<< 愛 >>
神を愛するの愛ある人は福なり、何故なれば彼は己れに神を懐けばなり。『神は愛なり、愛に居る者は神にをる』〔イオアン一書四の十六〕。愛ある者は神と共に極めて高し。愛ある者は懼れざらん、いかんとなれば『愛は懼をのぞけばなり』〔十八〕。愛ある者は小なる者にも、大なる者にも、名誉ある者にも、名誉あらざる者にも、貧しき者にも、富める者にも、誰にも決してきらはれざるなり、然れども彼自らは衆人の為に廃物となり、『凡の事包容み、凡の事忍ぶなり』〔コリンフ前十三の七〕。愛ある者は誰の前にも高ぶらず、誇らず、誰をも自ら謗らずして謗る者よりは耳を遠ざくるなり。愛ある者は諂諛の為に奔走せず、自からつまづかずして、兄弟にも足をつまづかせず。愛ある者は争はず、羨まず、そねみ視ず、他の失敗をよろこばず、失敗したる者をそしらず、かへつて彼の為に憂を分ちて、彼と分前を有し、兄弟の窮迫にあるをかろんぜず、かへつて彼を保護して、彼の為に死を致さんと欲す。愛ある者は神の旨を成す、彼は神の門徒なり。けだし我らが慈善なる主宰は自からいへり、『もし相愛せば、これによりて人々汝らが我の弟子たることを知るべし』〔イオアン十三の三十五〕。愛ある者は決して何物をもうばふて己の有となさず、何にても『是我が有なり』といはず、かへつてすべて己れに有る所は何にても衆人の前に供へて一般の使用となさんとす。愛ある者は何人をも己の為に他人と思はず、悉くの人は彼に近親なり。愛ある者は激せず、誇らず、烈しく怒らず、不義をよろこばず、詐偽にあづからず、一の魔鬼の外は何人をも己の敵となさず。愛ある者はすべての事包含み、惠み、忍ぶなり〔コリンフ前十三の四、七〕。故に愛を獲て、これと共に神に移る者は福なり、いかにとなれば神は己れに属するを知りて、彼をその懐にうくればなり。愛を行ふ者は天使の同居者となり、ハリストスと共に王とならん。愛によりて神言も地に降れり。愛を以て楽園は我等にひらかれ、天に入るの路は衆人にあらはさる。神に敵たりし我等は愛を以て神と和睦せらるるなり。故に我らは当然にいはんとす、『神は愛なり、愛に居る者は神に居る』と。