<< 主宰が尊威の高きより人間の弱きに降し給ふ仁慈の事及び誘惑の事。 >>
又汝は才智を以て透見するならば、我等の主がその憐に順じ、その恩寵にしたがひて慮りつつ肉体上の誘惑の為にも祈祷すべきを命ぜしことは明なるべし。けだし我等の性は塵にして且土なる肉体の故に荏弱にして、誘惑の中に在るときは之に抗する力あるなく、随て真理より離れ、背走して艱難の為に勝たるべきを知り、祈祷するを命じ給ひしは、もし誘惑なくしても神を悦ばすことを得るならば、我等は不意に之に陥らざらんが為なり。然してもし人は高き道徳に進行しつつ恐ろしき誘惑に不意に陥りて、堪へ得ずんば、是時に於て人は道徳の完全に到り達する能はざるべし。
我等は自己の為にも他人の為にも、偏愛の心を有し霊魂の生命の隠るゝ高貴にして尊正なる行為を怯心により放棄して、弱きを寛容するの教を口実とすることあるべからず、例へば『祈祷せよ、誘惑に入らざらんが為なり』といへる教の如き是なり。けだしかくの如き者等のことは誡命により竊に罪を犯すものと謂ふべし。故にもし誘惑が不意に起りて人を捉へんに、人は我が此誡命の一を破るならば、即貞潔若しくは修道士の生活を棄て、或は信仰を棄て、或はハリストスの為に闘はず、或は誡命の一を行はずして、之を棄つるを余儀なくせられ、自から恐れを為して、勇気にして誘惑に抵抗せずんば真理より落ちん。
今より我等は全力を尽して肉体を軽んじ、霊魂を神に托して主の名の為に誘惑と戦ふに着手せん。それイオシフを埃及の地に救ひて、貞潔の儀表と標準を彼に於て示し、ダニイルを獅穴に、三人の童子を火炉に守りて、彼等を無害ならしめ、イエレミヤを泥坑より救ひて彼にハルデヤの陣中に於て憐を賜ひ、ペトルを戸の閉されたる獄中より曳出し、パウェルを猶太人の集会より救ひし者、之を略言すれば常に如何なる場所如何なる方面に於ても、その僕と共に居りて、その力と勝利とを彼等に於てあらはし、彼等を多くの非常なる境遇に守り、悉くの艱難に於て彼等にその救をあらはす者は我等をも必ず堅めて我等を囲む波浪の中より我等を救ひ給ふべし。「アミン」。
我等が霊中には魔鬼とその衛卒に対してマカウェイ及び聖なる諸預言者及び使徒及び致命者及び克肖者及び義人等の有したると同様の熱心あるべし。彼等は最困難なる誘惑の際に神聖なる法律と霊的誡命を恐るべき方面に樹立し、世も身も背後に棄てて顧みず、その義を堅く守り、霊魂と共に肉体をも囲む所の危きに自から勝利を譲らず、勇気にして之に勝ちて、彼等が名はハリストスの来る以前に生命の書に記され、彼等が教は神の命によりて我等智なる者となりて、神の道を認識し、彼等と彼等が生涯のことの傳記を己の目前に有して精神を励まさるゝ活る模範となし、彼等を以て己の標準となし、彼等の路に由り進行して彼等に肖るあらん為なり。吁神聖なる言は聡明なる霊魂の為に何ぞ美なるや、彼等は霊魂の為に食たること肉体の為に受けて之を支持する食と同じかるべし。且義人等の傳記は温柔なる者の耳に慕はしきこと近頃植えたる植物を湿す不断の灌漑と同じかるべし。
ゆえに至愛者よ、元始より今に至る迄萬物が保護せらるゝ神の照管を心に懐抱すること、弱き眼の為に或る善良なる薬剤の如くすべく、之が記憶は何れの時にも自から之を守りて之を熟考し、之を慮りて己の為に教訓を之より引出すべし、汝は神の尊崇の大なるを念ふ記憶をその心中に守るに練習し、その霊魂の為に我等が主イイスス ハリストスに於る永遠の生命を得んが為なり、彼は神にして又人なるにより、神と人々の間の中保者となれり、彼の尊崇の宝座を繞る光栄には天使の各品も近づくあたはず、然れども我等が為に彼は卑微謙遜なる状態に於て現はれ給ひしことイサイヤの言ふ如し、曰く『我等が見るべきうるはしき容なく、うつくしき貌なし』と〔イサイヤ五十三の二〕。性によればすべての造物の為に見えざる者は肉体を衣て萬民の救と生命の為に摂理を成し、萬民は彼に於て清潔を得たり。彼に光栄と権柄は世々に帰す。「アミン」。