ジョージ・W・ブッシュの第1回大統領就任演説
平和的な権力移転は歴史上稀なことであるが、我が国においてはごく普通のことである。我々は簡潔な宣誓によって、古き伝統を再確認し、新たな門出となす。
就任に当たり、我が国に貢献してくれたクリントン大統領に感謝する。同時に、大統領選を見事に戦い、潔く終わらせた、ゴア副大統領にも感謝する。
これまで多くの米国の指導者がここに立ってきたし、今後も多くの者がこれに続くであろう。斯様な場所に立つことを、光栄に思うと同時に厳粛に受け止めている。
我々は皆、長き物語における役割を持っている。我々は物語を紡いでゆくが、その結末を見ることはない。それは、旧世界にとっての友にして解放者となった、新世界の物語であり、自由に仕える身となった奴隷社会の物語であり、領有するためでなく保護するために、征服するためでなく守護するために世界へ乗り出した、強国の物語である。これこそ米国の物語なのである。欠点もあり過ちも犯すが、崇高かつ恒久的な理想によって世代を超えて結び付いた、そんな人民の物語である。中でも最も崇高な理想とは、開花しつつある米国の約束、即ち誰もが国家の一員であり、誰もが機会を与えられ、無駄に生まれた者などいないという約束である。米国民は生活の中でも法の中でも、この約束を果たすことを求められている。時には立ち止まったり、遅れたりもしようが、他の道を辿る訳にはゆかないのである。
前世紀の大半を通じて、自由と民主主義に対する米国の信念とは、言わば荒波に揉まれる岩であった。今やそれは風に乗る種であり、多くの国々に根付きつつある。我々の民主主義的信念は、我が国の信条であるのみならず、我々の人間性に生来備わった希望であり、我々が持つのではなく推進する理想であり、我々が継承してゆく信頼である。そして建国から約225年を経た今もなお、我々は長き道を旅しているのである。
国民の多くは豊かになっているが、我が国の約束を、更には正義すらも疑う者もいる。学校の荒廃、隠れた偏見、生育環境によって、志を挫かれてしまう国民もいる。時には、我々の相違は余りに深くなっているため、我々は同じ大陸に住んではいても、同じ国家に住む仲間ではないのではないかとすら思えるほどである[1]。斯様な事態を受忍する訳にも許容する訳にもゆかない。我々の団結や和合は、あらゆる世代の指導者らや市民らが懸命に築き上げたものである。そして私は、「私は正義と機会のある、団結した国家を築くために働く」と厳粛に誓う。これが手の届くところにあることは判っている。何故なら我々は、己よりも大きな力、即ち自らの姿に似せて人類を創造した者によって、導かれているからである。そして我々は、団結し前進するための原理を信ずるからである。
米国は血縁、出自、地縁によって団結してきた訳ではない。我々は、生育環境を超え、利害を離れ、市民たることの意味を教えてくれる理想によって結び付いているのである。全ての児童がこうした原理を学ばねばならない。全ての国民がこれらを支持せねばならない。そして全ての移民がこうした理想を奉ずることにより、我が国は米国らしさを減ずるのではなく、増すことができるのである。
今日、我々は礼節、勇気、慈愛、品性をもってこの約束を全うするという、新たな公約を宣言する。米国は本来、礼節に配慮しつつ、この公約を果たす国である。市民社会においては、我々各自に善意と敬意、公正な振る舞いと寛容性が求められるのである。平和な時代においては論争の利害も些細であるだけに、政治は卑小であっても構わないと考える者がいるやも知れぬ。だが、米国にとっての利害は決して小さくはない。もしも我が国が自由という大義を主導せねば、それを主導する者はいないであろう。もしも我々が児童らの関心を知識や人格へと向けさせねば、我々は児童らの才能や理想を害するであろう。もしも経済の低迷を許してしまえば、最も苦しむのは弱者なのである。我々は苦楽を共にせよとの求めに応じねばならない。礼節は、戦略でも感傷でもない。冷笑よりも信頼を、混乱よりも秩序ある社会をという、決然たる選択である。我々がこの公約を守るならば、共に成就できるであろう。
米国は、本来は勇気ある国家でもある。我が国の勇気は、共通の危機を防ぐことが共通の利益を意味する時、即ち恐慌時や戦争時において常に明白であった。現在我々は、父母らの模範によって触発されるのか、咎められるのかを選択せねばならない。我々は恵まれた時代にあろうとも、問題を後の世代に先送りせずに立ち向かうことによって、勇気を示さねばならないのである。
我々は共に、多くの若き命を無知や無関心が奪わぬよう、国内の学校を立ち直らせる。社会保障やメディケア[2]を改革し、無用の苦労を子らにさせぬよう我々の代で対処する。経済力を回復させて勤労者の努力と意欲に報いるため、減税を実施する。弱さに付け込まれぬよう、圧倒的な防衛力を構築する。新世紀を新たな恐怖の世紀とせぬよう、大量破壊兵器に対処する。
自由の敵、我が国の敵は、知るべきである。米国は、歴史や己の選択に基づいて世界に関与し続け、もって自由を促進するような勢力均衡を形成するということを。我々は同盟国を守り、国益を守る。我々は驕ることなく、意図を示す。侵略や悪意に対しては、決意と力をもって立ち向かう。そしてあらゆる国家に対し、我が国の建国以来の価値観を示す。
米国は本来、慈悲深き国家である。我々は米国人の静かな良心において、深く根強い貧困が我が国の約束に悖るということを知っている。そして、その原因に関する見解はどうであれ、危険に晒される児童らに罪はないという点では、我々の意見は一致している。児童の放棄や虐待は、不可抗力ではなく愛情の欠如である。刑務所の増設は必要かもしれないが、我々の魂の内にある希望や秩序に代えることはできない。苦痛のある所には、義務がある。困窮している米国の人々は、他人ではなく、我が国の国民である。厄介者ではなく、優先的に救うべき民なのである。絶望した者がいようものなら、全国民の価値が損なわれてしまう。政府には、国民の安全、健康、公民権、そして公立学校に関して大きな責任がある。だが、慈愛は政府のみならず国家全体の務めである。余りにも深い困窮や苦痛の中には、指導者の助けや牧師の祈りにしか反応しないものもあろう。教会、慈善団体、シナゴーグ、モスクなどは、地域社会に慈悲を与えるものであり、我々の計画や法律の中で名誉ある地位を占めるであろう。国民の多くは貧困の痛みを知らないが、我々は痛みを知る者の声に耳を傾けることができる。私は誓う。「イェリコへの途上で傷ついた旅人を見た時に、避けて通ったりしない」ことこそ、我々の目標なのだと。
米国は本来、個人の責任が尊重され、期待される国家である。責任の奨励とは、他人に責任を負わせることではなく、良心に呼び掛けることである。それは犠牲を必要とするが、より深い達成感をもたらす。我々は、人生の充実感を選択肢の中のみならず、責務の中にも見出す。我々は児童と地域社会が我々を自由にしてくれる責務であることに気付く。我々の公益は、個人の人格、市民の義務、家族の絆、基本的公平性、そして我々を自由へと導く知られざる善行の数々に左右される。時に我々は人生の中で、偉大な行為を求められることがある。だが、当代のある聖人が語ったように、我々は日々、「大きな愛をもって小さなことをする」ことを求められているのである。民主主義における最も重要な任務は、皆によって為されるのである。私は、「礼節をもって己の信念を推し進め、勇気をもって公益を追求し、より大きな正義と慈愛を要求し、責任を求め、そして責任を持って生きるよう努める」という原理に基づいて生き、導く。私はこうした手段を総動員し、我々の歴史の価値観を用いて、当代の問題を処理する所存である。
諸君の行動は、政府の行動と同様に重要である。諸君には次のことを求めたい。個人の安楽よりも公共の利益を追求することを。必要な改革を安易な攻撃から守ることを。身近なことから国家に奉仕することを。諸君には国民になってもらいたい。傍観者ではなく国民に。臣民でなく国民に。奉仕の社会や高潔な国家を築く、責任ある国民になってもらいたいのである。
米国民が寛大で、強く、しかも礼儀正しいのは、己を信じているからではなく、己を超越する信念を持っているからである。この市民精神が失われれば、如何なる政府の計画もこれに代えることはできない。この精神がある限り、如何なる悪も太刀打ちできないのである。
独立宣言に署名した後、ヴァージニア州の政治家ジョン・ペイジはトマス・ジェファスンに宛ててこう綴った。「足の速い者が競走に勝つとは限らないし、強い者が戦闘に勝つとは限らない。君は、天使が旋風に乗り、この嵐を導いているとは思わないか?」と。ジェファスンの大統領就任以来、長い月日が過ぎた。年月と変化が積み重なってきたが、ジェファスンも理解するであろう。今日の主題が「勇気という我が国の壮大な物語、尊厳という我が国の純粋な夢」であることを。
この物語を書き上げるのは我々ではなく、己の目的のために悠久の時を費やす者である。だが、その目的は我々の義務によって達成され、我々の義務は相互扶助によって果たされる。倦まず、屈せず、中断せず、今日我々は目的を新たにする。我が国をより公正で寛大なものにするために、そしてあらゆる生命の尊厳を支持するために。
この取り組みは継続する。この物語は続いてゆく。そして天使は今なお旋風に乗り、この嵐を導いているのである。
諸君に神の祝福があらんことを。そして米国に神の祝福があらんことを。
訳註
編集- ↑ 原文は「it seems we share a continent, but not a country」。逐語訳をするならば、「我々は国家ではなく大陸を共有しているように見える」。
- ↑ メディケア (Medicare) とは、国民皆保険制度のない米国が導入した、医療保険制度。高齢者や身体障害者を対象とする。
- 底本
- 訳者
- 初版投稿者(利用者:Lombroso)
外部リンク
編集- 在日米国大使館HP内資料(日本語)
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