バラク・オバマのノーベル賞受賞演説


演説 編集

国王[1]王妃[2]両陛下、王太子[3]王太子妃[4]両殿下、ノルウェーのノーベル委員会委員諸君、米国民諸君、そして世界の市民諸君よ。

私はこの栄誉を、深い感謝と大いなる謙虚さをもってお受けする。これは、我々の高い志――どんな蛮行や苦難が我々の世界にあろうとも、我々は単なる運命の虜囚ではないという志――を示す賞である。我々の行動には意味があり、歴史を正義の方向へと向けることができるのである。

しかし私は、諸君の寛大な決定が少なからぬ論争を惹起したことを認めざるを得ない[5]。1つには、世界という舞台における私の仕事が始まったばかりで、終わっていないという理由がある。この賞を受けた歴史上の巨人ら――シュヴァイツァー[6]キング[7]マーシャル[8]マンデラ[9]――と比べると、私の業績など微々たるものである。そして世界には、正義を求めて投獄され暴行される人々、(人民の)苦痛を緩和すべく人道組織で奮闘する人々、勇気と慈愛に満ちた静かな行動によって最も頑固な皮肉屋さえも動かす何百万もの無名の人々がいる。私は、これらの男女――名の知られた者もいるし、助けた相手以外には知られていない者もいるが――の方が私よりも遥かにこの名誉に相応しい、と考える人々に反論できない。

だが恐らくは、私の受賞を巡る最も深い問題は、私が2つの戦争の只中にある国家の軍最高司令官だという事実である。これらの戦争のうち、1つ[10]は終結しつつある。もう1つ[11]は米国が求めなかった紛争であり、我が国や全国家を更なる攻撃から防衛すべく、他の42ヶ国――ノルウェーを含む――が参加している。

我々は今なお戦時下にあり、私は何千もの若き米国民を遠地での戦闘に派遣している責任を負っている。殺す者もいれば、殺される者もいよう。故に私は、武力紛争の代償に対する切なる思いを抱き――戦争と平和との関係や、戦争を平和に置き換える努力に関する難題を抱えて――ここに来たのである。

さて、これらの問いは新しいものではない。戦争は、如何なる形にせよ、最初の人類と共に現れた。歴史の黎明期には、その道義性は問われなかった。それは旱魃疾病と同様、単なる事実に過ぎなかった――諸部族が、後には諸文明が権力を追求し相違を解決するための方法であった。

やがて、法体系による集団内での暴力の制御が図られ[12]哲学者聖職者政治家らは戦争の破壊力を規制しようとした。「正当な戦争」なる概念が生まれ、「最終手段として、または自衛のために遂行されるか」、「行使される武力は適正であるか」、「可能な限り文民が暴力から回避されているか」といった一定の条件が満たされた時にのみ、戦争は正当化できるとされた。

無論、歴史の大部分において、この「正当な戦争」という概念がほとんど守られなかったことはご承知の通りである。互いに殺し合う新たな方法を考え出す人類の能力は、外見の異なる人々や異なるを信ずる人々に情けをかけない能力と同様、尽きることがなかった。軍隊間の戦争は、国家間の戦争――戦闘員と文民との区別が不明瞭になる総力戦――に取って代わられた。30年の間に、斯様な殺戮[13]が2度もこの大陸を飲み込んだ。そして、第三帝国枢軸国の打倒という至上の大義があったとはいえ[14]第二次世界大戦は、死亡した文民の総数が戦死した兵士の数を上回った戦争だったのである。

斯様な破壊を契機に、そしての時代の到来によって、勝者にとっても敗者にとっても、これ以上の世界大戦を防止する制度が必要であることが明らかになった。そして、国際連盟――ウッドロウ・ウィルソン[15]はこの構想によってこの賞(=ノーベル平和賞)を受賞した訳だが――を合衆国上院が拒否してから四半世紀後、米国は平和維持の構造を構築するに際して世界を主導した。平和維持の構造とは即ち、マーシャル・プラン国際連合であり、戦争遂行を抑制する機構であり、人権を擁護し、大量虐殺を防止し、最も危険な兵器を制限するための諸条約などである。

多くの点で、これらの努力は成功した。確かに恐るべき戦争はあったし、蛮行も行われた。だが、第三次世界大戦は発生していない。歓喜に沸く群衆によって壁が破壊されたことにより、冷戦は終結した。商業は世界の大半を繋ぎ合わせた。数十億の人民が貧困から脱した。自由民族自決、平等、そして法の支配といった理想は、もたつきながらも前進した。我々は、先人らの精神力と先見性との継承者であり、これは我が国が真に誇れる遺産である。

しかし、新世紀に入って10年が経過し、この古き構造は新たな脅威の重みで崩れつつある。世界が2つの核超大国[16]間の戦争の可能性に震えることはもはやないかもしれないが、(核の)拡散は破滅の危険性を増大させ得る。テロリズムは長きに亙り戦術であり続けたが、現代技術は、憤激した少数者が恐るべき規模で無辜の民を殺害することを可能にした。 そればかりか、国家間の戦争は国家内の戦争に急速に取って代わられつつある。民族間・宗派間の紛争の復活、分離独立運動や反乱、破綻国家の増加――これらはいずれも文民を急速に終わりなき混乱へと陥れている。今日の戦争では、兵士より文民の方が多く殺害される。将来の紛争の種が蒔かれ、経済は破綻し、市民社会はずたずたに引き裂かれ、難民は増加し、児童は傷付いている。

私は本日、戦争を巡る諸問題に対する明確な解決策を用意していない。私が知っているのは、これらの課題に対処するには、数十年前に大胆に行動した人々と同様の、展望や勤勉性や忍耐を要するということである。同時にそれは、正当な戦争という観念と、正当な平和(の実現)という急務に関する新たな方策を、我々に求めるのである。

我々は、暴力的紛争を我々の存命中に根絶することはできないという、厳しい真実を認識することから始めねばならない。諸国が――単独行動か共同行動かを問わず――、武力行使が必要であるばかりか、道義的に正当化されると考える時もあろう。

私は、遥か以前にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがこの同じ式典で語ったことを心に留めつつ、この声明を為している。彼は語った。「暴力は決して恒久平和をもたらさない。それは何らの社会問題をも解決しない。それは単に新たな、より複雑な問題を生み出すのみである」と。キング牧師の畢生の仕事の直接的結果としてここに立っている私は、非暴力という道義的な力の生き証人である。私は承知している。ガンディーとキングの信条と人生には、弱いものも、消極的なものも、浅はかな[17]ものもないということを。

だが、自国を保護し擁護すると宣誓した[18]国家元首である私は、彼らの先例のみに倣う訳にはゆかない。私は現実の世界と対峙しており、米国民に対する脅威に直面しながら傍観する訳にはゆかない。何故ならば、誤解なきように言えば、世界には確かに悪が存在するのである。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アル・カーイダの指導者らに武器を放棄させられない。時として武力が必要だと語ることは、諦観ではない――それは過去を、即ち人間の不完全性や理性の限界を、認識することなのである。

私はこの点を提起し、この点から始めたい。何故ならば、如何なる理由であれ、多くの国々には今日、軍事行動に関する深い葛藤があるからである。時として、これは唯一の軍事的超大国たる米国への反射的な疑念を伴う。

だが、世界は思い出さねばならない。第二次大戦後の世界に安定をもたらしたのは、ひとり国際機関のみではない――単に条約や宣言だけではない――ということを。アメリカ合衆国は60年以上に亙り、自国民の血と軍事力とによって、全世界の安全を保障するのを助けてきた。我々が如何なる過ちも犯したとしても、これは明白な事実なのである。米兵の奉仕と犠牲は、ドイツから韓国に至るまでの平和と繁栄を促進し、バルカンのような地に民主主義が根付くのを可能にしてきた。我々がこうした重荷に耐えてきたのは、己の意思を強制したいが故ではない。賢明なる自己利益のために、そうしてきたのである――子孫のため、より良い未来を求めるが故であり、他国の子孫が自由と繁栄の中で生きられれば、彼ら(=我々の子孫)の暮らしもより良くなるであろうと信ずるが故である。

故に、戦争という手段は、平和を維持する上で役割を確かに有するのである。しかしこの真実は、また別の真実――如何に正当化されようとも、戦争は人類に悲劇を約束するという真実――を伴わざるを得ない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、国家や大義や戦友への献身を示している。だが、戦争自体は決して輝かしくはないし、我々は決してそのように持ち上げてはならないのである。

故に、我々の課題の1つは、一見相反するこれら2つの真実――戦争は時として必要であり、また戦争はある程度において人間の愚かさの発露であるという真実――を調和させることである。具体的には、かつてケネディ大統領が訴えた課題に努力を振り向けねばならない。彼は語った。「人の本性の急激な変革にではなく、人の(作る)諸制度の漸進的進化に基づいた、より実際的かつ実現可能な平和に焦点を当てようではないか」と。

人の(作る)諸制度の漸進的進化。[19]この進化とは如何なるものであろうか? その実際的手順とは何であろうか?

まず、私は全国家が――強きも弱きも同様に――武力行使を規定する基準を遵守せねばならないと信ずる。私は――他国の元首と同様に――、もし自国を防衛するために必要とあらば単独行動も辞さない[20]。しかしながら私は、基準を、国際的基準を遵守する国家は強くなり、遵守しない国家は孤立し衰弱すると確信している。

9.11以後、世界は米国の下に結集した。そして、かかる無分別な攻撃に対する憎悪や広く認識された自衛原則の故に、アフガニスタンにおける我々の取り組みを支援し続けている。同様に、サッダーム・フセインクウェートに侵攻した際、世界は彼と対峙する必要性を認識した――それは、侵略の代償に関する明確な伝言を万人に送る、(世界の)総意であった。

その上、米国は――実際には、如何なる国も――、己が規範に従うことを拒むならば、他国に対して規範に従うよう要求できない。何故ならば、規範を守らなければ我々の行動は独断的と映り、如何に正当化しようとも将来の介入の正当性を損なうからである。

このことは、軍事行動の目的が自衛または被侵略国の防衛(という範疇)を超えて拡大する際に、特に重要となる。自国政府による文民の殺戮を如何にして防止するか、地域全体を暴力と苦痛で覆う内戦を如何にして止めるかといった難問の増加という事態に、我々全員が直面している。

私は信ずる。バルカンや、戦争で傷付いた他の地においてそうであったように、人道的見地に基づく武力行使は正当化され得ると。怠慢は我々の良心を引き裂き、後々より費用の掛かる介入に繋がりかねない。だからこそ、全ての責任ある諸国は、明確な任務を与えられた軍隊が平和を維持するために果たすことができる役割を受け入れねばならない。

全世界の安全に対する米国の関与は揺るぎない。だが、脅威が更に拡散し、任務が更に複雑化した世界にあっては、米国は単独では行動できない。それはアフガニスタンにおいても真実である。テロリズムと海賊行為ばかりか飢餓や人民の苦難まで加わった、ソマリアのような破綻国家においても真実である。悲しいことであるが、不安定な地域においては今後も真実であり続けるであろう。

NATO加盟国の指導者らと兵士ら、そしてその他の友好国と同盟国は、アフガニスタンで見せた能力と勇気を通じて、この真実を実証した。だが多くの諸国で、従軍する人々の努力と、一般市民の相反する感情との間に断絶がある。何故戦争が好まれないのかは承知している。だが私は、平和が望ましいとの信条だけで平和を達成できることは稀だということをも知っている。平和は責任を要求する。平和は犠牲を伴う。だからこそ、NATOは今後も不可欠なのである。だからこそ、我々は国連と地域的平和維持とを強化せねばならないし、その任務を一握りの国に任せきりにしてはならないのである。だからこそ我々は、オスロローマへ、オタワシドニーへ、ダッカキガリへと、国外での平和維持や訓練から帰還した者を讃えるのである――戦争を起こす者としてではなく、平和を請け負う者として讃えるのである。

武力行使について、最後に1点言っておきたい。開戦という困難な決断を下す時ですら、我々は如何に戦うかについて明確な考えを持たねばならない。ノーベル委員会はこの真実を認識していたが故に、アンリ・デュナン[21]――赤十字の創設者でジュネーヴ条約 (の制定)の原動力――に最初の平和賞を授与したのである。

武力が必要な地では、我々は一定の行動規範に従うことに倫理的・戦略的利益を見出す。規範を遵守しない悪意ある敵と対峙する時ですら、アメリカ合衆国は戦争遂行における(規範遵守の)旗手であり続けねばならないと信ずる。これこそ、我々と敵対者との違いである。これこそ、我々の力の源である。だからこそ私は、拷問を禁じた。だからこそ私は、グアンタナモ湾収容所の閉鎖を命じた。そして、だからこそ私は、ジュネーヴ諸条約を遵守するという米国の約束を再確認したのである。そうした理想そのものについて妥協すれば、我々は己を見失うことになるのであり、我々は理想を守るために戦うのである。そして、容易な時ではなく困難な時にこそ、我々はそれらを支持することによって、理想を讃えるのである[22]

我々が戦争の遂行を選択する際に心に重くのしかかる問題について、私は詳述してきた。だが、斯様な悲劇的選択を避けるための我々の努力へと話題を変えて、正当かつ恒久的な平和を築く3つの方法について話すとしよう。

第1に、規範や法を破る諸国に対処するに際しては、態度を改めさせるに充分なほど強力な、暴力以外の選択肢を生み出さねばならないと私は信ずる――何故ならば、もしも恒久平和を欲するのならば、国際社会の言葉は、何らかの意味を持たねばならないからである。規範を破る政治体制は責めを負わねばならない。制裁は、実質的な代償を強いるものでなければならない。強硬姿勢には更なる圧力で応じねばならない――そして斯様な圧力は、世界が1つに結束した時にのみ存在するのである。

1つの緊急の例は、核兵器の拡散を防止し、これらのない世界を求める取り組みである。前世紀中葉、各国はある条約に従うことに同意した。その内容は明確である。即ち、全ての国は原子力を平和利用でき、核兵器を持たざる国は取得を断念し、核兵器を持つ国は軍縮へと向かうというものである。私はこの条約を熱心に支持している。それは私の外交政策の中核である。そして私は、米国及びロシア核弾頭数を削減すべく、メドヴェージェフ大統領と協力しているのである。

だが、イラン北朝鮮のような諸国がこの体制を悪用せぬよう求めることも、我々全ての義務である。国際法を尊重すると主張する国家は、これら諸法が蔑ろにされた際には目を背ける訳にはゆかない。自国の安全を気に掛ける国家は、中東東アジアにおける軍拡競争の危険性を無視する訳にはゆかない。平和を求める国家は、核戦争に備えて諸国が武装するのを傍観する訳にはゆかない。

同様の原則は、国際法に反して自国民を虐待する者にも当てはまる。ダルフールでの殺戮、コンゴでの組織的強姦ビルマ[23]での抑圧――これらには、報いがなければならない。無論、関与も為されるであろうし、外交努力も為されるであろう――だが、それらが失敗した際には報いがなければならない。そして我々が結束を強めれば、軍事介入をするか、それとも(ただ傍観して)弾圧の共犯となるかという選択に直面する可能性は減るであろう。

このことは第2の点――我々が求める平和の本質――へと結び付く。何故ならば、平和とは単に目に見える紛争が存在しないということではないからである。あらゆる個人が生来有する権利と尊厳とに基づく正当な平和のみが、真に持続し得るのである。

第二次世界大戦後に世界人権宣言の起草者らを後押ししたのは、この洞察であった。荒廃の中、彼らは悟った。人権が保護されねば、平和など空約束に過ぎないのだと。

しかし、これらの言葉は余りにも頻繁に無視されている。「人権は西洋的原理であり、地域の文化や国家の発展段階にとって異質である」などという誤った考えを口実にして、人権を擁護しない国もある。そして米国内では、現実主義者と自称する者と、理想主義者と自称する者との間での緊張――狭き国益の追求か、我々の価値観を世界中で強制する終わりなき運動か、という不毛な選択を示唆する緊張――が長く続いてきた。

私はこうした選択を拒絶する。自由に話したり、市民が思い思いに礼拝したり、指導者を選んだり、恐怖を抱くことなく集会を開いたりする権利が否定されている地では、平和は安定しないと信ずる。鬱積した不満は燻り、部族的・宗教アイデンティティの抑圧は暴力に繋がりかねない。我々は、逆もまた真実であることを知っている。欧州は自由になって初めて平和を見出した。米国は民主主義に対する戦争を決してしたことがないし、我々の親友は市民の権利を守る政府である。如何に冷淡な捉え方をしようとも、人類の熱望の否定は米国の利益には――そして世界の利益にも――ならないのである。

故に米国は、種々の諸国の独自の文化と伝統を尊重しつつも、常にそうした普遍的な熱望のために声をあげる。我々は、アウンサンスーチー[24]のような改革者の、静かなる威厳の証人となる。暴力に晒されつつも票を投じるジンバブエ国民の勇気の証人となる。イランの街頭を静かに行進した数十万人民の証人となる。このことは教えてくれる。これら政府の指導者は、他の如何なる国家の力よりも自国民の熱望を恐れるのだと。そして、我々がこれらの運動――希望と歴史の運動――の味方であることを明らかにするのは、全ての自由国民と自由諸国の責任なのである。

更に言いたい。人権の促進は、熱心に説くだけでは得られない。時には、困難な外交を伴わねばならない。抑圧的な政治体制に関与すれば、純粋な怒りを保てなくなることは承知している[25]。だが、救済なき制裁――議論なき非難――は、厳しい現状を引き摺るだけになりかねないということも承知している。如何なる抑圧的な政治体制も、開かれた扉という選択肢がなければ、新たな道を進むことはできない。

文化大革命の恐怖を思えば、ニクソン毛沢東と面会したことは許し難いことのように見える――しかしこのことが中国をして、何百万もの人民を貧困から解放せしめ、開かれた社会との繋がりを持たしめる上で、助けになったのは確かである。教皇ヨハネ・パウロ2世ポーランドへの関与は、カトリック教会に対してのみならず、レフ・ヴァウェンサのような労働指導者に対しても(活動の)場を作った。ロナルド・レーガンの軍縮やペレストロイカ歓迎に対する取り組みは、ソ連との関係を改善したのみならず、全東欧の反体制派に力を与えた。そこには単純な公式などない。だが我々は、孤立と関与、圧力と報奨を均衡させるよう最善を尽くさねばならない。そうすれば、やがては人権と尊厳は進展するのである。

第3に、正当な平和は、公民権や政治的権利のみならず、経済的な安全と機会をも含まねばならない。何故ならば、真の平和は単なる恐怖からの自由であるのみならず、窮乏からの自由でもあるからである。

安全なくして発展が根付くことは稀である。これは疑う余地のない真実である。また、生存するために必要な、充分な食料や清浄な医薬品住居が得られないところに安全が存在しないのも真実である。適正な教育や家族を養える仕事を児童が望めないところにも安全は存在しない。希望の欠如は、社会を内部から腐らせかねない。

だから、国民に食糧を供給する農家――あるいは、児童を教育し、病人を療す諸国――を支援することは、単なる慈善事業ではない。また、だからこそ世界は共に気候変動に対峙せねばならないのである。もしも我々が何もしないのならば、一層の旱魃や飢饉や大移動(=難民の大量発生)――今後何十年にも亙る一層の紛争の火種となるような――に直面することになろう。そのことには、科学的論争はほとんどない。故に、迅速かつ強力な行動を訴えているのは、科学者や環境運動家だけではない――我が国や他国の軍の指導者も、共通の安全が危殆に瀕していることを理解している。

国家間の合意。強い制度。人権の擁護。開発への投資。これらは全て、ケネディ大統領の言う進化をもたらす上での、重要な要素である。しかし、我々がこの仕事を完遂するための意志や決断力や持久力を持つには、まだ足りないものがあると思う――それは、我々の倫理的想像力の持続的拡大であり、また、減ずることのできない何かを我々全員が共有しているとの強い主張である。

世界が縮小するにつれて、諸君は思うかもしれない。我々が如何に似通っているのかということや、我々は皆基本的に同じものを求めているということ、己と家族にとってのある程度の幸福感と満足感をもって生きる機会を皆が望んでいることを、人類は認識しやすくなるだろうと。

だが、目まぐるしい速さでのグローバル化や、現代という文化的平準化が進んでいることを思えば、人々が、己の奉ずる特有のアイデンティティ――己の人種、部族、そして特に宗教――の喪失を恐れることは、驚くに当たらない。中には、こうした恐怖が紛争に繋がった地もある。時には、我々は(時代に)逆行しているのではと感じることすらある。それは、中東においては、アラブ人ユダヤ人との間の、激化する紛争として見られる。部族の境界によって分断されている諸国においても見られる。

そして最も危険なことに、イスラームという偉大な宗教を歪曲し、冒瀆してきた者たち、そしてアフガニスタンから我が国を攻撃した者たちによる、無辜の民の殺害を正当化するために、宗教が使われるという手口にもそれが見られる。こうした過激派らは、神の名の下に殺人を犯した最初の人間ではない。十字軍の蛮行の数々は詳細に記録されている。だがそれら[26]は、如何なる聖戦も正当な戦争たり得ないということを思い出させてくれる。何故ならば、もしも神意を実行していると本当に信じているならば、自制の必要――妊婦や医療従事者や赤十字社の職員、更には己と同じ信仰を持つ者を容赦する必要――などないからである。斯様な歪んだ宗教観は、単に平和という概念と矛盾するのみならず、信仰の目的そのものとも矛盾すると私は信ずる。何故ならば、あらゆる主要宗教の中核にある法則はただ1つ、他人からして欲しいことを他人に対してもせよということだからである。

この愛の法則に従おうとすることは、常に人間の本質に関わる苦闘の中核であり続けた。何故ならば、我々は過ちを犯しやすいからである。我々は失敗もするし、自尊心や権力の、そして時には悪の誘惑に屈する。如何に善意に満ちた人々であっても、眼前の不正を正せないことはある。

だが、人間の本質が完全無欠であると考えずとも、人間の置かれた状況を完全無欠なものにし得ると信ずることはできる。理想化された世界に住まずとも、世界をより良き地にするとの理想に近づくことはできる。ガンディーやキング牧師のような人々によって為された非暴力は、如何なる境遇にあっても現実的で可能なことという訳にはゆかなかったかもしれない。だが、彼らが説いた愛――人間の進化に対する彼らの根本的信念――これこそ常に、旅する我々を導く北極星たるべきなのである。

何故ならば、もしも我々がこの信念を失えば――もしも我々がそれを愚かで浅はかなものとして退け、戦争と平和の問題について下す決断から切り離すならば――、その時我々は、人間性に関する最良の部分を失い、可能性の意識を失い、倫理的指針を失うからである。

幾世代もの先人と同様に、我々は斯様な未来を拒絶せねばならない。随分前、キング牧師はこの機会に(=ノーベル平和賞授賞式で)次のように語った。「私は歴史の曖昧さに対する最終的回答として絶望を受け入れることを拒絶する。人間の現在の状態である『今ある姿』は、人間の前に永久に立ちはだかる永遠の『あるべき姿』に至ることを倫理的に不可能にしているとの考えを受け入れることを拒絶する」。

あるべき世界へと――今なお我々各自の魂を揺さぶる、あの神の輝きへと――至ろうではないか。

現実の世界では、今日もどこかで、劣勢にあっても断固として平和を守る兵士がいる。この世界では、今日もどこかで、政府の残忍さに対して勇気を持って抗議の行進をする、若き女性がいる。今日もどこかで、貧困に喘ぎつつも我が子に教える時間を作り、僅かな小銭を掻き集めてその子を学校に行かせる母親がいる――残酷な世界にも、その子が夢見る余地はあると信じているが故に。

彼らを範として生きようではないか。抑圧は常に存在するのだと認めつつも、正義を追求することはできる。手に負えない腐敗を認識しつつも、尊厳を追求することはできる。曇りなき目で見れば、今後も戦争は起こるであろうことは理解できるが、それでも平和を追求することはできる。 我々にはそれが可能である――何故ならば、それこそが人間の進歩の物語だからである。それこそが全世界の希望である。それこそが、この試練の時に我々が地上で為すべき仕事なのである。

どうもありがとう。

訳註 編集

  1. ハーラル5世(1937年 - 、在位1991年 - )。
  2. ソニア(1937年 - )。
  3. ホーコン(1973年 - )。
  4. メッテ=マリット(1973年 - )。
  5. 原文は「And yet I would be remiss if I did not acknowledge the considerable controversy that your generous decision has generated」。逐語訳をするならば、「しかし、諸君の寛大な決定が惹起したかなりの論争をもしも私が認識しないのならば、私は怠慢ということになるであろう」。
  6. アルベルト・シュヴァイツァー(1875年 - 1965年)は、1952年のノーベル平和賞受賞者。
  7. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929年 - 1968年)は、1964年のノーベル平和賞受賞者。
  8. ジョージ・キャトレット・マーシャル(1880年 - 1959年)は、1953年のノーベル平和賞受賞者。
  9. ネルソン・マンデラ(1918年 - )は、1993年のノーベル平和賞受賞者。
  10. イラク戦争を指す。
  11. アフガニスタン紛争を指す。
  12. 原文は「as codes of law sought to control violence within groups」。逐語訳をするならば、「法体系が集団内での暴力を制御しようとするのと同様に」。
  13. 2度の世界大戦を指す。第一次世界大戦は1914年に、また第二次世界大戦は1939年に発生した。
  14. 原文は「while it's hard to conceive of a cause more just than the defeat of the Third Reich and the Axis powers」。逐語訳をするならば、「第三帝国と枢軸国の打倒よりも正当な大義は考え難いとはいえ」。
  15. トマス・ウッドロウ・ウィルソン(1856年 - 1924年)は、1919年のノーベル平和賞受賞者。
  16. 米国とソヴィエト連邦(現ロシア)を指す。
  17. 原文は「naive」。日本では「ナイーブ」を「繊細な」「多感な」などの意味で用いる例が多いが、ここでいう「naive」は「うぶな」「能天気な」「考えの甘い」「世間知らずな」といった意味である。
  18. アメリカ合衆国憲法第2条第1節第8項は、大統領は就任に際して「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行すると共に、合衆国憲法を維持し、保護し、擁護するよう全力を尽くすことを厳粛に誓う(または確約する) (I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States)」と宣誓または確約せねばならないと規定している。
  19. この部分は、原文では前段落の末尾に記述されていたが、邦訳文に置き換えた場合は据わりが悪いと考え、訳者の独断で次段落に移動した。
  20. 原文は「reserve the right to act unilaterally」。逐語訳をするならば、「一方的に行動する権利を留保する」。
  21. ジャン・アンリ・デュナン(1828年 – 1910年)は、1901年のノーベル平和賞受賞者。
  22. 原文は「we honor those ideals by upholding them」。共同通信社は「ジュネーブ条約を守ることでこうした理念に対し敬意を払おう」、朝日新聞社は「我々は理想を守り、敬意を払うのだ」と訳しており、「them(それら)」の指す内容がそれぞれ異なる。ただし「ジュネーヴ条約」を、「理想」を実現する手段としてではなく「理想」そのものと解釈すれば、両者は並列の関係となり、共同通信社と朝日新聞社の訳の間にも特段の違いはないことになる。
  23. クーデターにより成立したビルマ軍事政権は1989年、国号の英語表記を「Union of Burma(ユニオン・オヴ・バーマ)」から「Union of Myanmar」に改めることを宣言した。これに伴い、日本は日本語表記を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」に改めたが、米国政府は「Union of Burma」の呼称を使用し続けている。
  24. アウンサンスーチー(1945年 - )は、1991年のノーベル平和賞受賞者。
  25. 原文は「I know that engagement with repressive regimes lacks the satisfying purity of indignation」。逐語訳をするならば、「私は、抑圧的な体制への関与が憤怒の確かな純粋性を欠くことを承知している」。
  26. 原文は「they」。共同通信社は「こうした者たち」と、朝日新聞社は「これら」と訳している。「they」を人と捉えるか、人の為した行いと捉えるかによって、訳に違いが生じている。

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