ドワイト・アイゼンハウアーの第1回大統領就任演説
友人諸君よ。この瞬間に相応しい決意の表明を始める前に、私自身の個人的な祈りを捧げることをお許し願いたい。そして諸君も一緒に祈って頂きたい。
全能の神よ。今この場に立つに当たり、行政府における未来の同僚らと共に、ここに集った人々や国中の市民に仕える我々の献身を完遂できるよう導き給え。
善悪を明確に判別する力を与え給え。我々の言葉や行動の全てがその判別力によって、またこの国の法律によって治められるよう祈る。 我々の関心は、地位や人種や職業に関わらず、国民全てのためにあるということを、特に誓う。
我が憲法の理念のもと、異なる政治信条を持つ人々とも協力し、共通の目的を持ち、もって国民全員が祖国の幸福と神の繁栄のために尽くせるよう祈る。アーメン。
市民諸君よ。
この半世紀、世界も我々も耐えず試練に晒されてきた。善と悪の力が史上稀な規模で結集し、武装し、対立していることを、我々は身をもって感じている。
この事実こそが、今日の意義を定めているのである。我々がこの栄えある歴史的式典に集ったのは、一市民[1]が神の御前で就任の宣誓を行うさまを見届けるためだけではない。未来は自由なる者の手にあるという我が国の信条を世界に証言する者として招かれたのである。
今世紀初頭以来、地球上の諸大陸に波乱の時代が訪れたようである。アジアの大衆は過去の束縛を断つべく目覚め、欧州列強は血みどろの戦をしてきた。王座は覆され、大帝国は消滅した。新たな国々が誕生した。
我が国にとっても、それは絶えざる試練の時代であった。国力の伸張に伴い責任も増大した。不況と戦争という苦難を乗り越え、人類史上比類なき高みに至った。世界平和を守るべく、我が国はアルゴンヌの森[2]、硫黄島の海岸、朝鮮の凍て付く山々での戦闘を余儀なくされた。
大事件が次々に押し寄せる中、我々は己の生きる時代の意義の全てを理解すべく模索している。 理解しようと模索しつつ、神の導きを仰ぎ、過去の知識を総動員し、未来のあらゆる兆候を読み取ろうとしている。機知と意志の限りを尽くし、我々は問いかける。
我々は、闇から光へと向かう長き巡礼の旅路の、どの辺りまで来ているのか? 我々は、光――全人類にとっての自由と平和の時代――に近付いているのか? それとも、再び夜の闇が頭上を覆いつつあるのか?
我々は国内の急務に忙殺されている上、今日の生活と将来の展望とに大きく影響する事柄の数々にも囚われているが、これらの国内課題はいずれも、先述した全人類的問題に比べれば小さいものであるし、もっと言えば、往々にしてそうした問題から生ずるのである。
善を成し、または悪を責める人間の力が、あらゆる時代の最も明るい希望や最も激しい恐怖を乗り越えた今、この試練が来たのである。我々は川の流れを変え、山を崩して平野に変えることができる。海も陸も空も、我々の壮大な通商のための道となっている。疫病は減り、寿命は延びている。
しかしこうした生活の前途は、それを可能にしてきた特質そのものによって危殆に瀕している。国は富を蓄積している。労働者は汗を流し――山ばかりか都市をも崩す手段を生み出している。科学は最後の贈り物として、この惑星から人類の生命を消滅させる力を我々に授けようとしているかのようである。
こうした時代にあって、自由なる我々は、己の信条を改めて宣言せねばならない。この信条は、父祖の時代から続く教えである。永遠の道徳と自然の法則によって支配される、人間の不滅の尊厳に対する我が国の信条なのである。
この信条こそが、我々の人生観を定めているのである。創造主の賜物、即ち人間の不可侵の権利や、全ての人を神の前に平等ならしめているものについては、議論の余地などない。
平等という光のもとにあっては、自由な人民が最も大事にしてきた美徳――真実への愛、勤労への矜持、祖国への献身――は、賤民にとっても貴人にとっても等しく尊い宝である。石炭を採掘する者、炉に火を起こす者、帳簿を付ける者、旋盤を回す者、綿花を摘む者、病を癒す者、穀物を作る者――皆が米国のため、立派で有益な働きをしている。条約を起草する政治家や法律を制定する立法者と同じように。
この信条は、我々の生活様式全体をも定めている。それは、支配するのではなく奉仕する指導者を選ぶよう我々に命じている。それは、己の仕事を選択し、労働に対する報酬を得る権利が我々にあることを雄弁に語っている。それは、世界が驚くほどの独創力を我が国の生産力に与える。またそれは、同胞間の平等を否定しようとすれば、自由の精神を裏切り暴君の嘲笑を招くと警告している。
本日完了した政権交代が動乱や激変、無秩序を生じないのは、我々国民の全てがこうした原則を守っているからである。それどころか、この交代は建国の文書の教えに対する忠誠心を強めるとの決意を示すと共に、祖国と注意深い神の摂理とへの信頼を改めて意識するものである。
この信条に敵対する者は神を知らず、献身を知らず、それを利用することしか知らない。彼らは人々に裏切りを教える。彼らは他者の飢えを食い物にする。彼らは己に仇なすもの、特に真実に対して責め苦を与える。
ここには、さしたる違いのない哲学同士の間で展開されるような類の論争が入り込む余地などない。この衝突は、父祖伝来の信条と子孫の生命を直接攻撃するものである。自由な学校や教会で学んだ精神から、自由な労働や資本の驚異的創造力に至るまで、我が国が有する原則も宝も1つとして、こうした諍いから距離を置いた安全な場所にはないのである。
自由は隷属と闘い、光は闇と闘っている。
この信条は我が国だけでなく、全ての自由世界が有するものである。この共通の絆こそが、ビルマで米を育てる者とアイオワで小麦を植える者、南イタリアの羊飼いとアンデスの山中に暮らす者を結束させている。これは、インドシナで戦死したフランス兵、マラヤ半島で殺されたイギリス兵、朝鮮半島で散華した米国兵の生命に、人間の尊厳を等しく授けている。
さらに、我々は崇高な理念からだけでなく純然たる必要性から、全ての自由な人民と結び付いている。自由な人民といえども、経済的孤立の中では権利を主張し安全を享受することなどできない。我が国の物的な力の全てをもってしても、我が国の農場や工場の余剰品には世界市場が必要なのである。同様に、こうした農場や工場には、遠隔地の重要な原材料や製品が必要なのである。この相互依存の基本原則は、平時の通商にあっては明白なことであるが、戦時にあっては平時に千倍する厳しいものとなる。
だから我々は、全ての自由な人民の強さは団結の中に、危うさは不和の中にあることを、必要性と信念とにより納得している。
団結を生み出し当代の試練に立ち向かうべく、運命は自由世界を指導する責務を我が国に課したのである。
この責務を果たすに際し、我々米国民は世界を指導する力と帝国主義、意志と横暴、計算ずくの目標と緊急事態への突発的対応との違いを認識することを、我々の友に今一度宣言するのが適切であろう。
世界中の友には何よりも知ってほしい。我々は恐怖と混乱ではなく自信と確信をもってこの脅威に臨むということを。
我々は、なす術もなく歴史に囚われている訳ではないと知っているが故に、この道徳的な力を感じるのである。我々は自由の民である。我々は今後も自由であり、自由への最大の攻撃たる罪――確固たる信条の欠如――を犯すことなど決してあるまい。
歴史という法廷の前で我々の正しい主張を行い、世界平和に向けた取り組みを進めるに際し、我々はある確かな原則に導かれるであろう。その原則とは以下の通りである。
(1) 我が国を脅かす者の目的を阻む手段として戦争を選ぶことを拒絶し、侵略勢力を防ぎ平和の条件を進める力を発展させることを、政策の第1の課題とする。何故なら、人類が人類を餌食にせぬようにすることは全ての自由な人民にとって至上の目的でなければならないと共に、指導者らの献身すべきことだからである。
この原則に照らして、国家間の相互の恐怖と不信の原因を除去し、大幅な軍縮を可能にすべく、あらゆる者と共に努力する用意がある。こうした努力を遂行するために唯一必要な条件、それは目的に関して言えば、万民に確かな平和が訪れることを理性的かつ誠実に目指すことであり、また結果に関して言えば、参加各国が誓約を実行するに際して誠意を示せるような方法を提供することである。
(2) 我々は、宥和政策が無益であることは常識的にも良識的にも明らかであることに気付いており、安全のために名誉を捨てるなどという歪んだ取引で侵略者を懐柔しようとは決してしない。 自由の民である米国民は覚えている。最後の選択において、虜囚の鎖に比べれば兵士の背嚢など重くはないということを。
(3) 我々は、強力かつ巨大な生産力を持つ合衆国だけが世界の自由防衛を助け得ることを認識し、我が国の国力と安全こそが世界の自由な人民の希望を支える存在であると考える。己の安寧よりも自国の大義を優先させることこそ、我が自由市民と世界中の自由な人民の各々が負う、厳然たる義務なのである。
(4) 我々は、世界各国の独自性や特別な伝統を尊重し、我々が奉ずる政治的・経済的諸制度を他国民に力ずくで押し付けたりはしない。
(5) 我々は、明白な自由の友たる国々の要求や能力を現実に即して評価しつつ、彼らが己の安全と幸福を実現できるよう、支援に尽力する。同時に、彼らが己の資源の枠内で、自由の共同防衛に精一杯の妥当な責務を担うことを期待する。
(6) 経済の健全性は、軍事力にとっても自由世界の平和にとっても不可欠な基盤であるとの認識のもと、生産力と実りある貿易とを奨励する政策を各国が促進し、我が国も実施するよう尽力する。何故なら、世界のいずれか1国の国民でも困窮すれば、他国民全ての幸福を脅かすからである。
(7) 経済的要求、軍事的安全保障、及び政治的叡智が、自由な人民の地域的結合を示唆することを充分に認識しつつ、我々は国際連合の枠内で、こうした特別な結束を世界中で強化するよう希望する。こうした紐帯の性格は多種多様なものとなるに違いない。地域が異なれば抱える問題も異なるからである。
西半球においては、全ての隣人と共に、兄弟のような信頼と共通の目的を持った社会の完成を目指して熱心に努めている。
欧州においては、西側諸国の賢明かつ情熱的な指導者らが諸国民の結束を実現すべく改めて精力的に取り組むよう要請する。我々の援助を受けたとしても、自由欧州は力を結集してはじめて、その精神的・文化的遺産を有効に守り得るのである。
(8) 自由の防衛は自由そのものと同様に唯一不可分のものであると考えつつ、我々は全ての大陸と人民に同等の敬意を表する。我々は、ある民族、ある国民が如何なる意味においても他に対して劣っており、犠牲にされてもよいなどという考えを排斥する。
(9) 我々は、国際連合を平和に対するあらゆる国民の希望の生きた証として尊重しつつ、これを単なる雄弁な象徴でなく効果的な力となるよう尽力する。栄えある平和を模索するに際し、我々は妥協せず、倦まず、ましてや中断など決してしない。
これらの行動基準により、我が国があらゆる国民に知られるよう、我々は希望する。
これらを遵守することにより、地球の平和は幻想でなく現実となるであろう。
この希望、この至上の願望こそが、我々の生きる道を定めるに違いない。
我々は、自国のために何でもする決意を持たねばならない。何故なら、歴史は自由の維持を弱者や臆病者に長く委ねたりなどしないからである。我々は防衛における効率性と目的における持久力とを持たねばならない。
我々は個人としても国家としても、必要とあらば如何なる犠牲も甘んじて受ける。原則よりも特権を重んずる国民は、やがては両方を失うであろう。
こうした基本的教訓は、日常生活における諸々の事柄から懸け離れた高遠な抽象概念ではない。これらは精神的な力の法則であり、我々の物的な力を生みだし規定しているのである。愛国心は、装備の整った軍隊と覚悟のある市民から生ずる。道義的持久力は、農場や工場における活力と生産力との増強から生ずる。自由への愛は、家庭の尊厳、大地の恵み、科学者の才能に至るまで、自由を生み出すあらゆる源を守ることから生ずる。
そして、国民の一人ひとりが不可欠な役割を演じている。我が国民の頭脳や技術や精神が持つ生産力は、己の暮らしを豊かにし、かつ平和を勝ち取るために我々が活用できる、あらゆる力の源なのである。
個人であれ、家庭であれ、社会であれ、こうした呼び掛けが届かぬところなどどこにもない。我々は、叡知と良心をもって行動し、勤勉に働き、信念をもって教え、確信をもって諭し、注意と慈悲をもってあらゆる行いを考察するよう求められている。何故なら、以下の真理が我々にとって明白だからである。即ち、米国が世界に何をもたらそうと望むにせよ、それはまず米国民の心から生ずるものでなければならない。
我々が求める平和とは、我々自身の間で、また他国との外交において、我々の信条を実践し、成就することに他ならない。これは砲火を鎮め、戦の悲しみを癒すよりも、さらに大きな意義のあることである。死から逃れる道というだけでなく、生きるための道である。疲れ果てた者の隠れ家というだけでなく、勇気ある者への希望である。
これこそ、この試練の世紀を行く我々を導く希望である。これこそ、我々全てに待ち受ける任務である。勇気、慈悲、そして全能の神への祈りによってなされるべき任務なのである。
市民諸君よ、ありがとう。
訳註
編集- 底本
- Inaugural AddressJanuary 20, 1953(The American Presidency Project)
- 『アメリカ大統領の英語――就任演説 第2巻 トルーマン/アイゼンハワー』 アルク、1994年。ISBN 4872342984
- (訳出時の参考資料としても使用)
- 訳者:初版投稿者(利用者:Lombroso)
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