トーク:万葉集

最新のコメント:10 年前 | トピック:このページの位置づけについて | 投稿者:庚寅五月
書誌情報
底本: 西本願寺本 竹柏会 昭 8. 8
出典: 万葉集データベース(2017.02版)

http://ds26.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~manyou/

入力: CES1596
校正:
完成度: 検証済み
注: 万葉集データベース説明
外字一覧
ライセンスは2017.02版による。


情報不足テンプレートを読んで、ノートを見ましたが、何も書いて有りません。

編集

すいません。表題の通り、出典の明示がないと言うTemplateの指摘が有り、ノートも参照と書いてあったのですが、何の記載も無いので、質問いたします。

  1. 万葉集の目次掲載の段階で…何らかの著作権問題が発生しているのでしょうか?
  2. 典拠複数掲載は、このあらすじ・目次の掲載の段階なら、複数の参考書籍と、Webページで掲載が可能だと思います。
  3. 原文若しくは、よみくだし文の段階になると、引用時の著作権題が発生し、Templateの貼付は、穏便で妥当とおもいますが、現段階の目次掲載に対しては、典拠掲載と参考ウェブサイトを挙げれば解決できませんか?(普通の万葉集資料や、一般的な典拠資料に拠って、大きな差が有るとは考えにくい。)
    • 複数の資料から、自分で原文よみくだし文を、書き上げて(原文の場合は、どれが一番正しいか、調べて)掲載するという段階になると、著作権・ライセンス問題の他に、(典型例):吾妻鏡や、とりかえばや物語様に、原典散逸・原著不明なら、独自研究混濁問題が起きるとは思いますが…
      万葉集の目次だけの段階では、其処までの懸念は無いのでは?
    •  勿論、この目次からlinkする、万葉集/巻第一には著作権問題が発生する可能性はありますが、それなら、そちらの項目に、出典の明示がないと言う警告のTemplateは、貼られるべきではないですか?
  4. この、目次ページの段階では、複数の書籍を突き合せて原稿を拵え、(事実上、正誤確認に終ること多い。)その後、(現代日本語として)怪しいところを辞典で確認し、ウェブ上の資料と更に突き合せて、間違いが無いと言う事なら載せる…。で、問題ないのでは?
    と思うのですが…。駄目なのでしょうか?
  5. この目次自体も、ある程度の価値があると思いますが…Wikipedia-Templateや、WikibookへのTemplate貼付によるlinkは、必要だと思いますし、そちらのテンプレート貼付はなんら問題が無いと思います。すみやかに Wikipedia-Templateと、Wikibook-Templateの貼付は提案します。
◆テンプレートを貼付した意図をご説明いたします。サブページを含めた文書全体の投稿にあたり実際に底本として用いられた資料が示されていなかったため、最低限、底本情報を明記する必要があるメインページで情報不足を告知したという次第であり、目次自体に著作権侵害のおそれがあることを懸念しているわけではありません(したがって、実際に用いられた資料が単一であれば、複数の書籍を突き合わせるといった作業は必要はないでしょう)。
サブページに関しては、ご指摘のように著作権侵害のおそれがないことが示されていないのですが、これはメインページを含めた底本情報不足によるものですから、必ずしも個別に告知しなくてもよいものと思います。
インターウィキテンプレートの貼付に異論はありません。--庚寅五月 (トーク) 2013年4月28日 (日) 20:35 (UTC)返信
うーんと、「サブページを含めた文書全体の投稿にあたり実際に底本として用いられた資料が示されていなかった」とのことですがサブページの投稿の要約欄は確認されましたか?底本のアドレス(NDLのデジデポアドレス)を記述しておりますが。。。メインページで示しても基本的に今容易に閲覧出来る物は抄録であることが多いです。そういった場合色々なものを持ってこなければなりません。そういた場合メインページや各巻のページに一括掲載するというのはナンセンスだと思いますがいかがでしょう?--Vigorous action (会話/履歴) 2013年4月29日 (月) 03:59 (UTC)返信
これは失礼いたしました。要約欄に出典が記載されている可能性に思い至りませんでした。テンプレートは撤去いたします。
なお、たとえ煩雑となっても、依拠した底本をページ中に明示しておかないと確認がしにくいですし、独自に万葉仮名から現代文に書き改めたものと見なされるおそれもあります。少なくともサブページにはどの部分がどの底本に依拠しているのかを明記すべきでしょうし、メインページには用いた書名を示しておいた方がよいと思います。
ところで、複数の底本を組み合わせて全文を構成することをお考えのようですが、底本によって漢字の充て方、仮名の送り方、句読点の打ち方などの表記が異なるようですから、特別な理由がない限り単一の底本を用いた方がよいのではないでしょうか。国会図書館のサイトでは以下のような抄録ではない資料も閲覧できるようです。
佐佐木信綱の著作権保護期間が満了となる来年には更に閲覧できる資料が増えるかもしれません。--庚寅五月 (トーク) 2013年4月29日 (月) 20:39 (UTC)返信

底本のライセンス

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投稿された万葉集/manyou.txt ver 3.00 の解説を参照しますと、「GNU宣言に基づ」くとされていますが、これではGFDLなのかGPLなのか他のライセンスなのかは分りません。そして、「無料での再配布は自由」とありますが、ウィキソースのライセンスである「クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス」に反する為、この底本のテキストは受入れがたいでしょう。--kahusi (會話) 2013年11月23日 (土) 10:56 (UTC)返信

コメントありがとうございます。確かにGFDLとは明記されていませんね。しかし、GFDLでの再配布は禁止されていないようですので、wikisource上でGFDLのもとに再配布することに関しては問題ないように思います。Wikisource:Copyright policy等を拝見した限りではGFDLに基づくテキストも受け入れられているようですので、ライセンスについても特に問題はないと理解しましたが、差し障りがありましたらご指摘ください。CES1596 (トーク) 2013年11月23日 (土) 13:07 (UTC)返信

このページの位置づけについて

編集

現在、目次からリンクが張られている各サブページは「manyou.txt ver 3.00」が底本となっているようですが、これらのページへの目次は「manyou.txt ver 3.00」という名称で新規作成し、各サブページは「manyou.txt ver 3.00/第一巻」などに改名すべきではないでしょうか。すでに別の底本を用いた万葉集が収録されている以上(Category:万葉集を参照)、万葉集は曖昧さ回避ページとした方がよいでしょう。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月15日 (日) 14:19 (UTC) ※2013年12月15日 (日) 14:41 (UTC)訂正返信

コメントありがとうございます。manyou.txtの解説を参考に、底本を西本願寺本に修正しました。もう一つの底本である奈良女子高等師範学校国語研究室編「万葉集巻第1第2抄」は巻1,2の抄録ですので、仮に全内容を入力したとしても前者を代替できるものではないようです。--CES1596 (トーク) 2013年12月15日 (日) 15:37 (UTC)返信
各サブページの底本は「manyou.txt ver 3.00」という名の編集物(いわば万葉集「manyou.txt ver 3.00」版)ですから、記事名には底本の正題を採用すべきでしょう(Wikisource:記事名の付け方#正式名称も参照)。たとえ底本の親本となっている文献が単に「万葉集」という名称であっても、それがそのまま翻刻されているわけでない以上、底本とは別の文献といえます。
一つの作品に対して複数の底本がある場合については、聖書がある程度参考になると思います。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月16日 (月) 14:16 (UTC)返信
manyou.txtは本文テキストであり、異同箇所は明示されていますので、翻刻と同等と考えてよいと思います。私の理解では、底本が複数あるというよりはむしろ、主に西本願寺本の原文を収録したものと書き下し文のみを収録したものの二種類があり、4月の議論で挙げられているものはいずれも後者であるということだと思うのですが、違いますでしょうか?だとすれば、例えば「新訓万葉集」等の記事を立て、そこに訓読版を収録するということにすればよいように思います。--CES1596 (トーク) 2013年12月17日 (火) 16:27 (UTC)返信
くり返しになる部分もありますが、三点に分けてお返事いたします。
(1) 「manyou.txt ver 3.00」は「題詞」「原文」「左注」「校異」のほかに「番号」「訓読」「仮名」「KW」といった情報が半分ほどを占める新たな編集物であり、単なる親本の翻刻という範疇を超えているといえます。ウィキソースに投稿されているのは西本願寺本を翻刻・校訂した部分だけでなく編集物全体なのですから、単に「万葉集」としてではなく「manyou.txt ver 3.00」という編集物として収録されていると見るべきではないでしょうか。
(2) 基本的に、記事名には底本とした資料に付されている題名を採用するというのが正確で手間のかからない方法だと思います。manyou.txtの説明ファイルは自らのタイトルを「万葉集」ではなく「manyou.txt ver 3.00」としていますので、これを記事名にするというのが順当ではないでしょうか。奈良女子高等師範学校国語研究室編のものは書名そのものが「万葉集」なので、この底本から翻刻したものをまとめるとすれば「万葉集 (奈良女子高等師範学校国語研究室編)」のような名称になるのではないかと思います。
(3) 訓読や抄録、あるいは口語訳であっても万葉集という作品には変わりありませんし、「万葉集」で検索を行う読者の求めるものが原文とは限りません。現状は同じ作品が複数存在すると言って差し支えなく、このような場合には曖昧さ回避(あるいは索引)を設けて平等に誘導を行った方がよいと思います。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月18日 (水) 14:53 (UTC)返信
(1) もちろん翻刻以上の内容は含まれていますが、いずれも原文を読む上で必要な情報ですので、原文のみを公開することが現実的でないことを考えれば、万葉集の原文テキストとして妥当な内容であると思います。
(2),(3) manyou.txtは万葉集テキスト本体を格納するファイルの名称ですので、テキストのタイトルとは区別する必要があると思います。また、奈良女子高等師範学校国語研究室編のテキストの正式な名称は「万葉集巻第一第二抄」です。ですので、この名称で記事を立てれば競合することはないと思います。--CES1596 (トーク) 2013年12月19日 (木) 15:17 (UTC)返信
「底本」という言葉を用いたことですれ違いが生じているかもしれません。(1)と(2)で私が申し上げたかったのは、記事名は「原本」ではなく「出典」とした資料の題名を採用すべきではないか、ということです。そして、説明ファイルにおける「manyou.txt ver 3.00 の解説」という書き方から見て、「manyou.txt」はファイル名であると同時に編集物のタイトルにもなっているといえるのではないでしょうか。
また、仮に題名が「万葉集」でよい場合、記事名は「万葉集 (吉村誠校訂)」のような形とし、「万葉集」は誘導ページとすべきではないか、というのが(3)の趣旨であり、これは記事名が競合していない場合にもあてはまります(なお、奈良女子高等師範学校国語研究室編の「巻第一第二抄」というのは、文字の大きさや目次の書き方から判断して巻名といえそうですから、題名からは省いてよいと思います)。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月20日 (金) 14:39 (UTC)返信
テキストのタイトルについてですが、出典とした資料の名称は書誌情報に記載していますので、必ずしも同じである必要はないと思います。実際バージニア大学でも同様な形式で配布されています。
また、書誌情報に詳細が記載されているのであれば、それらを記事名に含める必要はないように思います。なお、奈良女子高等師範学校編のテキストの名称は、奥付によれば「万葉集巻第一第二抄」ですので、記事名が競合することはないようです。--CES1596 (トーク) 2013年12月21日 (土) 14:50 (UTC)返信

(インデント戻します) 万葉集はこのキーワードで検索を行った読者が最初にたどり着くページですから、ウィキソースに収録されている万葉集に類する各文書への誘導ページとなっている必要があり、最もまとまっている資料や単に「万葉集」という題名の資料だからといって占有すべきページではないと思います(最初のコメントで「万葉集は曖昧さ回避ページとした方がよい」と申し上げましたが、記事名が競合する場合に限った話ではないので「索引」と言った方が正確でした。紛らわしい説明をしてしまい申し訳ありません)。仮に奈良女子高等師範学校編のテキストの題名が「万葉集巻第一第二抄」、吉村氏校訂のテキストの題名が「万葉集」であるとしても、後者は括弧付き記事名とすべきではないでしょうか。

また、「manyou.txt ver 3.00」は編集物の題名と見てよさそうだ、という点をもし了解いただけたのでしたら、記事名には「万葉集」ではなく「manyou.txt ver 3.00」を採用するのが順当ではないかと思います(奈良女子高等師範学校編の奥付については、文字の大きさや字体から判断して、「巻第一第二抄」はやはり巻名といってよさそうです)。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月21日 (土) 22:07 (UTC)返信

まず検索についてですが、全文検索等で見つけることはできるはずですので、必ずしも誘導ページを作成する必要はないと思います。また、索引に当たるものはカテゴライズによって自動的に作成されますし、文学作品一覧から探すこともできます。ですので、原文テキストのタイトルを万葉集とすることに関して問題はないように思います。
ご承知のように、日本語版の聖書には原文テキストは含まれませんが、万葉集の場合はそうではありません。原文テキストは区別されるべきですし、実際競合も生じていませんので、現状のままでよいように思います。--CES1596 (トーク) 2013年12月22日 (日) 13:57 (UTC)返信
キーワード検索という機能が用意されている以上、この機能を用いて資料を探す利用者の便宜は考慮されるべきです。「万葉集」をキーワードとしてそのまま検索を行った場合、万葉集のページが直接表示され、他の万葉集の有無はわかりません。全文検索を行った場合でも、サブページがすべてヒットするため、万葉集に類する資料が何種類あるのかだけでなく、他にあるのかどうかさえ端的にわかりません。別の索引やカテゴリから資料を探すことを前提とするのは不親切でしょう。
原文を含むテキストとそうでないテキストの区別は索引ページの中で行えるのですから、前者が万葉集を占有しなければならない理由はないと思います(重ねて申し上げますが、競合が生じている場合のみを問題にしているのではありません)。原文を含むテキストさえ参照できれば十分であり、記事名のつけ方や他の類似資料への誘導は何ら考慮する必要がない、とお考えでしょうか。--庚寅五月 (トーク) 2013年12月27日 (金) 21:44 (UTC)返信
確かに訓読文を参照したいという利用者もいるでしょう。しかし一方で、原文を参照したい利用者の便宜も考慮する必要がありますから、例えば孟子のように、訓読版が完成した時点で誘導を行えばよいのではないでしょうか。--CES1596 (トーク) 2013年12月29日 (日) 09:19 (UTC)返信
原文を含むテキストが「万葉集」を占有する場合、このページから別のテキストの有無を知ることはできず、したがって別のテキストを求める利用者を切り捨てることになりますが、索引ページを設ける場合は、適切な誘導がなされるのですから原文を参照したい利用者を切り捨てることになるわけではありません。単に閲覧に供するだけでなく、加筆者を募るという意味でも、未完成のテキストは明示されるべきでしょう。原文を参照したい利用者のアクセスさえ確保できれば、別のテキストの有無は分からなくてもよいし、別のテキストを求める利用者を切り捨てても差し支えない、とはいえないと思います。--庚寅五月 (トーク) 2014年1月6日 (月) 14:54 (UTC)返信
鹿持雅澄著『萬葉集古義』による訓読版へのリンクを作成しました。同様な方法で資料を追加することは可能かと思います。--CES1596 (トーク) 2014年1月9日 (木) 15:32 (UTC)返信
ご提案の方法で、奈良女子高等師範学校国語研究室編のテキストへの誘導を作成しました。最低限の誘導は確保されましたので、ご異論のある改名と索引設置については同様の議論の蓄積を待つことにします。--庚寅五月 (トーク) 2014年1月12日 (日) 23:01 (UTC)返信
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