ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第14巻/第一回公会議/ニカイア信条

ニカイア信条

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(エフェソスとカルケドン公会議の文書、カエサレアのエウセビオスが自らの教会に宛てた手紙、聖アタナシウスからヨビアヌム・インプへの手紙、テオドレトスとソクラテスの教会史、その他に見られるが、テキスト内の差異は全く重要ではない。)


ニカイアでのシノドスはこの信条を定めた[1]

ニカイアにおけるシノドスのエクテシス[2]〈エクテシス(Ecthesis) とは初期のキリスト教会における教義または一連の教義の声明または要約を意味する。〉


我々は、見えるもの見えないものすべての創造主である全能の父なる唯一の神と、神の子、父の独り子、父の本質からなる神、光の中の光、神そのものの神、生まれた(γεννηθέντα)、造られたのではなく、父と一つの本質(ὁμοούσιον, consubstantialem)である唯一の主イエス・キリストを信じます。彼によって、天にあるもの地にあるものすべてが造られました。彼は我々人間のため、また我々の救いのために[天から]降りて、受肉し、人となられました。彼は苦しみを受け、三日目によみがえり、天に昇られました。そして、生者と死者を裁くために再び来られます。そして[我々は]聖霊を信じます。そして、神の子がいなかった時代があった(ἤν ποτε ὅτε οὐκ ἦν)とか、生まれる前には存在していなかったとか、存在しないもので作られたとか、父とは異なる実体や本質を持っているとか、被造物であるとか、変化したり転換したりするものであるとか[3]などと言う者を、カトリック教会と使徒教会は破門する。


メモ。

カエサレアのエウセビオスの信条。彼はこれを公会議に提出し、最終的にこの信条が採択されたと示唆したと考える者もいる。

(彼の教区への手紙の中にあります。聖アタナシウスとテオドレトスを参照。 )

我々は、唯一の神、全能の父、見えるものと見えないものの創造主、そして主イエス・キリストを信じます。なぜなら、彼は神の言葉、神の神、光の光、命の命、神の独り子、すべての被造物の長子、永遠の昔に父から生まれた者であり、彼によってすべてのものが創造され、我々の贖いのために肉となり、人々の間で生き、苦しみを受け、三日目によみがえり、父のもとに帰り、いつの日か栄光のうちに再び来られて、生者と死者を裁かれるからです。我々はまた、聖霊も信じています。我々は、父はまことに父として、子はまことに子として、聖霊はまことに聖霊として、これら三つのそれぞれが存在し、存続することを信じます。我々の主が弟子たちを伝道に遣わしたとき、こうも言われました。「行って、すべての国民を弟子とし、父と子と聖霊の名によって、彼らに洗礼を施しなさい。」


ニカイア信条/終わり

脚注

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  1. これは第3回公会議の行伝の見出しです。Labbe, Conc ., tom. iii., 671。
  2. これは第 4 回公会議の文書の見出しです。Labbe, Conc ., tom. iv., 339。
  3. この単語はギリシャ語ではτρεπτὸνであり、ラテン語ではconvertibilemと翻訳されていますが、Labbeの補足説明を参照してください。
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原文:
 

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翻訳文:
 

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