ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第9巻/ダマスコのヨハネ/正教信仰の正確な解説/第1巻/第5章

正教信仰の正確な解説。

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第1巻。

第5章

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<< 神は一つであり、複数ではないことの証明>>


こうして、私たちは神が存在し、その本質は理解しがたいものであることを十分に証明したことになります。しかし、神は唯一であり[1]、多くはないということは、聖書を信じる者にとっては疑いの余地がありません。主は律法の初めにこう言っています。「 わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から導き出した。あなたはわたしのほかに、どんな神も持っていてはならない。」[2]また、こうも言っています。「イスラエルよ、聞け。主なるわれらの神は唯一の主である。」[3]また、預言者イザヤ書にはこうあります。「わたしは最初の神であり、最後の神である。わたしのほかに神はいない。わたしの前に神はいなかったし、わたしの後に神はいない。わたしのほかに神はいない。」[4]また、主は聖なる福音書の中で父にこう語っています。「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたを知ることである。 」 [5]しかし、聖書を信じない人々に対しては、私たちはこのように論じます。

神は完全であり[6]、善良さ、知恵、力において欠点がなく、始まりがなく、終わりがなく、永遠で、境界がなく[7]、一言で言えば、すべての点で完全です。それでは、多くの神々がいると言うのであれば、その多くの中の違いを認識しなければなりません。なぜなら、彼らの間に違いがなければ、彼らは多くではなく一つだからです。しかし、彼らの間に違いがあるなら、完全性はどうなるのでしょうか。善良さ、力、知恵、時間、場所のいずれにおいても、完全性に欠けるものは神ではあり得ないからです。しかし、あらゆる点でこの同一性こそが、神が一つであり、多くではないことを示しています[8]

また、神が複数存在する場合、神は境界がないとどうして主張できるのでしょうか。なぜなら、1つの神が存在するところに、他の神が存在することはできないからです[9]

さらに、支配者の間で争いが激しくなっているのが見られる間、世界が多くの人によって統治され、崩壊や破壊から救われることはどのように可能でしょうか? 違いは争いを生むからです[10]。そして、もし誰かがそれぞれが一部を支配していると言うなら、この秩序を確立し、それぞれに特定の領域を与えたものはどうなるのでしょうか? これはむしろ神です。したがって、神は唯一であり、完全で、境界がなく、宇宙の創造者であり、宇宙の維持者であり、統治者であり、すべての完全性を超え、それらに先んじています。

さらに、二重性が統一性から生まれるのは自然な必然である[11]


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脚注

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  1. さまざまな読み方がありますが、彼は一つです。
  2. 出エジプト記 20:2, 3
  3. 申命記 6:4
  4. イザヤ 43:10
  5. ヨハネ 17:3
  6. Thomas Aquin. I. 『真理についての論争問題』"Quaestiones Disputatae de Veritate" 11, Art . 4を参照。また、下記の第4巻、c. 21も参照。神の単一性の問題は、マルキオン派やマニ教徒に反対する著作を書いた教父たちや、アテナゴラスによって同様に扱われている。
  7. それとも無限?なんとも言えない。
  8. Infr. lib. iv. c. 21.
  9. ニュッサのグレゴリオス(Greg. Nyss.), 『大教理問答』「プロローグ」 Prol. Catech.
  10. Greg. Naz., Orat. 35.
  11. ディオニュシオス・アレオパギテス『神名論』Dionys., De div. nom., c. 5, 13.を参照。
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