シリヤの聖エフレム教訓/第11講話

第11講話

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かみあいするのあいあるひとさいわいなり、何故なにゆえなればかれおのれにかみいだけばなり。『かみあいなり、あいものかみにをる』〔イオアン一書四の十六〕。あいあるものかみともきわめてたかし。あいあるものおそれざらん、いかんとなれば『あいおそれをのぞけばなり』〔十八〕。あいあるものしょうなるものにも、だいなるものにも、名誉めいよあるものにも、名誉めいよあらざるものにも、まづしきものにも、めるものにも、たれにもけつしてきらはれざるなり、しかれどもかれみづからは衆人しゅうじんため廃物すたりものとなり、『およそこと包容つつみ、およそことしのぶなり』〔コリンフ前十三の七〕。あいあるものたれまえにもたかぶらず、ほこらず、たれをもみづかそしらずしてそしものよりはみみとおざくるなり。あいあるもの諂諛へつらいため奔走ほんそうせず、みづからつまづかずして、兄弟きょうだいにもあしをつまづかせず。あいあるものあらそはず、うらやまず、そねみず、失敗しっぱいをよろこばず、失敗しっぱいしたるものをそしらず、かへつてかれためうれいわかちて、かれ分前わけまえゆうし、兄弟きょうだい窮迫きゅうはくにあるをかろんぜず、かへつてかれ保護ほごして、かれためいたさんとほつす。あいあるものかみむねす、かれかみ門徒もんとなり。けだしわれらが慈善じぜんなる主宰しゅさいみづからいへり、『もしあいあいせば、これによりて人々ひとびとなんぢらがわれ弟子でしたることをるべし』〔イオアン十三の三十五〕。あいあるものけつして何物なにものをもうばふておのれものとなさず、なににても『これものなり』といはず、かへつてすべておのれにところなににても衆人しゅうじんまえそなへて一般いっぱん使用しようとなさんとす。あいあるもの何人なにびとをもおのれため他人たにんおもはず、ことごとくのひとかれ近親きんしんなり。あいあるものげきせず、ほこらず、はげしくいからず、不義ふぎをよろこばず、詐偽さぎにあづからず、一の魔鬼まきほか何人なんびとをもおのれてきとなさず。あいあるものはすべてのこと包含つつみ、めぐみ、しのぶなり〔コリンフ前十三の四、七〕。ゆえあいて、これとともかみうつものさいわいなり、いかにとなればかみおのれにぞくするをりて、かれをそのふところにうくればなり。あいおこなもの天使てんし同居どうきょしゃとなり、ハリストスともおうとならん。あいによりて神言かみことばくだれり。あいもつ楽園らくえんわれにひらかれ、てんるのみち衆人しゅうじんにあらはさる。かみてきたりしわれあいもつかみ和睦わぼくせらるるなり。ゆえわれらは当然とうぜんにいはんとす、『かみあいなり、あいものかみる』と。