ニカイア以前の教父たち/第3巻/倫理的論文/祈りについて/私たちは自由でなければならない
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第3巻
編集祈りについて。
[S. テルウォール牧師による翻訳]
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第12章 私たちも同様に、あらゆる精神的動揺から自由でなければなりません。
祈りは、怒りだけでなく、心のあらゆる動揺から解放された自由なものでなければなりません。祈りは、送られた聖霊のような霊から発せられるべきです。汚れた霊は聖なる霊に受け入れられず[1]、悲しむ霊は喜ぶ霊に受け入れられず[2]、束縛された霊は自由な霊に受け入れられないからです[3]。敵対する者を受け入れようとする者はいません。同等の者以外には、受け入れを許す者はいません。
脚注
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