リチャード・ニクソンの第2回大統領就任演説
演説
編集副大統領[1]、下院議長[2]、最高裁判所長官[3]、クック上院議員、アイゼンハウアー夫人[4]、そしてこの偉大で良き国を共有する、我が同胞たる国民諸君よ。
4年前に我々がここに集った時、米国は精神的に荒廃しており、国外の果て無き戦争や国内の破滅的対立によって意気消沈していた。
今日ここに集った我々は、世界平和の新時代の出発点に立っている。
我々に突き付けられた中心的問題は、その平和を如何に活用するのかということである。これまでの戦後期はしばしば、国内では停滞を、海外では新たな危険を招いた、退却と孤立の時代であったが、我々が迎えようとしているこの時代はそうならないよう決心しよう。
新時代とは大きな責任が生ずる時代のことであり、建国から3世紀目を迎える米国の精神と前途とを新たにするよう決心しよう。
過去1年間に、平和に向けた我々の新政策は大きな成果を挙げた。伝統的友好関係の強化を続けることにより、そして北京やモスクワへの訪問により、我々は世界各国との関係の、新たな、そしてより永続的なあり方の礎を確立できた。米国の大胆な取り組みにより、1972年は世界の恒久平和に向けた、第二次世界大戦後最大の進歩の年として、長く記憶されることであろう。
我々が世界で探求している平和とは、単に戦争と戦争との間の薄弱な平和でなく、今後幾世代にも亙って続く平和である。
こうした平和を維持する上での米国の役割の必要性と限界、この双方を理解することが重要である。
我々米国民が平和の維持に努めない限り、平和などあり得ない。
我々米国民が自由の維持に努めない限り、自由などあり得ない。
だが、我々が過去4年間に採ってきた新たな政策の結果である、米国の役割の新たな性格について正しく理解しよう。
我々は、条約上の義務を尊重する。
我々は、如何なる国も武力を用いて、他国に己の意志を強制したり他国を支配したりする権利を持たないという原則を強く支持する。
我々は、この交渉の時代にあって、核兵器の規制に取り組み、大国間の対立の危険性を低減し続ける。
我々は、世界の平和と自由を守るという役割を果たす。だが、各国にも相応の役割を果たしてもらいたい。
米国が各国の紛争を我が事と考えたり、各国の将来を我が責任と考えたり、各国の統治のあり方に口を挟んだりする、そんな時代は過ぎ去った。
我々は、各国が己の将来を決める権利を尊重すると同時に、己の将来を確保する責任も各国にはあると考える。
世界平和の維持に米国の役割が不可欠であると同時に、各国の役割も自国の平和の維持に不可欠である。
他の世界と共に、取り組み始めたことから前進するよう決心しよう。永きに亙って世界を分断してきた敵意という壁を壊し、理解という橋を架けよう――政治体制が大きく異なっていようとも、世界の人民を友とすることができるように。
強者も弱者も等しく安全であり――互いが異なる体制の下で生きる権利を尊重し――武力ではなく知力によって他者に影響を及ぼすという、平和な体制を世界に築こう。
この大きな責任を重荷としてではなく、快く受け入れよう――何故なら、こうした平和を築く機会は国家が関わり得る至高の努力に他ならないからであり、己の責任を海外で立派に果たして始めて、我々は偉大な国家であり続けられるからであり、偉大な国家であり続けて初めて、我々は国内での試練に立派に対処できるからである。
今や我々には米国史上かつてないほどの、米国民の生活を改善する機会がある――教育、保健、住宅、運輸、環境の改善を確保し――法律への敬意を回復し、地域社会をより住みよくし、――そして米国民全ての天賦の権利たる、充分かつ平等な機会を保証する機会がある。
我々の必要とするものの範囲が非常に広く――かつ我々の機会の範囲も非常に広いのであるから――、新たな方法でこれらの必要を満たすために大胆な決意をしよう。
海外で平和な体制を築くには、失敗した古き政策との決別を必要とした。同様に、国内で進歩の新時代を築くには、失敗した古き政策との決別が必要である。
海外での古き政策から新たな政策への転換は、己の責任からの逃避でなく、平和へのより良き道であった。
そして国内でも、古い政策から新たな政策への転換は、己の責任からの逃避でなく、進歩へのより良き道となるであろう。
海外でも国内でも、新たな責任の鍵は責任の分散と分割にある。我々は永きに亙って、全ての権力と責任をワシントンに集中しようとした結果に甘んじてきた。
海外でも国内でも、父権主義――「ワシントンが一番よく知っている」――という恩着せがましい政策と決別すべき時が来た。
責任を負って初めて、人は責任ある行動をする。人間とはそういうものである。だから、国内の個人と海外の諸国に対し、もっと自身で行動し、自身で決定するように促そう。もっと責任を分散させよう。他者のために行動する際には、彼らが自身で何をするのかを見て判断しよう。
だから今日私は、あらゆる問題を政府が解決できると約束する気はない。我々は永きに亙って、偽りの約束に甘んじてきた。政府を信頼する余り、我々は政府にできること以上のものを要求してきた。これでは、過剰な期待、個々の努力の減退、そして失望と不満を生み、政府と国民の双方の能力に対する信頼が損なわれてしまう。
政府は国民から徴収するものを少なくし、国民がより自身の役に立てるようにせねばならない。
政府によってではなく人民によって――福祉によってではなく、労働によって――責任から逃れることによってでなく、責任を追い求めることによって、米国が築かれたことを思い出そう。
我々各自が、生活の中で問うようにしよう――「政府は私のために何をしてくれるのか」ではなく、「私は自分のために何ができるのか」と。
我々各自が、共に直面する試練の中で問うようにしよう――「政府は如何に助けてくれるのか」ではなく、「私は如何に助けることができるのか」と。
政府には、為すべき重大な役割がある。そして私は、政府が行動すべき局面では大胆に行動し、大胆に主導すると諸君に誓う。だが、我々各自が個人として、そして共同体の一員として為すべき役割も、同様に重要である。
本日以降、我々各自が胸中で厳粛な誓いを為そう。己の責任を負い、己の役割を果たし、己の理想に生きよう――そうすれば、米国の進歩の新時代の夜明けを共に見ることができ、そして建国200周年を祝うに際し、我々自身と世界への約束を遂行したことを共に誇ることができるのである。
米国の最も長く困難な戦争が終わると共に、我々の間の齟齬については、もう一度礼節を持って討議するようにしよう[5]。そして我々各自が、政府には提供できない貴重な質――互いの権利と心情に対する一層の崇敬、全国民が奉ずる生得権である個人の尊厳に対する一層の崇敬――を追求しよう。
何より、自身と米国とに対する我々の信頼を取り戻す時が来た。
近年、その信念は疑われてきた。
我が国の児童らは、祖国を恥じ、両親を恥じ、米国の国内での実績や世界での役割を恥じるよう教えられてきた。
我々は何かに付けて、米国は常に過ちを犯している、正しいことなどほとんどないと批判されてきた。だが私は、我々が生かされているこの特別な時代に対して、歴史はそのような審判を下さないと確信している。
今世紀の米国の実績は、その責任、寛大さ、創造力、そして進歩において、世界史上類のないものである。
我が国の体制が世界史上の如何なる体制よりも多くの自由と富を生じ、提供し、広く共有してきたことを誇りとしよう。
我々は今世紀中に4つの戦争[6]に関与し、うち1つを現在終結させつつあるが、我々が戦ったのは利己的な利害のためではなく、侵略に抵抗する他者を救うためであったことを誇りとしよう。
我々は大胆かつ斬新な取り組みによって、そして名誉ある平和を目指す意志によって、世界がこれまで知らなかったもの――単に当代のためだけでなく、来たるべき幾つもの世代のための、恒久平和の構造――を創造すべく前進してきたことを誇りとしよう。
今日ここに、我々は如何なる国も如何なる世代もこれまで経験したことのない、大きな試練の時代に乗り出そうとしている。
今後の歳月を如何に使うかについて、我々は神に、歴史に、そして己の良心に答える。
この由緒ある場所に立つ私は、かつてここに立った先人諸氏のことを思う。彼らが米国のために抱いた夢を思い、それらの夢を実現させるためには独力を越えた助けを必要とすると各々が認識していたことを思う。
本日諸君には、今後私が米国にとって正しい決断を下せるよう、神の助けを祈願して頂きたい。そして私も、我々が試練に対処できるよう、諸君の助けを祈願する。
今後の4年間を米国史上最高の4年間にすると共に誓おう。建国200周年の節目に米国が若くいられるように、そして全世界に対する希望の灯として明るくいられるように。
希望を信じ、互いを強く信頼し合い、我々を創造した神への信仰によって支えられ、神意に沿うよう常に努力しつつ、ここから前進しようではないか。
訳註
編集- ↑ スピロ・T・アグニュー(任1969年 - 1973年)。
- ↑ カール・B・アルバート(任1971年 - 1977年)。
- ↑ ウォーレン・E・バーガー(任1971年 - 1977年)。
- ↑ メアリー・G・D・アイゼンハウアー(1896年 - 1979年)。
- ↑ 「戦争」とはヴェトナム戦争を、「齟齬」とはヴェトナム戦争への関与の是非を巡って国論が二分されたことを指す。
- ↑ 第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争を指す。
- 底本
- Inaugural Address of Richard Milhous Nixon(イェール大学HP内)
- 訳者
- 初版投稿者(利用者:Lombroso)
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