<< 聖神の事。 >>
一なるは唯聖神、保惠師なり、神父は一にして他の父なきが如く、又独生の子、神の言は一にして彼に兄弟なきが如く、聖神も唯一にして他の彼と同尊なる神はあらざるなり。故に聖神は至りて大なる能力なり、彼は神妙にして究知る可からざる者なり、何となれば彼は霊活聡明にして、ハリストスによりて神に造られたる一切のものを聖にすればなり[1]。彼は義人らの霊を照らす、彼は預言者等にありき、彼は又新約に於ては使徒等にありき。聖神の能力を敢て分つを為す者は永く嫌はるべきものとならん。旧新約の主宰たる神父は一なり、預言者等が旧約に於て預言し、新約に於て来り給へる主イイスス ハリストスは一なり、預言者等によりてハリストスの事を傳へ、ハリストスの来りし後は降臨してハリストスを示したまひし聖神は一なり……。
萬物は彼によりて善なる事及び救を得る事に向はしめらるるなり。まづ第一に彼の降臨は温和にしてその感ずるは馨ばしくその軛は甚だ軽し[2]。彼の来るは光と現象の光線ありて預め照らさん。彼は誠実なる配慮者の傷めるが如き心情を以て来らん、何となれば彼は救ひ、癒し、教へ、諭し、固め、慰めて智識を照らさんが為に来ればなり。彼は先づ彼をうけたる者に来るべし。次でその者によりて他の者にも来らん。先きに暗中にありて、その後俄に太陽を見る人はこれにより肉眼は照らされて、先きに見ざりしものを明に見ん、此の如く、聖神をうくるを賜はりし者もこれにより霊魂は照らされて、未だ知らざりしもの、及び人より上なるものを悟らん。彼の体は地にあれども心は天を観ん、彼はイサイヤの如く『高くあがれる御座に主の座したまふ』を見ん〔イサイヤ六の一〕、以西結の如くヘルウィムの上にあらはるる者を見ん〔イェゼキリ十の一〕、ダニイルの如く千々万々の使者を見ん〔ダニイル七の十〕。小なる人は世の始めをも、世の終をも、又その中間なる時代の続きをもすべて見ん、未だかんがへ至らざる諸王の継嗣を識らん、何となれば真実なる照光者は彼と共に在ればなり。人は壁中に籠り居れどもその視力は遠く及びて、他の人々の成すところを見ん。
イサイヤは大抵千年以前にありしも、シオンを見ること小舎の如くなりき[3]。城は猶巍峨として聳え、市場は飾られ、極て繁盛なりしも、預言者は彼に説き及んで『シオンは田圃の如く耕されん』〔ミヘイ三の十二〕といへり、これ今日我等が時代に現実になりしものを預言したるなり。されば預言の正確なるに注意すべし。言ふあり『シオンの女は葡萄園中にある小舎の如く、又園中にある蔬菜の貯蔵所の如く遺されん』〔イサイヤ一の八〕。汝は聖神の聖者を照すを見る。今日すべての地所は菜畦となり終れり。故にかくの如き名称の故により他のいかなる事にも迷はされずして正確を守るべし。
もし汝は座して、潔浄の事及び童貞の事の念慮の生ずるあらば、これ即聖神の教ふるなり。処女の婚姻を避くること屡これあるにあらずや、何となれば聖神は彼に童貞を教ふればなり。王宮に仕へて名声赫々たる人の聖神にをしへられて、富と位とを軽んずることしばしばこれあるにあらずや。少年が美女を見て、眼を閉じ、更に彼を見るの機会を避け、汚穢より逃走することしばしばこれあるにあらずや。汝は問はん、これ何によりて生ずるかと。これ聖神が少年の霊を教へしによるなり。世には貪欲の人多し、然れども「ハリステアニン」は貪らず。何故なるか。聖神の訓誨によるなり。実に貴重なる賜はこれ即聖なる且至善なる神なり。父と子と聖神によりて当然に洗をうけん。人は猶己れに体を有すれども多くの猛烈なる魔鬼と戦ふ。さりながら衆多の人が鐵鎖を以ても、支へ得ざる魔鬼を、彼は独り祈祷の言を以て己の権に属せしむることしばしばこれあるは、彼れに止まる聖神の力によるなり。されば詛ふ者の一片の呼吸は見えざる者の為に火とならんとす。これ即我等は大なる救援者及び保護者、教会の大なる教師、我等の為に大なる代保者を神によりて有するなり。我等は魔鬼をも畏れざらん何となれば我等が捍衛者は魔鬼より大なればなり。彼は往きて堪能なる者を尋ね、賜を授くべき所の者を尋ぬるなり。
彼は撫恤者と名づけらる、何となれば、我等を慰め、励まして我等の弱きを助くればなり。『我等は祈るべきところを知らざれども、聖神は自ら言ひがたき慨嘆を以て、我等の為に〔明に神の前に〕代求するなり』〔ローマ八の二十六〕。或る者はハリストスの為に辱められ、不正に罵らるることしばしばこれあらん。致命者の如き惨酷なる苦みは前に臨み、拷問と、火と剣と、猛獣と、巨淵とは八方より来るあらん、然れども聖神は彼に教示していへらく、人や『主を恃めよ、』〔聖詠二十六の十四〕汝に及ぶところのものは軽く、汝に賜ふところのものは大なり、暫時の間苦辛せよ、さらば永く天使と共にあらん。『今日の苦は我等にあらはるる栄と比ぶべきにあらず』〔ローマ八の十八〕。聖神は人に天国をあらはし、又楽園をも示す〔創世記二の十五〕。致命者等も身体を以て裁判者の前に立たんことは必免るる能はずといへども、精神の力を以ては最早楽園にありて、見ゆる所の残忍をかろんずるなり。
そも致命者等が精神の能力を以ていかに己の苦行を仕遂ぐるを知らんと欲するか。救世主の門徒らに告ぐるを見るべし、曰く『人々なんぢらを会堂又は総督及び権柄の前に曳かん時には、如何に且何を答へ、また何を言はんかと慮るなかれ。汝等が言ふべき事は、その時を以て、聖神はこれを汝等に教ふべければなり』〔ルカ十二の十一、十二〕。ハリストスの為に證者とならんことは、もし誰か聖神を以て證するなくんば、能はざるなり。けだしもし『誰か聖神に感ぜざればイイスス ハリストスを主といふことあたはず』〔コリンフ前十二の三〕さればもし誰か聖神を以て固められずんば、いかにしてイイススの為に己の生命を致さんや。
聖神の賜ふ所は大なり、全能なり、且は奇異なり。汝等今ここに霊魂の数のいくばくあるを算へよ。聖神はおのおのそれに感じて益をなし、我等の中に居りて各人の性質を見、又思念をも良心をも言ふ所をも見んとす。我等が言ふ所は実に大なり、さりながらこれ猶小なり。けだし汝は明にせよ、誰の智識は既に聖神に照明せられたるか、此の全牧地に居る「ハリステアニン」の数はいくばくあるか、全パレステナに彼等はいくばくあるかを明にせよ、而して此の範囲よりローマ全国に思至り、それより眼を転じて全世界に向け、ペルシヤ人、インデヤ民、ゴトフ人、サウロマト人、ガルル人、イスパニヤ人、マウル人、リビヤ人、エフィオピヤ人、及びその他我等の名をだに知らざる所の人種に向けよ、けだし彼等の中には我等に称すべき名さへなくして存する者多し。又各民の間に於ても主教、司祭、輔祭、修道士、童貞及びその他の俗人に注意して、その大なる保護者と恩賜の供給者とを想像せよ、彼は全世界に於て或者には潔浄を與へ、或者には不断の童貞を、或者には仁心を、或者には無欲を、或者には敵対する魔鬼を逐ふの力を與ふるなり。光は一の光線を以て一切を照す如く、聖神も目を有する者らを照明するなり。けだし若し誰か盲目になりて恩寵をうくるに堪へざるあらんか、その責めは聖神にあらずして、己の不信にあり。
汝は全世界に於る聖神の能力を見たり、さらば最早地に止まるをやめて、上天に登るべし。且第一の天に上り、彼処に於てかくも数ふべからざる幾万の神使を観よ。然れども能ふべくは思にて更にいよいよ高く登るべし。神使長を見よ、諸霊を見よ、能力を見よ、差益首を見よ、権柄を見よ、宝座を見よ、主制を見よ。神より彼等に與へられたる嚮道者と彼等がすべての教師と成聖者とはこれぞ即撫恤者なる。人々の間にありてはイリヤもエリセイもイサイヤも彼に必要を有し、又神使らの間に在りてはミハイルもガウリイルも彼に必要を有するなり。造られたる者は一も彼と同尊なるはなし。諸の神使とその衆天軍とを皆合するも聖神とは比較にもなるべからず。撫恤者の至善なる能力は自ら此のすべてをおほふなり。神使は服事の為に遣はさるる、然れども聖神は神の深きを究知ること使徒の言ふが如し、曰く『聖神は万事を究知り、又神の深きを究知るなり、それ人の情はその中にある霊の外誰かこれを知らんや、此の如く神の情は神の霊の外知る者なし』〔コリンフ前二の十、十一〕。
聖神は預言者等によりてハリストスの事を傳へ、使徒等によりて働をなせり。彼は今日に至る迄、洗礼により人々の心霊に印するなり。そも父は子に與へて、子は聖神に授く。これ我が言に非ず、主の自ら宣へるなり、曰く『一切のものは吾が父より我に賜はれり』〔マトフェイ十一の二十七〕。又聖神の事を主の言へること次の如し、曰く『然れども彼、真理の霊きたる時は、一切の真理を汝等に教へん云々、彼は我を栄せん、即彼は我よりうけて汝等に示さん』〔イオアン十六の十三、十四〕。父は子と聖神により一切のものを賜ふ。父の賜ふ所のものは他にあらず、子の賜ふ所のものは他にあらず、聖神の賜ふ所のものは他にあらず、けだし一の救と、一の能力と、一の信仰となり。神父は一なり、その独生の子たる主は一なり、撫恤者たる聖神は一なり。我等が為には此を知りて足れり、然れども本性の事、或は実在の事は好んで穿鑿するなかれ。書されし所のものは我れ既に言へり、さりながらいまだ書されざる事は、我れ言ふを敢てせざらん。我等が救の為には父と子と聖神のあるを知りて足れり。
- ↑ 原文注1:聖神は神妙にして本体に於ては神父及び子に同じく、その無窮なるによれば究知るべからざるなり。彼は霊活にして生命を流し出し全知にして知識を與へ、ハリストスにより神に造られたる一切のものを聖にするなり。
- ↑ 原文注2:聖神は静かに且温和にして潔き霊魂に降らん、その彼をうくるに相当せる霊魂に降るは前表として馨ばしき感あらん、即ち極愉快にして得もいはれざる喜ばしき感あらん、彼が恩寵をもて導き入るる聖なる苦行の軛は霊魂の為に甚軽からん。
- ↑ 原文注3:イサイヤはシオン即ちイェルサリムを見ること菜園の中にある仮小屋の如くなりき。イェルサリムがローマ人に破壊せらるるやその壮麗なる家屋に代りまづしき小舎あらはれたりき。