ハリー・S・トルーマンの第4回一般教書演説
演説
編集連邦の現状が良好であることをこの第81議会に報告できることは幸甚である。我が国は以前にも増して、米国民の必要を満たし、彼らに幸福追求の公平な機会を与えることができる。この偉大なる共和国は、世界の国々の間でも最も平和を追求してきた。
米国民は過去16年間に亙り、福祉を享受する新たな機会をあらゆる者に提供する社会を築いてきた。
こうした社会において、我々は己が奉ずる価値と原則に対して保守的である。だが我々は、価値と原則を保護し、それらの利益を拡大する上では前向きである。我々は、国家の富が一握りの特権階級の手にあらねばならないという、誤った理論を拒絶した。我々は、国家の繁栄に関する「トリクルダウン」[3]の概念を放棄した。むしろ我々は、米国の経済体制が民主主義という基盤に立脚し、富は万人のために生み出されるべきであると信ずる。
最近の選挙は、米国民がこうした社会に賛同し、かつ今後も改善を続けたいと考えていることを示している。
米国民は、貧困というものが予防可能な病と同様に、無駄にして不要なものであると判断してきた。我々は国家の共有資源を、個々人の生活が危険と苦難に晒された際に互いを助けるために用いてきた。我々は、不公平な偏見や人為的な差別が、享受し得る教育、健康、職業から如何なる米国民をも締め出すようなことがあってはならないと信ずる。
こうした社会を実現するには、あらゆる市民があらゆる分野で最善の努力をせねばならないのであり、このことは政府に更なる責任を負わせている。
我が国の経済を全速力で走らせ続けるためには、政府は産業、労働、及び農民と協力せねばならない。政府は、増加する国富の正当な分け前を得る機会を、米国民全てに与えねばならない。これらの責任は、相互に関係している。
国内の工業製品や農作物の公平な分配の機会と広汎な消費がなければ、我々は繁栄を維持できない。
政府は、これらの責任の履行に着手した。
我々は、高速道路、水力発電事業、土壌保全、及び土地開発への大規模な公共投資をする。我々は、社会保障制度を確立した。我々は、労働者の権利と福祉、及び農民の所得を保護する法律を制定した。これらの連邦政策は何倍もの成果を挙げた。これらは、我が国の民主主義的理想の物質的基盤を強化した。これらなくしては、現在の我が国の繁栄はあり得なかったであろう。
これらの政策により、我が国の民間企業は新たな生産水準に達した。1929年という好況の年以来、我が国の人口が20%の増加に留まったのに対し、農業生産は45%増加し、工業生産は75%増加した。我々はこれまでを遥かに超える、労働者1人当たりの商品と富を産み出している。
こうした進歩は、米国資本主義の失墜を予測した国内外の陰気な予言者らを狼狽させた。米国民は、己の道を歩み、己の力に自信を持ち、世界史上空前の繁栄を成し遂げたのである。
だが、如何に偉大な進歩を遂げようとも、我々は未だ長旅の途上にある。
国中を見渡せば、多くの欠点が浮き彫りになっているのが目に付く。
我が国は、極度の物価高に苦しんでいる。
我が国の生産は、未だ需要を充分に満たせるほど大規模ではない。
我が国の最低賃金は、余りにも低過ぎる。
我が国の農家は、今も不確実な将来に直面している。しかも、現代文明の恩恵を受けていない農家が余りにも多い。
我が国の天然資源の一部は、今も浪費されている。
我が国では、電力を開発する手段が豊富にあるにも拘らず、電力が著しく不足している。
500万の家族が、今もスラムや、火災に弱い建物に居住している。300万の家族が、他の家族と同居している。
我々の健康は、医学の進歩に大きく遅れを取っている。適切な治療は高額に過ぎるため、大多数の国民には手が届かない。
我が国の学校は、多くの地域において、まるで不充分である。
我が国の民主主義の理想は、偏見と狭量によって幾度も妨害されている。
これらの欠点の各々は、機会――議会と大統領が人民のために働く機会――でもある。
我が国の最初の大きな機会は、自国経済を「俄か景気と不況」という悪から守ることである。
この目的は、ひとり政府だけでは実現できない。実際、この任務の大部分は、我が国の自由企業体制下における個々人の努力によって遂行されねばならない。自由企業と自由政府がそのために協力して始めて、我々は現在の繁栄を維持し、また増進できるのである。
我々は、戦後の好景気が崩壊するまで、絶えずそれにすがる訳にはゆかない。不景気が到来すれば、単に不況を乗り切る準備をするだけでは不充分である。むしろ、政府と企業は更なる仕事と更なる生産を実現すべく、絶えず協力せねばならない――それは全国民にとって、更なる繁栄を意味するのである。
景気循環は人の為せる業である。善意ある人民が協力すれば、これを除去できる。
企業に関する限り――常に生産を増やし、価格を下げ、独占と規制という陋習を避けるよう努めることにより――着実で活発な拡大の計画を立てねばならない。企業がこれを実行すれば、持続的繁栄をもたらし、政府の援助と奨励を受けるであろう。
1946年雇用法は、最大限の雇用、生産、購買力を促進するためのあらゆる手段を政府が講ずることを保証している。このことは、景気後退の危険性やインフレーションの悪から企業と国民を保護すると政府が堅く約束したことを意味する。また、変動する状況に対処する計画や政策を政府が適応させねばならないことを意味する。
目下のところ、我が国の繁栄は、国内経済の重要局面の数々においてインフレ圧力に脅かされている。こうした危機的状況にあって、政府は効果的措置を講ずる立場になければならない。そのために、私は以下の目的に沿った法律を制定するよう議会に勧告する。
第1に、消費者信用貸付を統制する権限を継続すること、及び銀行信用貸付を統制する権限を拡大すること。
第2に、商品の取引に関する投機を取り締まる権限を付与すること。
第3に、輸出規制の権限を継続すること、及びこれを実施するための適切な機構を設置すること。
第4に、輸送分野における優先権と配分とに関する権限を継続すること。
第5に、供給不足にある重要物資のための優先権と配分とに関する権限を付与すること。
第6に、家賃統制を延長・強化すること。
第7に、重要工業生産や生活費に根本的に影響を及ぼす不足物資の上限価格を設定する緊急権限を与えること。設定された上限価格を破綻させるような、不当な賃金調整を制限する権限を与えること。
第8に、極度の供給不足にある物資、例えば鋼鉄などに関して、生産設備の適切性を直ちに検討する権限を付与すること。必要とあらばこうした供給不足を緩和すべく、生産設備拡張のための政府融資の権限を付与すること。そして民間産業が自ら生産設備を拡張できない場合は[4]、こうした施設を直接建設する権限を付与すること。
私は近く議会に提出する経済報告にて、これらの勧告の経済的背景を詳細に論じる所存である。
繁栄を維持する上で最も重要な要件の1つは、政府の財政政策である。現時点では、連邦予算の均衡を保持するのみならず、相当額の余剰を生み出し、もってインフレ圧力を減ずると共に、現在2520億ドルである国債の大幅削減を許すことが重要である。故に私は、歳入を40億ドル増やすための新たな税法を制定するよう議会に勧告する。これは、主に追加的法人税から生ずるべきである。一部は、修正された固定資産税と贈与税から生ずるべきである。中流層及び上流層の個人所得税率引き上げが考慮されるべきである。
自国経済を高速回転させ続けたいのならば、我々はあらゆる組織が国家の繁栄への貢献を願っていると信じねばならない。現在、我が国の労働者は、己の権利を制限し、己の建設的努力を減じ、我が国の自由な団体交渉制度を妨げる法律によって、不当に差別されている。その法律とは、1947年労使関係法、通称タフト=ハートリー法である。
同法は廃止されねばならない!
ワグナー法は再び制定されねばならない。ただし、2年前に私が議会に勧告したような、一部の修正が必要である。管轄権争議や不法な第2次ボイコットは禁止されねばならない。現協定の解釈を巡る問題を解決するための経済力公使は、阻止されねばならない。我が国の民主主義の自由を危険に晒すことなく、公益に関わる重要産業でのストライキを防止する手段が講じられねばならない。
労働省は改組され、強化され、同省に属すべき部門は同省内に配置されねばならない。
我が国の経済の健全性と更なる高水準を維持するためには、法定最低賃金は少なくとも1時間当たり75セントにまで引き上げられねばならない。
我が国の自由企業経済が強く健全であるためには、競争力を回復させねばならない。我々は、成長や繁栄の自由と機会を中小企業に保証せねばならない。そのためには、我々は独占的な合併統合を許すような抜け穴を塞ぎ、もって反トラスト法を強化せねばならない。
我が国の農場計画は改善されねばならない――農民のためだけではなく、全国民の長期的繁栄のために。我々の目標は、大量の農業生産及び同等の農業所得たらねばならない。農家の生活水準は、国内における他の如何なる業種とも同等に良くなければならない。
農産物価格の下支えは、これらの目標を達成する計画の重要な部分である。価格維持は、農産物価格が下落して一般的物価水準と乖離するのを防ぎ、消費者需要と生産との調整を容易ならしめ、土地の有効利用を促進するのに用いられねばならない。農産物価格支持法は、これらの目的に適っていなければならない。農産物の充分な貯蔵施設を提供するためには、商品金融公社の権限が回復されねばならない。
農場繁栄のための計画は、農産物の国内市場(特に低所得層向けの)を拡大すると同時に、外国市場の増大・安定を図らねばならない。
我々は、近代的な便益や施設を農場にまで広げるよう特別な配慮をせねばならない。農村の電化が推進されねばならない。そして、住宅、教育、健康、及び社会保障に関する立法を検討するに当たっては、農村問題に特別な配慮がなされねばならない。
我が国の人口増大と経済拡大は、土地、河川、森林及び鉱物資源の賢明な管理に懸かっている。現在の力強い経済を維持するには、資源を死蔵させるのではなく開発・改善する必要がある。今日、将来の進歩の下支えに必要な投資を怠れば、経済停滞を招くであろう。
我々は、電力、灌漑、航行、及び治水のための河川開発を推進せねばならない。我々は、テネシー川流域での経験[5]の教訓を他の大河流域に適用せねばならない。
私は、セイント・ローレンス川の航行及び電力計画を議会が承認するよう改めて勧告する。これを勧告するのは、かれこれ5度目になるであろうか。
我々は、海底に眠る石油資源を計画的に利用せねばならない。この資源は連邦政府のものである――今後も同様でなければならない。我々は、土地保全計画を拡張せねばならない。我々は自国の森林を収量維持の原則に位置付けると共に、重要鉱物の新たな産地の開発を奨励せねばならない。
これら全てにおいて、我々はこれらの公共事業の恩恵を国民が直接享受できるようにせねばならない。公共の電力は、可能な限り廉価で電気を消費地域へ提供する必要があるならば、公共の電線で送られねばならない。灌漑用水は、土地投機家にでなく農家に貢献せねばならない。
政府には更に他の機会――国民の生活水準を引き上げるための――を捉えている。これらの機会は、社会保障、保健、教育、住宅、及び公民権の分野にある。
現在の社会保障法の補償範囲は、全く不充分である。給付額は余りにも低い。労働者の3分の1は保護されない。老齢年金や遺族年金を受給する者の平均的受給額は、1ヵ月当たり25ドルに過ぎない。身体障害の故に就労できない他の多くの者は、慈善事業の恩恵にすがるほかない。失業、老齢、病気、及び障害による経済的苦境に対処するため、給付規模と保障範囲の両面で、社会保障計画を拡大せねばならない。
我々は、この国における健康の全体的水準を引き上げる努力を怠ってはならない。我が国ほどの豊かな国で、満足な治療を受けられない者が幾千万人もいることは、衝撃的な事実である。我が国には、医師、病院、看護師が不足している。我々は、これらの不足を是正せねばならない。もっと言えば、あらゆる米国民に良好な医療を提供できるような前払いの医療保険制度が必要である――しかも、これ以上遅れることなくである。
数百万もの児童が適切な教育を受けていないことも、衝撃的である。数百万の児童が、古い建物に寿司詰めにされている。教師の給料が安過ぎて、新たに教師を雇用することも、教師の離職を食い止めることもできないがために、教師が不足している。今後数年間で小学校への入学者数が大幅に増加するため、これらの学校問題はますます深刻化するであろう。私は、各州の学校組織を運営し維持するために、各州への迅速な連邦財政援助を強く要望する。
現在健康・教育・社会保障計画を管轄している政府機関には、省と同等の地位を与えねばならない。
住宅不足は、依然として深刻である。緊急措置として、議会は私が繰り返し勧告してきた施策、即ち低家賃の公営住宅の建設、スラムの一掃、農家の住宅の建設、そして住宅問題の調査に対する準備を立法化せねばならない。この立法が規定する低家賃の公営住宅数は、今後7年間で100万戸にまで増加されねばならない。これほどの数をもってしても、新規住宅需要を満たす糸口を攫むことはできないであろう。
我々が必要とする住宅の大半は、公的補助なしで、民間企業によって建設されねばならない。賃貸住宅の建設が極度に減少し、高級住宅の建設が極度に増加したため、建築産業は、急速に需要を失っている。建築費を抑えねばならない。
政府は現在、安価な住宅の建造に注力するよう建築産業の各部門を誘導するための活動をしている。こうした住宅の建設を促すため、更なる法律を近く提出する。
私は不足原料を割り当てる権限、及び当該原料の上限価格を設定する権限を要請した。家庭生活を営むに充分な大きさで、かつ賃金労働者にも支払える価格の住宅を建設するために原料をより多く振り向ける必要がある場合は、この権限を行使する所存である。
我々の進歩を後押しするのは、自国の民主主義的諸制度に対する我々の信念である。その信念は、建国者が国民及び全世界に宣言した平等の権利と平等の機会という約束に具現化されている。
この約束の遂行は、政府の最高目標の1つである。私は、第80議会に対して行った公民権に関する提案を、第81議会に対しても行う。連邦政府が指導力を発揮するためには、また憲法によって明確に位置付けられた義務を遂行するためには、これらが立法化されねばならない。
私は、これらの提案を率直に支持する。
我々の国内計画は、外交政策の基盤である。今日、世界は我々の指導力に期待している。何故なら我々は国内において、世界の大半の民が切望する民主政府の利益を、かくも広く実現したからである。
我々は、己が公言する民主主義的信念の対外表明たる外交政策に従っている。我々は、世界中の自由諸国や自由な人民を励まし、異国の地で悩み苦しむ民を助け、民主主義国家を攻撃に強い国家にすべく、全力を尽くしている。
我々の外交政策の核心は、平和である。我々は、平和を維持する世界的組織と、人類に繁栄をもたらす世界的経済政策とを支持している。我々を導くのは、国際協力の原則である。この概念のため、我々はかつてないほど深い国家的関与を為してきた。
そのために、我々は己の手腕と名誉にかけて誓った。
安心して頼ることのできる世界的安全保障体制が確立されるまでは、我々は攻撃の意図を殺ぐのに充分な軍を創出し、維持する責務から逃れられない。我々は昨年、軍の効率的組織を大きく前進させたが、国家安全保障法の更なる修正が必要である。一般軍事訓練は、米国の安全保障にとって不可欠である。
この会期中に、私は外交政策分野でいくつかの措置を考慮するよう議会に要請する所存である。私は今回、互恵通商協定法を完全に復活させ、かつ3年間延長するよう勧告する。同時に我々は、難民を不当に差別することなく、門戸を開放せねばならない。
我々が現状維持を求めていないことは、今や全市民に対して明らかにされねばならない。我々は、過去の不正を温存しようとは思わない。我々は、自国民により良き生活を提供するために多くの国々によって為されている、建設的努力を歓迎する。欧州復興計画や、我々の友好的な方針、そして国連において、我々は世界の人民の経済成長と社会的進歩を妨げる、こうした国家的障壁の打破を始めた。
我々が断固としてこの道を進むならば、国際協力の原則は最終的に、現在それを弱め、あるいは破壊しようとしている諸国の承認を命ずると信ずる。
我々は、自身にとって、そしてあらゆる人類にとって偉業と破滅のいずれをもたらすか判らない時代の始まりを迎えている。
我が国の力は、一握りの特権階級ではなく、全国民のために使われ続けねばならない。世界平和と世界中の人類の地位向上とのための闘争において、利他的に使われ続けねばならない。
これこそ、我々が直面する任務である。
これは容易なものではない。多くの矛盾を孕んでいるし、利己的な利害からの強い反対も出るであろう。
私は、農民、労働者、企業からの協力を望む。我が国の各地域住民や各個人には、公平な扱いを政府に期待する権利がある。
1945年、私が4月16日に初めて議会にやって来たとき[6]、私は民を統治する叡智と能力を欲するソロモン王の祈りを引用した[7]。その時私は、諸君にこう説明した。私に与えられた任務は世界史上最大のものの1つであり、米国の議会と国民との完全な協力を要するのだと。
今や、我々は同じ状況で新たな出発をしようとしている。世界の平和とこの国の繁栄を維持するために必要とされる、偉大な取り組みを実行するためには、大統領が議会の完全な協力を得ることが極めて重要である。
この偉大な国家の人民には、議会と大統領が1つの目的――国民全体の繁栄――のための緊密な協力を期待する権利がある。
今後数ヶ月以内に、私は議会と協力できるであろう。
今、私は信ずる。我々をこの重大な責任と素晴らしい機会の時代へと導いた神が、我々を見捨てることはないのだと。
国民生活が転換点を迎えるたびに、我々は全能の神に謙虚に感謝を捧げてきた。神の助力があれば、神が今我々に与え給うた大任を果たすことができるであろう。
訳註
編集- ↑ ケネス・マッケラー(任1949年 - 1953年)。
- ↑ サミュエル・T・レイバーン(任1949年 - 1953年)。
- ↑ 富める者の経済活動を活性化させれば、その恩恵は滴り落ちた雫のように社会全体にも徐々に浸透するとの理論を指す。「トリクルダウン (trickledown)」とは、雫 (trickle) が滴ること、即ち「滴下」のことである。
- ↑ 原文は「if action by private industry fails to meet our needs」。逐語訳をするならば、「民間産業による行動が我々の要望を満たすことができないならば」。
- ↑ テネシー川流域開発公社の実施した事業を指す。同社は1933年にニュー・ディールの一環として設立され、多目的ダムの建設事業を通じて、治水・利水や失業者救済を図った。
- ↑ 両院合同会議での演説を指す。トルーマン図書館内資料を参照。
- ↑ 『旧約聖書』歴代志下第1章第10節、即ち「今、我に叡智と知識とを与え、もって民を治めさせよ。さもなくば、かくも偉大なる汝の民を誰が裁けよう」との1節を指す。
- 底本
- トルーマン図書館内資料
- 藤本一美、濱賀祐子、末次俊之『資料:戦後米国大統領の「一般教書」 第1巻 「ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー」1945年~1961年』 大空社、2006年、ISBN 4-283-00451-0
- 訳者
- 初版投稿者(利用者:Lombroso)
この文書は、アメリカ合衆国においては、同国の著作権法に基づき、同国の連邦政府と雇用関係にある公務員がその職務上作成したアメリカ合衆国政府の著作物(17 U. S. C. §105(参考和訳))に該当するため、パブリックドメインの状態にあります。また、日本国においては、同国の著作権法13条に規定するもの(憲法その他の法令、通達、判決など)に該当するアメリカ合衆国政府の著作物のみに限り、パブリックドメインの状態にあると解されます。それ以外の国では、当該国の著作権法に基づいて、著作権の対象であるか否かが判断されます。
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