
2011 天の川い向ひ立ちて恋ひむよは言だに告げむ妻寄すまでは
2012 白玉の
2013 天の川
2014
2015 我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜船榜ぎ響む楫の
2016 ま
2017 恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに
2018 天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける
2019 古よあげてし
2020 天の川夜船を榜ぎて明けぬとも逢はむと
2021 遠妻と手枕交はし寝たる夜は鶏が
2022 相見まく飽き足らねどもいなのめの明けゆきにけり舟出せむ妹
2023 さ寝そめていくだもあらねば白妙の帯乞ふべしや恋も尽きねば
2024 万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋ならなくに
2025 万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど
2026 白雲の
2027
2028 君に逢はず久しき時よ織る
2029 天の川楫の
2030 秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き
2031 よしゑやし
2032
2033 天の川安の川原に定まりて神の
右ノ三十八首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
2034
2035 年にありて今か巻くらむぬば玉の夜霧
2036
2037 年の恋今宵尽して明日よりは常のごとくや
2038 逢はなくは日長きものを天の川隔ててまたや
2039 恋しけく日長きものを逢ふべかる宵だに君が来まさざるらむ
2040 彦星と
2041 秋風の吹き漂はす白雲は織女の天つ
2042 しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬあひだ
2043 秋風の
2044 天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば
2045 君が舟今榜ぎ来らし天の川霧立ち渡るこの川の瀬に
2046 秋風に川波立ちぬしましくは
2047 天の川
2048 天の川
2049 天の川川門に居りて年月を恋ひ
2050 明日よりは
2051 天の原さしてや射ると白真弓引きて隠せる月人壮士
2052 この夕へ降りくる雨は彦星の早榜ぐ舟の櫂の散りかも
2053 天の川八十瀬
2054 風吹きて川波立ちぬ引船に渡りも来ませ夜の更けぬ間に
2055 天の川遠き渡りは無けれども君が舟出は年にこそ待て
2056 天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも
2057 月重ね
2058 年に装ふ
2059 天の川波は立つとも
2060 ただ今宵逢ひたる子らに
2061 天の川白波高し
2062
2063 天の川霧立ちのぼる
2064 古に織りてし
2065
2066 月日
2067 天の川渡り瀬深み船浮けて榜ぎ来る君が楫の
2068 天の原振りさけ見れば天の川霧立ち渡る君は
2069 天の川渡り瀬ごとに
2070 久かたの天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか
2071 天の川足濡れ渡り君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく
2072 渡り守舟渡せをと呼ぶ声の至らねばかも楫の音せぬ
2073 ま日長く川に向き立ちありし袖こよひ巻かれむと思ふがよさ
2074 天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へば
2075 人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づきゆくを
2076 天の川瀬を早みかもぬば玉の夜は更けにつつ逢はぬ彦星
2077 渡り守舟はや渡せ一年にふたたび通ふ君ならなくに
2078
2079 恋ふる日は日長きものを今宵だに乏しむべしや逢ふべきものを
2080
2081 天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ
2082 天の川川門
2083 秋風の吹きにし日より天の川河瀬に
2084 天の川
2085 天の川瀬々に白波高けども
2086 彦星の妻呼ぶ舟の引綱の絶えむと君を
2087 渡り守舟出して来む今宵のみ相見て後は逢はじものかも
2088
2089 天地の 初めの時よ 天の川 い向ひ居りて
一年に ふたたび逢はぬ 妻恋に 物思ふ人
天の川 安の川原の あり通ふ 年の渡りに
大船の
旗すすき
天の川 白波しぬぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて
若草の 妻を巻かむと 大船の 思ひ頼みて
榜ぎ来らむ その
思ひ来し 恋尽すらむ
反し歌
2090
2091 彦星の川瀬を渡るさ小舟の得行きて泊てむ川津し思ほゆ
2092 天地と 別れし時よ 久かたの 天つしるしと
定めてし 天の川原に あら玉の 月を重ねて
妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに
秋風の 吹きしかへれば 立ちて居る たどきを知らに
むら肝の 心いさよひ 解き衣の 思ひ乱れて
いつしかと
反し歌
2093 妹に逢ふ時片待つと久かたの天の川原に月ぞ経にける
花を詠める
2094 さ牡鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも
2095 夕されば野辺の秋萩うら若み露に枯れつつ秋待ち難し
右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
2096 真葛原靡く秋風吹くごとに
2097 雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね
2098 奥山に棲むちふ鹿の宵さらず妻問ふ萩の散らまく惜しも
2099 白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折らむ置きや枯らさむ
2100 秋田刈る
2101
2102 この夕へ秋風吹きぬ白露に争ふ萩の明日咲かむ見む
2103 秋風は涼しくなりぬ馬
2104 朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ
2105 春されば霞
2106
2107 ことさらに衣は摺らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ
2108 秋風は速く吹き来ぬ萩が花散らまく惜しみ競ひ立ち見む
2109 我が屋戸の萩の
2110 人皆は萩を秋と言ふよし
2111 玉づさの君が使の手折りけるこの秋萩は見れど飽かぬかも
2112 我が屋戸に咲ける秋萩常しあらば
2113 手もすまに植ゑしもしるく出で見れば屋戸の
2114 我が屋戸に植ゑ
2115 手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも
2116 白露に争ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね
2117 乙女らに
2118 朝霧の棚引く小野の萩が花今か散るらむいまだ飽かなくに
2119 恋しくは形見にせよと我が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
2120 秋萩に恋尽くさじと思へどもしゑや
2121 秋風は日に
2122 大夫の心は無しに秋萩の恋にのみやもなづみてありなむ
2123
2124 見まく欲り
2125 春日野の萩し散りなば
2126 秋萩は雁に逢はじと言へればか声を聞きては花に散りぬる
2127 秋さらば妹に見せむと植ゑし萩露霜負ひて散りにけるかも
雁を詠める
2128 秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ
2129
2130 我が屋戸に鳴きし雁がね雲のうへに今宵鳴くなり国へかも行く
2131 さ牡鹿の妻問ふ時に月をよみ雁が
2132 天雲のよそに雁が音聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は
2133 秋の田の
2134 葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなべに雁鳴き渡る
2135 押し照る難波堀江の葦辺には雁寝たるらし霜の降らくに
2136 秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし
2137
2138
2139 ぬば玉の夜渡る雁はおほほしく幾夜を経てか己が名を
2140 あら玉の年の経ゆけば
2141 この頃の秋の
2142 さ牡鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原
2143 君に恋ひうらぶれ居れば
2144 雁は来ぬ萩は散りぬとさ牡鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
2145 秋萩の恋も尽きねばさ牡鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ
2146 山近く家や居るべきさ牡鹿の声を聞きつつい寝かてぬかも
2147 山の
2148 あしひきの山より
2149
2150 秋萩の散りぬるを見ていふかしみ妻恋すらしさ牡鹿鳴くも
2151 山遠き
2152 秋萩の散りて過ぎなばさ牡鹿は侘び鳴きせむな見ねば乏しみ
2153 秋萩の咲きたる野辺はさ牡鹿ぞ露を分けつつ妻問しける
2154 など鹿の侘び鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ
2155 秋萩の咲きたる野辺にさ牡鹿は散らまく惜しみ鳴きぬるものを
2156 あしひきの山の
2157 夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
2158 秋風の寒く吹くなべ我が屋戸の浅茅が本に蟋蟀鳴くも
2159 蔭草の生ひたる屋戸の夕影に鳴く蟋蟀は聞けど飽かぬかも
2160 庭草にむら雨降りて蟋蟀の鳴く声聞けば秋づきにけり
2161 み吉野の磯もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ
2162 神奈備の山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
2163 草枕旅に物
2164 瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝宵ごとに
2165 上つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻
鳥を詠める
2166 妹が手を
2167 秋の野の尾花が末に鳴く百舌の声聞くらむか片待つ我妹
露を詠める
2168 秋萩に置ける白露朝な
2169 夕立の雨降るごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ
2170 秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも
2171 白露と秋の萩とは恋ひ乱り
2172 我が屋戸の尾花押しなべ置く露に
2173 白露を取らば
2174 秋田刈る
2175 この頃の秋風寒し萩が花散らす白露置きにけらしも
2176 秋田刈る
山を詠める
2177 春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも
2178 妻籠る矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも
2179 朝露ににほひそめたる秋山に時雨な降りそありわたるがね
右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
2180
2181 雁が音の寒き朝明の露ならし春日の山をもみたすものは
2182 このごろの
2183 雁がねは今は来鳴きぬ
2184 秋山をゆめ人懸くな忘れにしそのもみち葉の思ほゆらくに
2185 大坂を
2186 秋されば置く白露に我が門の浅茅が
2187 妹が袖巻向山の朝露ににほふ黄葉の散らまく惜しも
2188 もみち葉のにほひは繁し然れども妻梨の木を手折り挿頭さむ
2189 露霜の寒き夕への秋風にもみちにけりも妻梨の木は
2190 我が門の浅茅色づく
2191 雁が音を聞きつるなべに高圓の野の
2192 我が背子が白妙衣ゆき触ればにほひぬべくも
2193 秋風の日に
2194 雁がねの来鳴きしなべに
2195 雁がねの声聞くなべに明日よりは春日の山はもみちそめなむ
2196 しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひかねて色づきにけり
2197 いちしろく時雨の雨は降らなくに
2198 風吹けば黄葉散りつつすくなくも君松原の清からなくに
2199 物
2200 九月の白露負ひてあしひきの山のもみちむ見まくしもよけむ
2201 妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉散りつつ
2202 黄葉する時になるらし
2203 朝に異に霜は置くらし高圓の野山づかさの色づく見れば
2204 秋風の日に異に吹けば露しげみ萩が下葉は色づきにけり
2205 秋萩の下葉もみちぬ荒玉の月の経ぬれば風をいたみかも
2206
2207 我が屋戸の浅茅色づく吉隠の夏身の上に時雨降るらし
2208 雁がねの寒く鳴きしよ水茎の岡の葛葉は色づきにけり
2209 秋萩の下葉の黄葉花に継ぎ時過ぎゆかば後恋ひむかも
2210 明日香川もみち葉ながる葛城の山の木の葉は今し散るらし
2211 妹が紐解くと結ぶと龍田山今こそ黄葉はじめたりけれ
2212 雁がねの鳴きにし日より春日なる三笠の山は色づきにけり
2213 この頃の暁露に我が屋戸の秋の萩原色づきにけり
2214 夕されば雁が越えゆく龍田山しぐれに競ひ色づきにけり
2215 さ夜更けて時雨な降りそ秋萩の本葉の黄葉散らまく惜しも
2216 故郷の初もみち葉を手折り持ちて今日そ
2217 君が家のもみち葉早く散りにしは時雨の雨に濡れにけらしも
2218 一年にふたたび行かぬ秋山を心に飽かず過ぐしつるかも
2219 あしひきの山田作る子
2220 さ牡鹿の妻呼ぶ山の岡辺なる
2221 我が門に
河を詠める
2222 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の
月を詠める
2223 天の海に月の船浮け桂楫懸けて榜ぐ見ゆ月人壮士
2224 この夜らはさ夜更けぬらし雁が音の聞こゆる空よ月立ち渡る
2225 我が背子が挿頭の萩に置く露をさやかに見よと月は照るらし
2226 心なき秋の月夜の物
2227 思はぬにしぐれの雨は降りたれど天雲晴れて
2228 萩が花咲きのををりを見よとかも月夜の清き恋まさらくに
2229 白露を玉になしたる
風を詠める
2230 恋ひつつも稲葉かき分け家居れば乏しくもあらず秋の夕風
2231 萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなべに秋の風吹く
2232 秋山の木の葉もいまだもみちねば今朝吹く風は霜も置きぬべく
2233 高圓のこの峰も
雨を詠める
2234 一日には千重しくしくに
右ノ一首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
2235 秋田刈る旅の
2236 玉たすき懸けぬ時なき
2237 もみち葉を散らす時雨の降るなべに
霜を詠める
2238
秋の
相聞
2239 秋山のしたびが下に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ
2240
2241 秋の夜の霧立ちわたりおほほしく
2242 秋の野の尾花が
2243 秋山に霜降り覆ひ木の葉散り年は行くとも
右ノ五首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
2244 住吉の岸を田に墾り蒔きし稲
2245 太刀の
2246 秋の田の穂の
2247 秋の田の穂向きの寄れる片寄りに
2248 秋田刈る借廬を作り廬らしてあるらむ君を見むよしもがも
2249
2250 春霞たなびく田居に廬りして秋田刈るまで思はしむらく
2251 橘を守部の里の門田早稲刈る時過ぎぬ来じとすらしも
露に寄す
2252 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
2253 色
2254 秋萩の上に置きたる白露の
2255 我が屋戸の秋萩の
2256 秋の穂をしぬに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
2257 露霜に衣手濡れて今だにも妹がり行かな夜は更けぬとも
2258 秋萩の枝もとををに置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
2259 秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲ふ君が姿を
風に寄す
2260 我妹子は
2261 泊瀬風かく吹く夜半をいつまでか
雨に寄す
2262 秋萩を散らす
2263 九月のしぐれの雨の
蟋蟀に寄す
2310 蟋蟀の
2264 蟋蟀の待ち歓べる秋の夜を
2265 朝霞
雁に寄す
2266 出でて
鹿に寄す
2267 さ牡鹿の朝伏す小野の草若み隠ろひかねて人に知らゆな
2268 さ牡鹿の小野の
2269 この夜らの暁くだち鳴く
草に寄す
2311 旗すすき穂には咲き出ぬ恋を
2270 道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何か思はむ
花に寄す
2271 草深み蟋蟀すだき鳴く屋戸の萩見に君はいつか来まさむ
2272 秋づけば
2273 何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを
2274
2275 言に出でて云はば
2276 雁がねの初声聞きて咲き出たる屋戸の秋萩見に
2277 さ牡鹿の
2278 恋ふる日の
2279 我が里に今咲く花のをみなへし
2280 萩が花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも
2281 朝露に咲きすさびたる月草の日たくるなべに消ぬべく思ほゆ
2282 長き夜を君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花ならましを
2283 我妹子に逢坂山の旗すすき穂には咲き出ず恋ひ渡るかも
2284 いささめに今も見が欲し秋萩のしなひてあらむ妹が姿を
2285 秋萩の花野のすすき穂には出でず
2286 我が屋戸に咲きし秋萩散り過ぎて実になるまでに君に逢はぬかも
2287 我が屋戸の萩咲きにけり散らぬ間に早来て見ませ奈良の里人
2288
2289 藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて
2290 秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども
2291
2292
2293 咲きぬとも知らずしあらば
山に寄す
2294 秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ
黄葉に寄す
2295 我が屋戸の
2296 あしひきの山さな
2297 もみち葉の過ぎかてぬ子を人妻と見つつやあらむ恋しきものを
月に寄す
2298 君に恋ひ
2299 秋の夜の月かも君は雲隠りしましも見ねばここだ恋しき
2300 九月の有明の月夜ありつつも君が来まさば
夜に寄す
2301 よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ
2302
2303 秋の夜を長しと言へど積もりにし恋を尽せば短かりけり
衣に寄す
2304 秋つ
2305 旅にすら紐解くものを言繁み
2306 しぐれ降る
2307 もみち葉に置く白露の色にはも出でじと
2308 雨降れば
2309
冬の
雑歌
2312 我が袖に霰たばしる巻き隠し
2313 あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りけり
2314 巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が
2315 あしひきの
右ノ四首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。但シ
件ノ一首、或ル本ニ云ク、三方沙弥ガ作ナリト。
雪を詠める
2316 奈良山の嶺すら
2317 こと降らば袖さへ濡れて通るべく降りなむ雪の空に消につつ
2318 夜を寒み
2319 夕されば衣手寒く
2320 我が袖に降りつる雪も流れゆきて妹が手本にい行き触れぬか
2321 沫雪は今日はな降りそ白妙の衣手干さむ人もあらなくに
2322 はなはだも降らぬ雪ゆゑここだくも
2323 我が背子を今か今かと出で見れば沫雪降れり庭もほどろに
2324 あしひきの山に白きは我が屋戸に昨日の夕へ降りし雪かも
花を詠める
2325 誰が園の梅の花そも久かたの清き月夜にここだ散りくる
2326 梅の花まづ咲く枝を手折りてば
2327 誰が園の梅にかありけむここだくも咲きにけるかも見が欲るまでに
2328 来て見べき人もあらなくに
2329 雪寒み咲きには咲かず梅の花よしこの頃はさてもあるがね
露を詠める
2330 妹がため
黄葉を詠める
2331
月を詠める
2332 さ夜更けば出で来む月を高山の峰の白雲隠すらむかも
冬の
相聞
2333 降る雪の空に消ぬべく恋ふれども逢ふよしもなく月ぞ経にける
2334 沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの
右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
露に寄す
2335 咲き出たる梅の下枝に置く露の消ぬべく妹に恋ふるこの頃
霜に寄す
2336 はなはだも夜更けてな行き道の辺のゆ笹がうへに霜の降る夜を
雪に寄す
2337 笹が葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ
2338 霰降りいたく風吹き寒き夜や波多野に今宵
2339
2340 一目見し人に恋ふらく
2341 思ひ出づる時はすべなみ豊国の由布山雪の消ぬべく思ほゆ
2342
2343 我が背子が言うつくしみ出でてゆかば
2344 梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな
2345 天霧ひ降り来る雪の消なめども君に逢はむと永らへわたる
2346
2347
2348
花に寄す
2349 我が屋戸に咲きたる梅を月夜よみ宵々見せむ君をこそ待て
夜に寄す
2350 あしひきの