ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第1巻/エウセビオスの教会史/第3巻/第13章

第3巻

第13章

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ウェスパシアヌスが10年間統治した後、息子のティトゥスが後を継いだ[1]。ティトゥスの統治の2年目に、12年間ローマ教会の司教を務めていたリヌスが[2]その職をアネンクレトゥスに譲りました[3]。しかし、ティトゥスは2年と同数の月数を統治した後、弟のドミティアヌスが後を継ぎました[4]


脚注

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  1. ウェスパシアヌスは、紀元69年7月1日(エジプトで皇帝に即位した日からとした場合、また、ウェテリウスが亡くなった12月20日からとした場合)から紀元79年6月24日まで統治した。
  2. エウセビオスは、『年代記』 (アルメニア語) の中で、リヌスの司教職の期間を 14 年としているが、ヒエロニムスは 11 年としている。どちらの数字もほぼ同等に信頼できる。上記、第 2 章、注 1 を参照。
  3. アネンクレトゥス、あるいはクレトゥスとも呼ばれる彼については、彼がローマの伝統的な最初の3人の司教の1人であったということ以外何もわかっていない。ヒッポリュトスは1人の人物からアネンクレトゥスとクレトゥスの2人の司教を任命し、ローマカトリック教会が彼に従っている(上記、第2章、注1を参照)。第15章によると、アネンクレトゥスは12年間その職にあった。
  4. ティトゥスは西暦81年 12月13日に亡くなった。したがって、彼の統治期間はエウセビウスが述べている2年2か月ではなく、2年6か月である。


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