<< 心が霊界に進歩する為、神の照管に依り我等に喚起せらるゝ天使的行動。 >>
神の仁慈に依り人に入りて霊魂を生命にみちびく第一の意思は此の人性の出発に関して心中に落る意思なり。此思想に従ひ自然に世を軽んずべくして、人を生命にみちびく種々様々なる善き行動は之により始まらん。人に伴ふ神聖なる力の人に生命を顕さんと欲するときは、此を人に置くこと、恰も或る基礎の如くなるべし。ゆゑに人は我が述べたる此意思を浮世の関係又は空論を以て之を己れに消滅せずして静黙を以て之を成長せしめ、直覚を以て之を守りて、之が為に占領せらるゝならば、此の意思は人をみちびきて何人も言にて形容する能はざる深き直覚に至らしめん。サタナが此思想を嫉視し、全力を挙げて攻撃するは、之を人に滅さん為なり。ゆゑにもし能するならば、全世界の国をも人に與へて、たゞ人を此の如きの思想より引離し之を其の心に消滅せしめんとす。予が言ふ如く、もし能するならば、彼は好んで此事を為すならん。けだし此思想が人に存するときは、人の智は最早此の誘惑の地に立たずして、サタナの人に対する奸計は之に近づく能はざること彼れ狡獪者の知る所なればなり。しかれども知るべし是は其想起を以て我等に死の記憶を喚起する最初の思想を言ふには非ずして、事の充満につきていふ、即死の離れざる記憶を人に入れて人が之を思念するにより、不断驚嘆の状態に立てらるゝものにつきて言ふなり。第一の思想は或る肉体上に属するものなれども、此後者は霊神上の直覚と奇異なる恩寵なり。此直覚は清明なる意思を衣る。ゆゑに之を有する者は此世の事の穿鑿には更に立入らずして己が肉体の為に繋がれざるなり。
至愛者よ、此の真実なる直覚を少時の間に神は人々に賜ふならば、こは此世に於て相傳授受すべきに非ることは全く當然なり。此直覚は天然が抗し得ざる鏈鎖となるべくして、此の瞑想を其心に受る者は各自個々の練習に比すれば更に最有力なる神の恩寵を以て受くるなり。而して此恩寵は中等の階段にありて心の正しきにより悔改を願ふ者に與へらるゝなり、即此世より遠ざかりて最善なる生命に移るに真実適當するを神に知らるゝ者に神の善なる旨によりて與へらるゝものなり。然して此恩寵は彼等が遁世寂寞の室に於て彼等に成長し且止まらん。我等は祈祷に於て之を願ひ、之が為に長き儆醒を成して、涙を以て主に祈祷せん、何物にも比する能はざる此恩寵を我等に與へ給はん為なり、さらば此世の辛苦の中にありて復た弱わることあらざらん。これぞ人に於て義の充満を行ふ生命の始めなる。